「おおお〜!天ぷらやん!」
「肉もある!これ美味そうやなー」
「みょうじはどれ作ったん?」
「みょうじはずっと絵ぇ描いてたん〜」
「トウモロコシ焼いたんは俺や。あと酢の物」
「ブハッ!北焼いたんかコレ!」
「流石農家やなあ」
「みょうじもっと気張れや〜」
「ハイ赤木五億点減点〜ナチュラルモラハラ野郎〜」
「俺も時間あったから手伝えただけやで」
大皿にたんまりと盛られた山菜や夏野菜の天ぷら。玉ねぎがぎゅっと詰まった肉すい。七輪で焼いたトウモロコシ。羽釜に炊き込めている白めし。牛すじの煮物。酢の物や漬物。きのこがたっぷり入った旨味の爆弾味噌汁。円卓に所狭しと並ぶ料理の数々に、配膳の途中からもう気付いていた。ばあちゃん、めっちゃ喜んどる。全員分の茶碗さえ置くのに苦労する品数と量に、腹をペコペコに空かせてきたという男達は目を輝かせ、ちょこんと腰掛けるばあちゃんに野太い感謝の礼を捧げた。そして円状に配置されている手近な座布団へ即座に乗っかった。お前らそんなに機敏な動きできたんか、と笑ってしまう。そして残ったひとりへ目を配ると、おんなじように笑っていて、それだけでもう、満足やと思った。視線が重なって、こちらが手を出すと、びっくりして、それから恥じらうように戸惑うくせに、とてもうれしそうな顔をして、そっと手のひらを重ねるのだから、何も言わなくても自然と空けられていたふたつ並びの席へと連れ帰るのは当たり前のことで。まわりを見ても、どいつもこいつもええ笑顔で、アランなんかお前、何分か前にはあんなに泣いてたやん。ふは、と声が漏れた。全員で手を合わせて挨拶をしてから、思い思い、好きな皿へ箸を伸ばす。働き盛りで悔い盛りの男四人がいる食卓は、料理の減りももの凄い。なんや合宿ん時みたいやな、と驚き半分懐かしむみょうじの取り皿に、かのじょからは遠く現在特に集中砲火に遭っている天ぷらをいくつか乗せてやると破顔する。好きな漬物もまだ食べれてへんなと思い皿を持ち上げて差し出す。そうするととっても照れた顔をして、今度は煮物の器を寄せてもらえたり。そんなやりとりをしているとヤジが飛ぶ。アランも練も路成も、とてもとても楽しそうで、ばあちゃんもみょうじも嬉しそうで、いつもよりも大人数の食事は終始、大分賑やかに行われた。
「ごちそーさまあ……」
「ホンマご馳走」
「バァちゃんの料理ヤバイな〜」
食後。畳の上にはだらしなく四肢を投げ出した大の大人が三人。
おい、食うてすぐ横になんなと言いながら自分はちゃぶ台の上の食器をまとめていく。みょうじが流しへ持っていき、ばあちゃんがそれを洗う。北ええよ、そいつらの相手しといたり。一応お客さんやろ。と言ってくれたが当の三人は「ヒューヒュー!」「さっそく新婚気分ですかあ?」「お幸せに〜」と言いたい放題や。親しき仲にも礼儀あり、特に恥ずかしがりなみょうじをよそからあんまり突っついた結果俺が昨日みたいに突っぱねられんのも嫌やし、そろそろ喝入れとくか?とも思ったが、みょうじの表情が思いのほか弛んでいて、照れ笑いを浮かべるそれがひどく愛らしいく、胸がいっぱいになったので、結局言葉は出なかった。ムズムズする口元に力を入れて、しばらく黙々とお椀を重ねる作業に没頭した。その甲斐あってか、ものの数分もしないうちにすっかり綺麗になった食卓を今度は台ふきで綺麗に拭いて、終いとなった。その間も三匹の牛と化した友人達は幸せそうに畳の上で身体をゆすったり無駄に転がったりしていた。
「はあ〜食ったな〜……」
「動けん……」
「メッチャ満足感……寝る……」
「スイカあるけど、食う?」
「食う!」
「食う!」
「食う!」
食うんかい。冷蔵庫からカットしておいたスイカの器を取り出した。
「そんで酒もあんで」
「飲むー!」
「飲む飲む!」
「むしろ飲みに来たー!」
