春が来た。
去年とは打って変わり、満開の桜が出迎える中。
バレー部はバレー部らしく、学生は学生らしく、思春期は思春期らしく、頭を悩ませることは多々あれど、俺らは無事二年生へ進級し、同時に新入生が新たにやって来た。一フロア分、低くなった教室の窓からはらはらと散るほのかに色づいた美しい桜の花びらを目で追いかけていれば、眩しいほどの金髪と、多少落ち着いてはいるものの、周囲とは明らかにかけ離れた色を持つ大柄の男がふたり、視界にぬっと現れては上を向いてきょろきょろと、そしてこちらと目が合っては嬉しそうに笑って大きく手を、
「おった。アランくーん!」
「そんなんじゃ聞こえんやろ。お――――い!!アランく――――ん!!!」
「お――――――い!!!」
……なんでこんな懐かれたんやっけ?
ただでさえ目立つ容姿の双子が人目もはばからず大絶叫や。「なんやなんや」「尾白呼ばれとるぞ〜」「えっなにあれ、めっちゃイケメンやん!」「一年生?」「デカい」「イケメン!」「イケメンどこ!?」「年下のイケメンや!」「顔おんなじや!」「双子や!双子のイケメンが稲荷崎に来よった!」「宮兄弟やん。あんた知らんの?」にわかにざわつく衆声にも慣れたものか、本人らはそしらぬ顔で腕をブンブンと振っている。こうも騒がれては仕方がないので、顔を覗かせて声でもかけてやることにする。
「お前ら!そんな騒ぐな!」
そうすれば、そろっておんなじ顔をするこいつらのま〜ああざといこと。
「アランくん、今日は俺のセットで打ってや!」
「アランくんは俺のスパイク見てくれるんや」
「なんやねん、スパイク練なんかひとりでせえや」
「なんやねん、お前はひとりでサーブ練しとけや」
「ぁあ!?なんやと!」
「なんや!」
「あーもう……」ひとが返事もする間もなく、たがいの声に反応しては勝手に言い争いへ発展していく。高校生にもなって、何をしてんねんな。と呆れつつ、頬杖をついてそれを見下ろしている。よくもまあ、毎日毎日、ひとの貴重な自主練時間のメニューでそんなに争えるもんや。俺の意見、聞く気あらへん。
姿かたちは見えとるものの、いかんせん二階の教室にいる以上はあの場へ割り込むこともできず、かといってあそこまで駆けていく気もないので、日常になりつつあるこの喧噪に今日も溜息を吐いてはそれを眺めている。
「今日も朝から双子やん」と。
声が掛かってようやく顔を窓から離すと、いつの間にかみょうじがその場に立っていて挨拶を交わす。
「せっかく朝練ない日やのに、どんどん尾白に割り込んでくるなぁ双子」
「お前も最初は双子や〜ってはしゃいどったやん」
「ふ。美人は三日で飽きる言うやろ……?」
「なぁにがフ。や」と返して上体を机に伏せる。前の空席の椅子を引いて腰かけるみょうじを見上げるようにして向き合った。
「イケメンも双子も三日で飽きるんかお前は」
「まあ慣れるわなあ。あんだけ毎日騒いどったら」
「部活で会うとるもんなあ」それもささいな理由でケンカばっかする双子や。実力は地元でも折り紙つきの。ただし世話焼き役のマネージャーもコーチも早速気をもんでいるようだ。慣れる(諦める)まで頑張ってほしいと思う。
心中エールを送っていれば、今も聞こえてくる言い争いはどこへその。あっ、と明らかに華やいだ声を、イケメンの双子ではなく、いましがた教室へ入って来たのだろう、ひとりの同級生へ向ける。
「北っ、おはよう!」
「おはよう」
カバンを机の上へ置いたところでこちらを向いて、表情ひとつ変えることなく朝の挨拶を交わす、チームメイト兼、新たなクラスメイトの北信介。わあっとにわかに明るくなった表情を隠すこともせず、せわしなく席を立っては静かにカバンの中から筆記用具や教科書を机にしまい始めた北の元へと駆ける。
「お〜お〜こっちも朝っぱらから……」
心を読んだかのようなセリフに、視線をやれば空いた席を埋めてこちらを見下ろす女子生徒がひとり。
「熊谷」
「ど〜もぉ〜三日で飽きられた美人ですぅ〜」
「ハハ!言うたん俺ちゃうからな」
「尾白くんからも言うといてや。……うちのなまえちゃんは今日も必死やなぁ」ふたりの方を見た感想を一言述べて、苦笑い。席につき、視線を合わせつつも淡々と授業の準備を進める北へ、みょうじが一生懸命何かを話しかけている。どこからどう見ても恋を成就させようと頑張っている恋する乙女の姿に、クラスメイト達は既に温かいまなざしを向けていた。つまりはバレバレである。
