「店長。準備万端、整っております」
「急ぎますよ、テッサイさん」
「はっ」

地上に、破面――それも、十刃が現れた。
その報告に出撃しようとする阿散井達を抑え、自分が出ると宣言した浦原だったが、その言葉に反して、地下修行上の出口とは別の場所に向かおうとする。

来てください、とは言われなかったが、逆に来るなとも言われず、なんとなく阿散井達はその後ろについていく。
そこには、いつの間に用意したのか術式を施すに用意されたかのような儀式陣と、柩のような黒い箱が置いてあった。
箱は鬼道か何かの塊のようで、ぼんやりと光を発している。

「浦原さん、こいつは……?」
「始めましょう、テッサイさん」

阿散井の質問に答えず、浦原は儀式陣に手を置くと呪文のような言葉を唱え始める。
途端、陣が光を発して周囲に風が巻き起こった。

「ッ……一体ぜんたい、なんだッてんだ……?」

思わず目を瞑った阿散井は、風が収まった頃にゆっくりと目を開ける。
しかしその時、陣の中央にあの黒い箱は無かった。
代わりに、黒い着物――死覇装を来た死神が一人、佇んでいた。

なんだなんだと目を瞬かせる阿散井は、その死神が俯かせていた顔を上げるのを見て、目を見開く。

あんたは、と。
驚愕で声を失う阿散井を前に、死覇装に身を包んだ女はにっこりと微笑んだ。

***

その日、たまたま十三番隊の近くを通りがかったユキは、織姫が一人で蹲っているのに気がついた。
どうにも落ち着かない様子で、なおかつルキアが傍にいない。
何かあったのだろうかと気になって、歩み寄る。

「こんにちは、井上さん。ルキアは一緒じゃないの?」
「あっ、穂村さん。実は――」

顔を上げた織姫から、ユキは事の次第を聞く。
それから、成程それはむず痒いわね、と眉を下げた。
気持ちは重々にわかるが、かと言って、断界を通らせるわけにもいかない。

「大丈夫、すぐにみんなと合流できるよ。それより、修行は順調?」
「あっ、えっと、修行は……どうなんだろう。自分では、少しは強くなったと思うんだけど……。そうだ、穂村さん!今度、修行を見てもらえないかな」
「私が?」
「うん!穂村さんって強いし、きっと良いアドバイスがもらえるんじゃないかなーって!」
「良いアドバイスが出来るかどうかはわからないけど……うん、私でよければ」
「本当に?ありがとう、穂村さん!」

約束を取り付け、織姫がにっこりと笑ったその時。
慌ただしく、鬼道衆の人間が穿界門の準備が整ったことを告げに来る。
顔を合わせ、うん、と頷き合って、二人は立ち上がり走り出す。

「二人共、お客さんに何かあったら大目玉なんだから、しっかりね!」
「はッ!」

織姫に付き添う二人の死神に激を入れると、ユキはその背を見送って「頑張ってね、井上さん」と心の中でエールを送る。
そうして、自分も職務に戻ろうと、背を向けた時だった。

「……!!!」

ぞく、と背中を悪寒が走る。
穿界門の奥から、異様な霊圧を感じた。
それは、織姫の者でも、付き添う二人の死神のものでもない。
否、それ以前に、まるで『ユキに向けてわざと』向けられているような霊圧だった。

「ッ、」
「穂村三席!?お待ちください、通過の許可は――」

鬼道衆の言葉にも耳を貸すことなく、ユキは穿界門に踏み入ると駆け抜ける。
鼻先に血の匂い嗅ぎ取ったのは、すぐのことだった。
足を早めれば目前に、見慣れない白い装束を着た男の姿が見える。

「破道の六十三、雷吼炮!」

虚の霊圧を放つその男めがけて躊躇なく、雷の塊を打ち出す。
それはまっすぐ打ち出され、男へと直撃する――筈だった。

「!」

男は、微動だにしなかった。
そうして人差し指を突き出したかと思うと、瞬間、その指先から光が放たれる。

純粋な、エネルギーの塊。
それに押し返され、かき消されて、代わりに向かってくる相手の攻撃を、ユキはすんでのところで鬼道で防壁を作り凌ぐ。

「ッく……!」

防壁を支える腕が、びりびりと痺れる。
虚閃――話には聞いていたが、簡単そうに打ち出す割にそのなかなかの高威力に、ユキは顔をしかめた。
そのうち攻撃を凌ぎきれば、カシャンと音を立てて防壁が崩れる。

