「店長」 夜も更け、阿散井たちも寝静まった頃、一人部屋の奥で佇む浦原にテッサイが声をかける。 振り向いた浦原の前にあるのは、棺桶のような形をした黒い箱。 「……ついに、目覚めさせる時が来ましたか」 「ええ。正義さんが顔を出していらっしゃいましたしね。次に何かあれば、乗じて彼女にも目覚めていただきます」 口を閉ざし、テッサイは黒い箱を見つめる。 眼鏡の奥の瞳は、光の加減で見えない。 「……心苦しいっスか、やっぱり」 「ええ、まあ。彼女の希望とは言え、このような戦いの為に目覚めさせるというのは……。何ごともないまま、平和のうちに目覚めさせてやりたいというのが本音ですな」 「テッサイさんは、彼女のお父さんでしたからねェ」 過去を懐かしむようにそう言って笑いながら、でも、と浦原は箱へと視線を寄越す。 「お約束っスから」 それは、テッサイもよく分かっていることだ。 だからこそテッサイは、眼鏡の奥、その瞳を祈るように閉じた。 *** 「あのォ、穂村三席。十三番隊の、朽木女史が来てますけど……」 書類に視線を落としたまま隊士のその報告を聞いたユキは、えっ、と訝しげに顔を挙げた。 半信半疑なユキを前に、はあ、と頷く隊士は当然嘘をついているはずもなく、代わりにユキは霊圧を探って、確かにルキアが戻ってきていることに気付く。 「ありがとう、すぐ行く」 そう告げて、ユキは隊舎の門へ向かった。 ルキアはと言えば、ユキを見つけると「ユキ!」と嬉しそうに手を振った。 駆け寄ったユキは、その隣にあまり見覚えのない少女の姿を見つける。 正しくは、見覚えがあるものの、大した接点のない者。 今回の騒動に巻き込まれ、ルキアを助ける為に尸魂界に乗り込んだ旅禍の一人だ。 ユキの視線に気づくと、ルキアは少女の前に歩み出て紹介する。 「一応面識はあっただろうし、情報も流れておろうが、きちんと紹介しておく。井上織姫……今回、私を助ける為に、ここへ乗り込んできてくれた者の一人だ」 「初めまして!じゃないけど、一応初めまして。井上織姫です。よろしく、穂村さん!」 「あ、ええ。穂村ユキです、よろしく」 名前を告げ合って、ユキと織姫は握手を交わす。 それを見てうんうん、と頷いているルキアに、それで、とユキは尋ねた。 「どうしたの、いきなり旅禍の子連れて帰還なんて。まだ滞在任務は解かれてないと思ったけど……」 「うむ。詳しいところはまた後で話すが、簡単に言うと、他の者たちには内緒でこっそりと修行がしたくてな。十三番隊の隊舎裏にある、修練場を借りることにしたのだ」 それで、とルキアは続ける。 「今お前が、更木隊長と鍛錬を行っていると聞いてな。気合を入れるためにも、お前の修行を是非見ておきたいと思って、こうしてやってきたのだ」 「私の?」 「ああ。恋次から、すごいというのは聞いている。邪魔でなければ、見せてもらえないだろうか」 「私からも、お願いしますっ!」 ルキアに続いて織姫が拳を握り、キラキラと期待の目を輝かせて頼み込む。 しかしユキは、はは、と苦笑を浮かべて頬を掻いた。 それを見たルキアは、やはり駄目だろうか、としゅんとするが、ユキは「いや、そうじゃないんだけど」と眉を下げて笑う。 「……あー……正直、ドン引くと思う」 「引く?何故だ」 「……ま、いっか。うん、いいよ。丁度これから移動するところだから、一緒においでよ」 そう告げると、二人は顔を合わせて嬉しそうに顔をほころばせた。 その顔を見れば、まあ悪い気はしない。 「感謝する、ユキ!」 「ありがとう、穂村さん!」 口々に礼を告げて、うきうきと後ろについてくる二人。 それはいい。それはいいのだが。 (……気合い、入れるどころじゃなくならないといいけど) 一抹の不安を抱えながらも、ユキは途中で花太郎と合流し、いつもの修行場へ足を運ぶ。 既に到着していた更木は、織姫を見ると「一護の奴は来てねえのか」と尋ねるも、今日は来ていないと言われて盛大に舌打ちした。 それを見て、今日はいつもより手厳しくなりそうだなあとユキは苦笑する。 「ユキさん」 「ああ、うん。ありがと、花太郎」 両手の平を差し出して見せる花太郎に、ユキは死覇装の上を脱ぐとその手に預ける。 そして、花太郎、ルキア、織姫を囲むように結界を張ると、背を向け、更木と対峙した。 「よう、ユキ。今日は随分観客が多いじゃねえか。