「ッ!!!」

ハッとして、ユキは目を覚ました。
その息は荒く、体は汗でべとべとになっている。
はあはあと震える息を、暫くして整えると、額に手の甲を置きながら深く空気を吐き出す。

いわゆるところの、悪夢。
両親を焼いたあの日の記憶は、正義の言葉をもとに再構成され、父が青い業火の中、母を縊り殺すものに変わった。
母を炎の中に突き落として焼いた父は、にっこりと笑顔を浮かべると、その血まみれた手をユキへと伸ばす。

置換された記憶は、基本的に戻らない。
だから夢の内容はあくまで、ユキの妄想だ。

「ひっど……」

朝から最悪の気分だった。
嫌な汗を湯殿で流しても、気持ちは後を引いた。



「ま、そんなもんだろ」

昼頃になって、胸の中の鬱々しさがどうしようもなくなって打ち明けてみれば、相手――阿近は、さらりとそう言った。
特に気にする風もなく、ユキに背中を向けたまま、かしゃかしゃとデータを機械へ打ち込んでいく。

「阿近さんこれ、記憶置換を元に戻す方法ってないの」
「基本無ぇな。真相が分かれば、あるいは思い出すこともあるが。そもそも霊力ある奴に使えて、しかも内容がデタラメじゃ無ぇってことは、技術開発局が作ったやつじゃなくてあの人が勝手にカスタマイズした奴だからな。自力じゃまず無理だ」

十二番隊にこそいなかったが、正義はやや科学者気質なところがあった。
特に機械的・工作的な部分には強く、時折現世で拾ってきたものや技術開発局の製品を弄っては、自分用に合わせたり、ちょっとしたいたずらに使用したりしていた。

局長ならあるいはと口にしつつも、苦い顔でユキを見る阿近。
それを受けて、ユキは更に深い溜息をつく。

一番嫌なのは、真相が明らかでないことだ。
父が母を殺したなら、それはそれでいいのだ(全然よくはないが)。
ただ自身の憶測であれやこれやと脚色して妄想して、それを夢に見るというのは非常に気持ちが悪い。

とは言え、可能性にかけて涅マユリに体を預けるのはリスクが高すぎる。
なぜかは分からないがマユリはユキの事をどうも好ましく思っていないようで、その一方、ユキの過程を無視した卍解に興味を持っており、日ごろからユキを密かに狙っている節がある。
なんにせよ、何をされるか分かったものではない。

「一回見たら何回か見るぞ、そういうのは。腹括っとけ」
「……阿近さんの意地悪」
「だから来たクセに」
「……」

フッと笑った阿近の言葉は図星で、ユキは黙り込む。
その通り、別に慰めだなんだといったものが欲しくて、打ち明ける相手を阿近にしたわけではない。
そういうものが欲しいなら、浮竹や京楽、弓親を選ぶ(無論その三人には今、容易に相談には行けないが)。

ただ、建設的な話、解決をして前に進むための話がしたかった。
だから、わざわざ苦手な技術開発局に自ら足を運んでまで、阿近を打ち明ける相手に選んだのだ。
とは言え残念ながら、これといった収穫は得られなかった。

再び深く息を吐き出せば、同時に阿近がタイピングを止めたのに気づいた。
ひと段落したのか、椅子から腰を上げると、ユキの方へ歩み寄る。

マグカップをテーブルに置き、ユキの横、ソファの上へ腰を下ろせば、自然な動作でユキはカップへコーヒーを注いだ。
それを受け取った阿近は、一口啜って息をつく。

「見たくないなら、適度に体を動かして、しっかり良い睡眠を取る。ひとまずは、こんなところだな」
「……それはちょっと無理」
「だろうな」

朝は早くから、夜は遅くまで仕事がある。
更木との手合わせは、とてもじゃないが『適度に』とは言えない。

やめられない日常に同情も共感も阿近には無く、かと言って、どうにかすべきだと勧める気もない。
どうにか出来るものではないし、どうにかする気がユキに無いのを分かっている。
今ユキの中でウェイトを占めているのは、『悪夢を見ないようにすること』ではない。
『周囲に迷惑をかけないよう、仕事を円滑にこなすこと』であり、加えて『次の戦いに向けて、少しでも力をつけること』だ。

