「オラオラ、どうしたァ!これで終わりじゃねえだろ、ユキ!!!」 「……ッ…」 更木の連撃を避けながら、ユキは後ろに押されていく。 壁をえぐるのを構いもせずに更木が刃を突き立てるのを、すんでのところで避けると、ユキは更木が壁から剣を引き抜くより先に更木の胸へ爪を突き向かわせる。 それを更木が難なく避けると、続けざまにその場で回って、突き出した手とは反対側の肘を更木の腹に入れる。 当然、そんなことで更木の軸が揺れたりはしない。 それでも攻撃自体は通ったようで、にやりと笑みを浮かべた更木は、剣を持たぬ方の手をユキへと伸ばす。 その手を躱してユキが間をとれば、すぐさま詰めて更木は刃を振るった。 視線にも、霊圧にも、二人のそれには殺気が溢れている。 「殺す気で来い」と言ったのは更木の方で、馬鹿正直にそれに応えている――というよりも、更木が斬魄刀で相手をするために、馬鹿正直に答えなければ自分が殺されるので、その通りにしているユキ。 そんな二人の様子を、固唾を飲んで見守っているのが花太郎。 まるで猫がじゃれあうのでも眺めるように花太郎の隣で座って見ているのが、やちるである。 「ユキちゃんがんばれー!剣ちゃんファイトぉ!」 無邪気に二人へ声援を寄越しながら、やちるは傍らの金平糖を口に放り込む。 とは言え、特にユキの方はそんなやちるの声援に、にこやかに返事を返す余裕はない。 一瞬一瞬の気の緩みが、彼女にとっては文字通り命取りになるのである。 「破道の三、白雷」 ユキが弾き出したそれを、更木はいともたやすく斬り消す。 そこへ畳み掛けるように顔面を狙って蒼火墜を打ち込めば、更木はまたも斬り消した。 しかし爆炎は残る。 それに乗じて更木の懐に潜り込み、更木の首筋を狙って鈎爪を突き出す―― 「邪魔をするぞ」 「あっ!びゃっくーん!!」 「朽木隊長!」 ――響いた声に、その手が狼狽えた。 それを逃すことなく、更木がユキの突き出してきた腕を掴めば、途端にユキは我に返る。 サア、と青ざめるユキにちらりと視線をやると、そのまま更木は前方へ思い切り放り投げた。 向かう先にあるのは、壁。 そこにユキは、放り投げられたまま勢いよく体を打ち付ける。 壁にヒビを入れたユキの体は、ずるずると地面に落ちた。 しかし当の本人は意外と無事なようで、咳き込みながらもすぐに上半身を起こす。 その上に影を作ったのは、更木の体。 見上げるユキは、額から垂れる血を拭うよりも、やってしまったという気まずさに顔をしかめた。 「殺気緩めんなつっただろうが……あァ?死にてえのか、テメエは」 仁王立ちする更木は、明らかに怒りを込めて目下のユキを睨みつける。 しかし、すみません、とユキが小さく謝れば、興を削がれたかのように舌打ちをして背後を振り返る。 「オイ。何の用だ、朽木」 やちるの横。そこに佇む白哉へ、不機嫌そうに更木は寄越す。 対して白哉は涼しい顔で、「兄に用は無い」と言い放つと、よろりと起き上がって袴の埃を払うユキの方へと顔を向けた。 「十一番隊の書類が、うちの隊のものに混ざっていた」 「えっ」 そう言って書類を差し出す白哉のもとに、ユキは斬魄刀をしまうと慌てて駆けつける。 見ればそれは確かに十一番隊に回ってくるべき書類で、ユキはそれを受け取ると白哉を見上げた。 「ありがとうございます、朽木隊長。でも、わざわざ隊長自らご足労いただかなくとも……」 「良い。事のついでだ」 「はあ……」 「とにかく、ありがとうございます」とユキは書類を受け取る。 そんなユキを怪訝そうな目で見下ろす白哉は、ふといつもの冷徹な色に戻して更木の方へ顔を向けると口を開いた。 「更木。今暫くこれを借りても、兄に問題無いな」 その言葉に、え、とユキが書類に落としていた顔をあげる。 二人の様子を先程の場所から動かずに見ていた更木は、白哉に不意に投げかけられて「あ?」と首をひねるも、すぐに肯定した。 「別に構やしねえよ。てめえのせいで、もうそいつも今日は使い物になんねえしな」 「えっ、そんな、更木隊長、」 「穂村三席。兄の上司の許可は降りた。部屋に戻り、支度をするがいい。