調子のええ奴らやなあ。途中で洗い物を代わってもらったらしいばあちゃんが手を拭きながら戻った来て座布団に座と、広告や雑誌をまとめた中から、最近お気に入りのクイズ雑誌と筆記具を取り出して綺麗になったちゃぶ台へ広げた。なんやなんやばあちゃん、と練が食いついてばあちゃんのところへ寄っていった。スイカの入った硝子の器を置いてやると、残りの牛二匹が動き出した。俺は水仕事をしているかのじょの背中へ投げかける。水の音に負けないよう、少し声を張った。
「みょうじも当然飲むやんな?」
「飲むー!モチのロンやー!」
「俺も飲むし送ってやれんから、泊まっていくやろ?」
「泊まる――!寝るまで飲むー!」
「そうか。よし」
ひとつ頷いて、冷蔵庫から大量の缶チューハイと酒瓶を取り出す。
「今アイツよし言うたぞ」
「聞かんかったことにしとこう」
「みょうじほんまにアホやなあいつ」
「それにしても缶多ない?」
家にある一番大きなお盆にぎゅうぎゅうに詰めたそれを手に戻る。なんか言うたか、と問うとどこぞの方向へ顔を背けてみな一様に「イイエ、ナンニモ」と答えるので、また頷く。せやな、はよスイカを食べ。皿洗いの後の酒盛りがそんなに楽しみなのか、台所からは小さな鼻歌が聴こえてくる。これは何の歌なんやろう、聞き慣れない旋律を耳に入れながら、持ってきたそれを並べると、食卓は再度いっぱいになった。スイカをシャクシャクと頬張る路成とアランが、それぞれ缶を積んで山を作る勝負を始めて数分、タオルで手元を拭いながらみょうじが帰ってきた。
「洗い物おわったー!」
「なまえちゃんありがとうなあ」
「おつかれさん。こっち空いてんで」
「まだ始まってない?飲んでへん?」
「飲んでへん飲んでへん」
「スイカは食うとる」
「スイカも食べる〜!」言いながら、ニコニコとご機嫌で隣へ座るみょうじはちゃぶ台の上に出来上がった小高い二つの山に笑い出す。今日は一段と元気やなあ。五年ぶりに会えた友人に興奮しているのだろうか。機嫌がええのはええ事やと思い、持っているフォークにスイカを一切れ刺して差し出してやると、フォークを奪おうとするので十秒ほど握力の真剣勝負をすることになって、こればっかりはさすがに負けるわけにはいかないので、渾身の力を込めてフォークを手放さなかった。「おいみょうじ負けんな!信介そんな力ないで!」「あかん北!絶対に手ェ放しなや!」「はよあーんしてしまえ!」ことあるごとに飛んでくるヤジを後押しに(路成とはあとで少し話し合おう)、フォークを奪い返すと、無言でその先端をかのじょの口元へ運ぶ。みょうじは乱れた息を整えながら、くうっと悔しそうに歯を食いしばったあと、それに噛みついた。という決着に、観客はいっそう湧き上がるのだった。

「じゃあ口上は久々の再会とー、みょうじの帰国とー」
「滅多とない信介のサプライズとー、アランの男泣きとー、熱ーいキッスにー」
「胸焼けするいちゃつきっぷりに二人の門出を祝してー、乾杯〜!」
いちゃついてへんし!というかのじょの声は聞き入れられず、各々のグラスは音を立てて、それぞれの口上について祝福した。いちゃ……ついてへんし!繰り返してプリプリするかのじょのグラスには三人からそれぞれちょっとずつ注がれた味の違うチューハイがブレンドされており、一見するとミックスジュースのような色合いをしている。梅酒がほんの少しだけ入ったグラスを傾けるばあちゃんと笑顔で乾杯をしてから、囃し立てられるままにグイッと呷った。おいそんな一気に飲むな。止める間もなく。空になるまでごくごくと喉に流し込んだかと思うと、一転笑顔で「うーん……お酒の味がする!!!」と元も子もない感想を言うので、自分の焼酎を舐めながら、始めっからこんな調子で大丈夫なんかこいつ、と隣の様子を逐一窺ってしまう。「彼女の事が心配ですかあ〜?信介くん〜?」逆隣からにじり寄ってくる路成に驚いて思わず反対へ「わっ??」身体を寄せたのでみょうじの方へぶつかった。
「あっ、すまん」
「……北〜!」
「うん?北や」
「わ〜!北がひっついてきた〜!」
「…………」