(監視が取れりゃあ、少しは楽になるかもしれねえが……)

周囲の気配に、阿近は意識をやる。
正義が藍染側にいることが全隊長および上位席官の知り及ぶところとなってからというもの、ユキには隠密機動の監視が密かについている。
それは恐らくユキも気づいている筈で、同時に常に父のことに意識せざるを得ないということでもある。
そうでなくとも、密かにとはいえ四六時中厳しく監視されていては、心が休まる暇も無い。

「ま、頑張れよ」
「!」

手の中のマグカップに視線を落とすユキの頭へ手を置き、阿近はそっと撫でてやる。
狼狽えた表情で一瞬阿近の方に顔を向け何か言おうとしたユキは、開いた口をすぐに閉じて恥ずかしそうに視線を泳がせた。

結局、言いたかったであろう言葉は飲み込んで、代わりに小さく「帰ります」と口にする。
それを見て阿近はくつくつ笑いながら、「ああ、またな」と返した。

***

昼一番。
花太郎を背後に置いて、更木と対峙したユキは、告げられた言葉に目を丸くした。

「何アホ面してんだ」
「えっ、あ、すみません」

それでも信じられない気持ちで、ユキはまじまじと更木の顔を見つめる。

――今日から眼帯外して殺るぞ。
つい先刻、聞き間違いでなければ、更木は確かにそう言った。

「なんだ、怖気づいてんのか」
「まさか!」

どうやら、聞き違いではないらしい。
眉根を寄せ、語気を僅かに強めた更木に対し、慌ててユキは否定する。
ただいきなりだったので信じられないだけだ、とは言わず、代わりに「よろしくお願いいたします」と頭を下げた。

刀を抜き、始解をして構えれば、更木が眼帯へ手をかける。
剥がれると同時に、噛み付くような霊圧がユキの体を押した。

体中の毛穴が開いたような感覚。
ぞわりと、悪寒が背中を駆け抜ける。

(――ああ、強い)

けれど、恐ろしくはない。
僅かに浮かぶ本能的な恐怖は、脈打つ高揚感がすぐさま押し潰しかき消していく。
ぞくぞくと肌が泡立って、口元には笑みが浮かぶ。

考えるより先に、足が動いた。
真っ向からの初撃を弾かれれば、地に足をつけた瞬間、突き出された剣を皮一枚で避けて次の一撃を差し込む。

目の前で繰り広げられる剣劇を、花太郎は呆然とした面持ちで見つめる。
これまでもそうだったが、今まで以上に、二人の動きに目がまったくついていかない。
ただ、結界を通しても更木の異様な霊圧は伝わっていて、体がぶるぶると震える。

結界の中ですら、自分は竦んでしまってまともに動けそうもない。
その一方で、それをまともに受けてながらあの動きを見せているユキが、どれだけすごいのかは嫌でも分かる。

改めて感心すると同時に、今日は尚の事、ユキのことが心配だった。
二人の動きは追えないが、二人のいるあたりの地面がところどころ、朱をさし始めたのはここからでもよく分かった。

時計の針は、ようやく二周目に入ったところだった。



「……チッ」

地面に縫い付けるようにユキの肩口に刺した刀を、更木は舌打ちと共に引き抜く。
赤を纏って光る刀が抜かれるのを、ユキは光の弱い虚ろな目でぼんやりと見つめていたが、やがてゆるりと更木を見上げた。

「今日は終いだ」

そう告げれば、悔しそうに、されど弱々しくも笑みを浮かべて、その唇が「ありがとうございました」と、その形に動く。
それを見てから背を向けると、眼帯を拾って更木はその場を後にする。

