「あれっ?なんだこりゃ……」 「ん?どうしたの、不二君?」 よくわからない形になった色紙を手に声をあげる俺に、顔をあげた桜庭が首をかしげた。 いやちょっと、と言いながらも顔をしかめて説明書と自分の作品を見比べていると、桜庭が口を開く。 「きっと、折りこむ方向がちがったんだね。とりあえずそれはそれでやりなおして、最後まで作ってみたら?そうした方が、作り方もわかるだろうし」 「おう。そうしてみる」 手元の紙は既に何度もやりなおしたせいでぐちゃぐちゃで、完成しても目的の「飾り」にはとてもならない。 とりあえず桜庭の言うとおり、なにはともあれ一度最後まで作ってみようと、俺は説明書をにらみつけた。 ――今日は、職員会議で部活が無い。 だから放課後はヒマになるなっていう話を桜庭としていたら、桜庭に「じゃあ、不二君もいっしょにオーナメント作りしない?」ってラウンジへ誘われて今に至る。 オーナメントっていうのは、聖ルドルフにある教会前に飾るクリスマスツリーの飾りのことだ。 既製品も多少は飾るけれど、それよりも手作りや持ち寄りのオーナメントを募集しているらしく、桜庭もそれに応募するらしい。 「……」 折り目のつきまくった自分の色紙から、桜庭の手元へと視線をうつす。 こういう作業がもともと得意なのか、それとも事前に練習してたのか、なんにせよ桜庭のオーナメント作りはうまいもんで、説明書も見ずにすいすいと手を動かしている。 ――いや。やっぱきっと、もともとこういうのが得意っつーか、手が器用なんだろうな。 前に、取れかかってたシャツの腕ボタンを縫い直してもらった時のことを思い出して、そう思い直す。あの時もたしか俺がシャツ着たままにも関わらず、すいすい縫ってあっという間に完成だった。 ……なんか思い出したら、恥ずかしくなってきた。 だって、思い返すまでもなくめちゃくちゃ近い。もうほんと、目と鼻の先って感じで、たまに俺の手首に桜庭の手があたったりもして、とにかく近い。 それだけ近いと桜庭の顔もよく見えて、やっぱ色白いなとか、まつげ長ぇなとか、髪がやわらかそうだとか、無駄に観察して、色々思って、勝手に照れてしまう。おまけになんか花みたいないい匂いもするし、とにかくボタンをつけてもらってる間中ずっと緊張して、桜庭の話(たぶんテニス部の特になんでもない話だったと思う)にも生返事しかできなかった。 ……ほんと、思い出したら思い出すだけ恥ずかしいなこれ……。 「そういえば、不二君は疲れてない?」 「へっ!?あっ、えっと……えっ!?」 不意に顔をあげた桜庭に話しかけられて、思わず挙動不審になる。 そんな俺を見て小首をかしげる桜庭に対して、なんでもないと返しながら俺は平常心平常心と自分へ言い聞かせた。ったく、なんでこんな緊張してんだ俺は! 「ええっと……悪い、ちょっとぼーっとしてた」 「そっか……。じゃあやっぱり、ちょっとお疲れだね。ごめんね、今日つきあわせちゃって」 「い、いや、全然!っつーかあの、別に疲れてたわけじゃなくって、ちょっと別のこと考えてたっていうか……」 申し訳なさそうな顔をする桜庭に慌ててそう返せば、「別のこと?」と不思議そうな桜庭。とは言え、まさか桜庭のことを考えてたなんて言えるわけも無く、適当に「テニスのこととか……」と返せば、桜庭は少しおかしそうにくすくす笑った。 「さすが不二君。テニスが、大好きなんだね」 「……わ、悪いかよ」 「ううん。むしろ私、そういうの全然ないからうらやましいな」 「あ。でも、不二君たちの練習のお手伝いするのは楽しいよ!」とつけくわえて、桜庭はにっこり笑ってみせた。 「今は大丈夫かもしれないけど、疲れたら言ってね。この学校行事多いから、特に不二君は来たばっかりで慣れなくて、結構いっぱいいっぱいになっちゃうだろうし」 「まあたしかに、行事は結構多いよな」 俺が来た後にあった行事だけでも、体育祭にバザー、文化祭ってでかいのが三つあった。 この後はクリスマス礼拝があって、それに向けてハンドベル演奏の練習をしなきゃいけないし、あとは2月だけでも確か3つくらい行事があんだっけか。桜庭いわく秋季以降はこれでも少ない方らしくって、春から夏にかけてはほぼ毎月なにかしらにかこつけて記念礼拝があったらしい。 「部活と学校生活の両立は大事だけど、不二君は特に部活のために引き抜かれて来てるんだし。相談してくれれば、先生や観月先輩と相談して、融通きかせられるようにするから。