「あの子?鳳君と仲良いっていう……」
「そうそう。なんか文化祭の時も、跡部様が推薦してピアノ披露したんだってさ」
「フツーの一年じゃん。そりゃ、ちょっとピアノは上手いかもしれないけどさあ」
「卒業式とかも、ピアノあの子だって」

耳にかすかにとどく、ひそひそ話。
それだけじゃない。色んな人がちらちらと私を見ているのを感じる。
それを気にしないふりをしながら、私は下駄箱から上履きを取りだした。

「おはよう。なんのお話しかしら?」
「ッ、副会長!」

不意にひびいた凛とした声に、おどろいた声があがる。
そしてそれに続いて、「おはようございます!」という声が連鎖した。
声のほうを向けば生徒会の副会長さんがいて、私を見て話していたらしい女の子へ話しかけている。
女の子たちが副会長に突然話しかけられてちょっとオロオロしているのを見ると、副会長はにっこりとほほ笑みを浮かべて口を開いた。

「あら、ごめんなさい。お話しの邪魔をしてしまったみたいね。さ、続きは教室に行って荷物を置いてからになさい」
「はっ、はい!失礼します……!」

一人がそう言って頭を下げると、他の子も続いて頭を下げ「失礼します」とその場を後にする。
それをきっかけにするように、私にさっきまでそそがれていた沢山の視線も一緒にどこかへ行ってしまった。

急に体が軽くなった気分になりながら息をつくと、ふと、副会長と視線があった。
私にもにっこりとほほ笑みかけた副会長は、かと思えば私のほうへと近づいてくる。
私はといえば、おもわず緊張して背筋をのばしたまま固まってしまった。

「あら。挨拶はないのかしら?」
「あっ!あ、あの、す、すみません!おはようございます……!」

目の前で立ち止まった副会長に言われて、私はようやくぎこちなくあいさつをする。
そんな私を見て、副会長はくすくすと笑うと「ええ、おはよう」とあいさつを返すと顔を上げるように言った。
はずかしさもあっておずおずと顔をあげると、やさしく目を細めた副会長と目が合う。

「瀬田さん、だったわね。ちゃんとお話しをするのは初めてね。会長から話は聞いているわ。どう、ピアノの練習は順調?」
「あっ、はい。あの、おかげさまで……。たまに榊先生にも、時間をとって見ていただいたりして……あの、あとは先輩たちの歌と合わせる練習を重点的に、という話になっています」
「そう、良かった。この間の合唱コンクールも、あなたのクラスの歌声とよく調和していて綺麗だったわ。あなたの演奏、私も楽しみにしているのよ」
「あ、ありがとうございます……!」

お世辞かもしれないけれどそれでもやっぱりうれしくて、お礼とともに頭を下げる。
再び顔をあげた私に、副会長は続けた。

「一年生だから、人の目も気になるでしょう。実際、みんな貴方に注目しているしね。少しでも何か思うところがあれば、言ってちょうだい。依頼側として、精一杯のサポートをさせてもらうわ」

そう言って笑顔を浮かべると、それじゃあね、と副会長は踵をかえして行ってしまう。
もう一度「ありがとうございます」と頭を下げてそれを見送った私は、息をついて胸をおさえる。

カッコいいな、って思った。
きびきびしてて、堂々としていて、親切で。
跡部先輩に指名されて一年生から副会長をやっていたって聞くけれど、それも納得できる。

(たった一年しかちがわないのに……私もしっかりしなきゃなあ)

私なんてすぐ緊張しちゃうし、あわてちゃうし、落ち着きないし……。
はあ、と大きなため息とともに肩を落としながらも、私は教室に向けてようやく歩き始めた。

ちょっと子供っぽい自分におちこんでしまう理由には、長太郎君もふくまれている。

始業式が始まってすぐ後くらいに、新人戦があった。
そこで大活躍した長太郎君は、なんと準レギュラーから正レギュラーに昇格したのだ。

私はもちろんそれを聞いて長太郎君と一緒におおよろこびしたんだけど、それと同時に周囲もおおきく変わった。

もともと長太郎君は、やさしくてカッコイイからって同じ学年の女の子から人気があった。
文化祭でウェイター姿も大好評で、おかげで長太郎君のクラスは私が店に行ったあの時だけじゃなくて、文化祭で模擬店がある二日間、ずっと大盛況で行列ができていたらしい。

そんな長太郎君に、正レギュラーにはつきものって言われてる『ファン』がつくのはあっという間だった。
いまや一年生から三年生まで、いろんな学年の女の子が正レギュラーの練習するコートの周りに集まっては、他のレギュラーのファンと一緒に長太郎君の応援をしているらしい。
私も一度だけ通りがかったことがあるけど、たしかにコートを囲む女の子たちの声の中に、長太郎君をよぶ声がまざっていた。

「なんだか【ファン】になると、みんな大胆になってくるね」っていうのは望月さんの言葉。
今まではそんなことなかったのに、今は休み時間も放課後も、長太郎君の周りや長太郎君のクラスの周りには常に長太郎君めあてのファンの女の子たちがいる。

