短編 | ナノ
街で一番大きな花屋で真っ赤な薔薇の花束を買った。

今日は恋人の誕生日でもあり俺がプロポーズをする日だ。故郷の親父の元で鍛冶修行していたけれどいつになっても俺の腕を認めてくれない親父への反発心から飛び出して数年前にこの街へやってきた。しがない鍛冶屋を営み始めてからこそ昔の俺はどうしようもない世間知らずの思いやがりだった事を知った。

上手くいかない鍛冶屋の経営や自分の未熟な腕に苦悩しどん底に落ちていた俺を救い献身的に支え続けてくれたのがこの街で出会えた彼女だ。

彼女にはいつも迷惑をかけてばかりだったけれどようやく軌道に乗ってこの仕事で食べさせて行ける、彼女の好きな赤い薔薇を持ってプロポーズ出来る日を何よりも心待ちしていた。


花屋の奥さんからの声援を受けながら俺は照れくさい気持ちで店を出た。
少し小高い丘に位置する店からは海に面した見慣れた街が変わらずにある。
そう思っていた。けれど街には異変が起きていた。
煙が登り人の悲鳴が風に乗って微かに耳に届く、何が起きているんだ?グッと目を凝らして見つめた街の向こうの海にはドクロを掲げた黒い旗。この平和な街に海賊がやってきた。

「……エリーゼっ!!」

今日彼女と初めて出会った街の喫茶店で俺を待っていてくれている。ひどい胸騒ぎに俺は街へと駆けていた。逃げる人混みの流れに何度も足を取られながらも走る。逆走する俺を引き止める人もいたけれど構ってなんか入られない。

「どうして急に海賊がッ…」

「酒場に居た海賊をごろつきが怒らせたらしいっ…」

「なんて事をしてくれたんだ!」

喧騒に混じって聞こえるのは嘆き怒り不安の声。
俺の頭の中には彼女の事しかなかった。だからどこの海賊が来たのかなんて知る気も余裕もなかった。

人混みが疎らになった大通りの道の物陰から出てきた誰かにぶつかった。よろけた身体を片足で踏み止めて後ろに倒れずに済んだが鼻先を強かに打ち付けて痛みに顔をしかめる。港の方から逃げてきた村人かと目の前に立つ相手の顔を見上げて息を飲んだ。
がっしりとした体格に燃える様な赤い髪と射殺さんばかりの鋭い目。ただ目の前に立つだけで男の威圧感がヒリヒリと肌伝わって感じる。

こいつが誰なのかすぐに分かった。酒場の壁に無造作に張られた賞金首、ユースタス・キャプテン・キッド
こんな田舎の街にどうしてこんな大物がいるのか
そんな疑問を口にする勇気なんて俺には無い、逃げなければと本能が訴えかけてくる。

でもここから逃げたら彼女の元へ行けない。
きつく握り締めたままのこの場には相応しく無い真っ赤な薔薇がかさりと音を立てた。ジリジリと後ろへ下がっていた足を止めて、俺は目の前の男の隣を通り抜けるつもりだった。

「待て」

しかし横から伸びて来た腕が俺のいく手を阻み乱暴に顎を掴む。まるで品定めするかのような視線。離せと首を振っても男の手はビクともしない

「何もねぇ島かと思っていたがコイツを貰って行くか、なぁキラー」

「キッドの好きしろ」

いつの間にか海賊の後ろに控えた仮面の男が淡々とした言葉で応えている。
こいつらが何を言っているのか分からない、貰って行く?
男の言葉が理解出来なくて抗って逸らしていた視線を向ければ凶悪な顔を綺麗な笑みで歪めている。

「いっ…やだ…!」

背筋を這うのは純粋な恐怖。
コイツに捕まれば俺はもう二度と逃げる事が出来ない、そんな気がする。
力いっぱいに手足を振り乱し暴れる俺からようやく男は手を離す。震える足を必死に動かし男から距離を取った。

俺は彼女の元へ行かなければ。振り乱された薔薇の花束はボロボロに崩れていたけれど今もなお大輪の美しさを損なう事もなく咲いている、薔薇の向こうに彼女の面影が見えた。会いたいその想いに動かされじっと俺を見つめる男を睨みつけて俺はその場を走り出す。

「キッド」

「待てキラー…あれ位ぇの生きがありゃ楽しめるってもんだろう」

海賊の会話なんか耳に入れる気は無い、この角を曲がれば彼女に会える。
けれど俺の期待を打ち砕くかの様に響いたのは1発の銃声。的確に俺の足を打ち抜き激痛のあまり惨めに地面へ倒れた。

「手間かけさせんな」

固い靴が耳元でザリっと地面を踏みしめる、靴から辿り見上げた先には硝煙の名残を残すマスケット銃を持ったキャプテン・キッド。楽しげな口調で降ってきた言葉に怒りで顔が歪む。襟元の服を掴まれ乱暴に男の腕へ担ぎ上げられた。

「死ん、じまえ…クソ野郎ッ…」

「てめぇがやってみろ」

痛みに悔しさに俺の頬には見せたくもない涙が伝い、俺を力でねじ伏せた男はまるで恋人に触れるかの様に目尻に溜まった涙を空いた片手で拭った。
だから俺は手放す事も出来ない握り締めた薔薇の花束で男の顔を叩いてやる。
けれど薔薇の刺ですら満足そうに笑う男に傷を付ける事も出来ない。



(そしてアンタが笑うとき、俺が壊れる音がする)



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