北信介がごほうびあげる

「なーあー。おばあちゃあん。見てやこれ見てえ」
「はいはい、どうしたんなまえちゃん」
「これ!これやねん私の!免許証!」
「ふふふ。せやなあ。がんばったなあ」
「これで私、運転できるねんで!」
「そうなん。すごいなあ」
「これでお婆ちゃんといっしょに宝塚行けるで!」
「あらまあ……」交付されたばかりの運転免許証を片手に、子どものようにはしゃぐかのじょの話にうんうんと頷くばあちゃんは少し頬を赤くして笑う。なんやばあちゃん、宝塚行きたかったん?風呂上がりのほこほこと湯気立ちそうな肌にかかる髪のひとふさを、そうっとタオルですくい丁寧に包んでいく。それだけであてがった部分がしとどに濡れるため、これはろくに拭いとらへんなと察した。
よっぽど嬉しいのだろう、今日はずうっとニコニコしとる。
昼間出かけていたばあちゃんはかのじょが浴室にいる間に帰ってきて、戻ったかのじょがちゃぶ台の上に置いておいた免許証をばあちゃんにつきつけて、褒めて褒めてと駆け寄るさまは、なんやろう、ほんまにばあちゃんと孫という感じがして、目にやさしい。
「選ばれし者のみが与えられるという、ウワサのやつやで!?」
「すごいわなまえちゃん。頑張っとったもんなあ」
「ふふ〜。すごい?すごい?」
「うんすごい。えらいでなまえちゃん」
大好きなばあちゃんから褒めちぎられ労われてますます気分をよくしたみょうじはひゃー!ともきゃー!ともつかない声をあげてよろこんだ。そしておもむろにこちらへ振り返る。まだ拭えていない水分を抱えた部分の髪まで遠心力でブンッと振られたために、水滴がいくらか畳へ飛んだ。
けれどそんなことはどうでもええんや。
「なあ北、聞いた?聞いてた?えらいって!お婆ちゃんほめてくれてん!」
「うん。聞いとったよ。えらいわ」
「ほんま!?」
「ほんま。もっと時間かかるやろ思たのに、ちゃんとまじめに通って頑張って。ほんまにえらいで、なまえちゃん」
「………………!」
褒めて褒めて攻撃がこっちへ再び回ってきたので、素直に称賛を贈ったのだけれど。さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、なまえちゃんは顔だけ鍋で煮込まれたみたいにはっきりと赤くなって声を殺してしまった。きらきらと輝く瞳がいまにも融け落ちそうなほどに潤んでいる。
あれ?もう俺の番かな?
「なまえちゃん?」
「うっ…………」
「どうしたん。うれしないん?」
「う、うれ、うれしい…………」
「せやんなあ。昨日は、ようさん仲よししたもんな?」
「…………」
「あれ。仲よしやっけ。サービスやっけ?」
「……さ…………」
ゆうべのくんずほぐれつを思い出して口元がほころんだ。かのじょはいっそう茹だって沈黙してしまう。やさしくしたりや信ちゃん。とばあちゃんの声が少し遠くから聞こえた。しとる、といつものように返して、両側からそっとあたまを包む。手にしたタオルを髪に揉み込むようにして髪を拭いてやる中、かのじょはぎゅうっと目を瞑って大人しくされるがままになっていた。その様子が愛らしくて、ある程度拭い終えたあと、手は止めずに瞼を上げる前にさっと唇を落とした。入れ替わるようにして視界を明るくしたかのじょがきょとんとする。
「あれっ?」
「なんや、なまえちゃん?」
「いま……?きた……??」
「うん?」
「うん?」
「ふふ」
うん???首をかしげつつも、そのふっくらしたくちびるをもごもごさせて、ひときわ赤くなったところを見るに、いま自分がなにをされたかわかっとるな。それから、へへっとはにかむ。なんやそれかわええな。
「なあ。お祝いに、なにがええ?」
「お祝い?」
「なんでもええよ」
「……ごほうび?てこと?」
うんと肯いてやると、途端にきらんと目の光る。
なんとまあゲンキンなこと。
乱れた髪を手櫛で軽く梳いて、それからドライヤーのプラグをつなぐ。
ご褒美という言葉によろこんだかのじょがなあなあと、姿勢を戻すのも待たんと寄って来ては肩を揺すった。
「ほんま?北、私にごほうびくれるん!?免許とっただけやのに!?」
「だけとちゃうよ。頑張ったやろ」
「がんばった!」
