Hello,New World


私と傑さまのあの3年前の出会いは、運命だったのだと思う。


当時会社勤めをしていた私の、隣の席の先輩は変人で有名だった。最近眠れないとか肩が重いとか立ち話していると、いつの間にかそばに寄って来て「あなた呪われてるのよ」と囁き去っていく。社内のみんなが彼女の事を気味悪がったし、近寄りたがらなかった。

ただ、私だけは彼女の味方だった。何故なら、本当に彼らは呪われていたから。
最近眠れない課長には、目玉がぎょろぎょろの呪霊がへばりついているし、肩が重いあの子の肩にはミミズみたいな呪霊が巻きついている。
もしかして先輩も見えているのか?初めてこの“見える苦悩”を分かち合える人に出会ったかも、と心底嬉しくなって、熱心にスマホを眺めながらコンビニのパスタをぐるぐるとフォークに巻き付けているすぐ隣の先輩に「あの」と声をかける。肩をぴくりと動かした先輩が、イヤホンを外して睨むようにこちらを見た。


「あの、先輩も見える人ですか」
「えっ……!アナタって、もしかして見える人?!」
「ちょ、声大きいです」
「あのね、私は見えないんだけどね!すごい方がいるのよ。前に体調不良で悩んでた時にその方に祓っていただいて、すっかり良くなったの!」
「はぁ、そうなんですね」

これは藪蛇だったかもしれない。話が変な方向に進みそうだ。

「この方なんだけど!夏油様っていうのよ。本当にすごい方なの!」
「へぇ」

熱心に見ていたのは、どうやらその説法の動画らしい。ずいと鼻息荒く差し出されたスマホには、ニコニコと笑う、袈裟姿で長髪の偉丈夫が画面いっぱいに映し出されていた。
あら、良い男。と思ってしまったが運の尽きか。
好奇心旺盛な私はそのまま、先輩の熱量と良い男に誘われて、あれよあれよと土曜日に開かれる夏油様とやらの説法に参加することになってしまったのだった。






「さて、皆さんお揃いですかね」

だだっ広い広間に入ってきた実物の夏油様は、それはそれは良い男だった。信心以前に、見た目に釣られてる奴らも沢山いそうだ。そして信心なんてものが元々全くない私もそのクチで、始めから終わりまでずーっと、彼の顔や腕から目が離せなかった。


「では、スギタさん。前へ」
「あ、杉山です」
「いいえ。アナタは今日からスギタさんです」

何だそりゃ。笑いそうになるのを堪えながら杉山さん、もといスギタさんを見ると、平べったいナメクジみたいな呪霊が彼女の身体にべったりと張り付いている。あまりの気持ち悪さに「うわ」と声が漏れ、思わず顔を顰めると、こちらをチラリと見た夏油様と目があったような気がした。

次の瞬間、驚くべきことが起きた。夏油様はいとも簡単にその呪霊を黒い玉にして、ゴソゴソと袈裟の袂に仕舞い込んだのだ。
空いた口が塞がらない。隣の先輩を始めとした信者の皆さんはポーッとした顔で夏油様を見つめている中で、私だけが一人アホのような顔をしていたと思う。


帰り際にスラリとした綺麗な女性に肩を叩かれ、「夏油様からお話があるそうなのでこのままお待ちください」と言われた時の隣の先輩の顔は、さっきまでのポーッとした顔とは別人みたいに恐ろしくて、先輩が広間を出て行くまでずっと背中にちりちりと焼けるような視線が注がれているのがわかった。



「ああ、ありがとう。もう下がってくれて構わないよ」
「はい。また後程」

夏油様の秘書なのだろう、例のスラリとした女性にも去り際に恐ろしいまでの牽制の視線を投げられた。まあ菅田さんは3年経った今でも恐ろしいのだけれど。

「や、こんにちは。なまえさん、でいい?」
「あ、はい。あの、なぜわたしが?」
「君が一番よく分かってるんじゃないかな」
「……ナメクジが黒い玉になりました」
「呪霊操術といってね。取り込んで自由に操れるんだ」
「えっ、すっご!眉唾だったけど来てよかったです」
「光栄だね。なまえさんの術式は?」
「術式?……小さい怪我なら治せますけど、それのことですか?」
「反転術式の類かな。いいね」
「反転術式?」

私の質問には一切答えない夏油様が、妖しい微笑みを湛えながらズイと身体を寄せてくる。袈裟からはふわりとお香のような良い香りがして、ごく自然に握られた手は大きくて少し乾燥していた。両手がすっぽりとそれに包まれると、妙な高揚感が私の脈拍を早める。顔を出し始めた好奇心を抑えきれずに彼の顔を見上げると、妖艶な微笑みを浮かべた夏油様が、その綺麗な唇をゆっくりと開いた。

「ね、なまえ。私の家族にならないかい?君が必要なんだ」
「えっ。はい」
「……私から誘っておいて何だけど、随分と即決だね」

こんな綺麗な人にこんなお誘いをされて、嫌です!なんて言えるヤツがいるか。考えさせてください、ですら言わせない程の魔力だというのに。
私の即答にぱちくりと目を瞬かせた後、はははと屈託なく大きく笑った夏油様を見て、これが彼の本当の笑顔かな、とぼんやり思ったと同時に「私は彼のためなら何でも出来ちゃうな」とも、思ったのだった。






