音駒人狼・序(十一)

頬を持たれる。
肌をさらりと滑る。
唇が熱い。
今自分がなにをされているのか、信じられなくて声を出そうとして口を動かして、そうすると余計に感触があらわになった。黒尾は瞼を閉じていて、あの時の光景がダブる。でも今唇を合わせているのは、今の黒尾で今の私だ。顔が熱い。どうしたらいいのかわからなくて、空いた手を彼の手に重ねた。そうすると彼の指先がわずかに反応して、唇が強く押し付けられた。勢いのまま少し後ろに下がりかけたら、それを彼の手が阻んで。
私たちはキスをしていた。
長くて、重ねるだけのキスだった。
荒々しくされたわけでも、濃厚なそれをされたわけでもないのに、そっと唇が離れたときには息が乱れていた。
乱れた呼吸と鼓動を身体が整える中、顔が見える程度に離れた黒尾が再び口を開く。
「みょうじがキスしたのはさ」
「…………」
「俺の寝顔に見惚れたからだろ」
「…………え?」
「そんで、ウソをついたのは、俺の顔が怖かったから」
「黒尾」
「いまだに言われますしね。黙ってると怖ェって。こーんなイケメンハンサムつかまえて、ヒドい話ですよ。ねえ?」
「…………???」
急に明るい調子で話し出した黒尾に戸惑いつつ、話を振られてはその内容を理解してボッと頬が焼けた。ええ、それを聞くの。私に?
「黒尾は……かっこいいけど、イケメンハンサムかって聞かれると……」
「ゴメンナサイもういいです」
「その申し訳なさそうな顔が逆にクるのよ」うなだれてしまった。どうしよう。
「わ、私は黒尾が一番好きだよ」
慌てて出した言葉は自分の耳を通ると主旨からややズレているとわかってさらに慌てた。
補足するために「黒尾の顔も好きだよ」と付け足すが、なにやら墓穴を掘ったような気もする。自分でなにを言っているのかわからなくなってきたところで黒尾が噴き出して顔を上げた。
「知ってる」
黒尾は笑っていた。
とても晴れやかに、あどけなく。しなやかに。
その姿に見とれているうちに、黒尾は緩やかに話し出した。
「俺はさ。将来やりたいことはもうずっと決まってて、でもどうしたらそれが叶えられるのかが、まだあの頃はわかってなかった。プロになることが夢だったなら、もっと単純だったかもしれねえけど」
今の道がハッキリ拓けたのは大学でだと告げる。黒尾は都内の大学に進学してバレーボールを続けていた。その頃の黒尾とは数えるほどしか会っていない。会える理由もほとんどなかった。
「思いっきりやりたかったんだ。全国制覇したかった。……監督の、念願も叶えたかった。研磨のことも」
「……思いっきり、できた?」
「おかげさまで」
「うん。観てるの好きだった」
肩にあった手のひらが、するすると降りてきては指先を握る。指の腹で、なにも施していない爪をなぞる彼はなにを考えているのだろう。わかんない。わかんないけど。
「バレバレのウソに乗っかったのは、俺の都合だよ。俺だって自分のことしか考えてなかった。あのことだって、俺を好きでいてくれてるのがわかってて、わざわざ釘を刺したんだ。ひでえ奴だよ」
そんなことを言わないでほしい。
誰よりもやさしいひとが、どうか自分のことをそんな風に責めないでほしい。
「ひどくないよ。私が悪かったんだよ……」
「俺だって忘れてないよ。ソレ言った時のお前の顔」
静かな声だった。