少なくとももう素面やないな。ことさら嬉しそうに、ぶつかった腕に頬ずりをするみょうじを注意すればええのか黙っといてもええものか。迷っている間にもニコニコとかのじょはもう一つ隣のアランへとろけそうな笑顔を向けている。その間に、空いたグラスがもの寂しそうだったので残ったチューハイで満たしておく。レモン味やしええやろ。
「なあ見て見ておじろ!きたがなあ、なあ見てる?見てるおじろ、きたがこっちになあ」
「うっみょうじ、お前ホンマに、よかったなあ!よがっだ……!」
「お前今日ほんまよく泣くなあ」
「あーあー、みょうじがアラン泣〜かした〜」
「おいアカギ!わたしはわすれてへんで〜……」
「あのころのうらみつらみ……」今度は一転して、俺を挟んだ向かいでウォッカベースのまあまあ強いカクテルを飲んでいる路成へ精一杯であろう怖い顔(全然怖くない)をするが、向けられた本人は当然ながら意にも介さない。その前に、おまえはこの子に何をしたんや?恨みつらみ言われとりますけど。ひとり飲み進めながらそんなことを思う。そうこうしていく間にも、かのじょのグラスは空になるので、今度は味を変えてピーチフィズと書かれた、かわいらしい缶の中身を注いでやろう。
「ギャハハ!みょうじこいつもうベロンベロンやん!」
「おーみみ〜!稲荷崎高校永世中立国家首相のおおみみれんれん〜!」
「そんなモンの首相になった覚えはないな」
「これが目に入らんか〜!?もうチューリツなんて言わせんからな〜!」
「きたはもうすでにわたしとラブラブやねんからな!」ギュウッとやわらかいものに抱き着かれて、酒精抜けたら卒倒するんとちゃうかと思うような言動をかますかのじょを、やさしく我慢強い彼氏やったらここで落ち着かせてやるんやろうか、と思いつつ、口内に広がるアルコールの香りで思考の浮ついたいま、俺は特別我慢強くもないし、迷惑とは一ミリも思えんので、引っ張られたまんま、身を任せようと思いました。
「もう北、もっとこっち来て!」
「うん、これでええ?」
「もっと〜」
「これ以上寄ったら、くっついてまうよ」
「ええぞ、ホラくっつけくっつけ〜」
「ほらあおじろがくっつけってゆう」
「うん、じゃあ、みょうじがこっちに来ぃ?」
俺がくっついたら倒れてまうからな、と両手を広げると、それはそれはうれしそうな、いたいけな顔をして、ちいさな身体がとびこんできた。空になったみょうじのグラスがパッと宙に浮いたが、稲荷崎が誇る元リベロがすんでのところで拾ってみせる。ワッと沸く室内。そう、試合で観客がいちばん沸くんは、スーパーレシーブが出た瞬間や。「いや、掴んどるからレシーブちゃうやろ、キャッチやろ!」ギュウギュウと力いっぱいにしがみついてくるやわらかいものがかわいくてかわいくて、あちこち撫でくり回す。おんなじシャンプー使っとんのに、なんでこう、このひとはこんなに、ええにおいがするんやろう。ひじょうに機嫌のよいかのじょは、胸のところでしばらく頭をグリグリとしていたが、パッと顔を上げたかと思うと人の膝に乗っかって、頬と頬をくっつけてくるので、そのすべすべな感触がダイレクトに伝わってきて、たまらんくなって、力いっぱいに抱きしめる。あの時とはちがって、なんやたのしそうな声がするし、今にもどうにかしてやろうかと考えてしまうほどにかわいく笑っていて、飲んだ水分があかんところからうっかりこぼれそうになって、せっかくの笑顔をしっかりと焼き付けたくて、抱きなおすふりをして肩のところでぬぐった。
「ふふ。どきどきする……」
これじゃアランのこと言えへんやんか。酔っぱらいひとりにこんなに心を乱されて、ふわふわとした脳内は自制をすることもままならなくて困る。視界いっぱいに映り込む笑顔にくらくらして、ふっくらしているところを指であそんで、辛抱できずに唇を寄せる。そうすると、なんと、おんなじことを返してくれる。それも、むっちゃええ笑顔で。くふふっと笑いながら。アルコールはほんまに偉大やなあ。しこたま買うた酒缶はまだなくならんやろうけど、やっぱり、いくらかは常に入れておくことにしようと頷く。
「見せつけよって〜スイカ没収や〜」
「アカン……彼女ほしなってまう!」
