あの夜のとばり〜彼女の場合〜

頬が、灼けるように熱い。
そっと手のひらを添わせてみれば、途端に伝わってくる熱だまりが、いま自分がどんな顔をしているのかと、対照的な指先の冷たさにどれほど気を固めていたのかを教えてくれる。はあ、と吐いた息も熱をもっていて、喉がひくっと小さく鳴った。
すこしだけあたたかくなった指先で、そっと唇へ触れた。
ふに、と弱く沈める。
人さし指の感触が伝わって、離れると数秒残して消えてゆく。
これはすぐに消えるのに――
さっき憶えた感触は全然消えない。

きっと、一生消えてくれへん。

北が。
北のくちびるが。
私のそれにひっついた。
私にひっついて、はなれて、またひっついて。
何度も何度もひっついた。
ほかの何ごとも入ってこないあたまの中に、それだけがまたよみがえってきて、かあっと身体じゅうがあつくなる。
ぷにっとした、北からそんな感触をするところがあったんやというほどのやわらかさと弾力をもったそれがひっついて、そのことに気がついた瞬間、びっくりして、わずかに身を引いた私を北の腕が掴んで防いだ。
そうやってまたひっついて。
うそやない。
夢でもない。
北が、私に、くちづけた。
何度も何度も振ってきたくちびるに、私は言葉をなくし、呼吸が止まり、思考をうしなった。どうしたらいいのかも、どうするべきなのかもわからない、この無知が、こちらをしきりについばんでくるそれにただただ従い、そのやわらかさとくるしさを享受する。そうすると、ひとりでに酸素を求めて開かれたくち。
そこへ、北がはいってきた。
はいってきたと思ったら、にゅるにゅると動いて、私のべろをつかまえて、あっちこっちをさぐるように絡みついた。くちびるのやわらかいとはちがって、ざらざらしてるところもあって、感覚の鋭敏なところをくすぐるみたいになぞってきたときはぞくぞくしてしまった。
北にも、あんな、にゅるにゅるしたところがあるんや……、なんて変に感心してしまうのは、まだ正気に戻れてへんからやろうか。
こつんとぶつかった膝が、離れるどころか、両膝の間に割って入るように近づいて、一気にちかくなったからだまで、このままひっついてしまったら、どうなるんやろうか、とか、かんがえながら、でもべろが考えごとなんてしたらあかんというように、私の感覚をひとりじめしようとして、それやのにくちびるも、弾んですき間を埋め合うようにひっつき合って、すいついて、そう、べろも、吸われた。なん、なんなん、ちゅうって、吸うん?私の、べろなんか、吸って北、北ちゅうとかするん?あんなちゅうするん?北あんな、あんなふうに、あんな、まっかになって、あんな、あんな、あんな。
ぜんぜん離してくれへんかった。
北ってあんなに、強いんや。
どうしよう。
色んなことを知ってしまった。
今日だけで、北のたくさんを知ってしまった。
北が。
北があんなにあつくて。
やわらかくて。
けど、かたくて。
あの目。
あんな目で私を見たことなんかないのに。
私にさわったことないくせに。
あんな声で、私を呼ばへん。
私が知ってる北なんか、あの時代のほんの一部のものやのに、それやのになんやろうこの感情は。私の中の、私のことなんかちっとも気にしてくれへん北が、急にいまの北になって、こちらへ手を伸ばしてくる。私を見つめて、私を呼んで、私の手をひっぱって、私をすっぽり包んでしまって、そんで、そんで、私にちゅうするやろ。
私のことで泣いたとか言う北を私は知らなかった。
なんで私のことで北が泣くん?
なんであんな目で見てくるん。
なんでさわってもええかなんて聞くの。
触れてしまった。
私たちは触れ合ってしまった。
あのやわらかな熱を知ってしまった。
溶けてしまいそうなほどまろやかな熱だまりが身体じゅうに広がって、立ち上がることもできず、ただ座りこんでいる、私の頬をかすかな夜風が撫でていく。不思議なことに、虫の声も風鈴の音色さえ耳に入らず、とり残された静寂な空間のなかで、ただひとり、こころもからだもぐちゃぐちゃに乱れてひとりの男のことだけをおもう。
北はもう気づいてるんやろうか。
私は、あんたのことを思うだけで、こんなにも、こんなにも、胸がくるしくなることを。
気づいてくれたやろうか。
気づくつもりは、あるんやろうか。

『――――すまん』

……これから、どうなるんやろう。
私と北は、どうなってしまうんやろうか。
ただただ私が勝手に北を好いとった昔とは違う。
北が私に手を出した。
私はそれを許した。
私たちは、キスをした。
どうすればええんやろう。
どうなってしまうんやろう。
これから私たちは、どこへ向かっていくんやろう。
わからなくて、このまま行きつける先が見えないから、これまでとあまりにも色々なことがちがうから、こわくてこわくて仕方がない。
わからないからこわい。
こわい。
それやのに、やっと知り得た北の熱を忘れたくないと思ってしまう。
北が好きや。
ずっと、ずっともう忘れられへん。
やっと北が私を見た。
北にさわれた。
それやのにくるしい。
こわい。
どうすればええの?
北はどう思ってるんやろう。
すまんってなに?
連れてきたのは北やのに、
なんで置いてってしまうん?
私はどうしたらええの?
こわい。
これまで決定的に関係を変えるためのことをしてこなかった臆病への報いが、こんなところで降りかかるのか。
明日がやってくるのがこわい。
北に会うのがこわい。
北がなにを思って、なにを求めて私に触れたのか。
そのこたえ次第では一瞬で地獄へおちてしまう。
もう、昔の仲間で、元マネージャーとしての関係ですら接してもらわれへんようになってしまったら、私はどうなってしまうんやろう。ひとのかたちを保てる気がせえへん。
こわい。
こわい。
北が好き。
なんやねんもお。
夜のひやっとした空気が熱を冷ます。
それやのにこの身のうちの熱は未だにくすぶってくすぶってくすぶって。
消えてくれへんからしまつに困る。
私のなかに居すわって、きっと絶対に出て行ってくれへんに違いないからもどかしい。昔はよく吠えとった、北のこと好きなんやめる、なんて、言うたところでそんなことできひんのはもう嫌というほどわかってる。
くやしい。
すき。
好き。
こわい。
やり場のない熱だまりが目玉からぽろぽろとこぼれ落ちて畳を濡らす。
「…………きた。の。あほ……」
こんな、どうしようもないおそれを抱えたまま過ごさなければならない夜こそ、あんひとにだかれて眠りたかった。

※なんだかんだ翌朝くっつきます。

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