「ごめんな。みょうじだって、しんどかっただろ」
「…………わかんないよ」
「好きだよ。俺も、ずっとお前が好きだった」
唇を噛んだ。
「お前がいないと淋しいよ」
そう言って笑う黒尾に、またたまらない気持ちになってしがみつく。
今度は悲鳴を上げられることもなく、どころか笑い声とともに受け止められた。
ぎゅーっと大きな図体に腕を回して黒尾の体温を求める。拒まれることもなく、ただ胸板にこすりつけた頬は持ち上げられて、再び迫る黒尾の顔に瞼を閉じた。
味わうように、何度も何度も重ねては離してまた合わせた。
隙間を埋めるようなキスを繰り返す。
酸素を求めて開いた口からぬるりと入り込んだものが咥内をさぐるようにあちこちへ這う。ぞわぞわと走る感覚と、黒尾の舌の動きを追って神経がピリピリと研がれる。一方で脳みそはぐずぐずに融ける心地で口づけに浸った。
「はあ…………」ようやっと解放された口から、へろへろになった声がこぼれた。
最後にチュッと恥ずかしい音を立てて離れた黒尾がいやらしい顔で笑っている。私の唇に指を沈め、感触をたしかめるようにグニグニと押すので、閉じられない口から何度も息が漏れる。
「ん。く、くろお」
「もっかいしていい?」
「え――――あっ」
ぐりんっと目の前が回る。支えられていた腕に倒され、転がされて瞬きをする間に黒尾がのしかかった。
「足りない」
脚が太腿の間に差し込まれて、すりすりとなぞり上げる。あからさまな行為にかあっと身体が燃える。加えて今、どうしようもない昂ぶりを感じている。足りないのは私の方だ。首に腕を回して引き倒す。目を見開いた黒尾はそれでも床についた手を動かすことはない。すごい安定感。
顔だけ倒れてきた黒尾の唇を奪う。
つんつんと唇をつつくとそこは開かれて、私はありがたく舌を潜らせた。受け入れてもらえた幸福感がじわじわとせり上がる。頭を支えて、むしろ離さないとでも言うみたいに黒尾の広い手のひらが髪をくしゃりと乱した。
舌を絡ませ、吸い合わせて、互いの味を貪り合う。
黒尾が私を好きだと言った。
淋しいって。
ねえそれって、おんなじ気持ちだね?
涙が浮かぶ。
いやらしく絡む脚をぎゅうと挟み込んだら眉を寄せて見下ろしてくる。
全然こわくなかった。
頭から手を引いて、頬を伝って首へ降りた手が指先でシャツの襟ぐりを引っかける。何回か遊ぶように、ねだるみたいにそれをして首に頭を突っ込んでくる。唇が触れ、舌が肌をなぞる。今日はじめて強く吸われて身体が跳ねた。黒尾の体重が乗っかって少し苦しい。生地の限界まで伸ばされてひらけた胸元を覗かれていたが、やがて手が、からだのかたちを確かめるように膨らみを包んだ。ゆっくりと手を動かして、感触が楽しいのか夢中でしばらく揉みしだく。じいと自分の手元を眺める黒尾がなぜだか幼く見えた。なんでだろうね。私は今、この男に喰われようとしているのに。
シャツの裾へ手が伸びた。まくられてお腹がさらされる。指先からそろそろと中へ伸びて下着の上からまたさわられる。と思ったら、すぐにシャツがめいっぱいにまくり上げられる。わ、と驚いてそれを下ろそうと布地を掴む。ただその前にあらわになった下着までずり上げられ、隠すどころか勢いで弾んだ胸部が眼前にさらされてしまった。
押し寄せる羞恥心に思わず目を瞑る。
――こうなるのはわかるけど、わかるけど、恥ずかしすぎる……!