「はよケッコンせえや〜」
「北夫妻になれや〜」
「なあバァちゃん」
「アレばーちゃんどこ行った??」
「風呂入って寝るて」
「え〜ばあちゃ〜ん」
「お前らのばあちゃんとちゃうで」
「わたしのおばあちゃん〜」
「それはそうやな」
「ヒイキ!ヒイキや!ズルいでみょうじ〜!」
「せや!北のバァちゃんはみんなのバァちゃんや!」
「きたのばあちゃんて言うとるやん!」
「そらみょうじはそのうち北になるしなあ……」
「おっ」
「おお〜?」
「おおお〜?」
「……………………好き〜!」
「わっ」
「あっ!泣いとる!みょうじ泣いとる!」
「泣かした〜!信介泣かした〜!」
さわがしい鳴き声にでっかい笑い声。
とても二十四歳の集まりとは思えんなあ。そう思いながらも笑ってしまう。腕のなかで動くいきものは涙をポロポロこぼしながら、激しく抱きしめてくる。体温がどんどん熱くなっていって、子どもみたいやなあと笑う。アランも路成もそんなみょうじを見て腹を抱えて笑い出すし、練もおかしそうな顔でたぐりよせたティッシュの箱をこちらへやるので二枚ほど引き抜く。いざ拭いてやろうとすると、さっきまで溶け落ちそうにトロトロとしていたきれいな眼がすっかり瞼に隠されていて、すうすうと、ここ三日ほどですっかり聞き慣れた呼吸の音が聞こえてきた。
「……………………」
「え。みょうじ寝た?」
「ね、寝た!コイツ寝よった!」
「告白して寝落ちや!言い逃げや〜!」
「信介カワイソーに!言い逃げされたな!」
「ハハ。信介、お前も酔うとんか?」顔真っ赤やで、とからかうような声で指摘されて、思わずみょうじの頭に顔を埋めてごまかした。いっそう響く笑い声が遠くで聞こえるけれども、正直それどころやない。言葉が出ない。それなのに口元がなんだかうずうずして、なけなしの力で引き締めようとする。うまくいっているかどうかは、どうやろう、わからへん。目の前の、三人の顔を見ればすぐにわかるんやろうけど。かのじょの匂いをただ抱きしめて、しばらくじいっと胸の疼きに堪えていた。

「今日ほどめでたい日はないわなぁ」
カラン、と氷が音を立てる。そこそこ辛口の日本酒を飲み下し、しみじみと練が呟いた。腕の中でおとなしく寝息を立てるかのじょを見下ろすそのまなざしは優しい。あれだけ賑やかだった男達も紅一点がすやすやと眠るこの場においては気を遣うのかもしれない、というよりは、それぞれ、思うところがあるのかもしれない。来てすぐに、みょうじと気付かないまま俺の恋人に相対した時の表情や、今までの騒ぎようを見ていればなんとなくわかるというものだ。いや、見てすぐ気付かんというのもそれはそれでおかしいんやけども。確かにめっちゃきれいになったけど。もう何本目か、新たな瓶を開封して互いに注ぎ合う路成とアランも、チラチラとよくこちらを見ては、やっぱり笑うのだから、ええ仲間を持ったもんやと思う。
「そんな仲間に聞きたいことがあんねん」
「唐突になんやねん!」
「信介やっぱ酔うとるやろ」
「あとみょうじ横に寝かせたれば?」
「それはもうちょっとしてからや」
「あっそう…………」涙のあとが残るやわらかい頬を指でそっとなぞる。くすぐったいんか、ん、と唇を突き出すので、そのまま顔を下ろしたくなる衝動に駆られて、けれどそんなことをしてしまうと、また止まらなくなってしまうので、後でたくさんしたるからなあ、と笑う。「北が今何考えとるかわかるわぁ」とアランが呟いて、それからみょうじへ何度目かになる祝福の言葉を述べて、やっぱり涙を浮かべた。お前らはほんまに仲ええな。
「で、なんやの信介?」
「うん、……みょうじのことなんやけどな」
「わかっとるわ。今日ここでそれ以外の相談されてもな」
「なあ。頭に入ってこんよな」
「この子を振り向かすにはどうしたらええですか」
数秒。
返事を待ったけれども、なんにも聞こえてこんので、幼い寝顔から目を離して顔を上げると、これでもかというほどに目ェをかっぴらいた三人がこちらを凝視していて首を傾げる。それでもしばらくの間黙ってから、三人はそれぞれお互いの顔を見合わせたかと思うと、静かに首を振った。