そこでようやく、ユキは男の顔をはっきりと見た。
刀を抜き、相手へとその鋒を向けながらユキは口を開く。
刀を抜いた瞬間、穂村さん、と織姫が制するように叫んだが、それをユキは「大丈夫だから」と目でなだめた。

「その霊圧、破面だよね。仲間はみんな現世に出ているって聞いたけど、あんたはなんでここに?まさか、一人で尸魂界へ侵攻しに来たの?」
「お前は、穂村管理官の娘・穂村ユキ――間違いないな?」

不意に父親の名前を出され、ユキは眉根を寄せる。

「質問をしているのは、こっち」
「答える義務はない。――穂村ユキ。井上織姫と共に、我らの下へ来い」
「……何の話?」

男の言葉に、ユキは訝しむ。
その瞬間、ユキの視界から男の姿が消えた。
刹那、背後に気配を感じて振り向くより先に、ユキの首筋に柔らかくも冷たい感触が添えられる。

「……!」
「お前に選択権は無い。返事は『はい』だ。それ以外を喋れば、現世に展開している破面が貴様の仲間を殺す」
「……それで私が、首を縦に振るとでも?」

そう告げると、背後で男が小さく息をつくのが聞こえた。
スッと首筋から男の指が離れ――恐らく、もともと“そう”する気はなかったのだろう――ユキはすぐさま織姫のもとまで移動すると、彼女を背後に庇う。
そして織姫の六花の盾の中で治療されている、痛ましい姿となった隊士を一瞥すると、再び男へ刀を構えた。
そんなユキを、興味も無いといった様子で見据えながら男は口を開く。

「穂村管理官の予想通り、と言ったところか。だが、俺にも役目がある。お前を無傷で、虚圏へ連れてくるという役目がな」
「そう。じゃあ、私には関係の無い話」
「あくまで、我らの下に来る気は無い、と?」
「どうして来る気になると思うのか甚だ不思議」

成程、と。
ユキの言葉を聞いて、男は呟くように言う。

「あまり長々と話していては、時間が無くなる。――率直に言うが、穂村様は『お前をこの戦いに巻き込みたくない』とその思い一つで俺に命を下された」
「……だとしたら、勝手な話。尚更お断りって言っといて」
「お前がそう言うだろうとも、仰られていた」

平然とした様子で返されて、ユキは思わずムッとする。

「だがこの話、お前にも理があるはずだ。俺に大人しく従って虚圏へ来れば、いざ決戦が始まった時に、お前は虚圏の内部から、仲間と呼応して動くことが出来る。そうは考えられないか?」
「その話をそっちから持ち出す時点で、使えない作戦だと考えるけれど、どう?」
「さあな、お前次第だ」

そう返すと口を閉ざして、男はユキの返答を待つように、ユキをじっと見据える。
ユキは視線を男から外さないようしっかりと見据えたまま、必死で頭を働かせた。

男の提案を、のむか否か。
答えは否に決まっているが、となるとこの場から上手く立ち去る方法が必要となる。

つい先刻、容易に後ろをとられたことを考えるに、男との力量差は計り知れない。
少なくとも、織姫を庇いながら逃げきれる相手ではない。
これまでの感覚から行けば男がユキに手出しをすることはないだろうが、男の口ぶりからして、恐らく何かしらの『ユキを傷つけず、かつ生かしたまま虚圏へ連れて行く』手立ては持っている筈だ。

(私に、もっと力があれば……)

最善の選択肢を、容易に選べるというのに。
歯噛みして、しかしだからこそ、ユキは決意する。

(相手から提案された以上、警戒は万全だろうけど……)

今ここで、倒す必要はない。
必要な時に事を起こして、相手の体制が少し崩れればそれで十分糧になる筈だ。
正義がいる限り、自身の身の安全はきっと保証される。

大丈夫、と自身に心の内から語りかけ、ユキは刀を下ろすと腰元に仕舞う。

「どうやら、決めたようだな」

懸命な判断だ、と男は言う。
真っ直ぐに男を見据えて微動だにしないユキを、その背後から織姫が不安げな瞳で見つめていた。

***

それは、危機的な状態だった。
ルピの『蔦嬢』に皆が皆絡め取られ、身動きが取れない。

「……やれやれ」

ルピは背後をみやりながら、溜息をつく。
先程、場に乱入して『いいところ』の邪魔をした浦原は今はヤミーの虚弾の嵐を受けていて、逃げているのか塵となったか姿が見えない。