真っ暗な中、片方の胸を掴まれる。力はほとんど入っておらず、やわやわとやさしく揉まれているらしい。やさしいというか、もどかしいというか、いややっぱりやさしいで、とか考えているうちにツンッと突かれて悲鳴が漏れた。視界を覆った腕を掴まれて上げられる。天井をバックに黒尾が覗いている。息を弾ませ、頬は赤い。唇は弧を描いて眼球は潤んでいた。上気する肌。
好きな男の発情した顔――それを真正面から見てしまう。
「お前はホント、突然だね」
唐突に黒尾がこぼす。
呆れたような、急に私の短所の話かと思ったが、その顔があまりにも笑顔だからそのとおりではないらしい。瞬きをする間に「今日、どうにかするつもりはなかったのに」そう続く。言いながら、今度は指の腹で撫でるから私は言葉を返せない。
「みょうじがずーっと構えるから」耳に口づけられる。
「んっ」
「もう怒ってなさそうだな〜って思ってもらいたくて、気ぃ弛めてほしくて色々仕掛けたのに」
「…………っ」
「全然気づいてくれねぇし」
わらいながら肌を吸う。
「倍返ししてくるし。また色々すっ飛ばそうとするし。ビビるし。俺のこと大好きなくせに」
「……くろ」
「かわいーね。ほんと」
私を見つめる。
目じりを下げ、頬を弛ませた黒尾は私だけを見つめていた。
とろとろのまなざしが私の肌を融かしてしまう。
私だけに触れている。
視線が絡んで、キスをする。
私たちは何度も互いをついばんだ。

「なあ、映画どうする?」
まどろみの中、とろとろになった意識に落ちてきたやわらかい声。
黒尾の素肌に頬をつけていたのをわずかに動かして彼の顔を見上げる。同様にうとうとしているらしい黒尾が撫でてくる。ひとつの布団にくるまって同じ温度を共有する私たちは、本日の目的をすでに見失っていた。いや、すでに昨日だろうか。時間を確認する体力もない。
「明日とか、また今度にするという手もあるよ」
そう言って、頬に唇を寄せる彼。
年甲斐もなく泣きじゃくっていた時に言われた言葉。その時は一も二もなく跳ねのけたはずの提案だったが、いま言われると。
「……あしたにする」
「だよな。さすがに俺もね」
みなまで言うまいが。と言わんばかりの言い方にまた熱が少しうずく。裸でくっついて、このまま眠りに落ちんとする直前までの情景が一瞬よぎって身震いをした。ん、寒い?と黒尾がさらに身体を傾ける。汗が乾きさらさらになった肌がこすれて吐息をもらすと、黒尾は嬉しそうに笑った。
「明日はー、シャワー浴びて、メシ食いに行って、そのまま武蔵小山行ってー」
ひとつ挙げる間にも口づけを、あちこちに降らせてくるから余韻が冷めなくて困る。あんなにも男くさい顔をしていたひとは、遠足が待ち遠しい子どもみたいに声を弾ませて幼い表情だ。乾ききる前に汗で濡れた髪の毛を撫でる。ぎゅうと巻きつく腕に力がこもった。
「かわいい」
「……カッコいいの間違いでは?」
「ふふ」
「言わせてやろうか」太腿に触れてくる手の甲をつねった。
「もうムリなんんじゃなかったの?」
「そんなこと言ってませんけどぉ」
「はいはい。もう寝ましょうね」
「赤ちゃん扱いやめてくだちゃい〜」
「ちょっと、それウケるんだけど」
「なんだよ、可愛がるならちゃんと可愛がれよ」
ホラ可愛がれ〜。頬でぐりぐりと寄ってくる黒尾がかわいらしくて余計に笑う。
「カッコよくもなったよ」
「へえ?」口を尖らせたままの黒尾。
「ほんとだってば。見るたびにカッコよくなるから、いつも大変だったよ」
元々大人っぽい雰囲気をもっていた黒尾。年齢を重ねて身体もさらにたくましくなって、服装も変わって。よりスマートに頼れる存在になって。長時間見つめると頬染めてしまうような色気も増して、彼はさらにあやうい存在になった。今回みたいに手も足も口も出されたら、こっちはもうお手上げ状態だ。平然を装うことに心血注ぐし、並んだ時対抗できるように、身なりにもかなり気を配る。同じ都内で生活して、彼の職場と微妙に近い生活圏ではいつ出くわすかもしれないと思えばなおのことだ。実家に帰るにしてもそうだし。人知れずな、涙ぐましい努力をしているのだ。こっちは。
「……みょうじサンは積極性が増しましたよね」
「えっ?」ちょっと拗ねたポーズはもういいのだろうか。変化の話の矛先が突然自分に向いて声を上げる。ポツッと雨粒のようにこぼすので、言葉に妙な真実味が加わるが、意味的にはいまいちピンとこない。
「あと甘え上手になった」さらに付け加えられた単語に目をいた。
甘え上手?私が???