「見とったよ。ほら、なにがええん?」希望を促しながら、このよろこびようやと、髪乾くまで待たれへんやろうなと思い、風量を弱めに設定してスイッチを入れる。乾くまでは時間がかかるけれど、かのじょと話をしながら、ゆっくりと触れられる時間が愛しかった。通常モードよりもかなり静かに噴き出す風を、かのじょのあたまに向けてゆるく振る。もう片方の手は髪をひとふさずつすくったり撫でつけたりして、少しずつさらさらになっていく髪の毛の感覚を楽しんでいる。
「なんでもしてくれる?」
「ええよ」
「なんでも……」
こくり。とかのじょの喉が動いた。
わかるわ。魅力的な響きやんな。
俺も前になまえちゃんが言うてくれた時は、それはもう色々なことを考えてしまった。
なんの憂いもないときに、もう一回くらい、言うてくれたりせえへんかな。なんて考えながら、かのじょのよこしまな願いが口から出てくるのを待つ。
かのじょもまた俺のようにあれこれ迷うかと思ったが、間もなくして「……ほんなら」と下げていた視線をまっすぐ向ける。
満面の笑みでかのじょが俺を見上げた。
「ぎゅうして」
そしてそれから、両手を前に出す。
抱きしめてのポーズだった。
思いつきもしなかった言葉が出てきて、面食らう。
「……ぎゅう?それでええん?」
そんなんいつも、それこそしょっちゅうしとるで?と確認をとる。せっかくのご褒美なんやから、普段と違うものを望んでもええのにと思ってのことだったが、かのじょは「ちゃうやん」と事もなげに主張する。
「いつものぎゅうはいつものぎゅうやん。おめでとうのぎゅうはおめでとうのぎゅうやん」
「……うん……?」
「あれ?伝わらん?」俺の表情を見て、不思議そうに首をひねったかのじょは、得意げにわらう。
「北に、おめでとうでぎゅうしてもらえる女なんて、私だけやろ!」
あ、北家のひとも当てはまるな。
ほんなら超!超ぎゅうして!
彼女にしかせえへん超らぶなぎゅうして!
かのじょがなおも子どものように無邪気に浮かれてはしゃぐのを、遮るように閉じ込めた。無防備にさらされた肌がやわい。自分よりも明らかにちいさく細いからだをつかまえて、力いっぱいに抱きしめて、首筋に顔を埋める。わあっと嬉しそうな声を上げて、かのじょもまた腕を回し、頬を寄せてくる。
「ん〜……ふふ……」
心の底からうれしそうな声を耳に、唇の触れたところのやわらかな肌に吸いついた。うるおい赤らんだ肌が甘い。すっかりお馴染みになった鈍い心臓の痛みを感じながら、またあとあとかのじょの困るであろうところをちゅうと吸う。今はご機嫌やからあたまにないやろうけど、冷静になったらまた怒られてしまうかな。そんなことはとっくにわかっているというのに止められない。
しばらくいろんなところを吸うて、指先に伝わるやわさを楽しんで、よしよしとあたまも撫でてやり。ますます機嫌のよさそうにするかのじょに心満たされる。名残惜しいが、少しからだを離して、見つめ合えるだけの距離をとると、もう終わり?とうかがうような顔をする。
「……そんで?このあとは、どうする?」
「ん〜……??」
「なんも考えてへんなら、好きにしてもええ?」
「ん?ふふ、うん」まさしくなんも考えてへん、余韻に浸るかのじょから許可をもらえたため、そんならと、さっき一瞬しか合わせなかったもんをぴったりとくっつけに行く。
愛するひととこんなことができる生き物であることが無性に誇らしい。こんな気持ちにさせられる、たったひとりのひとと心通わせるひとときが眩しくて仕方がない。
互いにしっとりとしたくちびるを、そっと離す。
それまではぼうっと大人しく、ご褒美を享受してくれていたかのじょが勢いをつけてこちらを見やった。驚いたが、かのじょもまた吃驚した様子で見上げている。
「ちゅうまでしてくれるん!?」
眼を剥いて心底驚いたような声で飛び出してきた言葉が、なんでやろうか。
とてもとても愉快で、しあわせで、たまらない気持ちになる。
息が漏れた。肩が震える。
「えっ北!?」と驚く声をよそに、うっかり笑い出してしまうともう、しばらくはおさまらないのだった。

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