「ボクの邪魔してくれた奴だから、ボクが殺してやろうと思ったのに。ヤミーの奴……。あれじゃどのみち、生きちゃいないな……」
「それじゃあ、私とやりあいましょうか?」
「!」

突如として響いた声に、ルピは視線を前へと戻した。
その瞬間、ルピの目前に広がったのは、次々と切断される自身の蔦嬢と解放されていく死神たち。

しかし、その光景に愕然としているのは何もルピだけではなかった。
解放された死神たちもまた、驚いた様子で自分たちを助けた死神を見つめていた。

一方でさっそうと現れた死神は、ルピの視界の中央に降り立つと刀を腰に収めてにっこりと笑う。

「セクシーな体のお姉さんじゃなくて悪いけれど。暇つぶしだと思って、おばさんと一戦……ね?」

優しく涼やかな、それでいて優美な声。
とうの昔になくした筈の、懐かしい音。
それを耳にして、そしてその姿を前に、弓親は声を失う。

一方ルピは、怪訝そうに顔をしかめた。
穏やかな笑みを浮かべる女の死神に対して、敵意を顕にする。

「誰、アンタ?」
「あら、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。――私は、穂村摩耶。貴方たちの上司が、殺しそこねた女よ」

そう告げて、女・摩耶は穏やかに微笑んだ。

穂村、と。
その名に、ルピは眉根を寄せる。
そして俄に、ああなるほど、と笑みを浮かべた。

「あんたが、穂村管理官の言ってた【面倒な女】ってヤツか。へえ、生きてたんだ。しぶといねー。穂村管理官、言ってたよ。目ざとくて口煩くて、夫の理想を理解しない悪妻だった、ってさ」
「まあ、あの人ったらそんな事を?ひどい人。今度会ったら、たっぷりお返ししてあげないと」

ルピから伝えられた悪口に、しかし摩耶は意に介さないといった様子でサラリと返す。
平然としている摩耶に、ルピはムッとした様子を見せた。
そんなルピに向かって「でもその前に」と摩耶は微笑みかける。

「貴方を、倒してしまわないとね」
「へえ、どうやって?」

瞬間、ルピの蔦嬢、その八本全てが全方向から摩耶へ向かう。

「摩耶さん!!!」

衝撃で、煙が上がった。
その中心に消えた摩耶を見て、弓親が叫ぶ。

「――おいで、白羅禽(しらとり)」

声は、その背後から聞こえた。
振り向いた弓親達の足元に、一本の矢の形状をした光が刺さる。
と思う間に、そこから半円形に半透明の膜が張られた。

「ちょっとそこで、じっとしててね」

にっこりと笑みを向けて、摩耶はその上を駆けていく。
その手には、両端に銀の刃を備えた弓が携えられていた。

向かってきた蔦嬢の一本を薙ぎ払うと、摩耶は弦を引き絞る。
すると途端に、手の内に光が集まり、矢の姿を形作った。

「甘いよ!」

放たれた矢を、ルピは叩き落す。

「あら、まだまだよ」

刹那、頭上から聞こえた声に咄嗟に見上げた。
いつの間にか上に移動していた摩耶が、上空からルピへ狙いを定めていた。

凛とした眼差しを睨み返すと、ルピは舌打ちして蔦嬢を動かす。
しかし。

「!?」

背後の蔦嬢は、何かに捉えられたかのように動かなかった。
放たれた光の矢を咄嗟に別の一本で防ぐと、慌ててルピは自身の背後を確認する。

「――な……何だよ……これ……!?」

そこにあったのは、氷漬けにされた自身の蔦だった。
いつの間にか周囲には、冷気が満ちている。

「……一度攻撃を加えた相手に対して、気を抜きすぎなんだよお前は」

ルピの視界に映ったのは、ついさっき地へ撃墜させた筈の相手。
しかし無傷の日番谷は、氷の翼を背に携えた堂々たる姿で、ルピと対峙していた。
まずい、と咄嗟に日番谷に対して戦闘態勢をとるルピに、止せ、と日番谷は投げかける。