一度は、長太郎君が私のピアノの練習成果を聞きに音楽室が来るのにまでついてきてしまった。
その時は、別にいいよっていつもの通り練習をすすめたんだけど、私の集中が切れるのを心配した長太郎君は結局、それ以降音楽室には来ていない。

長太郎君はやさしくて、押しが弱いうえに押しに弱い。
だから女の子たちに強く言えなくって、次々とやってくる女の子たちを追い返せない。
そんなだから、最近はお昼休みも水曜日の放課後も、なかなか長太郎君には会えないでいる。

変わったのは、長太郎君の周りだけじゃない。
私も、今朝の下駄箱にいたときみたいに、周りから見られるようになったし、色々言われるようになってきた。
だけど『長太郎君と仲のいい女の子』として注目される私のそれは、長太郎君とちがってあんまりいいものじゃない。

『フツーの一年じゃん』

その言葉が、ちょっとだけ胸にささる。

ピアノがちょっと出来るだけの、ふつうの一年生の私。
正レギュラーになるくらいテニスが上手い、すごい一年生の長太郎君。

女の子たちから遠巻きに、うわさ話をされる私。
そして――

「鳳くーん!」
「長太郎君、朝練おつかれさま!」
「長太郎君、これよかったら食べて!」
「あ、ああ、うん、ありがとう……」

女の子たちに囲まれて、沢山、声をかけられる長太郎君。

長太郎君が、そうされて困っているのはわかる。
でも声をかけてくれる女の子たちに、長太郎君が苦笑しながらも丁寧に対応しているのを見ていたら胸がしぼむみたいに苦しくなって、私は階段をかけあがった。

(【長太郎君】って、私だけだと思ってた)

そう思った瞬間、気持ちがくしゃくしゃになって、泣きそうなほど悲しくなる。
そんな気持ちを唇を噛んでくいとどめてから、息を深く吐いておちつけた。

――ずっと、自分だけ特別だって思ってた。
実際、長太郎君に『特別』だって言われたこともある。

でも本当はそうじゃないんだって、やっと気づいた。
だって本当に私が長太郎君にとって『特別』だったら、きっとこんな風に、あっという間に長太郎君が遠く感じたりなんてしない。
長太郎君の言う『特別』に、私、ちょっと甘えてた。

(ちゃんと、長太郎君の【特別】になりたい)

『特別』な長太郎君を見ていても、遠く感じたりなんてしない女の子になりたい。
みんなの『特別』になった長太郎君の『特別』になっても、こんな風に悲しくならない女の子になりたい。
長太郎君の『特別』なんだって、胸を張って前を向けるような女の子になりたい。

(私に出来ることを、精一杯がんばるって決めたんだ)

長太郎君は、自分の目標をもう叶えた。
それできっと、もう次の目標に向かって走り出してる。

私には、長太郎君みたいに大きな目標はない。
でもだからこそ、自分に与えられた役目に、かけてもらった期待に、全力で応えるんだ。

「おはよう、瀬田さん」
「ひゃっ!?」

よし、と意気込んでいると、不意に肩をポンと叩かれておどろいてしまう。
びっくりしながら後ろをふりむくと、私と同じようにびっくりした顔の望月さんがいた。

「ご、ごめんね、急に声かけて……大丈夫?」
「う、うん、大丈夫!ごめんね、私こそ……。おはよう、望月さん」

そう返すと、望月さんは目を瞬いて私を見る。
なんだろうと思って小首をかしげると、望月さんはちょっとだけ微笑んで「よかった」と言った。

「よかったって、なにが?」
「下で鳳君、また女の子に囲まれてたから。レギュラーになってから、ずっとそうでしょ?瀬田さんもっと元気無いかなって思ってたけど、なんだかそんなこともなさそうだったから」

言ってから望月さんは、「あ、でも私の勘違いだったらごめんね。なにかあるなら、なんでも聞くよ!」と、あわてて付けたす。
そんな望月さんに、ううん、と私は首を振った。

「がんばるって、決めたんだ。だから今は、ピアノを精一杯練習するの」
「……そっか。うん、それじゃあ、応援するね!」

笑顔を浮かべて答えると、望月さんもにっこり笑ってそう返してくれる。

女の子に囲まれている長太郎君のことを思い出すと、やっぱり悲しくなってしまう。
だけど励まされてちょっとだけ気分が軽くなったのを感じながら、私は望月さんと一緒に教室へ向かった。


***


水にぬれた顔を拭いて、息をつく。
ふとコートの方を見ると、いつものように沢山の女の子たちがフェンスの周りにあつまっているのが見えた。
それは減るどころか、一人、また一人と増えていく。

前は俺にもテニス部のその他大勢のひとりとして向けられていた声が、正レギュラーになってから明確に個人として声をかけられるようになった。
遠くから俺をみつけて女の子たちが何か話しているのも、ボールを打つたびに自分に向けて黄色い声があがるのも、休み時間のたびに囲まれるのも、ここ二週間くらいで大分慣れた。
だけど一つだけ、慣れないことがある。