そのためのマネージャーでもあるんだから、いざという時は頼ってね!」 そう言って桜庭は、ガッツポーズをつくる。でもすぐに「って言っても、観月先輩と比べたら頼りないかもしれないけど」と、照れたように眉を下げて小さくほほえんだ。 「んふっ……裕太君とは、ずいぶん仲良くなったようですね」 その声が聞こえたのは、頼りないかもしれないけどと言った桜庭に「そんなことねえよ」と言った時だった。途端に桜庭は目をかがやかせて、「観月先輩!」と声をあげる。 がたがたと席を立って頭を下げる桜庭に続いて俺も席を立つと、「こんにちは」と頭を下げる。 そんな俺たちを見て、観月さんは「はい、こんにちは」と言うと少しおかしげに「座ってくださっていいですよ」と告げた。と、テーブルの上の色紙や完成品を見て、おや、と小さく声をあげる。 「これは……クリスマスツリー用のオーナメントですか?」 「はっ、はい!あの、私……手芸とか、こういう、ちょっとした工作なら得意なので……」 「なるほど。……んーっ、素敵なお星さまですね。優花さんらしい丁寧な仕事、お見事です」 「あっ……ありがとうございます……!」 観月さんに褒められると、桜庭は目を細めて照れくさそうに、でも心底うれしそうに笑う。 同時に、砂糖を軽くこがしたみたいな甘ったるい空気が流れてくるような、そんな感覚をおぼえる。 「オーナメント作りもよろしいですが、下校時間を忘れないように。裕太君、帰りは彼女をちゃんと寮まで送り届けてあげてくださいね」 「……あ、はい。わかりました」 「いえ、あの、観月先輩、私一人でも……」 桜庭がそう言いかけると、「いけません」と返した観月さんは優しく目を細めて続けた。 「貴方のような愛らしい女性が日も落ちる頃に一人歩きなど、このご時世感心できません。いいですね?」 「……は、はい……」 観月さんに言われると、桜庭は恥ずかしそうに俯きながら大人しく頷く。もじもじと指をいじる桜庭の顔は、ちょっと赤いように見えた。 「それでは、僕はお先に失礼します」 「あ、はい。あの、お気をつけて……!」 ぺこりと頭を下げた桜庭を見て、慌てて俺も「お疲れ様です」と観月さんへ頭を下げる。観月さんはもうひとつだけ俺達へ笑みをよこすと、ラウンジを後にした。 顔をあげた桜庭は、そんな観月さんが出ていった後をどこかぼうっと、でもなんか幸せそうな顔で見つめていた。その目はキラキラしていて、そのキラキラは桜庭の周りの空気にもチラチラと舞っている。 ――桜庭と出会って、しばらく。桜庭と一緒にすごす中で俺はひとつ、気付いたことがあった。 「……桜庭って、観月さんのこと好きだよな」 「!」 ぐしゃ、という音が俺達しかいないラウンジに響く。 そんなことを気にする余裕もないほど焦っているのか、作成途中の色紙を握りつぶした桜庭は、その手を開くどころか逆に更に握りこむ。それから体を縮みこませて、俺から視線をそらしながら口を開いた。 「や、あの……す、好きっていうか、あの、その……そ、そういうんじゃなくて、尊敬できる先輩っていうか……!」 「……手つないだり、デートしたりしたいっていうか?」 「!!!!!」 音も無く、桜庭の手の中の色紙は更に握りつぶされる。 もうどうにもならないだろう作りかけのそれに対して悪かったという気持ちはあるが、ここまでバレバレに否定されるとどうにもつつきたくなる。だって、色紙握りつぶして、目合わせないまましどろもどろに喋って、しかも俺の一言で真っ赤になりだすなんて、普段ニブい方だって言われてる俺でもわかる。 ……とは言え、うつむいたまま耳まで真っ赤にして目をうるませている桜庭を見てると、さすがに罪悪感をおぼえた。 「えーと……なんか、ごめんな」 とりあえずそう口にすると、桜庭はうつむいたまま小さく首を振る。そしてちょっとだけ、おそるおそるといった感じで顔をあげた。 「……み、観月先輩には……」 「言わねえよ。ンなもん、俺だって言われたくねえし」 「!? ふ、不二君も、観月先輩のこと……!?」 「あ!?なんでそうなるんだよ!?そういうことじゃなくて、もし俺が好きな奴お前に知られたら、それ他人に言いふらされたくねえよっつーだな」 頭がうまく回ってないらしい桜庭のトンデモ解釈を訂正すれば、「あ、ああ……ごめん」と桜庭は自嘲気味にぎこちなく笑う。それからようやく手の中の無残な姿になった色紙に気付いて、深いため息をついた。 *** 「……ほんと、ごめんな。