残されたユキの傍らには、すぐに花太郎が駆けつけた。
ユキに声をかけながら、彼は治療を施し始める。

興奮状態が静まるにつれて、じわじわと感じ始める痛みのせいで、ユキは呼吸もまともにできない。
花太郎の声を遠くのもののように感じながら、ユキはそっと目を閉じた。

***

「もっとご自分を、大切になさい」
「はい……その、申し訳ございませんでした……」

倒れてから、数刻。
ユキは、四番隊のベッドの上で正座していた。

目の前には、厳しい表情を浮かべた卯ノ花。
その後ろには、困った表情を浮かべた花太郎もいる。

「山田七席、貴方もです。これでは、何のために貴方をつけたのか分かりませんよ」
「はいっ、申し訳ございません……!」

叱りつけられ、花太郎は身を縮めながらも、すぐに慌てて頭を下げる。
その後しばらく、卯ノ花の説教は続いた。

――結局、今日の怪我は花太郎一人の手には負えなかった。
応急処置だけ施された後、ユキは四番隊舎に運び込まれ、手術を受ける羽目になったのである。

「すみません、ユキさん……」
「花太郎のせいじゃないよ、気にしないで」

卯ノ花が病室を去った後、申し訳なさそうな様子で謝る花太郎に、ユキは笑顔を返す。

「それにしても、更木隊長って本当に強いんだから……困っちゃうね」
「あの人は本当、規格外ですよね……」

苦笑を浮かべるユキに、花太郎も苦笑を浮かべて言った。
ただでさえ強いというのに、その上にまだ眼帯の下に力を隠し持っている。

あまりの強大さに、流石のユキも少し自信を失っていた。
それはわかるのだが、かと言って花太郎にはユキにかける言葉が見つからない。
先刻も言ったが、更木は規格外だ。
そんな相手と比べる方が、無茶という話である。

(でも、ユキさんはそれを目標にしてるんだよな……)

最近だんだんと、それがハッキリと花太郎にも分かってきた。
目標、というと少し語弊がある。正しくは『目下の』目標だ。
ユキにとって更木は通過点であり、成したい事はその先にある。

そこまで考えて、うん、と花太郎は頷く。

「ユキさん。でも今日は、一歩前進しましたね。眼帯、外してもらえて」

そう言うと、一瞬ほんの少しだけ目を丸くしたユキは、微笑んで「うん」と頷いた。

「私、頑張るね。また卯ノ花隊長に怒られるかもしれないけど……」
「そんなの、なんてことありませんよ!……ってこともない、ですけど。でも、頑張りましょう。せっかく一歩進んだんです。どんどん、この勢いで進んでいくべきですよ!」

ね、と拳を握って花太郎は力説する。
それを見て、ユキが笑って「そうだね」と明るい声で言ったのが、花太郎には嬉しかった。

***

「ユキ……お前、少しは休んだらどうだ?」
「って言われてもねえ……」

はは、とユキは苦笑を浮かべながら、湯呑に手をつける。
その頭には、真新しい包帯が巻いてある。

四番隊舎を後にし、仕事を再開していたユキのもとにやってきたのは、団子の入った袋を下げたルキアと織姫だった。
聞けば、ユキが四番隊に運ばれたと聞いて、四番隊に駆けつけたらしい。
しかし行ってみれば既に退院して隊務に戻っていると聞き、今度は十一番隊の隊舎まで足を運んで今に至る。

「すごいね、穂村さん。これ全部、いつも一人でやってるの?」
「いつも一人ってわけじゃないけど、まあそんなものかな。うちって結構、『学は無いけど腕はある』みたいなので出来てるところあるからさ、昔からこういう書類って溜めがちだったみたいで。それで……えーと、七代目の隊長の時、だったかな。私の母さんが、事務系専門の隊員として三席になったんだって。私は、それを引き継いだ感じ」