(……飛鳥さん、今頃どうしてるのかな)

最近ぜんぜん、飛鳥さんとまともに顔をあわせていないし、話してもいない。
部活が休みの水曜日も、飛鳥さんに迷惑がかかったらいけないからと思って、これまでみたいに音楽室にも行っていない。
たまに朝の下駄箱でみかけることはあるけれど、いつも俺が女の子たちに囲まれてしまうせいで飛鳥さんは気付かないみたいで、俺が声をかけられないうちに行ってしまう。

メールは今でもするけれど、俺が送るばっかりで、飛鳥さんから返信以外で送られてくることはない。
そしてメールでやりとりをするたびに、飛鳥さんに会いたくてしかたがなくなる。
きっと飛鳥さんをこまらせてしまうから、そんなことは言わないけれど。

――正レギュラーになってから、飛鳥さんとの距離がまた遠くなってしまったような気がする。

変わり始めた飛鳥さんに俺も追いつかなきゃって思って、精一杯がんばった。
だから正レギュラーに指名された時は、あんなにうれしかったのに。

……今だってもちろんうれしいし、監督や先輩たちの期待に応えなきゃって思ってる。
でも心のどこかで、『こんなはずじゃなかった』って、『こんなことなら』って、そう思っている自分がいる。
まるで、胸の中に小石があるような気分だ。

(……飛鳥さんに、会いたい)

今すぐにでも音楽室にとんでいって、顔を見て、声を聴いて、そしてピアノが聴きたい。
夜空にきらめく星みたいな、風にゆれる花みたいな、そんな彼女の音が聴きたい。

そんなことを思いながら、胸の中にたまった気持ちを息と一緒に深くはきだす。

「随分デケェ溜息じゃねえの、アーン?」

突然うしろから聞こえた声に、びっくりして振り返る。
そこにいたのは跡部さんで、目を見張る俺を笑みを浮かべて見下ろしていた。

「まだ女の声に気が散ってんのか?それとも、正レギュラーの練習メニューに音を上げたか?」
「あ、いえ……大丈夫です!」
「フン、そうか。じゃあその溜息には、どうやらまた別の理由がありそうだな?」

言いながら跡部さんは、目を細めて俺を見る。
俺が少し緊張しながらも、あの、と練習に戻ることを伝えようとすると、それよりも先に跡部さんが口を開いた。

「いい機会だ、鳳。テメェに一つ、感心な奴の話をしてやるよ」
「えっ?」

唐突な跡部さんの言葉に、思わずきょとんとする。
そんな俺を気にする様子もなく、跡部さんは話し始めた。

「そいつは、歳の割にピアノが上手い奴でな。まあ今は技術的にこそ十人並みかもしれねえが、俺様はそいつの音には【心】があると思った。そして、ちゃんと育てりゃ技術もトップクラスになるってな」

――あれ?
跡部さんが話し始めて、すぐに気付く。
もしかしてと思いながら跡部さんを見る俺を、跡部さんは「いいから聞け」と目で言って続ける。

「そいつは、最初はビクビクして怖気づいてやがった。だが俺様が与えた課題を見事にこなして、かと思えばある日、俺様が山のように課題とプレッシャーをくれてやったら、怖気ることもなく【はい】って返事しやがった」

最初の頃は、跡部さんにうながされてようやく返事をしていたその子。
それがその時あまりにもアッサリと返事をしたものだから、跡部さんはおどろいたらしい。
そして不思議に思って、理由をたずねてみたんだそうだ。

「そしたら、こう言いやがった。自分の近くにいる奴が、氷帝テニス部の正レギュラーを目指している。その姿に刺激されて、自分も自分に出来ることは全力で取り組むことに決めた……ってな」
「……」

これって、もしかして。
それって、もしかして。
確信と期待で、胸がそわそわと落ち着かない気持ちになる。

「俺様の話は終わりだ。テメーも正レギュラーになったんだったら、くだらねえこと考えてねえでせいぜい励むんだな。くだらねえことで溜息ばっかついてるような奴が、正レギュラーでいられると思うなよ」
「ッ……!はい!お話、ありがとうございました!失礼します!!」

背筋を伸ばして、お腹の底から声を出しながら頭を下げる。
おう、という跡部さんの声に顔を上げると、俺は一目散にコートへと駆けて行った。

さっきまで重かった気持ちが、体が、ウソみたいに軽い。
現金だって言われるかもしれないけれど、でもしょうがない。
好きな子が『そう』だったんだってわかったら、きっと誰だってこうなるに決まってる。

「宍戸さん、失礼します!お暇でしたら、ラリーの相手をお願いしてもよろしいでしょうか!」

声を張り上げてそう声をかけると、一瞬おどろいた顔をした宍戸さんはそれでも「いいぜ」とラケットを手にコートへ入ってくれる。
向かい側のコートへ駆けて行く俺の後ろで、「新しい正レギュラーはえらい元気やなあ」と忍足先輩がからかうように笑って言うのが聞こえた。




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