「あら、朽木隊長……」

四番隊の救護詰所。
その廊下で、向こうからやってくる白哉の姿をみとめて、卯ノ花は窓の外にやっていた顔をそちらへ向けた。
白い花束を片手にした白哉は、卯ノ花の前で立ち止まる。

「動かれても、痛みなどはございませんか?」
「問題無い」

そう返した白哉に、それは良かったです、と卯ノ花。
それから自身の背後をちらりと見て、また顔を白哉に戻す。

「穂村三席は、まだ目覚めておりません。大分、状態はよくなりましたが……」
「……顔を見ても、構わぬか」
「ええ、勿論。どうぞお声を、かけてさしあげてください」

卯ノ花の言葉に頷くと、白哉はユキの病室へ足を向ける。
静かに病室の扉を開けば、陽のあたる窓辺でユキは横たわっていた。
その枕元へ白哉は歩みを進め、花束をひとまず布団の脇にある小さな棚の上に置くと、椅子に腰を下ろす。

危機的な状態を完全に脱したユキは病室を移り、呼吸器も既にとっていた。
呼吸も顔色も穏やかになり、卯ノ花の言うとおり大分よくなっていたが、それでもまだ、あの日から一度も目覚めていない。

ふと白哉は、ユキの髪に触れた。
あの時、白哉の千本桜の刃に触れて散った髪は、未だ整えられることなく、毛先は乱雑なままだった。
毛先から離れた指は、そのままユキの頬に触れる。
その冷えた感触に、白哉は僅かに目を細めた。

「此度、私は……お前を傷つけてばかりだったな」

ユキとは、ユキがまだ霊術院に入る前からの付き合いだった。
白哉の祖父から六番隊の隊長職をついだユキの父・正義づたいに、自身の娘だと紹介されたのが始まりである。

『自慢の娘だ』『優秀な子だ』と、正義はユキを掛け値無しに褒めた。
そんな彼の横でユキが『恥ずかしいからやめてくれ』と顔を赤くして自身の父を止めていたのを、白哉は昨日のことのように思い出せる。
そしてその正義があの日、休暇をとってユキと共に現世へ行く日に『自分にもし何かあったら、ユキのことは頼む』と告げたのも、白哉はまた、昨日のことのように思い出された。

そう。
白哉は確かに、ユキの父に、六番隊の前隊長に、ユキのことを頼まれたのだ。

――白哉の知るユキというのは、昔から聡い人間だった。
白哉のことをよく知り、見抜き、誰よりも白哉のために動いていた。

それはユキが、白哉のことを慕っているからに他ならなかった。
白哉もそんなユキを心から信頼できたし、その気遣いの数々に心が安らぐことも多かった。
他に明かせぬ胸のうちもユキになら話せたし、そうして打ち明けることで心の荷を下ろしたことも少なくない。

しかしそんなユキに対して、自分は何を返せたのか、と白哉は思う。
20年前のあの時も、死人のように虚ろな目をするユキを前に、自分はなにもしてやれなかった。
ユキを蘇らせたのは十一番隊の更木で、ユキはそのまま自身の下を離れ、十一番隊の三席となった。

そして今回。
ユキはやはり白哉の為に、ルキアを助けること、白哉に敵対することを選んだ。
それに対し白哉は墓前への誓いと妻への誓いの間で揺れたまま、結局掟に従いユキと敵対し、傷つけた。

結果論ではあれど――正しいのはユキだった。
そして、結果論ではなく――きっと白哉は、ルキアが死ねばその死を後悔していたに違いなかった。

「ユキ。私はお前に、何を返してやれる」

何を返せば、何をしてやれば、彼女は喜ぶのだろうか。
それすら、白哉には分からなかった。
否、きっと問うたところで「何もいりません。そう思っていただけるだけで充分です」と笑うユキが、白哉には想像できた。

――ユキは、白哉のことを慕っている。
その真意がわからないほど、白哉は鈍くはなかった。
きっとそれを汲み取ってやることが一番なのだろうが、生憎そういう気持ちを、白哉はユキに抱いていない。

