何をするでもなく、なんとなく視線を室内に泳がせている仁王の耳に、リズミカルな音が届いた。
ドラマでよくある家庭の風景に響くような、トントンという何かを刻む音。
台所に立つ朝美の背中を見やって一つ瞬くと、仁王はのそりと腰を上げて彼女に近付いた。

「へえ。料理は本当に上手いんじゃの」
「誤魔化せないからね、こういうのは。どっちみち、一人暮らしで毎日コンビニ行くわけにもいかないし」

残念ながら裕福じゃないもんで、とさらりと告げると、刻んだものを鍋へ投入する。それからコンロの下を覗いて魚の様子を確認し、少し火力を強めると、ちょっとごめん、と仁王へ避ける様に告げてその背後にある冷蔵庫を開けた。

「昨日の残りだけど、贅沢は言わないでね」
「言わんよ、別に。それより、和食好きなん?」
「嫌い?」
「そういう意味やなか。柳が、『得意料理は和食全般』言うとったんを思い出したきに」
「ああ、そう。そうね、和食は好きだけど、よく作るってだけで、実際は洋食でも中華でも何でも作れるわよ」

そう言った彼女に、感心じゃのう、と仁王が言うと、まあね、と目を細めて朝美は笑む。
冷蔵庫から取り出したひじきの煮物をレンジに入れると、温かくなって出てきたそれに手を伸ばそうとした仁王へ、つまみ食いは禁止、と食器を出しながら釘を刺した。



「藤沢サン」
「呼び捨てで良いわよ、別に」

邪魔だからソファに座ってテレビでも見てれば、と言われてリビングへ戻った仁王は、ふと部屋を見回して未だ作業中の朝美へ声をかける。
じゃあ藤沢、を呼びなおせば、何、と尋ねる声が返ってきて、アレ見てよか、と指をさして問いかけると、しかし後ろを向いたまま、別にいいわよ、と朝美は言った。

「背中に目でもついとるんか」
「ついてないけど、別にクローゼット以外は見られて困るもの無いし」
「クローゼットがいかん、ってのは?」
「服とか下着とか。それは、マナーでしょ」

返ってきた言葉に、ああ、と仁王は頷く。
そういうことか、と一人納得すれば、それじゃあお言葉に甘えて、と隣の部屋に続く襖を開けた。

その部屋は、入り口が襖であるように中は和室で、開けた途端に畳独特の香りに包み込まれた。
しかし、それだけではない。微かに混じる甘ったるいともとれる香りは、線香の香りだ。


部屋の中には、仏壇が置いてあった。
他に置かれているものは本棚くらいで、生活スペースでない事は目に見えて解る。

仏壇に近寄ってみると、その真ん中に写真立てが置いてあった。
覗いてみると、写っているのは年若い一人の女性。面立ちから察しながらも、なあ、と仁王は声をかける。

「これ、藤沢のお袋さんかの?」
「うん、そう。若いでしょ」

妙に機嫌の良い声でそう言った朝美は、やはり背中を向けていた。
米の炊きあがる匂いに、そろそろ出来そうだな、と思いながら、へえ、と仁王は相槌を打って視線を写真に戻す。

「いくつ?」
「35。私が中3の時に死んだ」
「それは勿体ないの」

まだまだこれからじゃっちゅうのに、と残念に思いながら言えば、そうでもなかったよ、と笑う朝美の声が鮮明に聞こえて、振り返るとその姿はリビングにあった。
出来たから座って、と告げる彼女に従ってカーペットの上に座れば、美味しそうに湯気を立てる夕食が並んでいく。

「しつけ、厳しかったと?」

ずっと昔にテレビでふと見た作法講座でやっていたような綺麗な配膳に尋ねれば、必要なことは自分で覚えた、と返ってくる。
やるのう、と褒めてみても、別に、という平然とした返答が返ってくるだけで、もっと嬉しそうにすればいいんに、というのを言っても仕方が無いなとすぐに思い直してやめると、正面に座った朝美へ仁王は視線を合わせる。