急に、変なこと言って」 「ううん。……それより……私、そんなにわかりやすい?」 申し訳程度に伸ばした色紙を横に置くと、私は水筒を引き寄せて茶をいれながら不二君にそう尋ねる。 でも不二君はすぐに答えてくれなくて、なにか考えこみはじめて。一秒、二秒って過ぎてくたびに私は不安になってしまう。 「不二君?」 「あ、いや、どうだろう。俺はたまたま分かったけど、他がどうかとかは……たぶん、気付いてないと思うぜ」 「そう?……そうだといいなあ……」 もうひとつ深いため息をついて、コップにした水筒のフタをかじる。そんな私を見て、「大丈夫だって、たぶん」と不二君は苦笑いしてみせた。 『ひとごとだと思って』ってちょっと思うけど、でも気付かせちゃった私が悪いからしょうがない。今はもう、観月先輩にバレてないのを祈るばかりだ。 「……あの、さ。聞いていいか?桜庭が、観月さんのこと好きな理由」 「……不二君のいじわる」 頬を膨らませてほんのちょっとだけにらみつけると、不二君はきまずそうな顔で「ご、ごめん」と謝る。 不二君、さっきからそればっかり。そう言うともう一度「ごめん」と謝ってから、気付いたように口元を手で押さえた。それがなんかだおかしくて思わず笑ってしまった私を見て、不二君は私がからかったのに気付いたみたいで、ちょっとだけムスッとした顔をしてからあきらめたようにため息をついた。それから、首の後ろをなでながら「あのさ」と言いにくそうに口を開いた。 「別に俺、お前のことからかってやろうとか、興味本位とかで聞いてるわけじゃなくってさ。……でもその、俺そういう気持ちになったことないから、やっぱ理由気になるっつーか……。……それに、応援してやりてえんだよ」 「……応援?」 首をかしげる私に、不二君はうなづいて続ける。 「桜庭はさ、俺とか、テニス部のためにいっつもがんばってくれてるだろ?だから、その……恩?っていうのかな。それを返したいっつーか……」 「そんな……気にしなくていいのに。私、マネージャーやるの楽しいもの。観月先輩とも会えるし……」 「かもしれないけどさ……。でもやっぱ、俺の気持ち的にはなんか返したいんだよ」 そう告げる不二君の目は真剣で、本人の言うとおり、私をからかうだとか、ただ単に軽い興味でとか、そんな風には見えなかった。 ……それに、と私は思う。 不二君にだったら、話してもいいかな。……いいよね。 「誰にも、言わないでね?」 「ああ。それは絶対、約束する」 うなづく不二君に、絶対だからね、と念を押して。そして私は、すう、と息を吸い込んだ。 「……私、ね。この学校に、逃げてきたの」 「逃げてきた?」 聞き返す不二君に、私はうつむきがちにうなづく。 そしてうつむいたまま、私は水筒のフタを両手で握りしめた。私ね、と再び切り出した声は、少しふるえたみたいに聞こえた。 「私……本当は、アイドルになりたかったの」 キラキラのステージの上で歌って、自分も、輝きたかったの。今にして思えば、小さな子供みたいな夢に自分で苦笑してしまう。といっても実際、小さな子供ではあったんだけど。 「だけど、お父さんが大スターだから。お母さんが大女優だから。だから私も……って、そう言われるようになって。それを周りから望まれるようになって。だけど私、その声がイヤで……そう思ってたらアイドルになりたいって気持ちも冷めちゃって……。それでそのうち、家にいたくなくなって……父さんや、母さんたちの傍にいたくなくなって……それで、逃げてきたの」 家から学校に通えば、なにかと目に留まる。だけど寮のある聖ルドルフなら、家からも、二人からも離れられる。それに、学校の敷地内ならそういう人たちも迂闊に踏み込んでこられない。私を引きこもうとするあの世界から、離れていられる。 だけど実際逃げてきてみたら、なんだか違った。 同じクラスの子にたまたま私のことを知っている子がいて、そのせいで私のことはあっという間に広まって、私はしばらく父さんや母さんの影につきあわされざるをえなかった。でも悲しいとかイヤだなっていうよりは、というよりもそんな気持ち以上に心の中に穴が開いたみたいに空しい気持ちがいっぱいで。誰かと一緒にいる時はそうでもないんだけど、一人になると気付いたらぼうっとしたまま時間だけが経ってる、なんてことがよくあった。 「なんだか毎日、気付いたら何もないまま終わってるっていうか……。とにかく、そんな感じで。でもそんな時、学園の見学に来た観月先輩に会ったの。