愛しい、と。
確かにそうとは感じている。
けれど白哉がユキに抱く気持ちは、今や親兄弟のそれに近かった。

「……ユキ」

小さく名を呟くと、頬を撫でるように手をすべらせ、白哉はユキから手を離す。
窓から吹き込んだ風が、そっと二人の髪を揺らした、その時。

「……ん……」

小さく唸る声と共に、ユキの瞼が微かに動いた。
それに気づいて、白哉は思わず身を乗り出す。

「ユキ、」

目を覚ますのだ、とその名を呼びかける。
願うように、祈るように、細い手をとり包み込む。

するとそのうち、ユキのその目がうっすらと開かれた。
窓から入る陽光のまぶしさに目を細めながらも、ゆっくりと、ユキの双眼は覚醒していく。

「……ユキ、」

白哉のその声に目を一つ瞬くと、ユキはゆるりと白哉の方へ視線を寄越した。
幾許か微睡みながらも、その瞳ははっきりと白哉を映して、しかし思考が追いつかないらしく、ユキは困惑した表情を浮かべる。

「く、ちき……隊長……?」
「ああ、そうだ……私だ……」

ユキの声は、掠れていた。しかしその意識は、しっかりしているようだった。
白哉は、自身の目元が和むのを感じる。

――案ずることはない、と。
そうルキアには言ったが、本当は自身も心の奥底で同じようなことを考えていた。
だからこそ、ユキが目を覚ました今、自身の名前を呼んだ今、心底安堵した。

「……ルキ、ア……は……」

掠れた声で、ユキはそう尋ねた。
白哉はユキの手をとる手に少し力を込めて、心配ない、と答える。

「無事だ。……お前や恋次や、旅禍の男が、護ってくれた御蔭だ」

白哉の言葉に、ユキは緩く息をついた。
そして嬉しそうに、穏やかに目を細めるユキを見つめると、白哉は続ける。

「……ユキ。此度の事、礼を言う。……――そして、済まなかった」

白哉がそう言うと、ユキは驚いた様に僅かに目を見張った。
そんなユキに向けて、白哉は二の句を次ぐ。

「お前が……お前たちが護ろうとしてくれたから、私もまた、ルキアを護ることが出来た。お前が私に、そして瀞霊廷の掟に背いても、ルキアを護ろうとしてくれたことに感謝する。……そして、そんなお前に刃を向けたこと、心から謝罪する」

そう告げて白哉が目を伏せるのを見て、ユキは眉根を寄せた。

「朽、木……隊長……」

小さく呟くように名を呼ぶと、弱々しい力でユキは白哉の手を握り返す。
それに気づいて白哉は再びユキへと目をやり、刹那、目を見張って微かに狼狽えた。

「ユキ……」
「いいん、です。そんな、朽木、隊長……」

ユキはその目から、涙を流していた。
白哉からそれを隠すように顔を背けると、ユキは啜り泣く。

「いいん、です……。私が……勝手、に……。それに、私……ルキアを、ちゃんと……ま……護れなくって……」
「……ユキ」

ユキの濡れる頬に、白哉はそっと触れる。

「申し訳、ありま……せん、でした……わた、しが……私が、もっと……強かったら……」
「ユキ、もう良い」

溢れる涙を、白哉はそっと拭う。

「ルキアは無事だった。お前も無事だった。……私は、それで良い」

尚も涙枯れぬユキの涙をもう一度拭って、それから白哉はユキの頭を優しく撫でた。
しかしそれでも、ですが、と納得出来ないとばかりに語を紡ごうとするユキの言葉を、「良いと言っている」と語気を強めて返すと、白哉は続ける。

「……お前が生きていて、本当に良かった」

そう告げて、ユキの手を握る手に力を込める。
ユキは相変わらず啜り泣きながらも、しかし、応えるように白哉の手を握った。

***

勢いよく開いた道場の扉に、道場にいた者たちがぎょっとしたのは、そこにいたのが弓親だったからだった。
普段の彼なら、こんな風に扉を乱暴に開けたりなどしない。
一体何があったのかとざわめく周囲を気にも止めずに、肩で息をする弓親は勢いよく顔をあげると、一角の姿を即座にみとめる。

「い、一角……!」
「お、おう。どうしたよ、おめえ。そんなに慌てて……」

一角が問えば、息を整えながら弓親はだんだんとその顔を明るくさせる。
そしてようやく一つ大きく呼吸をすると、その口を開いた。

「今、四番隊から連絡があって――……ユキちゃん、目を覚ましたって!」

弓親の言葉に、一瞬の沈黙。
そして。

「いよッしゃああああああああああああ!!!!!!」
「やったぜえええ!!!!!!」

一気に、道場の中を歓声が満たす。
誰もが大はしゃぎで、手を打ち合ったり肩を叩き合ったりして喜びを顕にしていた。
一方で一角は呆然とした様子で、それを見た弓親が「何してんのさ」と咎めた声をあげる。