「いやいや、その子もうずーっと前から北の方向いとるよ」
「むしろ向いてる姿しか見たことないわ」
「信介一体何を言うてるん?」
……珍妙な生き物でも見るみたいな目をされてしまった。ああ、いや、アランには……いやかのじょにも、なんかこういう視線を向けられたことあったなそういえば。まるで俺がおかしなことを言うたみたいな。そんな風に思われる謂れはないんやけどな、と思ったが、けれどみんなは俺の頭ん中を覗けるわけやないんやから、やっぱり言葉が足りんかったかもしれん。そう思い、追加する言葉を探した。
「もっと振り向いてほしいねん」
「これ以上とかないやろ」
「既に振り向きまくっとりますけど」
「これ以上ひねろうとしたら首折れますけど」
「信介何を言うてるん?」同じ言葉でバッサリ斬られてしもうた。そんなにおかしなことを言うとるやろうか?いや、そんなことないやろ。
「いや、これ以上はある」
「あるかあ?」
「ないやろ」
「一緒に暮らしたいって言うたら断られた」
「エッ」
みょうじは昔っから、俺のことを女心のわからん朴念仁やなんやのと言うていた。その通りかもしれんなあと常々思ってきたし、どうやら俺だけが進路を知らんかったらしいと知った時も、その理由も、どうやらかのじょはずっと俺のことを好いてくれていたらしいことを聞いた時も、かのじょの口から高校生活を『辛酸なめた三年間』と称した理由も、まったく気付かんかったし、聞いたところで思い当たる節の検討がまったくつかんかったし、せやから恐らく、正しいんやと思う。女性のことは、昔っからまったくわからん。なんもわからん。わからんかった。わからんことだらけやった。一番近くにおったからって、何故だかわかっていると思ってたみょうじのことでさえ、結局なんもわかってなかった。十八歳になる年の春、大きな穴がぽっかりと空いた瞬間のことを、薄く思い出すだけで胸が冷える。腕の中にある温もりを今一度抱きしめる。
「ちゅーかまずそこまで話が及んでたことに驚きやわ……」
「誰や信介彼氏にしても手ぇ繋ぐまでに三年かかるやろって言うてた奴」
「付き合うて二日でまあまあ濃厚なキスかましとりますけど」
「何なら今もイチャついとるからな〜」
「てか信介が言う『一緒に暮らす』て何なん?同棲?結婚?」
「結婚に決まっとるやろ」
「やんなあ。信介やもんなあ」
「エッじゃあみょうじにプロポーズ断られたってこと?」
「頷かんの?この北大好き女が??」
「つうか信介がプロポーズしたってこと?付き合うた翌日に?」
「いや、言うたんは昨日の朝」
「帰国したみょうじとっ捕まえて、家引っぱり込んで、次の日プロポーズしたん!?」
「そらみょうじもう目ェ白黒させてたやろ……」
「白黒というか、どこもかしこも真っ赤やったな」
「ああうん…………」感情の入っていない相槌が耳を通り抜ける。つるつるしたきれいな瞳が閉じられて、長いまつ毛が白くまろい曲線を描く瞼の上に影を落としているのを眺めて、時折唇がわずかに動くのをなまめかしく感じながら、
私も北が好き。
でも部屋は探すから。
「ちょっとずつ時間を重ねたいって言われた」
「ああー……」
「そういう……」
「けどソレどっちかっていうと、信介が言いそうやけどな」
「え」路成の言葉に面食らう。そういえば、比較的細かい(自分では普通やと思っている)性分の俺と、根本のところで大らかな性格のみょうじ。理論理屈、ものの道理を基準に動くことの多い自分と、感情や衝動を大事に抱えるかのじょ。部活の時も、それ以外の時も、さすがに口論にはならんし最終的に足並みは揃えていたけども、意見や要望を口に出す場面では反対になることが多かった気がする。確かに、あの時かのじょが言うてたことは、ものの道理として、道徳的な、まっとうな主張であったので、反論することはできかねた。承知する以外のことは憚られるような気分になって、感情が主張するもんは別のところにあって、それでも渋々と頷いたもんやけど、あれは昔の立場がひっくり返った状況やったということやろうか。いや、あん時だけやないな。かのじょが帰って来たときから、今に至るまでずっと……、
