「すみませー…ん?」 某日、四番隊隊舎。 ひょこりと顔を出したユキは、目にした光景に小首を傾げる。 部屋の中では、四番隊副隊長の勇音と平隊士たちが、なにやら困った様子で顔を合わせている。 「あの……どうかなさったんですか?」 「えっ?あっ、ああ、いらっしゃい、穂村十席!」 ユキが改めて声をかけると、ここでようやく勇音が気付いて出迎える。 しかしどうにも心ここにあらずな様子の彼女に、なにかあったんですか、と尋ねれば、勇音は隊士たちと顔を見合わせ、その視線を手の中にある書類に落とす。 そして、隊士たちと共にひとつため息をつくと、それがね、と暗い表情で書類を差し出して見せる。 それは、なんの変哲もない書類だった。 しかし隅に押された、隊を示す判が示す数字は【四】ではなく【十一】 つまりは、四番隊の天敵である、十一番隊。 「混ざっちゃってたんですか」 「そうなの……。で、放っとくわけにもいかないから届けにいかないとなんだけど……」 はあ、と一斉に隊士たちは肩を落とした。 誰だって、敵の本拠地に足を運びたくなどない。 それに彼らの場合、下手をすれば生きて帰って来られない。 はは、とユキは心中を察して乾いた笑いを小さく零す。 しかしすぐに、わかりました、と頼もしい声と共に笑いかけた。 「その書類、私が持っていきますよ」 「えっ、でも……」 「大丈夫ですよ。私なら、バックには母さんがいますし。母の職場見学だと思って、行ってきます」 その代わり、私の用事代わっていただけませんか、とユキは眉を下げる。 結局、本来のユキの用事であった、六番隊の薬品補充は四番隊の隊士が代わりに受け持つことになった。 薬の代わりに受け取った十一番隊の書類を手に、ユキは十一番隊の隊舎へ向かう。 ユキの母は、十一番隊の三席だ。 しかし今まで、父にも母にもやんわりと止められていたし、ユキもあまり近づかない方がいいと察していたので、ユキは十一番隊へ顔を出したことはない。 百聞は一見にしかず。 両親二人がやんわり止めていた理由は、隊舎に近づくにつれ分かった。 すれ違う隊士のガラがどんどん悪くなり、女性の姿は徐々に見かけなくなる。 ちらりと路地に目をやれば、掃除をさぼって賭け事に興じる隊士もいる。 咎めるどころかニヤニヤと輪に入っていく、傷の多い隊士たちを、ユキは見ないフリをした。 暫くして、隊舎の門が見えてくる。 まだ手前で立ち止まり小さく深呼吸をすると、ユキは改めて歩き出した。 ユキがやってくるのに気付くと、門番の男二人は上から下まで、ユキを値踏みするように一瞥する。 その不快感に一瞬眉をひそめて、しかしすぐに平静を装うと、背筋を伸ばし、ユキは口を開いた。 「四番隊より、書類をお届けにあがりました。すみませんが、十一番隊の、穂村三席へお取次ぎ願えますでしょうか」 「ほう、穂村三席。残念だったなァ、ちょっと前に、用事があって出てっちまったとこだ」 「……そうですか。では、また後程お邪魔致します」 失礼、と一礼すると、ユキはその場を後にしようとする。 しかしそれを、待ちな、と男たちが呼び止める。 やっぱりそうなるか、とユキは思う。 それでも一応、母の職場である以上、その顔に泥を塗るわけにはいかない。 これくらいの霊圧差なら何があってもわけないと、そこはしっかり冷静にふみつつ、なんでしょう、とユキは振り返る。 「折角、こんなとこまで来たんだ。どうせなら、帰ってくるまで中で待ってたらどうだ」 「いえ、私も職務がありますので」 「まあそう言わずに――」 「!」 肩を掴まれそうになって、ユキはすぐさま一歩引いて躱す。 それを見て門番の男は、眉根を寄せる。 「なんだァ嬢ちゃん、その態度は?」 「こっちが折角、中で待ってろやっつってんのに、四番のクセによォ。あァ?」 「いえ、結構です。本当に、急ぎますんで。それに私、四番隊ではないので」 「ハハッ、ンな事ァどっちだっていいんだよ。いいから、大人しく中で待ってけや。いらねえケガなんざ、したくねえだろ?」 喉の奥から下卑た笑いを零す門番に、それでもユキは平静を崩さず、「結構です」と毅然とした態度で告げた。 そうして涼しい顔で踵を返せば、チッ、と不快気に舌を打つ音が聞こえる。 そして、 「このッ……!」 忌々しげな声と共に、手が伸ばされる気配。 しかし、ここでユキは動じたりしない。 すぐさま足を引いて姿勢を低くすると、肩の辺りに伸びた相手の腕をつかみ、勢いのままに一本、背負い投げる。 「がはッ……!!!」 「ッ!このアマ、調子に乗りやがって……!!!」 背中をしたたかに打ち付け、目を白黒させる同僚を前に、もう一人の男が手にしていた刺又を振り上げる。 それが振り下ろされるより先に、ユキが腹へ一撃寄越そうとした、その時だった。 「おい、何やってやがる」 唸るような声が、上から響いた。 