私の供をせよ」 「今日は終ェだ。行ってこい」 「えっ、あっ、えっと、はい……」 二人の勢いに押されるようにすごすごと返事をすると、ユキは一礼をしてその場を後にする。 その後ろを、慌てて花太郎が追いかけた。 ユキの姿が見えなくなると、更木はさも面白そうにニヤリと笑みを浮かべて白哉に寄越す。 「おい、朽木。てめえ今、あいつの格好見て何考えてやがった」 その言葉を受けて、白哉は一瞬眉根を寄せた。 先程のユキの格好はと言えば、死覇装の上を脱ぎ、上半身は胸から肩にかけてサラシを巻いていただけだった。 更木の意図するところで評価するならば、生々しい傷こそあちこちに作っていたが、なかなかに扇情的である。 「少なくとも、兄のような者が考えるようなことは、露ほども考えてはおらぬ」 「ハッ、どうだか!あれであいつ、結構いい体してやがるからなあ?」 明らかな不快感を言葉に乗せる白哉に、更木は更に面白がる。 そうして何がしか思い浮かべるように下卑た笑みを浮かべつつ言葉を投げかければ、白哉の気配が更木を突き刺すような姿勢を見せた。 「……やはり隊長格とは言え、所詮は下賤の者。思考も随分、下卑ているらしい」 「そう思うならかかってこいよ。せっかくこんなとこまで来たんだ、ユキが来るまで一汗流してけや」 バチバチと、火花を散らす勢いで睨みつけ合う二人。 その霊圧がぶつかり合い高まる中、飛び出す勇者が一人。 「ダメだよ二人ともっ!!!」 言わずもがな、やちる。 更木の背中に飛びつき身を乗り出してそう言うと、やちるは続ける。 「二人がケンカしたら、ユキちゃん困るでしょ!ユキちゃん怒るよ!怒らせたら、ショルイおわんなくて、おじいちゃんに怒られるよ!!!」 その言葉は、二人の興を削ぐのに効果てきめんと言えた。 少し思案してから更木は大きく舌打ちをすると、また今度だ、と告げてその場を後にする。 あとに残された白哉は寄せた眉根を元に戻すと、そっと目を伏せユキが現れるのを待った。 *** 「お待たせしました!」 それから四半刻ほどして、ユキがやってきた。 ハイネックを下に着込む、普段と同じ装いをした彼女の髪はほんの僅かに湿気って、心地よい香りを風に乗せて漂わせる。 どうやら軽く治療を終えてから一度風呂に入り、汗をすっかり流してきたらしい。 それでも急いでやって来たために、再びうっすら滲んだ汗を手でそっと拭って、ユキは辺りを見回す。 「あれ、更木隊長は……」 「隊舎へ戻った。さあ、行くぞ」 「あっ、はい!」 くるりと背を向けた白哉の後に、慌ててユキは続いた。 『共をせよ』と。 そう言った白哉ではあったが、何処にとは言わなかったし、言わないということは聞かないほうがいいのだろうと、ユキも聞かなかった。 そうして黙って後についていけば、その足は瀞霊廷を出て、流魂街のはずれへと向かった。 続く道を、ユキはよく知っていた。 風が吹くたびに折り重なる葉が波のような音を奏でる森の奥深く、分けいれば水のにおいがして、ユキの記憶を呼び覚ます。 「朽木隊長、ここ……」 「ああ」 開けたそこは、すぐ傍に小さな泉が湧いている。 日の光が差し込み長閑な時間が流れるそこは、ユキが特訓の場所に昔使っていた秘密の場所だ。 昔彼女の誕生日に両親から送られたこの場所は、彼女の両親の手によって特殊な結界が張られており、獣以外は穂村家の人間か、穂村家の人間と共にいなければ入ってくることが出来ない。 大きな石に腰掛ければ、その隣に座るように白哉は促す。 恐縮しながらも隣に腰を下ろせば、意外と近い距離にユキは照れて体を縮めた。 「ここに私とお前で来るのは、久方ぶりだな」 「……ええ。もう、そうですね……五十年以上は、経ちますね」 その昔、一人でひっそりと使っていたこの場所を、ひょんなことからユキは白哉に教えた。 それからここは、二人の内緒の特訓場であり休憩の場になった。 ユキの言うとおり、最後に二人で共有したのはもう五十年以上も前の話になるが。 「特訓は順調か」 「見ての通り、毎日ボロボロです。なかなか、勝たせていただけません」 はは、と苦笑してユキは言う。 