「……俺は別段、焦ってるつもりはなかってんけど。やっぱり、焦ってることになるんかな」
「焦ってるっちゅーか」
「性急ちゃう?て感じはするな」
「まあ信介らしくないとは思うけど」
「俺はそれでエエと思うけどなあ」
「北がこの五年、オハコの理性でどうにもできんかったんが、みょうじのことなんやろ」
「――みょうじは、俺が俺らしくないから、代わりにああいうことを言うてるんやろうか」
そうだとしたら、申し訳ない。本来のかのじょの舵取りを大きく変えた主張をさせてしまっているのだとしたら、それは俺の甲斐性がないからや。
「ヤ。コレはそんなタマやないで」
「言葉どおり単にいっぱいいっぱいなだけやろ」
二人の歯に衣着せぬ物言いに、さすがに練は苦笑して、腕の中で猫のように丸まって眠るかのじょを眺めた。そして俺にも一瞥をくれて、満足げな笑みを浮かべる。
「みょうじはずっと信介に片思いしてたからなあ。付き合うていうことに、憧れとかあるんとちゃうか」
やさしい、慈しむような声だった。
やんわりとした言い方やったけれど、ずっとかのじょを見守ってきた仲間だからこそわかる、かのじょの気持ちを代弁したかのような言葉やと思った。すとんと、音を立ててそれが胸に据わる。おんなじ声を、おんなじ笑い方のできる二人も「それはあるかもしれんなあ」と、これまたやんわりと肯定してみせた。さっきまで散々言うてたくせになあ。お前の仲間は素直やないなあ、とかわいい温もりに笑いかける。
「高校生やったからなあ。よく話聞いてたけど、友達が彼氏とドコソコへ行く言うてな」
「女子同士で話すことなんてそんなんばっかりやろ。あとタピオカとかな」
「色々聞いては羨ましがってたなあ」
「…………そうなん?」
「お前そっけなかったやん。文化祭とか修旅とか、がんばってアピールしてんのに、手厳しーく正論かましてぶった切ってなあ」
「信介がクラスの女子となんや仲良さそうにしとると落ち込んで……よく泣き言言うてなあ」
「………………」
言葉を失う。寝耳に水ってこういうことを言うんやったっけ。時折子どものわがままのようなことを言うと思っとったけど、あれは、いやあれも、もしかしたらあれも?アランの言うとおり、そういうアピールやったということなんやろうか。そうやとしたら、なんで。だとすれば。せやからか?そうやったとしても。俺はずっと、無自覚に、かのじょを傷つけてきたんやろうか。急に活動の遅くなったように感じる脳みそをなんとか動かすことで、懐かしむような会話を続ける三人の話は入ってくる。
「アホやなーみょうじも。せっかく信介がここまで言うてんねんから、一気に結婚までこぎつけたら良かったのに」
「コラコラ赤木」
「やってそういう奴やん。マネージャー始めたんやって、アランがそそのかしたんやろ?」
「人聞き悪いな!そそのかしてへんわ!」
俺はコイツがバレーを苦手やとか言うから。そっから仮入部まで持ってったんやろ?いやせやからなあ。初対面やろ?ナンパや。ナンパやな。信介、お前の彼女アランにナンパされた過去持ちやぞ。ちゃう!ちゃうからな!?そういや自己紹介ん時言うとったもんな。ああ、『バレーの面白さを学びにきました!』やろ?アレはたまげたなあ。アホでもわかるシリーズ引っ提げてなあ。みょうじのせいで、あれに描かれてるアホを今でもたまに思い出すんやけど。あーアレはアホの顔しとるもんなあ。
『供給過多です!!!!!』
いっぱいいっぱいやと言うかのじょを思い返す。
そして、まだまだ足りないと訴える自分の感情。
相反する二つの意見はどちらも、それぞれが主張する期間に基づいて構成されているもんで。俺はみょうじが顔を真っ赤にしながらも引け腰になるたんびに、人の気も知らんととい気持ちがどっかにあったと思うんやけど、それはみょうじもおんなじやったということに気付く。

