ドラマとか昔姉貴がよく読んでた少女漫画とかで、女のことを『天使』なんて言い表すやつがあって。
俺はそういうの、なんつーかムズがゆくてあんまりって感じだったんだけど。

「あの……新しい、寮生さんですか?」

俺に声をかけたそいつを見た瞬間、俺の頭に浮かんだのは『天使』っていう言葉だった。
小さくてふわふわした雰囲気がただようそいつの周りには、なんつーか光のオーラ的なものが見えたし、もっと言えば白い羽が舞ってるように見えた。

アレだ。
完全に、昔アネキの本棚で見た少女漫画にあった出会いの1Pだ。モノローグで『天使……!?』とかついてるアレだ。
いや、なんでそんなこと妙に覚えてんだよ俺は!

そんな自分のワケのわからない物覚えにはともかく、とにもかくにも俺は声も出ないまま、目の前のそいつから目を離せないでいた。
けど答えを返さない俺を見て、目の前のそいつが不思議そうに首を傾げて「どうかしましたか?」なんて聞くのをきいて。
そして、それに合わせてそいつから伝わってくるあたたかくて柔らかな空気が不安げに揺れるのを感じて、ようやく我に返った。

「あ、ああ……悪ィ。えっと、俺、今日からこの寮に入るんだ。それで、二学期からルドルフに転入で――」
「あっ!じゃあもしかして、不二裕太君ですか?」

両手をパンッと合わせて、そいつは急に目を輝かす。
自分の名前がそいつの口から出てきたことに俺がおどろきながらも頷くと、「ラケットバッグ持ってたから、もしかしたらと思って」とそいつは嬉しそうに笑った。

「私、今度テニス部マネージャーになった桜庭優花です。観月先輩から、不二君のこと聞いてたんです」
「あ、そうなんだ」
「はい!私は生え抜き組の担当なので、不二君と一緒に部活するのは週に2回だけですけれど……学年は同じ一年生同士、よろしくお願いしますね!」

そう言って目を細めて微笑むと、そいつ、もとい桜庭は俺のほうへ手を差し出した。
それを見て俺がきょとんとしていると、桜庭は心配そうに眉を下げて手を少しひっこめながら口を開く。

「あっ……すみません。握手、イヤでしたか?」
「えっ?あ、いや、全然!」

握手か!と、言われてようやく俺は気が付いた。
よかった、とホッとした様子の桜庭は、それじゃあ改めて、と再び手を差し出した。
……って言っても、試合以外で握手なんかしねえからケッコー戸惑う。
っつーか手握って大丈夫なのかこれ、ってそう思うくらいそいつの手は白くて小さく見えた。

「えっと……こっちこそ、よろしくな」
「はい。よろしくお願いします!」

それでも恐る恐る、握手を交わす。
力をこめないように握った手は見た目通り小さくて、それから柔らかくってスベスベしてて、なんつーかこう、同じ人間だけど別の種類とか、そんな感じがした。
女子ってみんなこんなもんなんだろうか。姉貴の手って、どんな感じだったっけ。
そう思っていると、上の方から窓の開く音が聞こえた。

「おや、裕太君。もう優花さんと会ったんですか」

それに続いて聞こえた声に、俺は反射的に手を引っ込める。
引っ込めてから「しまった」と思って桜庭の方を見たけど、桜庭は気にしてないとでも言うように俺に向かって笑いかけると、観月さんの方を見上げた。

「観月先輩、こんにちは!」
「ええ、こんにちは。昨日はお土産を届けてくださって、ありがとうございます。みんなで美味しくいただきましたよ。ご実家のご両親にも、改めてお礼をお伝えください」
「はい、わかりました」

実家がどうのっていうのが話にのぼるってことは、こいつも寮生なんだろうか。
と、なんだかにわかに観月さんの方が騒がしくなる。
かと思えば、観月さんの後ろから二人、見知った顔が飛び出した。

「優花ちゃん、買い物の帰りだーね?おかえりだーね!」
「お土産ありがとう。おいしかったよ」

声をかける柳沢先輩と木更津先輩に、桜庭は「ただいま戻りました」とていねいにあいさつを返す。
それから俺の方を向くと、俺を前へ押し出すように軽く背中へ手を添えた。
思わずドキッとして肩がはねた俺へ、「緊張しなくても大丈夫だよ」と小さな声で言って笑いかける。
いや、そうじゃない。多分っていうか絶対、そうじゃない。今のはそういう意味のアレじゃない。
みっともないから、言わねえけど。

「先輩、不二君が来ましたよ」
「おっ、ホントだーね!気付かなかっただーね!」
「ほんとだ。いらっしゃい、裕太。他の荷物、もう部屋に届いてるよ」

そう言いながらクスクス笑う木更津先輩も、なんだか妙にニヤニヤしている柳沢先輩も、ヒャクパー俺の存在に気付いてて無視してたクチだ。
初っ端からからかわれたことに苦笑いしながらも、とりあえずよろしくお願いします、と頭を下げる。

