「正月の宴に、私も…ですか?」 「ああ」 晦日も近い、年の暮れ。 その日、急に十一番隊の執務室を訪れた白哉から告げられた言葉に、ユキは目を丸くする。 朽木家の正月の宴と言えば、血族と上級貴族、あるいはかなりの身分を持った者しか招かれない、非常に格式高い祝いの席だ。 今年は副隊長である恋次も呼ばれているというが、一方でユキは元上司の娘であるとはいえ、今は他隊の三席に過ぎず、なおかつ貴族でもなんでもない。 普段どれだけ親しくしている間柄であろうと、その程度のユキが呼ばれるような席ではない。 とは言え、呼ばれた理由は分かる。 今回の正月の宴は、ルキアが初めて朽木家に伝わる舞を披露するのだ。(ここ暫く、ユキはその練習に幾度も付き合った) それは、例の極囚騒動が与えた和解・変革の結果の一つであり、それが与えられたのはユキと白哉の間もまた同じである。 以前よりも、近くなった距離。 それはさておき、やはり呼ばれるようなものではないし、呼ばれていいものではない。 「ルキアも、お前が来れば心強かろう」 「はあ……」 「存外、気乗りせぬようだな」 歯切れの悪い返事をするユキに、どうかしたか、と白哉は問う。 気が乗らないわけでは、と前置きをした上で、ユキは口を開いた。 「その……お誘いいただけたのは、有難いと思います。ですがやはり、列座するには相応しくないかと。私は貴族ではありませんし、今は朽木隊長の部下でもありません。それに、見合うだけの装いも持っていませんし……」 「……そうか、わかった」 すみません、とユキは頭を下げる。 誘われたことは本当に嬉しいし残念ではあるが、仕方がない。 それに、その辺りの線引きはきちんと行っておかなければ、白哉の評価にも繋がる。 和解・変革はあったとて、それはあくまでユキと白哉の間の話だ。 そこまで行くには、まだ早い。 そう思ってのことだったのだが。 「ならば、衣はこちらで用意しよう」 「……は?」 思わずユキは、素で返した。 一方で白哉は、ユキの聞き返した意味が分からないとでも言うように、どうかしたか、と問い返す。 「朽木隊長。失礼ですが、私の話は……」 「貴族ばかりの改まった場に合うような着物が無い、とそう聞こえた。違うか?」 「その前です、その前」 「……さて、何か言っていたか?重要なことを、言っていた覚えはないが」 「……」 すっかり、ユキは閉口した。 それを見て、何もないようだな、と白哉は話を切り上げる。 「後で、家の者に着物をいくつか持たせる。好きなものを、選ぶと良い」 「……分かりました。有り難く、お受けいたします」 小さく苦笑を浮かべると、ユキはそう告げて頭を下げる。 と、微かにため息をつく音に顔を上げれば、細められた白哉の目と視線が合った。 「……済まぬな」 「もう慣れました。当日、楽しみにしていますね」 「ああ」 そうして、隊舎の門まで白哉を見送りに足を伸ばし、分かれる。 用事を終えて戻ってきた母へ、正月の宴に呼ばれたことを告げれば、朽木君もせっかちね、と口にしたのには同意して眉を下げ、笑った。 朽木家の使いが着物の入った桐箱を手に十一番隊を訪れたのは、その翌日だった。 「お久しぶりです、穂村様」 「清家さん…!お久しぶりです」 朽木家の者達を率いてきたのは、清家信恒――朽木家の家老であり、白哉の付き人であるその男だった。 何度か面識のある彼を前に、ユキと、そして共に出迎えた摩耶は挨拶を交わす。 「お久しぶりです、清家さん。お元気そうで、何よりですわ」 「摩耶様も、お元気そうで。いやはや……お二方とも、以前にお会いした時よりお美しくなられましたな」 「まあ。相変わらず、お上手ですこと」 「いえ、本心からに御座います。……では、摩耶様。