「ええやん、ええやん。北は北の思うとおり構い倒して、みょうじはみょうじの気が済むまで恥ずかしがっとればええんよ。遠慮なんかせんでええねん」

「そんでお互い気ィ済んだら結婚や!」
そこまで言い切って、ワハハッと快活に笑う。焦りや不安までまるごとふっ飛ばすような、力強い笑顔だった。このパワーに、どれだけチームが支えられてきたか。視界が拓けて、ものごとがクリアになっていく。腑に落ちんかった色んなことが、いつの間にか解けて、すっきりとしていた。俺とみょうじをそっちのけで、部活時代の話に移っていく三人の笑顔に、自然と笑みがこみ上げて、最後に一言伝えてやろうと口を開いた。
「アラン。お前はみょうじに催眠術師の嫌疑かけられとるからな」
「ハアッ!?」


いつもより音の鳴る階段を、ゆっくりと慎重に、一段一段上っていく。抱えているものを落とさないように、揺れないように、起こさないように、離れないように、しっかりと。大事に。丁寧に、運んでいく。アルコールのせいでふわふわする思考と、どきどきとうるさい鼓動を抑え込んで、ゆっくり、ゆっくり。一歩進むごとに、鼓動は音を強くして、どうにかなってしまいそうや。それでも、脚は一歩一歩、少しずつ確実に進んでいって、ひとつの部屋の前で止まる。滑りのよい引き戸を引いて、真っ暗な室内に灯りをつけると、何の変哲もない普通の部屋が浮かび上がった。外は真っ暗で、白熱灯の光だけが視界を支えている。畳の上に、抱えていたものをやさしく下ろし、押し入れから寝具一式を引っ張り出して、極力音を立てないように敷いていく。シーツのシワまで伸ばしてきれいに整えた寝床に、今度は畳の上で丸まっているところを再度抱きかかえたところで、んん、と小さくかのじょが唸った。ぎくり。としてしまう。
「…………みょうじ?」
恐る恐る、ささやくほどの小さな声で呼びかけてみると、今度は身じろぎをした。コンマ数秒考えて、目的のところへやわらかな身体をそっと寝かせる。急に支えるものがふかふかになったことに気付いたらしい、敷布団に頬を寄せて口元を綻ばせた。かわいい、と眺めながら、すぐそばで自分も横になって、毛布をそっと被ると、熱もにおいも、二人だけのものになったような気がする。どきどきする。「んー……」人の気も知らんと。下唇、噛むんクセなんかなあ、と思いつつ、そっとそれをやめさせる。ぷくっと膨らんだ桃色のそこは、きっとよく熟れていて、うまそうやなあと唾を飲む。きっとどころか、うまそうどころか、ぷるぷるしていて、とんでもなくうまいことを知っているから、こんな静かなところで、誰もおらんところで、無防備にされたらたまらん。遠慮なんかせんでええねん、と鷹揚に笑った友人は下の階で他の二人と一緒に夢の中。なんにもかんにも後押しをされた気分になって、我慢なんぞする気が果たしてあったのかどうか、とにかくそれを食んだ。
「ん……んっ、ん」
自分の家で、自分の部屋で、自分の布団の中で、自分だけのものにしたいかのじょが、自分だけにさわられている。はじめてかのじょに触れた日、堪えきれなくなった熱を吐き出す場所も他にはもうない。完全に自分だけの、自分の意志ひとつでこのひとをどうにでもできるところに今立っていて。わずかに瞳をのぞかせたみょうじも多分、恐らくは。
「みょうじ」
「うん……北……?」
「うん。起きた?」
「ここ……?北のいえ……?」
「せやで。覚えてとらん?」
「んん……、…………みんなで、のんだ……」
「うん。飲んだな」
「きたと、おばあちゃんと……おじろと、おおみみと、あと、あかぎがおった。あかぎは、おらんかったかも」
「おったよ。みんなおった」
「みんなは……?」
「下で寝とるよ」
「ねたん…………」
「うん。せやから、俺らも寝ようか思ってんけど」
「うん……ねむたい……」
