北信介の誕生日(ではない)つづき*

倦怠感が全身にのしかかる。
はあふうと切れた息を落ち着けながら、たったいままでからだ中を支配していた快感が、もはやそのときではないのだとようやく気付いたのか、すこしずつすこしずつ、なりをひそめていく。その代わりにやってくるのはなかよしのあとの気だるさと疲労。四肢の関節どころか日常生活では使用しない筋肉をいつの間にか酷使しているらしく、いわゆるはじめての頃よりかは随分とましになったが、いつまで経っても慣れる気配がないので私はいちいちすべての事象にひいひいと泣きごとを言って北にすがりつくばかりだった。
「……なまえちゃん?」
そんな私のすぐそば、まさしく目と鼻の先という表現がただしいであろう絶妙な距離感で、北がぽつっと呟いた。私のなまえを、暗闇で北が呼ぶ。返事をする前に、起きとるん、と下にずれさがってきた、北が双眼をうっすらと光らせた。夜の闇の中でも、北の目玉は淡く光って見える。なんやろう。月の光?常夜灯?いいや、それにしても角度が。それを見つめながら、ぼんやりと考えていると、呼吸をするのに忙しかった私の口が、北のそれでふさがれる。ふにふにとやわらかく、まだ熱い。
「くるしい」
「……起きとる」からかうように北が笑った。
「……わたしの」
「うん?」
「しんぞうを、しめころす、つもりやな……?」
「なんやそれ」
くすっと笑んで。
せえへんよ、そんなこと。とやさしい声がかかる。吐息がくちびるにかかってくすぐったい。
せえへんよ、なんて言うてるけど、どうやろう。
私を、あんなにめちゃくちゃにしたくせに。
ついさっきまでの話や。
なまえちゃんがほしい、なんて言うて急に飛びかかってきたかと思ったら、私のことをあんなにいじめて、ひいこらあんあん。言わせるだけ言わせて、ぶざまな様子をうっそりと笑んでまた、声や指先だけやさしくして。ほんまにずるいおとこ。
なまえちゃんがほしい。
くれるん?
なまえちゃんのここ。
あとここも。
ここもや。
ここもほしいな。
ここはくれる?
くれるやんな?
なあ?なんて。
やさしそうな声で、そんなことを言いながら、とても口にはできひんようなところを食べて、食べて、あたまの先っちょから足のゆびまで、私のからだのいろんなところを食べまくった北信介は、かわいそうにも赤ん坊よりかよわくなったみょうじなまえをぎゅっと抱き込むやいなや、布団にころがって包まって、規則ただしくもまだほんのりとあつい呼吸をくりかえしまどろんでいた。私の呼吸はちっとも整わなかったが、じかに触れる北の肌のやわらかさとひっついたからだの温度が心地よくて、そこから伝わる北の鼓動に耳をすませて、私も少しずつ、おちつきを取りもどそうとしていたところだったのだ。
「…………きたは」
「うん?」
「いぶくろが、でっかい……」
「ふは……」と息がこぼれる。
鼻のあたま同士がくっつきそうなこの近くで、そんなふうに笑われたので、私はおおいに困っている。わかっとる?なまえちゃんあんたのせいで困っとんで。北のなまえちゃん困っとる。どうにかして。目じりがさがって、きゅうと弧をえがく双眼がいとおしくてにくい。困っとる私はとても。 好き。
「なまえちゃんやったら、なんぼでも食えるよ」
またそんなこと言うて。
私の鼓動はいっこうに落ち着かない。
にわかに熱の集まりだす、私の顔面が見えづらくてよかった。私いま、正気のかおしてへん可能性が高い。心臓うるさい。すり、とわずかな身じろぎに反応してしまう。
「なまえちゃん」
「…………なに?」
「おくち食わして」
またそういう、とことばがかき消される。ひとつになろうとしているみたいに吸いついてくるくちびるが、また気持ちええという感情をじわじわと呼び起こしてくる。触れるだけやのに、あちこちと角度を変えて、浅くふかく、食んだりしてきて、このどすけべな男は、あどけない顔をして、言うこととやることは、とんでもなくおとこのひとで、私は困る。
こんなんほんまに困るよ。
食べてほしくなってまう。
「ん、んン」
「なまえちゃん」
名前を呼ぶんもずるい。
「なまえ」
あかんあかんあかん。
「なまえちゃんちょうだい」
ああもうあげるよ。
ぜんぶあげるから。
残さずたべて。
最高の誕生日やなあ。そう言ってきたがわらう。それにわたしは、誕生日やないって言うたやん、なんて返してやりたかったのに。あつい指先が、ひかるけものの目玉が、ものほしそうに肌を這う感覚にぞくぞくとふるえてしまって息がこぼれる。
ふふ、と北がまたわらう。
「なまえちゃんも、腹空かしとる」
「…………」
「でもあかんで。今日は俺がなまえちゃん食うねん」
ものほしそうにしとるんは私もおんなじか。
ああもう。ほんまにもう。
私の誕生日には、思う存分、あんたのこと、食らってやるからな。
おぼえとけ、なんて明らかなまけおしみを、かれに伝えられるのは数時間は先になるんやろうな。
なんやそれも悔しいな。
くそう。
いつかぜったい、おまえんこと、ひいこらあんあん言わせたるからな……。
おぼえとけよ…………。
あらたに生まれた野望をひっそりと胸にひめて、ひとまずはかれに食われるための、かよわいけものになるのだった。

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