ご息女を暫し、お借りいたしますぞ」 「はい。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。……ユキ、お部屋に」 母に言われて、はい、とユキは返事をすると清家達を空いた部屋へ案内する。 「あの……ルキアは、どうですか?その、舞の練習の方は……」 「ええ、順調でございますよ。穂村様達にも、その節はお世話になりました。お蔭で、仕上げの段階にございます」 「そうですか。良かった……」 清家の言葉に、ユキはホッとした表情を浮かべた。 ――細かな説明は省くが――ルキアの舞は、前途多難なところから始まった。 実の所一時はどうなるかと思ったが、なんのかんのとありながらひとまずは一件落着し、ルキアも本格的に舞の練習に精を出し始めた。 清家の口ぶりから察するにも、それからは順調のようだ。 安心した様子のユキを見て、清家は眼鏡の奥の目を和ませる。 そして、口を開いた。 「此度の宴の席……参列を承諾していただき、有難う存じます」 言うなり、清家は頭を下げた。 驚いたのはユキだ。 思いもしなかった清家の行動に、慌てて頭を上げるように言う。 「どうしたんです、急に。私なんかが参列するくらいで、そんな……」 「いえ。きちんと申し上げておかねば、と思った次第です。穂村様は弁えておられる方ですから、此度の参列は強いたものになりましたでしょう。白哉様も、そこを心配しておられました。ですが私としても、穂村様には是非、参列していただきたかったのです」 はあ、と要領を得ないユキに、清家は続ける。 「此度の一連の事においても、それ以前においても……白哉様にとって、穂村様は心の支えであり、良き理解者であってくださいました。そしてルキア様の大事なご友人であり、命の恩人、その一人でございます。……近頃の白哉様を見るにつけ、ルキア様を見るにつけ……お二方を見るにつけ、私は心底嬉しく、有難く思うのです。穂村様。朽木家の幸い……その一端が、貴方様のお蔭で無いとは言わせませぬぞ」 「清家さん……」 有無を言わせぬ言い方に、ユキは思わず苦笑する。 この主君にして、この従者有りだ。 しかし、気恥ずかしさを感じこそすれ、嫌な気は起こりもしない。 いつも白哉と同じく己の意思は見せずに粛々と役目をこなす家老が、その口ぶりに嬉々とした様子を含ませ、その理由の一つが自分にあるとなればむずがゆくもなる。 「穂村様には堅苦しい席ともなりましょうが、此度の招待は、貴族故の格式ばった感謝の証と思ってくだされ」 「……はい、有難うございます」 面映ゆい気分で、ユキは微笑んだ。 それを見て清家は満足そうに眼を細め、さて、と横に目をやる。 「それでは、お召し物を選びましょう。穂村様に似合うものを、と白哉様にいくつか見繕っていただいて参りましたが……どれが宜しいですかな?」 「……」 話している間に、いつの間にか衣桁へ掛けられていた振袖の数々。 きらびやかで上質な綾織を前に、ユキはこれまでとは違う意味で苦笑した。 *** 「白哉様」 年は明けて、正月の宴、その当日。 白哉は、部屋の外で己を呼ぶ侍女の声に顔を向ける。 「穂村様のお召し替えが完了致しました」 「分かった」 朽木家の着物は、相当の値が張る品物だ。 万が一何かあってはいけないということで、ユキは正月の宴の日、朽木家に早めに足を運び、着替えることを選択した。 今日はまだ、今朝から段取りの確認に追われて、白哉は朽木邸に訪れたユキと顔を合わせていない。 また清家からも、当日の楽しみに、とユキがどの着物を選んだか聞いていない。 侍女に先導されながら、白哉はその姿を心待ちに廊下を進む。 「穂村様、よろしいでしょうか」 「は、はい!」 