「さ、裕太君。部屋の片づけもあるでしょうから、そろそろ寮にお上がりなさい。優花さんも風が冷たくなってきましたから、もう寮へお戻りなさい」
「はい。では、失礼します。不二君も、また学校で」
「おう」

先輩たちに礼をしてからにっこりと俺に笑いかけた桜庭は、もう一度だけ先輩たちに一礼する。
そして先輩たちに窓から見送られながら、たぶん女子寮のある方向へと帰っていった。

対して俺は、門の中へ入って寮の扉を開いた。
玄関で靴を脱いでいると、正面の階段から先輩たちがバタバタと出迎えに降りてくる。
あいさつをしようとすると、それより先に柳沢先輩がにやにやした表情を浮かべながら肩を組んできた。

「よう、裕太!来て早々、優花ちゃんに出会えてラッキーだっただーね?」
「えっ?」
「上から見る限り、大分緊張してたみたいだったね」
「えっ!?」
「しょうがないだーね!あんな可愛い子、滅多にお目にかかれないだーね!」
「あ、あの……!?」

先輩たちにからかわれて、顔に熱が上っているのが自分で分かった。
それを見て更に(特に柳沢先輩に)からかわれていると、他の寮生たちもなんだなんだと集まってきて、次第に騒がしくなってくる。

「なに、新入生?」
「あー、こないだお前らが言ってたテニス部の奴か」
「もう桜庭に合ったのか!運いーな!」
「顔真っ赤じゃねえか。可愛い子見てのぼせたか、一年坊主!」

次々に言葉を投げられていよいよ処理しきれなくなっていると、「お静かに!」と手を叩きながら誰かが言うのが聞こえた。
いっせいにその音のほうへ目を向ければ、そこにいたのは観月さん。
まったく、と少し呆れたような顔をしながら観月さんは口を開く。

「新入生を苛めたくなる気持ちはわかりますが、彼はまだ到着したばかりですから、少し休ませてあげてください。部屋の片づけも、まだ終わっていないことですし」

そう言うと、「それもそうだーね」と柳沢先輩が俺のホールドを解く。
それと同時に、他の先輩たちも観月さんの言うことに納得して、それぞれの部屋へぞろぞろと戻っていった。
見知った顔だけになったところで、それじゃあ裕太君、と観月さんはにっこり笑う。

「君の部屋は、木更津君と同じです。今日はささやかですが君の歓迎パーティーをやりますから、午後七時には食堂に来てくださいね」

じゃあ後は頼みましたよ木更津君、と言う観月さんに、任せてよ、と木更津先輩。
部屋は違うらしいが、俺もついてくだーね、と柳沢先輩。
俺は乱れた襟を整えながら、失礼します、と観月さんに一礼した。



「大スターの二世?」

持って来た本や届いていた新しい教科書を与えられた本棚へ詰めながら、木更津先輩の言葉に聞き返す。
木更津先輩は興味深そうに俺の教科書を開きながら、そうだよ、と口を開く。

「桜庭響子と桜庭優作って知らない?」
「あ、知ってます。お袋も親父も大ファンなんで。……えっ、桜庭って」
「うん、そう。だから、その二人の一人娘」
「はあ……」

あまりに現実味のないことに、そんな反応しかできない。
だって、桜庭響子に桜庭優作っていえば芸能界でも有名な二人で、特にお袋や親父の世代なら知らない人はいない。
かたや有名劇団出身の大女優、かたや大手の芸能事務所出身の大スターで、芸能界のおしどり夫婦としても人気だ。

(……言われてみれば、似てるよう……な……?)

新情報をもとに改めて顔を思い出してみるが、よくわからない。
そもそも、まともに顔を見れていない気がする。
すんげー可愛いって確かに思ったはずなのに、不思議なもんだ。

「ま、彼女のことはさておき」

不意に木更津先輩が、それまで読んでいた教科書を閉じて俺のほうへ顔を向ける。
俺の漫画を読んでいた柳沢先輩も、顔をあげて俺のほうへ顔を向けた。

「スクール組同士、これからよろしくってことで」
「かわいがってやるから、覚悟しとけだーね!」

そう言うと二人は、拳を俺に向けて小さく突き出す。
今度はすぐに気付いて、俺も拳を作ると二人へと向ける。

「よろしくお願いします!」

こつ、と拳を三人で合わせてニッと笑みを交わす。

誰も俺を兄貴と比べない、誰も俺を知らない、新しい環境――
今日から、ここから。俺は俺のテニスで、俺の名前を全国の奴らへ覚えさせてやるんだ。


***


「あ、桜庭さんのお母さんだ」

大広間に集まってお菓子を食べていた寮のみんなが、一人の声でいっせいにテレビのほうへと顔を向ける。
画面の中のお母さんは、大きな館の女主人としてお客さんへと優雅な微笑みを向けていた。
そんなお母さんを見ながら、寮のみんなは「お土産ありがとうございます」と手を合わせる。
みんなが食べているお菓子は、お母さんが私に持たせてくれたお土産だ。