「眠たいなあ」繰り返しながら、頬を撫でてやると、ついに目を閉じてしまったみょうじはうれしそうにほほ笑んですり寄ってくる。手のひらに伝わるふわふわした感触に、あかん、と思う。 「なんか……ここ……きたのにおい、いっぱいする」ほんまにねむたそうに、のんびりした声で、そんなことを言う。寝返りを打ったと思ったら、枕に顔を埋めるかのじょに、気恥ずかしくなって、慌てて反転させて、自分の方へ向かせると、今度はへにゃっと笑って、こっちにくっついた。たよりない指先が俺の腕に絡みつく。胸の疼きが、足先の方まで駆け巡って、いよいよほんまに耐えられんくなって、全身をぴったり引っ付ける。かのじょのやわらかいところに、自分の汚いところを埋めるようにして、それだけでもう情けない息が漏れた。
寝ようかと、思っててんけど。
ほんまに。
たぶん。
ただ、でもきっと。
言い訳にもならんような単語が次々と浮かぶ。
布越しのやわらかい刺激がもどかしい。信じられへんほど薄い薄いかのじょの布っきれは、とても滑らかで手触りのええ生地やけど、とんでもなく邪魔やと思ってしまう。最低やこんなん。はあ、とまたひとつ。かのじょを使って罪悪を重ねる。それも今日は、夢とか想像のかのじょではなく、ほんまもんのかのじょを使って。くっついたまんまゴソゴソと動くのがくすぐったいのか、鬱陶しいのか、んん、と声を上げたり、身じろぎをする、そんなことをしたら、ますます、どうにもならんやん。あかん、あかんと思いながら、止められへん。あかん、これ絶対部屋着汚れた。似合うてたのに。けどこんなに薄かったら、隠れてても色々とわかってしまうし、触り心地もこんなん、離されへんし、あかん、あかん、どんどん熱が大きくなっていく。いつもなら、ひとりでどうにかしていることも、ここにはみょうじがおるから、身体が動いてしまう。ちいさなやわらかい身体にぎゅうっとしがみついて、息を乱して、情けないことをしてしまう。どんどん昂っていく熱が頭に回ってろくなことを考えない。涙がこぼれた。
全部ほしい。
待つなんてできひん。
今すぐ俺に全部寄こしてほしい。
かのじょの気持ちを知らされた上で、そんな風に、思いやりのないことを考えてしまうんは、俺がどっかで、かのじょを恨んでいるからやろうか。自分だってかのじょを傷つけてきたくせに。なんてひどい奴なんやろう。みょうじも可哀想に。涙がぼろぼろと。汗と混ざって。呼吸になり損なった音が、静かな夜に響く。部屋の外には聞こえないほどの、小さな水温が、ふたりの身体に挟まれて消えていく。「んんっ」起きないでほしい。今だけは、目を覚まさないで。見ないでほしい。どうか。でも知ってほしい。見つけてほしい。わかってほしい。どうにかしてほしい。俺が今、こんな風になってるんは、お前のせいなんやから。全部全部、お前のせいなんやから。ぼうっと溶けた頭でかのじょをなじって、少し開かれた唇を貪る。
「んっ…………」
「――みょうじ」
「むう、ん。ん、きた」
「なあ、みょうじ」
小さく眠って起きてを何度も繰り返しさせられているかのじょの意識は恐らく薄い。現実と夢の境目も、よくわかっていないだろう。わかっとる。わかっとるけど。
「つまみ食い」
「んん?」
「つまみ食い、してもええ?」
「ん…………?」
「食いたいねん。なあ、ちょっとだけでええから。みょうじもしとるやろ、つまみ食い。ばあちゃんから、こっそりもらったやろ。俺も、したいねん。なあ、ええ?ええやんな?」
「うんん…………?」
「ええ?つまみ食い」
「んー……」
「ええの?ほんまにええ?」
「うん…………」
「いやらしいこと、してまうよ?」
「ん…………」
ああ、またよくわからんもんに頷いて。
わかっとる。わかっとるけど。
止めてやらない。
緊張で乾いた唇をぺろりと舐める。
しょっぱい味がした。
ふたつの瞳がとろんと見上げてきて。
心をグチャグチャに乱される。
神妙に両手を合わせた。
「…………いただきます」
「……はあい…………」
ふ。


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