「いただきます」
「どうぞ」

笑みを浮かべて手を合わせれば、目を合わせた朝美はそう言うと後に続いて、いただきます、と自分も手を合わせる。

口に含んだ料理に、仁王は素直に『美味しい』と思えた。
何処か優しい味付けと、ホッとするような感覚に感心しながらも、美味いの、と言ってみれば、まあね、と少し得意げに朝美は言う。

食べながら観察してみれば、彼女の振る舞いは完璧だった。
箸運びも魚の食べ方も、どれも見苦しく感じることは一切無く、見ていて綺麗とさえ思える。

礼儀作法を教える教室に通うような余裕は、恐らく無いだろう。
全てを独学で学んでこれなのだとしたら、やはりなかなかのものだと思いながら同時に、それにしても何故ここまで、と思った。

「教えてあげようか」
「は?」

それまで黙っていた朝美の不意の声に、仁王は気の抜けた声をあげる。
ここまで完璧にしている理由、と笑みを浮かべて言った彼女に、思考を読まれたか、と僅かな苦笑を漏らしつつも、教えてくれるなら、と言葉を促すと、朝美は箸を置いて人差し指を立てた。

「一つ、私はあまり幸せに生きてこなかった。二つ、その大きな要因は一番そばにいた人間が可笑しいほどに不幸だったから。三つ、けれど私は其処から沢山のことを学ぶのに成功した。つまり、」

だからこそ私は、将来を幸せに生きる為のプランを練った。
朝美はそう言うと、立てた三本指を仕舞うと両手を組んで、其処に顎を乗せニッコリと笑う。

「お前さん、その言い方好きじゃの」
「柳君から得意教科を国語、って聞いてるかもしれないけど、それは間違い。本当に得意で、一番好きなのは数学」

理論を組み立てた上で正確な答えが出るのが好き、と朝美は言った。
「国語なんて、何かそれらしい事書けば当たるんだもの。あやふや過ぎて」と肩を竦めて嘲笑うかの様に笑みを溢せば、ほう、と仁王も笑みを浮かべた。

「それで、組み立てた理論プランは?」
「それはまた、別の機会に教えてあげる」

こういう情報は小出しの方がいいでしょ、と笑ってみせると再び箸を手にする朝美に、仁王はくつくつと可笑しげに笑って、そりゃそうじゃ、と言った。
しかし次の言葉を仁王が口にした瞬間、朝美は箸を止める。

「成る程、藤沢となら上手くやっていけそうじゃの」
「……つまり?」

それまで悠々と笑っていた目が、一気に温度を無くして細められたのに、仁王はそれすらも面白そうな目で見ながら、そのまんまに取ってくれて構わんよ、と告げる。
朝美は少し様子を伺うように視線をやって、それから呆れたように溜息をついた。

「論外ね」
「なして?」
「私は未来に投資してるの。望む未来に辿り着く前に博打するほど、余裕は無いわ」
「誰も博打せえとは言うとらん」

そう言った仁王に、同じでしょ、と朝美は突き返す。
つれないのう、と笑う仁王は、しかし諦めているような様子はさらさら無く、これならどうじゃ、と人差し指を立てた。

「一つ、俺は学校で普通に振る舞う。二つ、お前も学校で普通に振る舞う。三つ、ほんのたまにココで二人で晩飯を食う」

朝美のやり方を真似て言う仁王に、朝美は押し黙って僅かに睨みつける。
すまんすまん、とカラカラ笑いながらも、もちろん、と仁王は続けた。

「そん時の食材費は俺が払う。ここに来る時は、俺は変装してお前とは別に来る。これでお前には何のリスクも無いと思うがの?」
「……そこまでする理由は?」
「お前さんに興味があるからに決まっとるじゃろ」

あとメシが上手いけんの、とニコリと笑えば、朝美は暫く仁王へそのまま視線をやったあと、ふと逸らして息をついた。

「そうね。……貴方が今言った条件に、学校じゃ必要以上の接点を持たない、っていうのを含めてくれるなら、考えてあげてもいいわ」
「そんなら、交渉成立じゃな」

笑みを浮かべる仁王に、実質そういうことになるわね、とやや諦めた口調で朝美が言うと、二人は食事を再開した。




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