「早く顔、見に行ってあげなよ。ユキちゃん、きっと待ってるよ」
「そうッスよ、斑目三席!」
「さ、早く行ってさしあげてください!」

弓親の言葉に、周囲もやんやと一角の背中を押す。
そんな周りに押し出されるようにして道場を後にした一角は、四番隊へと足を向けながらも、その頭はまだ状況に追いついていなかった。

ユキが目を覚ますのを、一角は確かに待っていた。
けれどもう待ち始めて二週間以上が経っていて、病状が良い方向へと向かうのは遅く、安定したのがつい最近のこと。
それが目覚めるとなると、もうほとんど、一角にとっては夢のような話にすぎるのである。

(夢かもしんねえ)

なんとなく、一角はそんな風に思う。
妙に足元が軽くて、ふわふわと浮く心持ちがした。

(なんつったら良いんだ、こういう時……)

おはよう。久しぶりだな。やっと目覚ましたのかこの野郎。
そのどれもが違う気がして、一角は頭をかく。

「あっ、斑目三席!」

と、不意に背後から呼びかけられて、一角は振り返った。
そこにいたのは、四番隊七席の花太郎。
前は名前も知らなかった相手ではあるが、例の一件でユキと行動していたこともあって、彼はユキの看護担当のリーダーとなった。
そんな彼と、一角はこうして四番隊舎でちょくちょく顔を合わすようになっていた。

「穂村三席に面会ですよね!」
「ああ、まあな」

嬉しそうに笑う花太郎のその手には、花瓶が抱えられていた。
それを一角が見ているのに気づくと、ああ、と花太郎は口を開く。

「先ほどまで、六番隊の朽木隊長がお見えになってたんですよ!それで、お花を持って来てくださったので、飾らなきゃって」

その言葉に、一角の表情が僅かに強ばる。

「穂村三席、朽木隊長がお見えの時に、ちょうどお目覚めになって……。それにしても、無事に目が覚めて本当に良かったです。一時はどうなることかと……」

僕もやっと一安心です、と胸を撫で下ろす花太郎の言葉は、半分一角に届いていなかった。
しかし、ああそうか、と曖昧な返事をする一角の様子に気づくことなく、花太郎はにこにこと話を続ける。

そうしているうちに、ユキの病室の前にたどり着いた。
コンコンとノックすると、どうぞ、とユキのものではない女性の声が返ってくる。

「失礼します、斑目三席をお連れしました!」
「ありがとうございます、山田七席」

部屋の中にいたのは、卯ノ花だった。
そして、その奥で襦袢の襟を整えているのは。

「穂村三席。花瓶、持ってきたので飾っておきますね!」
「ありがとう、山田七席」

掠れがちなやや弱々しい声でそう言って、微笑むユキがそこにいた。
その視線が花太郎から一角へと映れば、一角、とやはり微笑んでユキは小さく呟いた。

「……」
「あら、どうしたんです斑目三席。そんなところにいらっしゃらないで、どうぞこちらへ」

入口のところで立ち止まっていた一角を、卯ノ花が室内へ促す。
それを聞いてようやく、一角は中へと歩み行った。

「ひとまず問題はありません。もう体を起こせるなどと、目覚めてからの回復は正直に申し上げて異常なほどですが……それでも、長い眠りから目覚めたばかりですから、五日は必ず、安静にしていてください。よろしいですね、わかりましたか?」
「はい」