「そうかな……えっそうかな!?そんなはずはないんだけど……」
「みょうじはずっと罪悪感でヒタヒタだったんだろうから、大人しくしてきたつもりかもしれないけど……昨日今日で結構やられてますよ、俺は」
「……そうだとしても、それは黒尾が甘やかすからでは……?」むしろ黒尾が甘やかし上手だ。これはたぶん間違いなく孤爪くんの面倒を見まくってきたからだと思うが。
「いやー?だって毎回予想超えてくるし。コッチはそのせいで、イベントが終わるまで保ちませんでした〜」
「それはとんだご迷惑を……ちょっと待って。じゃあスペシャルマッチが終わるまで、あの感じでいくつもりだったの?」
「まあそう」さらっと恐ろしいことを言うな……。
「それ、どんなテンションで泊まろうとしてたの」
「いやあ。ひとえに鉄朗クンの鋼鉄の自制心で?」
「……友達が使う布団で寝てほしくなかったから、黒尾は私のベッドで寝てもらおうと思ってたけど」
「……超えてくるねえ!俺の!予想を!」
「ベッドに乗る時、俺相当勇気出したよ!?」わっと騒ぐ口に慌てて手を当てる。夜はお静かに。即座に口を閉じた黒尾が顔を動かして手を自分の頬を包むようにさせる。若干トーンダウンしつつも動揺を隠せないといったオーバーな表情を浮かべる。
「なんてこった。どっちを選んでも崩壊する運命だったのか。鉄朗クンは」
「鋼鉄ってそんなことで崩壊すんの?」
指摘すると、今度は私が黙らされた。
「ドキドキしちゃうんです。好きだからね」
今度絶対俺のベッドに転がしてやる。
不吉な一言まで添えられてしまった。
「まあ、そんなワケでさ」静かに黒尾が言う。
「変わってないなーって思ってても、自分じゃ気づかないうちにどっか変わってるもんだよ」
目に見えるところだけじゃなくてね。穏やかに私を見つめる。やさしい光を灯している。やわらかい、彼のこの表情。ゆるくほどけたこの空気。
「それに『ちょっとは変わってるだろ』って思ってても変わらないトコとか」
あどけない顔で彼はわらった。
「いやあ、めんどくさいねえ」

疲労は癒えたが名残のある、そんな身体を引きずり浴室へ雪崩れる。照明をつけずとも窓から白い光が射し込むので浴室はぼんやりと明るく、さほど頭の回らないいまスイッチをつけずに入ってしまったと水栓をひねってから気づいた。さあさあと弱く降り注ぐ、水滴が温度をもち始める。そこに首を突っ込んで、少し目を瞑った。
――なんだか、すごい夜になってしまった。
一気にあれこれと暴かれたし、黒尾のことも色々知ってしまった。知ってよかったのそんなとこまで、というところまで明らかになった翌朝とはこんな気分になるものなのか。
濡れて頬にかかった髪をかき上げる。 ふう、と息を吐く。
順番が逆になってしまったがブラシを軽く通してからシャンプーを泡立てた。
トリートメントまで終えて昨夜グチャグチャに乱れた髪を存分にいたわってやると、いつもの感覚が戻ったような気がする。水分をたっぷりと含んで垂れ下がるままのそれを上にあげてまとめてからボディタオルを濡らす。
ボディソープへ手を伸ばしたところで、チープな折れ戸がガチャッと音を立てる。
冷たい空気が入り込む。
――――えっ?
半身で振り返ると、巨こ……巨人が立っていた。
思わず向けていた目線を上げる。
「どこ見てるんですかぁ〜?」
「黒尾にだけは言われたくないんだけどっ、なに入ってきてんの!?」
「シャワーイイナ〜って思って?」
「あとにしてよ、出てっ」
「まあまあまあ」にやけた顔の男が腰を抱く。
「仲良く一緒に入りましょうよ」
低く囁かれ、ぞくりと這い上がる名残で動きが止まった。その間にボディタオルを抜き取り、私ごと椅子に腰かけた黒尾は朝からあくどい笑みを浮かべていた。うわ。安定した乗り心地すぎて抵抗できなかった。
「ちょっと、本気?」
「なまえチャンのことはボクが洗ってあげよう」
優しい彼氏ですからね。のんびりととんでもないことを言いながらシャワーを低い位置につけ直す。
「け、結構です」
「鉄朗クンのことも優しく洗ってネ」
ハートマークでも付きそうな調子で要望を上乗せする黒尾。器用にも腰に回した先で手元も見ずにボディソープをくしゅくしゅとなじませている。上に乗っかったまま身をよじってみたが「いい眺めですね」と謎に喜ばせただけで徒労に終わる。しかも下に触れる『鉄朗クン』の感覚が伝わってくるから、恥ずかしいし本当にちょっとこれは心の準備ができていないけど、覚悟(観念)が必要なようだ。
信じらんない。付き合って一日も経ってない彼女の入浴に普通乱入する?