「もう、お前に勝ち目は無え。仕込む時間は山程あった。お前は、俺に時間を与え過ぎたんだ」

まさか、とルピは愕然とする。
ただの時間稼ぎだったのだと気付いてルピが睨みつけた摩耶は、軽い身のこなしで日番谷の背後に降り立った。
斬魄刀を鞘へと収めた彼女は、己の役目は終わったとばかりに目を伏せ、小さく頭を下げる。
肩ごしに一瞥すると、日番谷は再びルピと対峙した。

「お前の腕が8本の腕なら、俺の武器は」

――この大気に在る、全ての水だ。
その一言と同時に、ルピの周囲を氷の柱が取り囲む。

「千年氷牢」

取り囲んだ柱が、ルピを全方位から押しつぶした。

***

「いぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜でででででででェっ!!!」

真夜中の静寂に、一角の悲鳴が響く。
治療をしようとにじり寄るテッサイを、退けようとする一角。
その体には、包帯が巻かれている。

「あらあら。大丈夫、斑目君?怪我人なんだから、大人しくしないとダメよ」
「そう思うなら、コイツらどうにかしてくださいよ!」
「どうにか、って言われてもねえ……」

気遣う気配はあるものの、どうにかする気は無い様子の摩耶。
そうこうしているうちに、背後から忍び寄っていた雨が一角を締め落とそうとホールドする。
それを見て少し慌てた表情を浮かべるも「あんまり乱暴しちゃダメよ」とあくまで摩耶は穏やかで、止めるような様子は無い。

と、ふと視線に気付いて摩耶は振り返った。
そこには弓親が居て、その不安げな視線が摩耶と合うとたじろいだ様に逸らした。
フッと笑うと、摩耶は弓親へと歩み寄る。

「どうしたの、綾瀬川君。久しぶりだから、私のことなんて忘れちゃった?」
「、まさか!」

慌てて否定する弓親を見て、「そう、嬉しいわ」と摩耶はにこにこ笑う。
しかし弓親はやはりすぐに、その表情を暗くした。
目を細めた摩耶は、ちょっと外に行きましょうか、と弓親を誘い出す。

地下の修練場を出て、店の外に出れば、静寂に満ちた夜の世界が二人を迎えた。
澄み切った、僅かばかり冷ややかな空気に「気持ちいいわねえ」と摩耶は伸びをする。

「……ずっと、どこに?」

小さく声が聞こえて、摩耶は振り返った。
俯く弓親は、どこか拗ねている風にも見える。

「……ごめんね。急に、いなくなったりして」

そうとだけ、摩耶は言った。
ちらりと視線を上げて、しかし弓親はすぐにまた地面へ落とす。

「……正義さんが、敵側にいるって」
「ええ、知ってるわ」

穏やかに告げた摩耶は、ゆっくりと顔を上げた弓親のその表情に苦笑を浮かべた。
傷ついたような表情を浮かべた弓親は、開きかけた口を噤むと結局また、力なく俯く。

「ありがとう。綾瀬川君は、優しいのね」
「普通だよ」
「同情と共感は違うわ。君は、私の気持ちを感じて同じ気持ちになれる優しい子。ごめんなさいね、悲しい想いをさせて」

優しく微笑みながら、摩耶は弓親の頭をそっと撫でた。
別に平気さ、と告げた弓親は、その感触に照れたように唇を小さく尖らせる。

「そうそう、ユキは元気?あの子も、大きくなったんでしょうね。聞かせてくれる?」
「……うん、もちろん」

にっこりと笑いかけた摩耶に、眉を下げて弓親は笑みを返す。
と、店の玄関がガラリと開いた。
顔を出した雨に、「あら、どうしたの?」と目線を合わせるように首を傾げて摩耶は尋ねる。

「あ、あの、お茶を淹れるので、よかったら、中で……」
「あら、本当?嬉しいわ。行きましょう、綾瀬川君」

うん、と頷いた弓親は、しかし店の方へ足を向ける摩耶を、ふと呼び止めた。
咄嗟に引かれた袂に、どうしたの、と摩耶は微笑んで言葉を促す。

「――お帰りなさい、摩耶さん」

浮かぶのは、嬉しそうな微笑み。
一瞬きょとんとした摩耶は、しかしすぐに、目を細めて笑った。

「ただいま、綾瀬川君」

20年ぶりの、邂逅。
そこには、20年前と変わらぬ微笑みが在る。

けれどそれを目の前にして尚。
一度失った筈の幸いを目の前に、幸福を感じながらも、尚。
弓親は胸の奥で、何か言い知れぬ不安を感じていた。




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