君と春の雨に | ナノ

優しい声がそう読んでいた



肌寒さにパチリと目が覚めた。
一人分の布団しかない為、結局俺は部屋の片隅で丸くなって一夜を過ごした。
(怪我人から布団を奪う程、俺は無慈悲じゃ無い)
下がる瞼を擦りながら、立つのも面倒だとペタペタ四つん這いで眠る人の元に近付く。
穏やかな寝息に安堵して眠気覚ましに水でも汲んで来るかと背を向けた途端、勢いよく襟首を捕まれ後ろに引き倒された。

ガンッとしたたかに頭を打った痛みに顔をしかめる、

「誰だ、テメェは…」

降ってきた知らない声に閉じていて瞼を開けると鋭い片目で俺を見下ろす昨日の男。
コイツがやったのかと呑気に判断していたせいで、男の問いかけに答えるのも忘れたまま見上げていると近くで舌打ちの音が聞こえた。




無理に起き上がった男は俺から手を離すと脇腹を押さえて痛みに呻く。その姿に急に動くからだ、馬鹿めと思いはしたがもちろん口にする事は無くとりあえず体を支えてやってもう一度布団に横たえた。

「なんでオレを助けた?」

「落ちてたから」

「…ここはどの辺りだ?」

「さぁ…どっかの山じゃない?俺もよく知らない」

男の隣に正座して俺は真面目に答えていたが、返答が気に入らなかったのかそのまま黙り込んでしまった男の苛ついた目に思わず顔を逸らす。
そんな怖い顔したって事実なんだからしょうがない。

気まずい空気が流れていたが、不意に聞こえた男の深い溜め息に足崩していいかなとぼんやり考えてた俺は視線を感じて男へ顔を戻す。ジッと見つめる黒い瞳に思わず肩を揺らしてしまう。

「…な、何?」

「いずれにしろ、お前はオレを助けたんだ。…礼を言う。」

さっきとは打って変わり鋭い視線を緩め相手からの感謝の言葉についていけずに何度も瞬きを繰り返す。

「え、あー…はい、どういたしまして…」

警戒心剥き出しで俺を床にたたき付けた勢いはどこ行ったんだと、よく分からない相手の心境の変化に気の抜けた返事を返す。
なんだコイツと考えてたのが顔に出ていたのか目の前の男は俺の反応にさして、気分を害した様子は無い。短気に見えたけど案外心が広いのかもしれない。

「お前が得体の知れない奴なのには変わりねぇが…オレの獲物を隠しもしない温い奴に気ぃ張ってもしょうがねぇだろ」

男の言葉の意味に数秒かかってから理解する。

あぁ、なるほど。
俺が悪い奴ならご丁寧に刀を並べとかないと…そりゃあそうだよな。さりげなく間抜けみたいに言われた様な気もしなくはないけれど、もしこの男が怖い奴っだったら俺の方が危なかったんだと思って言い返すのをやめる。


「お侍さんは…なんて名前?」

初対面だから当たり前の質問をしただけなのに目の前の青い人は驚いた顔をする。
別に俺変な事聞いてないと思うんですが…

「Ah?!…オレを知らないだと?!」

「え?あ、うん。…知らないです。」

「Hm…奥州に住んでのにこのオレを知らねぇて訳か…」

それっきり何かを考えるみたいに黙ってしまった青い人。
非常識みたいな言い方されても戦国時代2ヶ月目の俺に世間事情なんて分かる訳もない。
それともこんな自信満々に言うって事は凄い有名人とか?けど俺の知ってる歴史とは違う気がするしなぁ…

けれど、すぐにおいっと声をかけられて見下ろせば愉しそうに企んだ笑顔を向けられる。

「オレは…藤次郎だ。」

意を構えて待っていた分あっさり教えられた名前が案外普通だった事に拍子抜け。
うん、そんな名前の有名人も知人も俺は知らない。驚かせやがって…
だからこれといって言う事も無いからふーんと返せば今度は肩眉を上げてクイッと顎で責っ付かれる。

「このオレに先に名乗らせてんだ…お前も名乗んのが筋だろ?」

「え?…あぁ、そうか。そうだよな俺は…」

名前は…と口を開く前に何故かズキリと頭が痛んだ。まるで思い出してはいけない物みたいにズキズキと。
俺の様子にどうしたと訝しむ藤次郎さんに何でも無いと作り笑いを向ける。

名前、
俺の名前、
俺の名前は確か…


「…名前…俺は、名前」


優しい声がそう呼んでいた。
(遠い遠い、懐かしい記憶)



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