成程、花太郎の治療でその傷は大方治っているが、長袖の下からはちらりと白い包帯が覗いていたし、白哉の位置から見れば、ハイネックの下、首元にも白い包帯が巻かれているのが見えた。 無論、首の包帯に関しては更木など関係ないのだが。 先程白哉が訪れた時に、集中を乱して思い切り壁に叩きつけられたのを思い出すにつけても、ユキが女であるということを差し引いてもその姿はかなり痛々しい。 しかし、その様子を思い出せば、白哉の意識は傷だのなんだのよりも別の事へと向いた。 「……お前は、いつもあのような格好で更木と相対しているのか?」 「え?」 問われたユキは、咎めるような白哉の口調に、一瞬何の話か分かりかねる様子で目を瞬いた。 しかし少し考えて、あの上半身にサラシだけを巻いた格好のことを言っているのだと気づいて、同時にそれを白哉に見られたことに対して、ようやく羞恥に顔を染めた。 「……あ、ああ……その、お見苦しい格好を……」 支度をしている時は、ただ白哉を待たせているから急がねばと、そればかりで頭が回らなかったが、そういえば相当恥ずかしい格好をしていた。 更木や花太郎、その他、一角達をはじめとする十一番隊の面々の前ではすでに気にするものではない格好だが、白哉の前となるとやはり、である。 「女子であれば、あのようにみだりに肌を晒すものではない」 「は、はあ……」 とは言え、あの格好が更木との特訓に置いて合理的なのも事実だった。 なにせ、毎回ほとんど一方的にユキがやられ、死覇装はボロボロになり、ユキ自身も血みどろになる。 そして花太郎の治療を受けようと思えば、ユキほど広範囲に重傷となると死覇装はどうせ脱ぐことになる。 加えて死覇装を支給申請するのは面倒かつ費用がかかるという部分もあったりで、ならば最初から脱いでいるほうが都合がいいのである。 「気をつけます」 ユキは、そう告げるにとどめた。 曖昧な返事に、ユキにその気がないことを悟った白哉は視線で咎める。 しかし、こればかりはとばかりにユキが苦笑を浮かべれば、目を閉じて呆れたように息をついた。 「……お前は、どこまでやれば気が済むのだ」 そして詰める代わりに、そう問いかけた。 瞬間、ユキの表情が固まって、口元だけで笑う。 白哉から視線を外して、地面を見つめたユキは、「どこまでも、ですかね」とポツリとこぼす。 「少なくとも、更木隊長には勝てるようになりたいですね」 「……随分と果てしない話だ」 「だって私、今回いいとこ無かったですから」 はは、と力なくユキは笑う。 『今回』とは、言わずもがな尸魂界を襲った藍染による騒動のことだ。 今回のユキはと言えば、白哉に負け、藍染には一切歯が立たなかった。そして白哉は知らないが、市丸にも負けている。 ユキの性格を考えるにつけても、藍染の次の一手が来る時期を考えるにつけても、「焦ることはない」とは言えなかった。 「……朽木隊長、」 白哉が黙っていると、ユキが口を開いた。 なんだ、と問えばユキは続ける。 「私、昔言いましたよね。父と母の名を汚さないために、釣り合うだけの力が欲しい、って」 「……ああ」 白哉は昔、この特訓場で特訓を密かに重ねていたユキへ、なんの為に力を欲するのかと聞いたことがあった。 そうするとユキは、先程の答えを返した。 でも、とユキは続ける。 「二人がいなくなってから私、大切な人を護れる力が欲しい、と思うようになったんです。だけど今回の戦いで、大切な人を護るには、大切な人の大切な人も護れなきゃいけない、って思いました。そう考えたら、もっともっと、両親の名に釣り合うだけじゃいけない、誰よりも強くならなきゃいけない、って思ったんです」 そのためには、今のままじゃ全然駄目なんです。 そう言って、ユキは自身の首元を抑える。 その厳しい横顔が一方で悲しげに見えて、白哉は目を細めた。 そしてその傍ら、ユキの言葉を聞いて、やはり告げようと決めた。 「――ユキ」 口を閉ざしたユキに、今度は白哉が呼びかける。 はい、と小さく返事をしたユキが白哉へと目を向ければ、その目を真っ直ぐ見つめ返して白哉は口を開いた。 「……私の隊へ、戻って来ぬか」 突然の言葉。 