ユキの説明に、大変なんだねえ、と感心した様子で織姫が口にする。
と、「そうだ!」と不意に何かを思い出した彼女は、ねえねえ、とルキアの服を小さく引っ張る。
ユキが小首を傾げていれば、一方ルキアは思い出したようで、「そうだ、聞きたいことがあったのだ」と途端に神妙な面持ちになった。

「ユキ、その……だな。隊士たちが、話しているのを聞いたのだが」
「うん」
「ええと……」

何やらルキアは言いにくそうで、ユキはますます首を傾げる。
そんな様子を見かねてか、織姫が口を開いた。

「あのね、穂村さんって朽木さんのお兄さんと付き合ってるの?」
「!」

問いかけられた言葉に、ユキは目を見開く。
織姫の隣で、うんうん、とルキアが真剣な顔で頷く。

「最近、お前と兄様がよく行動を共にしていると聞いてな。見る者の目からは、それは仲睦まじく見える、と……どうなのだ、ユキ」

そう問いかけるルキアの目には、緊張と期待が入り混じった光。
対して織姫は年頃の女子らしく、わくわくと楽しむような色が伺える。

さてどうしようか、とユキはぎこちない笑みを浮かべた。
なんだかどう答えても、特に織姫には格好の餌食にされそうだ。

「ええっと……」

二人の視線を前に、ユキは口ごもる。
しかしついに決意を固め、実は、と切り出した。

ルキア達が現世に派遣された後のやりとり。それからの変化。今の自分の気持ち。
ところどころ情報を省き、あるいはぼかしながらも、ユキは現状を伝える。

「……って感じ。ごめんね、ルキア。応援してくれてたのに」
「いや、それは……」

眉を下げて言えば、ルキアもまた申し訳なさそうな顔をする。
その隣では織姫が悲しそうな顔をしていて、大丈夫よとユキは笑顔を見せて寄越した。

「でも、穂村さん。その……本当に、諦めちゃうの?」
「私も同意見だ。折角ここまで想ってきたというのに、お前はそれでいいのか?」

二人の言葉に、うーん、とユキは唸った。

「なんだか、『諦めた』って感じはしないんだよね。『気持ちを再認識した』っていうか……」
「気持ちを……再認識?」

ユキの言葉に、二人は首を傾げる。
うん、と頷いてユキは続けた。

「結局私は、朽木隊長が幸せならそれでいいっていうか。そう出来るのが私であればそれに越したことはないけれど、でも私でなくても、別に構わないの。じゃなきゃ多分、他に想い続けてる人がいる相手を、ここまで想って来れなかったと思うし」
「……そういうもの、なのだろうか……」
「ルキアにも好きな人が出来れば、分かるかもね」

にこりと笑いかければ、しかしルキアは納得しきっていない表情を浮かべる。

「ね。私より、ルキアはどうなの?正直ずっと、恋次とどうにかならないかな、って思ってたんだけど。今は一護?」

対してユキは、少し身を乗り出すと声をひそめるようにしながら、話題をルキアへと逸らした。
突然、しかも慣れない話題を寄越されて、ルキアは面食らう。

「なッ!?なんで今、そやつらの名前が出てくるのだ!大体、私のことはどうでもいいだろう!」
「くっ、朽木さん、その反応はもしかして……!」

おろおろとした様子で、顔の前で手を横にふるルキアに、織姫がまさかと詰め寄る。
ルキアは困った表情でユキに助けを求めたが、この時ばかりはユキも織姫に乗じて、どうなのと答えを求めた。

長閑な昼下がりが、ゆっくりと過ぎていく。

その日、珍しく女性の賑やかな声が響く十一番隊舎では、織姫が来ていると知って、十一番隊士が執務室の外に押しかけた。
彼女の姿を一目みようと押しかけた彼らによって執務室の麩が破壊され、ユキの怒声が響くことになったのは、また別の話である。




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