せいぜい、醜態さらさねえよう気張れや」 「はい」 それでは、とユキが引き抜いた刀はすぐさま光を放ってユキの両腕を覆う。 にやりと笑みを浮かべて、その初撃を待つように刀の峰を肩にかけた更木へと、ユキは石畳に罅が入るほど踏み込んで飛び出した。 *** 「双天帰盾、私は拒絶する!」 キュン、とヘアピンから飛び出した飛行物体は、ユキの体を光で覆ってその傷をみるみるうちに治していく。 その様子を見て花太郎は口をぽかんと開け、そのうちきらきらと目を輝かせる。 「すっ…すごいです……!こんな早く、しかもこんな……うわあ……!!!」 「え、えへへ……どもッス!」 きらきらと尊敬の眼差しで褒め称える花太郎に、織姫は恥ずかしそうに頭を掻く。 そして、「でもすごいのは、私より穂村さんだよ」と付け足した。 苦笑しながら、そうかな、と口にするユキに、井上の言う通りだ、とルキアが押した。 「あの更木隊長相手にここまで、それも毎日だろう?私など、想像も出来ぬ」 「うん!それに、更木さんすごい楽しそうだった。それって、穂村さんが更木さんを楽しませられるくらい、強いってことだよね!」 「そ、そうかな……そうだといいんだけど」 眉を下げて笑いながら、ユキは頬を掻く。 確かに最近、やっと体力だのなんだのが戻ってきたようで、制限時間の30分間、その終盤まで立っていられるようになった。 それでもやはり常に更木の方が優勢で、30分が経った頃にはユキは息も絶え絶えで、血みどろになっている。 そんなユキを見て更木は、時間を告げるベルがなる少し前に刀を下ろす。 更木が刀を下ろすのは、相手がもう戦えないと判断した時。 ユキがまず目指さねばならないのは、30分のベルを聞いた更木に舌打ちさせることだ。 否、その前に眼帯を外してもらう必要がある。 いつになることやら。そう思って、ユキは無意識のまま溜息をつく。 それを見たルキアは目を細めると、織姫の方へ顔を向けた。 「すまぬが井上。先に、十三番隊の隊舎へ向かっていてくれないか?」 「! うんっ、オッケーだよ!それじゃ、先に行ってるね!」 「あっ。僕、道案内します!」 ルキアとユキの様子を見て察したのか、花太郎も立ち上がると、二人連れ立ってばたばたとその場を後にした。 ユキが慌てて心配そうに顔をあげたが、「大丈夫だ」とルキアはそれを制する。 「ルキア?」 何がしか訴えるような目をしているルキアを見て、ユキは小首を傾げる。 「実は、ユキに話したいことがあったのだ」 話したいこと、と復唱するユキに、ああ、とルキアは頷く。 「確かに、井上と内密に修行したいというのもあった。けれど、こうして戻ってきたのは……お前の様子が、気になったからだ」 「……ルキア……」 ルキアの言葉を聞いて、ユキは察する。 当然ながら、己の父の件はルキアも知り及ぶところだ。 「……心配してくれて有難う。でも大丈夫だよ。聞いたときは正直落ち込んだけど、今はもう、大分平気」 「ああ、そのようで安心した。けれどやはり、ちゃんと言っておきたかったのだ」 ユキ、と俄かにルキアの視線が真剣味を帯びたものに変わる。 「以前お前は、恋次とともに言ってくれたな。私の肩の荷を、自分の肩にも分けろと」 あの日、あの処刑場から逃げながら告げた言葉。 それを思い出しながら、ルキアは続ける。 「きっとお前は私より強くて、私の肩など借りずとも、私よりずっと重い物を抱えて、やすやすと立って歩めるのかもしれない。……それでも、忘れないで欲しい。お前が私を想ってくれるように、私もお前を想っている。少しでも足が揺れたら、その時は無理をせず、私の肩にも分けて欲しい」 そう言うと、ユキの両手を自身の両手で包み込む。 ユキの目をしっかりと見据えると、ルキアは再び口を開く。 「そのために、私は強くなる。だから、信じてくれ。信じていてくれ、ユキ」 きゅ、と。小さく、ユキの手を包む手に力がこもった。 伝わる温もりからルキアの想いを感じ取って、ユキは自然と、微笑みを浮かべる。 それからふと思い出して、そして気付いて、今度は可笑しげに、ふふ、と笑った。 突然の笑みに、ルキアはきょとんとする。 と、そんなルキアを見てにっこりと笑ったユキは、手をほどいて、代わりにルキアをぎゅっと抱きしめる。 「ッ、ユキ!?」 「ありがとう、ルキア」 顔を赤くして慌てるルキアの耳に、ユキの嬉しそうな声が届いた。 「あのね、ルキア。私きっと、ルキアがそう思ってくれているから、立てるんだと思う」 「え?」 