しかし目を丸くしたユキは、心のどこかでそれを予想していたかのように顔をしかめる。 不安そうに眉尻を下げるユキに、白哉は続ける。 「お前が大切な者の大切なものを護りたいと、そう願うのであれば……私は……。……私も、そんなお前を…… ――私の、大切な者を護りたい」 風が吹く。 白哉の言葉に、ユキは一瞬泣きそうな顔をして、それから俯いた。 声をかけようとした白哉は、ユキが袴をぎゅっと握っているのに気づいて口を噤んだ。 そうして待っていると、ユキが空気を吸い込む音がした。 顔を上げたユキは、口を固く閉ざしている。 泣きそうな顔で微笑みながら、ユキはその口を開いた。 「朽木隊長、私――……」 *** その夜。 ユキのもとを訪れたのは、阿近だった。 ちょっと待ってくださいね、と言いながら右から左へと書類を片付けるユキの姿に苦笑すると、お疲れさん、と湯呑に茶を注いでくれる。 「わっ、ありがとうございます」 「いいって。それより、もうちょっとだろ。待つから、早く終わらせろよ」 「はい」 ユキが頷くと、阿近はソファに腰掛けて自分でついだ湯呑の茶に口をつける。 自分がいつも飲んでいるポットの茶よりうまいななどと思いながら、適当に思考を遊ばせて静寂に身を任せていると、そのうちトントンと書類をまとめる音が聞こえた。 終わったか、と顔を向ければ、はい、とユキが伸びをしながら答える。 「それで、阿近さんが来たってことは、一角の奥歯できたんだよね」 「それと、お前が頼んでたやつもな」 そう言うと、ユキが少し驚いた表情を見せる。 早い、と告げるユキに、これくらいチョロイっつーの、と阿近。 おいでおいで、と阿近が手招けばユキは隣のソファに座り、阿近は懐から箱を二つ取り出す。 「こっちが一角のやつ。お前から渡しといてやってくれ」 片方の箱を手渡せば、うん、とユキはそれを手に取り膝に置く。 その視線はすでにもう一つの箱の方へ向かっていて、阿近はそれを見ると「それでこれが」と蓋をあけた。 「お前の分」 リングが入っているような小さな箱。 それを開けば、中に入っていたのはフェイクピアス。 銀が形を成すそれは、黒曜石のような黒い石が嵌っている。 小さなそれを取り出すと、阿近はユキの手のひらへ乗せる。 そして視線をそそぐユキへと、説明を始めた。 「それをつけると、お前の霊力が少しずつその黒い石へ蓄積される」 「どれくらいのスピードで、どれだけ溜まるとかは……」 「だいたい一ヶ月もすれば、お前一人分くらいの霊圧は溜まる計算で作ってる」 つけてみろよ、と阿近は言った。 頷いて、ユキは手のひらのそれを指先でそっとつまむと、左の耳へと持っていった。 難なくつけたそれは、瞬間、ピリッと静電気のような痛みを走らせる。 「痛みが走ったなら成功だ。この瞬間から、お前の霊圧は少しずつその石へ蓄積されてく」 「使うときは?」 既に痛みはない。 ピアスに触れながら、ユキは問いかける。 「使うときは外して、霊圧をこめろ。そうすりゃ銀色の部分が壊れて、石だけになる。それを飲み込めばいい」 わかった、とユキは頷く。 「ありがとう、阿近さん。お代は?」 「別にいい。お前の分も纏めて、一角に払わせる」 「そしたら一角、破産しちゃうよ」 はは、と笑うユキに、破産させんだよ、と阿近は笑みを返した。 そしてよいしょと腰を上げると、お代はマジでいらねえぞ、と寄越して麩を開けた。 「お前の新しい門出祝いだ」 「へ?」 阿近の言葉に、ユキは目を丸くする。 対して阿近は笑みを浮かべて、口を開いた。 「昼間、朽木隊長来たんだって?で、何かあったんだろ」 俺の目は誤魔化せないぜ、と目元をトンッと差して阿近は言う。 そして、幸せになれよ、と告げると、後ろ手にひらりと手を振って部屋を出て行った。 一人部屋に残されたユキは、目をぱちぱちと瞬いて。 それから、眉を下げ苦笑を浮かべた。 「阿近さんの情報網って……」 呟いた言葉は、誰にも聞かれることなく消える。 ユキは膝の上、一角の奥歯が入った箱を懐にしまうと、現世へ行く許可を更木に取るべく執務室を後にした。 |