侍女が外から声をかけると、ユキのやや上ずった声が返ってくる。 失礼します、と告げてから侍女はそっと襖を開けた。 ――開いた向こう。 そこに佇むユキの姿に、白哉は僅かに目を見張った。 目が覚めるような、鮮やかな瑠璃色。 桜を散らした華やかな装いを身にまとって、ユキはぎこちなく、はにかんだ笑みを浮かべる。 「いかがですかな、白哉様」 襖近くに控えていた清家が、白哉に問う。 「……ああ、悪くない」 無表情のままに、白哉はそうとだけ言った。 それを見て、それはようございました、と告げると清家は侍女たちへ下がるように言いつける。 「では、我々は先に。じきにお時間でございます故、穂村様と大広間へお越しください」 「分かった」 では、と一礼すると侍女たちを引き連れて清家はその場を後にする。 緊張をはらむ張りつめた空気は、すぐにユキの方から伝わってきた。 白哉がそちらに顔を向けると、ユキは肩をひとつ震わせて、竦める。 一歩白哉が近づけば、さらに小さくなるユキへ、白哉は名を呼びかける。 「ユキ」 「はっ…は、い……!」 上ずったか細い声で返事をしたユキは、その顔を俯かせた。 そんなユキの顎へ指を添えると、持ち上げ、上を向かせる。 「俯くな、ユキ」 「……!」 黒い二つの双眼が、白哉を映して揺れる。 紅を引いた唇は、空気を求めるように開かれたかと思えば、すぐさま閉じられた。 白哉を前に、すっかり固まってしまったユキを見て、白哉はそっと口を開く。 「……今日のお前は、ひときわ美しい。怖じず、胸を張り、顔を上げ、前を見据えていろ」 静かな言葉に、ユキは息をのんだ。 良いな、と告げて白哉は添えた指を離す。 引き結んだ唇を、ユキはゆっくりと開く。 それから一度、白哉から視線を外し落とすと、目を閉じて深く息を吸った。 再びその視線が白哉と交わった時、そこにはしっかりとした眼差しを備えた、いつものユキがいた。 白哉はその姿を前に、目を細める。 「……それで良い。さあ、行くぞ」 「はい」 羽織の裾を翻し部屋を後にすれば、ユキもその後ろに続く。 晴れやかな日差しの中、二人は大広間へと足を進めた。 *** 「ルキア、お疲れ様!」 宴は――ルキアの舞は、大成功に終わった。 宴はまだ続いているが、休憩の間に装いを改めるルキアのもとへ駆けつけたユキは、真っ先に労いの言葉をかける。 「凄かった!綺麗だったよ、ルキア!」 「そ、そうか?なら、良かったが……」 「ホラ、恋次。あんたからも何か言いなさいよ」 「おォッ!?お、おう……なんだ、その…まあ、良くなったんじゃねえか?」 しどろもどろに褒める恋次に、もっと素直に褒めなさいよ、とユキは笑う。 うるせえよ、と言い返す恋次と、くすくす笑うユキの間で、未だ舞の衣装に身を包んだままのルキアは、照れたように笑みを零す。 そんな三人を白哉は向かいの渡り廊下から、密かに眺めていた。 その傍らに、清家が添う。 「いやはや……見事な舞でございましたな。客人方も、素晴らしい舞だと口を揃えていらっしゃいました」 「そうか」 清家の報告に、白哉はそうとだけ言った。 しかしそこに含まれる満足と安堵を含んだ音を、幼いころより付き従って来た家老は聞き逃さない。 本当にようございました、と口にして、それはそうと、と清家は続けた。 「ルキア様に、縁談の申し込みがございます。それと穂村様に関しましても、『あれは何処のご令嬢か』と……」 「全て断れ。詳細も、伝えずとも良い」 「はい。既にそのように」 幼いころより付き従ってきた家老に、主の命令を先読みすることは容易い。 と、ふとユキがこちらに気付いて、二人へ指し示す。 三人が揃って礼を寄越せば、白哉はひとつ目を伏せて、一歩、彼らのもとへ歩み出した。 |