校内の案内をしてくれないかって、たまたま声をかけられて……それで話してるうちに、マネージャーに誘われたの」 マネージャーなんてどうして初対面の私に、って。 そう聞いたら観月先輩は、自分が声をかける前に私がつまらなそうな顔をしていたから、と言った。 『折角の貴重な学園生活を、味気ないまま過ごすのは愚か者のすることです。それに、ここでこうして出会ったのもなにかの縁ですから。……もしかしたら、僕らと一緒に勝利を目指すことでなにか見えてくるものもあるかもしれませんよ』 貴方の力を、貸してくれませんか。 観月先輩はそう言って私に微笑みかけて。そうして私へ、手を差し伸べてくれた。 「私、それがうれしくって。……ここに来てからずっと、誰も私のことをちゃんと見てくれなかったから。私のことを、見ようとしてくれなかったから。だから、観月先輩が私を見つけてくれて……私の気持ちに触れてくれて、すごくうれしかったの」 私に、私の立つ場所をくれて、すごくうれしかったの。観月先輩の手を取ったあの時のことを思い出して、幸せな気持ちに浸りながら私はそう口にする。 「それで、あとは……気付いたら、観月先輩のことが大好きになってた、みたいな……そんな感じ」 「……ふうん……。……ついでに聞くけどよ、その……告白、とかしたりしねえの?」 不二君の問いかけに、私は首を横に振る。 「観月先輩は私にやさしいけど……でも、私にだけじゃないの、わかってるから。……たぶん、不二君に対してのやさしさと一緒なの、わかってるから」 「……そんなの、聞いてみなきゃわかんねえじゃん」 「ううん、見てればわかるよ。好きな人のことだもん。……でも、いいの。一緒にいられるだけで、うれしいし。毎日、幸せだから」 そう言って、私はにっこり笑って見せる。 もちろん、そうなったらもっとうれしいっていう希望はあるけれど。でも、一緒にいられるだけでうれしくて、楽しくて、毎日幸せって、その気持ちもホンモノだから。 不二君はそんな私を見て納得いっていないような顔をしていたけれど、でもそれ以上強くも言えないみたいだった。そんな不二君に向けて、それより、と私は口を開く。 「前に、不二君が聖ルドルフに来た理由、話してくれたでしょ?私、あの時【不二君ってすごいな】って思ったの」 「俺が?」 うん、と私はうなづく。 「だって、不二君と私って似たようなことになったのに、不二君は逃げたんじゃなくって、お兄さんを超えるためにここに来たんだもん。……私、自分が情けなくなるくらい感心しちゃった」 「いや、そんな……似てるかもしれねえけど、俺と桜庭じゃやっぱ全然話が違うし……」 「ううん、同じ。でも、それよりね。そんなことより私、だから不二君のこと……不二君の夢、精一杯、応援しようって決めたの」 「応援?」 「うん!って言っても、具体的に出来ることって普段部活でしてることと同じなんだけどね」 応援、なんて言ってはみたものの格好のつかないありさまに、えへへ、と私は眉を下げて笑う。不二君はと言えば困ったような顔で笑って、それから「やっぱ性にあわねえや」と口にした。意味がよく分からなくて私が思わず首をかしげると、不二君は「さっきの話だけど」と言葉を続ける。 「俺、お前と観月さんの仲、応援するよ」 「えっ?いやでも、私は……」 「けど、好きなのは事実なんだろ?もっとこう、近くにいられたらとか、そういうのとか……」 「……それは、そうだけど……」 だったら応援する、と不二君。 「俺も男だからな。されっぱなしじゃ男がすたるっつーか、やっぱナシだ。だから、応援させてくれ。……つっても俺もお前と同じで、出来ることなんか普段とあんま変わんねえけど……」 決まりが悪そうに笑った不二君は、そう言いながら頬を掻く。 そして、不意に咳払いをして改まったかと思うと、右手を私に向けて差し出した。 「応援、頼んだ。頼りにしてるぜ、桜庭。……だからお前も、いざって時は俺を頼れ。ま、あるイミ共同戦線ってヤツだ」 な、と不二君が笑いかける。 ……胸の中が、あたたかくなる。 まるであの時みたいに――観月先輩にマネージャーに誘われたあの時みたいに、幸せな気持ちになる。 その気持ちのまま、私は自分の右手を差し出した。 「……よろしくな、桜庭」 「……うん。よろしくね、不二君」 そっと添えた私の手を、不二君が握ってくれる。 それがなぜだかとてもうれしくて、そして、とても頼もしく感じた。 |