砂糖でコーティングされた焼き菓子は、寮の先輩が入れてくれたストレートの紅茶にぴったりで、夕食はしっかり食べたっていうのに何枚でもいけそうな気分だ。
もう一枚食べようかな、とお菓子の箱に手を伸ばそうとしたとき、ねえねえ、とクラスメイトの子が話しかけてくる。

「桜庭さんは、本当に芸能界とか入らないの?すごいかわいいのに、勿体ない」
「私もそう思う。あと、親子共演とか見てみたいな」
「私も見てみたい。どうせなら親子三人でドラマとかさ」

西野さんの言葉に続いて妄想を次々とふくらませ、寮のみんなは俄かににぎやかになる。
そんなみんなを前に、私は苦笑がちに笑った。

「私なんて、全然ダメですよ。演技なんて出来そうにないし、歌も踊りも全然ですし……」
「そうかしら。血は水よりも濃いっていうし、やってみたら案外出来ちゃうものかもしれないわよ」
「そうそう。それに桜庭さん、音楽の授業で歌聞いたけどうまかったよ?」
「せ、聖歌と歌手の歌は、ほら、全然違うし……」

私の言葉に「それはそうだけど……」と言いながらも、クラスメイトの子はまだ「でもやっぱり、勿体ないと思うけどなあ……」と残念そうに溜息をついて紅茶のカップに口をつける。
そんな様子を見て私がもうひとつ苦笑をうかべていると、寮母さんがやってきて早く寝るようにと私たちへ促して。
それを合図にするように、夕食後のおしゃべりの時間は解散になった。



明日は一週間の秋休みを挟んだ、久しぶりの登校日だ。
支度をしながら、私は最後に手に取ったふかふかのテニスウェアを抱きしめる。

ダークブラウンの太いラインが入った、聖ルドルフテニス部のテニスウェア。
私はマネージャーだからウェアは着なくてもいいのだけれど、「君もテニス部の一員ですから」と観月先輩が発注してくれたのだ。
それがとてもうれしくて、その時のことは今思い出しても頬がゆるんでしまう。

(今日は、観月先輩に会えてよかった。昨日は入れ違いで会えなかったもんね)

この秋休み中、観月先輩はずっと寮にいるって聞いていたから、昨日は実家からこっちに戻ってきてすぐお土産を片手に男子寮をたずねた。
でもちょうど観月先輩は出かけていて会えなくて――といっても後で携帯にわざわざ電話をくれたんだけど、それでもやっぱり会いたいなって思っていて。
もしかして会えたらうれしいなって思って買い物の帰りに男子寮の前を通ってみたんだけど、ほんとに会えて、おかげでとっても幸せな気分だ。

あの男の子にも、感謝しないと。
だってあの子が寮の前にいたおかげで、観月先輩に会えたんだから。

と、不意に携帯が着信音を鳴らす。
特別なその音にハッとして、ちょっと慌てながら机の上の携帯に手を伸ばす。

この音は、観月先輩からのメールが来た音。
ボタンを押して携帯がふるえるのをとめて、ドキドキしながら届いたメールを開く。

『明日から、どうぞよろしくお願いします。君の働きぶり、期待してますよ』

たったそれだけ。
それなのに観月先輩の微笑んでいる顔が浮かんで、思わずにやついてしまう唇を噛みしめる。

「……明日から、私もがんばらなくっちゃ」

私も明日からは、本格的に聖ルドルフテニス部の一員だ。

観月先輩が、私に与えてくれた場所。そして、私に任せてくれた場所。
観月先輩の恩に報いるためにも、観月先輩の期待に応えるためにも、明日から今までよりももっとがんばらないと。

『こちらこそ、明日からどうぞよろしくお願いいたします。精一杯、がんばります!』

変じゃないかな。大丈夫だよね。!ってつけて、うるさく思われないかな。
たったこれだけの内容を何分も考え直しながら、ああでもあんまり遅くなると観月先輩寝ちゃうかもって焦りながら。
数分かけて、おやすみなさいの言葉も添えたそれを観月先輩へとふるえる指で送信した。

送信完了の表示に胸をなでおろして、私はずっと抱えていたウェアを補助鞄の中へとしまう。
枕元の目覚まし時計をセットして、最後にもう一度だけ観月先輩からのメールを開いて。
それからようやく、幸せな気持ちであたたかな布団にもぐりこんだ。




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