ルキアだけではない。 京楽、浮竹、一角、白哉。自分の周りにいて、分かりやすく、分かりにくく、ユキを気遣ってくれる沢山の人々。 そんな存在がいることを、常に傍に在ることを、知っているから、分かっているから。 「ルキアが、みんなが、こうして私のことを想ってくれているから。だから私、きっといつでも安心して、すぐに先へ進めるの。それが今、ようやく分かった」 「……ユキ……」 少しばかり、呆れたような息をルキアが吐く。 そしてそっと、彼女もまたユキがするようにユキを抱きしめて、口を開いた。 「それでは、私の出る幕がまるで無いではないか」 「ふふ、ごめんね」 「良い、分かっておったわ。お前はそういう奴だ」 「ちょっと、それどういう意味?」 拗ねたような言葉を、意地の悪い言葉を投げかけながら、そして二人は笑い合う。 ――処刑騒動を経て、近くなったのは何も白哉とルキアの距離だけではない。 ユキとルキアもまた改めて、友として歩み始めている。 そんな二人の様子を、遠くからこっそりと見て。 織姫と花太郎も、顔を合わせて嬉しそうに笑顔を交わすのだった。 *** 「失礼します」 「おう、入れ」 部屋の主の了解を得て、ユキは麩を開け中に歩みいる。 部屋の主――九番隊・檜佐木修兵は、頭を抱えながら原稿に向かっていた。 顔を上げぬまま「そこ置いといてくれ」と告げる檜佐木へ、はい、と返事をしたユキは、空いた机に書類を置こうとして、ちらりと檜佐木を見やる。 それから一つ、ため息をついた。 「――……はい、どうぞ」 「! おう、悪いな――……って、あれ。穂村じゃねえか」 目の前に置かれた湯呑に、ようやく顔をあげた檜佐木は、そこにいるのがユキであることに驚く。 対してユキは、「はい、穂村ですよ」と呆れた声で言った。 「先輩。忙しいのはわかりますけど、部屋に来る人間くらいちゃんと認識してください。そんなあからさまに忙しそうにしてるから、下の子遠慮して、先輩のとこに書類届けられないでいるんですよ」 ばさ、と檜佐木の前に置かれたのは、今日が提出期限の、かつ檜佐木のサインが必要な書類。 そう言えば今日、数人ほど下級隊士がやって来たのを、「悪い、後にしてくれ」と断って、慌ただしくその場を後にした覚えがあって、檜佐木は「ああ……」と再び頭を抱える。 「あとこっちは、檜佐木先輩の書いた書類。必要事項の記入漏れだそうです」 三枚書類が追加される。 貼られた付箋に、不足事項が記入されていた。 更に頭を抱えた檜佐木は、加えて書類に頭部をめり込ませる。 「先輩、落ち着いてください。締切は待ってくれませんけど」 「お前、俺を落ち着かせたいのか急かしたいのかどっちだよ……」 「いつも以上にしっかりしてほしいです」 きっぱりと答える声に、檜佐木は溜息をつきながら顔をあげると湯呑へ手を伸ばした。 少し熱めのそれを喉に通すと、今度は落ち着いた息をつく。 「悪いな、他隊なのに」 「いえ。先輩死んでるの、知ってますから」 「お前もだろ」 「私なんて、普段通りですから」 ユキの言葉に、それもそれでどうなんだ、とばかりの目で檜佐木は押し黙る。 「先輩。それすぐ書いてくれるなら、私持っていきますよ」 「マジでか、すぐ書く。そこ座っててくれ」 はい、と返事をして、ユキはソファに座った。 テーブルの上にある茶器を引き寄せて、自分の分を淹れると一息ついた。 檜佐木とユキは、霊術院時代の先輩と後輩だ。 とはいえ、文字通りそういう関係であったのはたったの一年ではあるが。 在学中に護廷十三隊入りを決めた檜佐木に、父の勧めでユキが教示を受けるべく度々足を運んだのをきっかけに、檜佐木が実際に入隊してからもその関係は細々ながら続いた。 「っていうか先輩、私聞いたんですけど」 「あ?」 「弓親に負けたって」 「!」 檜佐木が言葉を詰まらせて、顔を上げる気配がした。 ユキは悠々とそちらを見ると、「副隊長なのに……」とわざと冷たい視線を送ってみせる。 「あっ、あれはだな!あいつが反則技使ってくるから……!」 「先輩、私あと三分経ったら行きます」 「……」 てめえなあ、と低い声で言って、檜佐木はユキを睨みつける。 しかしそんなもの怖くもなんともないとばかりに、ユキは湯呑に口をつけた。 「先輩」と口では言いながら、おまけに副隊長である自分に、尊敬の意をちっとも示さない後輩。 