「ナマエ」
ああ、またか。そんな思いで俺は手に持った洋書から顔を上げる。
いつの間に人の部屋に勝手に入って来たのか扉の内側にローは立っていた。ここはハートの海賊団の船の中だから別段気を張って警戒なんてする必要はないけれど、こう易々と自分のテリトリー内に他人を侵入させてしまうのは海賊として、いや人としてどうなのかと考えてしまう。
それもまぁ相手がローなら別にいいか。
床に敷いたふわふわのカーペットの上にごろりと転がりながら読書していた俺は起き上がるつもりはないのですぐに読みかけの洋書へ視線を戻した。
そんな俺の態度に気にした様子も見せずローはスタスタと歩いては人のベッドにどさりと我が物顔で座る。
「ナマエこっちに来い」
「もうちょっとだから待って」
連日の空いた時間をかけて読み続けた洋書は後数ページで終わる、文法とか言い回しが難しくて中々読み進められなかったこの強敵をやっと倒せるのだから5分程度待ってくれ、そんな思いで言った俺の願いもローは本を奪って叶えさせてもくれない。
「ちょっとロー!」
見上げる形で睨んでみれば俺の目力なんかに怯む事もなくパタンと分厚い本を閉じてあろう事か離れた所にあるソファーへ乱雑に放り投げられた。そんな暴挙に驚いた俺は慌てて上半身を起こすも伸びてきた手に腕を掴まれて強引にベッドの上に引きずり上げられる。
「あれ、高かったんですけど」
「言う事を聞かないお前が悪い」
自分のした事を棚に上げて何を言うんだこの男は、反論の言葉をぶつけるつもりもローの顔が近づき俺の耳に噛み付いたせいで声は甘ったるい物に変わってしまう。
「ナマエ」
「…分かってるよ」
低くねだる声の破壊力は凄まじい、とてもじゃないが俺には拒む意思すら砕かれてしまう。元から拒む理由もないけれど。
ベッドのサイドテーブルに付属する小さな引き出しからこの場には不釣り合いなメスを1本取り出すとそれをローへと渡す。
ローは緩やかに口角を上げて受け取ったメスを右手に持つと俺の片腕を掴み、袖をめくっては剥き出しになった俺の日に焼けていない生白い手に宛てがうと一瞬の躊躇いもなく手前に引いた。
「…っ」
白い腕に一筋の赤い線が浮かびぷくりと血の玉が浮き出てるとローは舌で舐めとっていく。浅い切り傷は何度も舐められる内にすぐに血を止めて、それを確認するとまた新たに腕へメスを走らせる。
ローは別に血が舐めたいとかじゃない
ただ切りたいだけだ。
切る行為のどこに魅力があるのかさっぱり俺には分からないが切っている時のローはとても楽しそうな顔をしている。そんな彼には医師の仕事もオペオペの実の能力もぴったりだ。
でも切られる俺はたまったものじゃない。切られれば痛いし腕に残る傷跡が気になって半袖なんて着られない。それも腕だけならいいものをローに付けられる細い傷跡は腕以外にもあちこちあって、仲間に誘われても海に入れず俺はいつも見ているだけ。
悪魔の実の能力を使ってくれと一度頼んでは見た事もある、アレだったら痛くないし跡も残んないし完璧だってね。
「俺の手でやらなきゃ意味が無い」
なんて一蹴されたらもう俺には打つ手なし。ローの性癖に俺は付き合うしかない、それが朝でも夜でもどこででも。そしてこの秘密の行為は二人だけの秘め事。
「…ローの変態」
「フッ…違いないな」
「でも、俺じゃないとダメなんだよね」
「ああ、お前だけだ」
ローは甘い囁きなんて一つもくれない。何度この身体を委ねてみても「愛してる」の言葉すらこの目つきの悪い顔のいい男は零しもしない。
だからと言ってローの気持ちが信じられないなんて考えた事もなければたった5文字の陳腐な言葉が欲しいとねだる思いもさらさない。
切りたくなるのは俺だけなんて素敵な口説き文句を言われたのはきっと世界に俺一人じゃない?例えこれが思い上がりだとしてもローが俺を求めてくれるのならその形が何だって構わない。
睦言の変わりにローはまた一筋俺に傷を残して最後に鉄味のキスをする。
(イカレているのは)
(俺かお前か)
紡ぐ言葉は全て戯れ