とは思えど、目前の男のうれしそうなこと。
「…………」
「ハーイお首からいきますね〜」
――この男がいいのは私。
――この男でなければならないのは私。
自分に言い聞かせながら、その図体に縋りつくのだった。

ほかほかと温い前髪をピンで留める。
入浴後、直接外出着へ着替えて家を出る支度に入ると黒尾はようやく私から離れてくれた。嬉々として私が着用する本日の下着を選んでいたのがのように、今は粛々と寝具一式からシーツを剥がしてくれている。マットレスから剥がす作業は地味に疲れるからありがたい。私はその間にメイクをして髪型を整えた。アイロンのスイッチを切る前、今度はカップ類を洗ってくれている黒尾に声をかける。
「ねえ。トサカ今日はどうするの?」
「アクセサリーみたいに言うよね」
彼の独特すぎる髪型は妙ちくりんな寝相によってできるものらしいのだが、昨夜は私を抱きしめて眠った上に先ほどシャワーを浴びている。水気を拭うだけでは風邪をひくから、ドライヤーで乾かしてあげはしたが、今の黒尾はただのサラサラストレート野郎だ。
「トサカ作ってあげようか?」
「え〜なまえチャンに作れますぅ?俺のトレードマーク」
多分、と返して手を拭いて近づいてくる黒尾の前髪に触れる。
コシがある艶やかな黒髪だ。
変なクセもうねりもない直毛だけど、その分一晩中わけのわからない圧力をかけられるとその通りに固定されてしまうんだろうなとあわれに思う。バスケットからバームを取り出した。アイロンを握り直す。
「しばらくこのままキープね」
記憶を頼りにブロッキングして髪をさわる私をよそに、黒尾は「なまえチャンのおムネに挟まって寝たらいいのでは……!?」なんてふざけたことを思いついている。世紀の大発見みたいに言われましても。
ぞんざいにやりとりを続けながら部分ごとにアイロンを通して即席でクセづける。そのあとにバームをなじませた手のひらで髪全体をさっと整えれば、普段のトサカにかなり近い(と思われる)準トサカの完成だ。
「スゲェ……本当にできた!」
「やってみるもんだよね」
「お宅美容師では???」鏡を見て大げさにはしゃぐ黒尾を尻目に片付けに入る。アイロンはしばらく冷まさないといけないからそれ以外を元の場所へしまう。部屋が狭いので、出しっぱなしにしているとすぐに散らかって見えるのだ。
立ち上がって最後の身支度、アクセサリーを物色しにサイドボードへ向かう。最初にピアスをつけて、それからハンガーラックそばにある全身鏡のほうを見てつけどころを物色する。
今日は機材を扱うから、他につけてネックレスぐらいかな。動きやすいように組んだパンツコーデ。足元はスニーカーを合わせる予定で、全体を考えるとややカジュアルすぎる気がするからスネークネックレスにしておこう。
金具を外して首の裏に回す。
慣れと勘の手探りで装着しようとしたところで、あつい手のひらが重なった。
両端をそれぞれから奪ったその大きな手は「こうすんの?」と言いながらカチッと小さく音がする。彼氏にネックレスをつけてもらった、鏡の中の女と目が合う。
「……ありがとう」
「いいえ」にこやかにほほ笑んだ黒尾がサイドに垂らした髪をすくう。耳元を確認して満足げな顔をして一言、かわいいと言い残すと視界から消える。屈んでサイドボードの扉を開き、収納しているカメラを眺めているのだ。
予備を含めたカメラのバッテリーとジンバルは、話をもらったその日に充電している。同じ場所にしまっているショルダーバッグにそれらの機材を詰めて、私は出発の最終準備に取り掛からなければならない。ならないんだけど。
「なあ、どれ持って行くの?」
「あと十秒待って……」
両手で顔面を覆う私に気づいたのだろうか。
一拍置いて、笑い声が聞こえてきた。


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