北信介の誕生日(ではない)

「はあああああぁ……」
えらいでっかいため息やな。
と思い隣へ視線をやると、ちょうど目線の高さにあったなまえちゃんのちっこい頭がぐりんと揺れて勢いよく机へ倒れ込んだ。突っ伏す形で完全に顔を真下へやっているので、ここから表情はうかがえない。キーボードを叩いていた手が自然と止まった。
「なまえちゃんどうしたん」
「うぅうううぅ……」
なんて悲しそうな声でうなるんや。
普段はふわふわした弾むようなかのじょの愛らしい声が、なぜだか重く低くかすれて、悲壮感たっぷりの仕上がりになっている。まったく見えない顔も、おんなじような表情をしているのやろうか。少し下から覗いてみたが、かのじょのかわええお顔は白い腕に覆われてやっぱり見えなかった。
見えなければなんだか不安がつのる。
「なんか悲しいことがあったん?」
ちいさなあたまをそっと撫でながら、尋ねてやるとシャツの裾をほんの少しつかまれる。心をわしづかみにされた心地になりつつ、かのじょの返答を気長に待った。
「悲しい……どころの話やないねん……」
「うん?」
「私は……気づいてしまったんや……」
「うん……何に、気づいたん?」
「…………」
かのじょは黙って、それから急に顔を上げてこちらを見た。ぱっちりと開かれたかのじょの瞳が部屋の照明のせいかきらきらしている。なみだの膜がうっすらと張られていてどきりとした。眉が下がり顔のまんなかにしわを寄せて、ぷるっとしたうまいくちびるはむっとかたそうに結ばれている、そのさまはまさに。
「きたの…………」
「うん?」俺の?

「北の誕生日……過ぎてしまった…………っ!!!」

「はは」
「なんでわらうん!」
「すまん」いやいや、やってそんな。
今にも泣き出してしまいそうなかおをしてそんなこと。
こぼれ出てしまった笑いが気に食わなかったのか、きいっと噛みつくような非難が飛んで、あわててすまんと返すが、心臓を小鳥の羽で軽くくすぐられているようなこの気持ちはおさまらない。口の端っこに力を入れて、髪を梳いていた指をふっくらとした頬っぺたにさわる。指先の走るままにあそばせていれば、多少は憤りもやわらんだのか。
「お祝い、できひんかった……」
「なまえちゃん帰って来たん八月やもんなあ」
「おいわい!したかった!!!」
「そうなん」ふふ、とまた笑ってしまう。
やってこんなん、笑ってまうやろ。
俺の好きなひとが、俺の誕生日を祝いたかったって、こんなに力いっぱいに、こぶしを握って。「くやしい!」だぁん!と机に振り下ろした。上に乗っていたパソコンや書類や筆記具がにわかに大きく揺れ動く。
「ものに当たったらあかん」
「はい」
「手ぇも痛なるやろ。ほら貸し」
「ごめんなさい……」すがるように伸ばされた指先を手に取りそっと絡めると、素直な謝罪がこぼれてきて頬がゆるむ。かのじょも手のひらだけでは不足だったのか、さほど経たずにもう片方の腕もたっぷりに伸ばして向かってくる。それをつかんで、それからなまえちゃんを受け止めて。おさまりのちょうどよい、肌にしっくりくるやわらかをぎゅうと抱え込むと、心が弾んだ。
「ふふ」
「また笑うやろ……」
そら笑うよ。
悲しみが非難に、そんでかわええかんしゃくを起こしたかと思ったら、今度はこんな風に甘えてくる。
かわええなあほんま。
「ええねん……好きな人の誕生日を今年も祝われへんかったみょうじなまえをいっそ笑い飛ばしてくれや……」ああ今度はふてくされてしまった。こん顔をされると、俺はこの頬っぺた、突っつきたくなってしゃあないねんけどな。
「そんな投げやりにならんでも。俺はなまえちゃんを笑っとるんとちゃうねんで」
「じゃあなににわろとんねん……」
「言うてもええけど、その前に……」
「ン」そうそうひとくち。お先にもらっておくわな。ひっついて、ほんの少しだけ離れるときに、見えたふたつの目玉はもの言いたげであったものの、触れ合ったくちびるは名残惜しそうに吸いついて、そうっと少しずつ離れていく。その感覚がとても気持ちよくて、すぐにおかわりがしたくなったのを我慢して、ぴったりと閉じていた口を開いた。
「なまえちゃんが、祝いたいと思ってくれた気持ちが嬉しいわ」
「…………北!誕生日までそんな聖人君子みたいなことを言うたらあかん……!」
「本音やけど」あと聖人君子とも違う。
なまえちゃんはちょいちょい俺を買いかぶる。
「なあなんかないん!?」
「なにが?」
「ほしいもんとか!なんか!」
「なに、そういう話やったん?」確か、誕生日が過ぎとって祝われへんかったから残念や、ていう話やなかったっけ。なまえちゃん興奮しすぎていろいろごっちゃになっとるんとちゃうやろうか。
「ほしいもん言うて!」
「……誕生日やないねんけど?」
「ええの!あげたいの!北にプレゼントあげたい!」
なんてわがままなひとなんやろう!
この腕の間っから顔を出して、必死なようすでこちらを見上げてきては、自分の願望――と言うにはいささか献身の過ぎる。腕の中で興奮してはうごめくかのじょのぬくもりをしっかりと抱きしめて。ほしいもんなあ……と勢いのまま促されるままに、考えさせられれば、この男はまたしょうもないことを思いつく。この欲深い人間の、どこが聖人君子なんや。なまえちゃんはほんまにちょっと、そろそろ気づいた方がええよ。と思いながら、口をつぐんでキスをする。
「……き、きた……」
するとまた、このもちもちの頬っぺたを赤くして。すこし大人しくなってしまうかのじょのことを、今こうしてつかまえていられることが、なによりの幸福であることを知っている。
プレゼントか。
なんかほしいもん。
そんなん聞かれたら、そりゃあ教えてあげるけれども。
このぐらいのことで、すでにこんなになっとる、
なあ、みょうじなまえちゃん。
知っとる?
俺のほしいもんなあ。
もうとっくに、ここにおんねんで。
俺がもらった気分になっとるもんも、これからもらいたい、どころか奪ってしまいたくなるほどのもんも、全部。
ぜんぶなまえちゃんが持っとる。

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