やたらと念を押す卯ノ花に、少し眉を下げて布団の中へ入りながらユキは返事をする。
それを見て卯ノ花は頷くと、行きますよ、と花太郎へ声をかける。

「それでは、私たちはこれで。斑目三席。お話は構いませんが、まだ彼女にあまり負担をかけないようにお願いいたします」

そう告げると、花太郎と連れ立って卯ノ花は病室を後にした。
扉が締められれば、後に残るのは静寂。
微妙な沈黙の隙間を、窓から入った風が縫っていく。

「……」
「……」

なんとなく、一角は目が合わせられないでいた。
何を話せばいいかわからない。
しかしその気持ちは、少し前までのそれとは違っていた。

「……久しぶり、一角」

沈黙を破ったのは、ユキだった。
以前よりも薄い声で告げると、ユキは弱く微笑んで寄越す。
それをちらりと見て、よう、と一角は返した。

「座れば?」
「ん?……ああ」

ベッドの脇の椅子を示されて、一角は腰を下ろす。
しかし相変わらず何か会話があるわけではなく、少し重い空気が部屋に満ちていくのが分かった。

沈黙することそれ自体は悪くない。
問題は、その沈黙の空気から何も伝わってこないことだ。
辛うじて伝わってくるのは、ユキが戸惑っている気配くらいで、それも相まって一角は何か言わなければと思うのだが、何か言うには心の整理がつかなすぎた。

「……怒ってる?」
「……いや、別に」

小さく尋ねるユキに、一角は呟くように返す。
実際、何か怒っているわけではなかった。
ユキも一角の返答からそれを察したのか、そう、とは頷いたが、しかし一角が何を思っているかまでは分からないようだった。

――一角の頭にあったのは、白哉の存在だった。
足繁く通っていた自分が、ユキの目覚めに立ち会えなかったことは別に良い。
問題は、たまたま訪れた、それもユキの想い人である白哉がそれに立ち会ったことだ。
なんだか負けたような気がして悔しいと同時に、ユキの目覚めを素直に喜べないでいる自分への嫌悪感に気づいて、どうしようもなくなっていた。

(……みっともねえ)

そんな葛藤は、少なくともユキの目の前でやるべきではない。
それは分かっているのに、醜態を晒してしまっている現状にも一角の混乱に拍車をかけていた。

「……だーッ!ちくしょう、らしくもねえ!!!」

突然声をあげて頭を掻いた一角に、ユキはびくりと肩を震わせる。
かと思えば、頭を下げたまま溜息をつく一角にユキが困惑しつつも話しかけようかと迷っていると、ふと一角が勢いよく顔をあげて、ユキは思わずびくりとのけぞった。

「ユキ!」
「、なに」

「その、なんだ」と一角は少し口篭って、それでもユキと面を向き合わせたまま。

「……目ェ覚めて、良かった。――……っつーか二度とやんじゃねえぞ、こんな風に『倒れて目覚めません』みたいなの。てめえの仕事が増えるだけなんだからな」
「……」

一角の言葉に、ユキは思い切り眉根を寄せる。

「……もっと言うことないの」
「ねえよ。とっとと全快しやがれ、デスク回りきらねえんだよ」
「……」
「っつーか、お前の『三席』はその為だろうが。そんな奴がホイホイ倒れて、あまつさえ何日も寝込んでんじゃねえっつーの」
「……そりゃそうだけど……」

そこまで言って、ユキは眉をひそめるように目を閉じた。
思い切り溜息をついて、どこかぐったりした様子の彼女に、大丈夫か、と一角は尋ねる。

「大丈夫じゃないすごい疲れた……」
「体力無さすぎだろ……」
「そりゃ無くなるよ。だって私、二週間以上寝込んで…はぁ……」

本当に疲れたようで、ユキは眩しそうに目を開ける。
そして力の抜けた表情で、「ああそうだ、一角」とユキは口を開いた。

「後で書類、持ってきてよ。明日からでも、ここで仕事やるから」
「あ?五日は安静にしてるんじゃねえのか」
「私がいないとデスク回らないんでしょ。ここで大人しく書類片付けるくらい卯ノ花隊長も許してくれるって。それに、安静にしてなきゃなら尚の事、何もしないで一日ぼうっと過ごすなんて死んじゃうしね」

それは言えてる、とユキの言に一角は納得する。
じゃあ早速、と今は仕事に追われているであろう弓親の元へ書類を取りに行こうとした一角は、ふと扉の前で立ち止まる。
気づいたユキが首を傾げて、一角、と呼びかけるより先に、一角は口を開く。

「……あんま、無茶すんじゃねえぞ」

その言葉に、ユキはきょとんとした。
それから困ったように、しかし少しだけ嬉しそうに笑って、口を開く。

「……どの口が言ってんだか」

いいから早く書類とってきてよ、とユキは急かす。
へーへー、と気のない返事を返しながら、一角は病室を後にした。




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