その声に、刺又を振り上げていた門番の男も、背負い投げられて仰向けになっていた男も、そしてユキもハッとして、頭上へ目をやった。 ――逆光。 日の光に照らされて、何かがまぶしく光る。 思わず目を細めているうちに、それはユキたちの周囲へ降りてきた。 「なんだこれは、あ?」 「女の子一人に、美しくないことになってるのは確かみたいだけれど…?」 一人は、丸坊主で目の端に赤い化粧を施した男。 もう一人は、おかっぱで目の端に羽の飾りをつけた男。 「こっ、これは、斑目三席に、綾瀬川五席……!!!」 「これはですね、その……!」 「ほう、この期に及んで言い訳か」 「醜いねえ……」 しどろもどろに口を開く男二人へ、斑目三席、綾瀬川五席と呼ばれた二人は鋭い視線を向ける。 それを受けると門番の男二人は縮みあがり、「すみませんでしたァ!!!」と土下座を始める。 「気合がなってねえッつってんだ、オラァ!叩き直してやる、道場行け、道場!!」 「はいっ!!!」 「失礼します!!!」 ぺこりと頭を下げると、逃げ出すように男たちはその場を後にする。 それを見送ってフンと鼻を鳴らす斑目を伺うように見上げていると、大丈夫だった、と声をかけられ、ユキはそちらへ顔を向けた。 綾瀬川が、首を傾けてユキへ微笑みかける。 「君、命さんの娘さんだよね。ごめんね、うちの隊員が」 「あ、いえ。平気です。それより、ありがとうございました。正直、暴力沙汰はって思ってたので」 そう言うと、ユキはぺこりと頭を下げる。 それを見て、いいよそんなの、と綾瀬川が手を振った。 「僕ら、命さんにはお世話になってるんだ。それより、どうしたの。命さんに、なにか用事かい?」 今は出かけているのだけれど、と告げる弓親に、はい、とユキは頷く。 そしてさっきとは異なり、胸元から書類を取り出した。 さっきの二人に渡しては紛失の恐れがあるが、この二人なら大丈夫だろうと、そういう判断だ。 上位席官であるし、なにより二人の名前は母親から何度か聞いていた。 「これ、書類が混ざってたので。母に渡していただいて良いですか?」 「わざわざ届けに来てくれたのかい。ありがとう、それなら余計に悪いことしたね。あの二人、しっかり絞ってやらなきゃ」 ね、一角。と綾瀬川。 対して、斑目は「おう」と短く答える。 先刻から、彼はユキを値踏みするような目で見ていた。 先ほどの男たちと違うのは、それがやや睨むような視線であり、下卑た風でないことだ。 どころか、何かの拍子に敵意に変わりそうな気配すらする。 「あの、私これで」 「ああ、送っていくよ」 「平気です。お気遣いいただき、ありがとうございます」 「……そっか、そうだね。うん。今度は、命さんにでも連れてきてもらっておいで。一緒にお茶でも飲もう」 そう言って笑顔を向ける綾瀬川に、はい、とユキも笑顔を返す。 ――結局斑目は最後まで――ユキが背を向けても、視線の姿勢は変わらず、その背にまでも向けられた。 その夜、六番隊の隊舎を母である命が訪れた。 一連の話を綾瀬川から聞いたらしく、伝令神機でもなんでもくれればよかったのに、と眉を下げる母に、ああそういえば、と初めてユキは存在を思い出す。 「ねえ、母さん」 この子ったら、と呆れる母へ、ユキはあれから気になっていたことを尋ねる。 なあに、と首を傾げる母に、ユキは言った。 「斑目三席って、私のこと嫌いなの?私、初めて会ったけれど、あまり歓迎されてなかったみたい。綾瀬川五席は、そうでもなかったのに」 「あら……。そうねえ、そういえば、あんまり良い顔してなかったわねえ」 ユキの話題が出た時を思い出しながらか、しかし母は普段と変わらず、のんびりとした様子で答える。 そして、でも嫌ってるってことはないと思うのよね、と言うと、ただ、と続けた。 「斑目君は、自分が認めた人以外には素っ気ないとこあるから。下の子には優しいし、面倒見いいんだけどね。だからもしかして、逆に、ユキのことを対等に見てたのかもしれないわね」 「ふうん……?」 よくわからないが、結論だけを述べるならば「認められなかった」というところだろうか。 内心で、ユキは咀嚼する。 「なかなかレアよ。ま、頑張りなさい」 「はあ……」 曖昧な返事を返せば、ふふ、と母は笑って「それじゃあね」と自身の隊舎へ戻っていった。 一人になった部屋で、ユキはふう、と息をつく。 薄暗い部屋の中、頭の中にぼんやりとあの目が浮かぶ。 それを思い出すとなんとなくムッとして、胸の中がもやもやとした。 けれど、それよりも今のユキには眠気が勝った。 もう夜はとうに更けている。 六番隊の朝は、というよりも、ユキの朝は早い。 嫌なことなどとっとと忘れて、明日も励まねばと布団の中に潜り込む。 それでも浮かんでくるあの目は、その夜暫く、ユキを悩ませるのであった。 |