ひねくれた相手に、それでも檜佐木の心に本気で怒りが湧いてこないのは、特に気心が知れた可愛い後輩であるからというのもある。 しかし今日に限っては、今朝代理で出席した隊主会で受けた報告のせいもあった。 沈黙。 それを挟んで、檜佐木は意を決し口を開く。 「……あのさ、穂村。お前、さ」 「父さんのことですか?」 重い口を開けば、核心をつくより先にユキが口を開いた。 それが思ったより軽い音で、檜佐木は拍子抜けしたような、不安なような、何とも言えない気分になる。 「平気ですよ、割と。もう散々、色んな方に心配していただいたんで。それにヒラならともかく、私、上位席官ですから。身内だろうと、護廷の敵は断じて絶ちます」 「……」 「あんまり言いたくないですけど、先輩よりよっぽど前向きですよ私」 「……お前ホント、意地悪いよなあ」 だからあんまり言いたくないですけどって言ったじゃないですか、とユキが小さく抗議の声を上げる。 その声を聞きながら檜佐木が落ち込むのは、ユキの意地の悪さからではない。 本当に、ユキが檜佐木よりもずっと、前を向いているように、というよりも、既に道を決めきっているように思えたからだ。 周囲にこそ見せないようにしているが、仄めかされるたび胸が痛む程度には、檜佐木は東仙のことがまだ割り切れないでいる。 どうして、と信じられない気持ちでいるし、あわよくば帰ってきてほしいとも思っている。 あの日、東仙の友人だという者の墓前で七番隊の狛村と誓った通り、東仙の目を覚まさせようと考えてはいるが、今はその気持ちより、裏切られたという痛みの方がまだ強い。 あの人を信じて、尊敬して、慕って、ここまでついてきたのだ。 それを敵に回ったから、はいそうですかとアッサリ切り替えて斬り捨てるなど、檜佐木には出来ない。 そしてそれは、ユキも同じだと思っていたのだけれど。 (冷たい奴じゃあ、無いと思うんだがな) 寧ろ、情に篤い方の筈だ。 そうでなければ、ルキアの処刑騒動にあたってユキは護廷の敵に回ったりしなかった。 (ユキが護廷の敵に回ったのを、檜佐木はただ、「友人であるルキアを助けるため」だったと思っている) (自分の父親ってなると、違うんだろうか) 身内の尻拭いは、自分でするみたいな。そんな感じなのだろうか、と思う。 しかし。 (自分の親父が、なんて想像もつかねえや) 結局、それだった。 流魂街で身を寄せ合って育った檜佐木にとって、そもそも『肉親』という存在を想像するのが難しい。 それにあたるのは東仙だろうが、檜佐木が東仙と重ねてきた時間と、ユキが己の父親と重ねて来た時間の濃さなど、比べるまでもない。 同じ血が半分流れている相手に裏切られた感覚など、檜佐木には理解する術もない。 「俺、たまにお前のこと感心するわ」 「先輩が頼りないと、しっかり者の後輩はその分ぐんと成長するんですよ」 苦笑を浮かべて、ユキは言う。 そういえば前にも似たような会話をした覚えがあるな、と檜佐木は思い出す。 もうずっと昔の話ではあるが、その時自分がユキに晒した醜態を思い出して、檜佐木は羞恥すると共に更に落ち込んだ。 「悪いな、頼りない先輩で」 「今度美味しいもの奢ってあげますよ、先輩」 そう言うと、「出来ました?」と二の句を継ぐユキに、言われたそのまま、頼りない自分に苦笑を浮かべながら、おう、と檜佐木は書類をまとめてユキへと差し出す。 ささっと確認をして、「はい、大丈夫です」とユキは告げた。 普段十一番隊の抜けだらけの書類を、手元で直して一発OKに変えるユキのチェックなら、信頼が置ける。 「穂村。お前、分裂したりしねえ?」 「分裂したら、まず五番隊に行きます」 「……」 五番隊は今、隊長が不在になっている。 副隊長の雛森は最近目覚めたが、まだとても業務を行えるような精神状態ではない。 隊長も副隊長も不在となれば、残るは三席。 そんなわけで当然の流れではあるものの、三席が慣れない業務を全て引き受け、隊長権限を行使するに至っている。 業務量から言えば、瀞霊廷通信の編集部も掛け持ちしている檜佐木の方がずっともっとだが、慣れを考えればどっこいくらいだ。 「じゃあ、届けておきますね」 「ほんと悪いな、助かる。今度旨いもん奢ってやるよ」 「期待しないで待ってます」 では、と一礼をしてユキは部屋を後にする。 見送った檜佐木は頭をがしがしと掻いて、それから腕をまくる仕草。 気合を入れ直して、再び原稿用紙に向かった。 |