「傑さま、大好き」
「うん、ありがとう」
「ありがとうじゃなくて、結婚してください」
「なまえはいつも積極的だな」
「だって傑さま、いつもはぐらかすから」
「うん。君の拗ねてる顔が見たくてね」

こちらを向いた傑さまが、長い人差し指を自分の顎に添えた。私がその一挙一動に照れて慌てふためくのを分かっていて、わざとこういう事をして見せるのだ。

「……うっ……やられた」
「フフッ、もっと頑張って」
「頑張るから、ご褒美ください」
「例えば何?」
「傑さまとゲームしたり映画観たりパフェ食べに行きたいです!」
「なまえは本当に甘い物が好きだね」
「好きです!傑さまの次に」

彼を慕う心が、私の視線と声に多分すぎるほど含まれているのが自分でも分かる。
だって大好きなのだ、この美しい男が。飄々とした笑みに隠されている、稀に見え隠れするその苦悩の深い影が、私の庇護欲と好奇心を掻き立ててやまない。
「考えておくよ」と言った傑さまの優しい声色は、拒絶ではないことが読み取れてつい笑みがこぼれてしまう。

「ふふ、やったー!傑さまとパフェ!」

両手を天に突き上げて叫んだ私を、また傑さまが懐かしそうに見つめた。私を見る彼は、たまにこういう顔をする。最初は何処となく壁を作っていた傑さまも、3年経った今ではだいぶ心を許してくれているのを感じている。

冬に差し掛かった15時過ぎの柔らかい日差しが差し込む外廊下には、鳥の鳴き声がうるさいくらいに響いていた。その日差しが傑さまの大きな身体によって翳って、私の目の前には、あっという間に彼の美しい微笑みがいっぱいに広がる。
ふわ、と初めて会った日と同じお香の香りが、10センチほどの距離を経て私の鼻腔をくすぐった。そのままどんどん傑さまとの距離が縮まると、心臓が出てきそうなくらいに自分の鼓動が大きく聴こえる。


「なまえを見ていると、心が穏やかになってしまって困るよ」
「……困りますか?良いことなのでは?」
「なまえ、パフェよりも先に映画を観ようか。私の部屋で」
「え、す、傑さま、ちょっと」
「あれ。いつもの勢いはどうしたの」
「……ぅ、あの……」
「……冗談さ。君は可愛らしいね」

ケラケラと笑って身を離した傑さまが離れぎわ、私の髪を一房つまんでサラリと風に流した。傑さまの綺麗な髪もそれと同じ風にサラリと流されて、それを指先で抑えた傑さまは柔らかい日差しを避けるためだろうか、眩しそうにそっと手のひらを顔に添えた。


「傑さま、綺麗」
「……そうでもないんだけどね」
「ううん。わたしにとっては世界一、いや宇宙一綺麗です」
「フフッ、ありがとう」


ああ。私は彼のためなら何でも出来ちゃうな。
3年前のあの日に芽生えたこの気持ちは、消えるどころかどんどん成長していく。

こんなに綺麗な傑さまの望む世界なら、きっととんでもなく綺麗に違いないのだ。私は呪霊とか呪術師とかそういうのはよく分からないけど、傑さまが幸せで、本当の顔で笑える世界ならそれが一番いい。
きっと他の家族たちも同じ想いなのだろう。


「傑さま、“百鬼夜行”って可愛くないですよ」
「そう?シンプルで分かりやすいだろ」
「せっかくのクリスマスイブだし、“ナイトメアー・ビフォア・クリスマス”とかにしません?」
「ああ、あの映画良いよね。私わりと好きだな」
「へえ、意外。傑さまかわいいです」

来たる12月24日まで、あと1ヶ月。傑さまの望む世界が、いよいよ実現する。
想像しては高なる鼓動に釣られて口角を持ち上げると、眩しそうな顔のままこちらを眺めていた傑さまが普段よりもっと甘く優しい声で「なまえ」と私を呼んだ。

「百鬼夜行が終わったら、ゲームして映画観ようか」
「えっ!じゃあパフェはわたしが作ります」
「私も手伝うよ」
「2人でですか?それ、おうちデートってやつですか?!」
「そうだね。デートってやつかな」
「……冗談ですか?」
「……どうだろうね?」
「ダメです、いま言質取りました。デートですよね。絶対ですよ、約束!!」

今日が私の人生一幸せな日かもしれない、その勢いのまま傑さまの小指を掬い上げて、約束の気持ちを込めてぎゅっと結んだ。そのままブンブンと左右に振って、傑さまを引っ張って踊ってみると、私を見つめる傑さまが呆れたように笑い始める。

「ふっ、あっはは、なまえは本当に」
「すみません!でも嬉しくて!!」
「うん。君は、ずっとそのままでいて」


私の適当なダンスに振り回されながらも、切長の目が無くなっちゃったかと思うくらいに顔をくしゃくしゃにして多分本当の顔で笑っていた傑さまは、やっぱり宇宙一綺麗だった。





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