「あんなバレバレで大丈夫なん?部活どう?」
「心配せんでも、バレとるよ。もう見るからに。あからさまや」
「ああ…………」
「時間空くたんびに北見とったらなあ……。一年にももうバレとる」
「ちょっとは取り繕おうとかせんのかね」
「そんな余裕ないやろ、……お。戻ってくる」
「なまえ〜こっちおいで〜」
心なしかとぼとぼと、廊下側の北の席から歩いてきたみょうじは熊谷に気付くと片手を上げたが覇気のない。よ、と挨拶代わりにさらされた片手を取って自分の指先をからめると、みょうじはくしゃりと顔を歪めた。
「ミサミサぁ〜……」
「どうしたどうした」
「もう予冷鳴るでって……」
「ああ――あと三分やな」
「授業の準備せなあかんよって……」
「なんや、追い払われたんか」
「…………」そんな悲しそうな顔せんでも。
悠然と背筋を伸ばす、北を盗み見る。一限目は数学で、前回習った新しい単元の復習問題の答え合わせから始まるという、その教科書とノートをそろえて机の端へ。筆箱からシャーペンと赤ペンを出して几帳面にも並べ置く。視線をみょうじへ戻す。「よちよち〜」と友人に慰め(?)られて心をなだめているらしい。眉を下げてはいるが大人しく頭を撫でられていた。
「まあ数学なめたらあかんのは同意やわな」
「えっ?」
「尾白くん宿題全部解けた?私最後のやつあかんかったわ……今日当たらんからええねんけど」
「最後のもなんも、一問目からさっぱりや」
「潔すぎん?」と明朗な。
そして両手で挟んだ友人をパッと向いたと思えば敢然と。
「ということで、なまえちゃん」
「む?」
「私らも宿題せんと。はよ自分のクラスへお帰り」
「えーっ!?」
「また昼休みに来てや」さっきまでの慈悲の心はどこへやら。一転してさっさと帰すべく背中に手を添えて退室を促す熊谷の態度について行けないみょうじは「やや、いややあ」と首を振る。
「私まだ、電線に止まっとった五羽のスズメがエグザイルみたいに立ち位置変わった話してへん!」
「大丈夫や。今ぜーんぶ言うた」
「ちゃんと聞いて!」
「昼休みにせえ」
「いやや!次の休み時間来る!また来るからな!」
「いややあ……!」と駄々をこねつつ押し負けてずるずるとドアのところまで押されて、さらにダメ押しでポンッと押され完全に教室から出てしまったみょうじは「また来るからな!」と吠えて退場した。二度言うたな……と思いながらそれを見送って、相撲取りまがいの張り手を披露した彼女に、しかしそうとは口に出せず、また幼児みたいな嫌がり方をしていたみょうじのことがあわれでもあり。複雑な心情のままいれば、無情にも北の言ったとおり予冷が鳴り渡り。慌てて数学のノートを引っ張り出しては後ろの席の友人へ声を掛け、彼女の友人はまた自らの友人へ声を掛けて、各々宿題を終わらせるのだった。

「なあアランくん」
「おん?」
「なまえちゃんって、なんで北さんが好きなん?」
練習試合のための遠征バスに乗る時の気分は、小学校の遠足の時と似ている。毎度のことながら、ひととおりのもめ事を起こしたあと、一番後ろの広い座席を勝ち取った侑が前の席に乗り出して耳打ちをしてきた。その視線の先には、前の方に大耳と隣同士で座る北、と、今の侑とは逆で後ろを振り返っては身を乗り出して話しかけているみょうじ。お菓子のおすそ分けをしようとしているらしく、ポッキーの袋を差し出していた。
「はあ?知らんわ、そんなん」
「アランくんいっちゃん仲ええやん」
「仲はよくても、あいつは読めへん」
「ええ?バレバレやで」と指さすは、狭いバスの中でひとりハート(概念)をまき散らすマネージャー。ポッキー食べてくれただけでアレなんやから、おめでたい頭しとる。北クスリともしてへんのに。
「アレはちゃうねん、アレは……」
「ちゃうことないやろ」
「見てやるな、目ぇ逸らしたれ」
「もう遅いやろ。角名撮っとるで」
「オイ角名、やめたれ!」そっとスマホを向ける角名を注意する。一応止めたら聞くけど、アイツも大概クセが強いな。なにくわぬ顔でポケットからラムネを出して差し出すので素直に掌で受け取りつつ。なあなあアランくん、と肩を揺する侑の片割れはその隣で菓子をモリモリ食うとって。出発前に出待ちしとった女子から差し入れを受け取るという非現実的なことを目の当たりにして、先輩や同輩が若干恨みがましい目で眺めていたが、本人達はどこ吹く風で「おぉ……!菓子がいっぱいや!」「ゲエ〜ッ。手作りも入っとるやん。それサム食えよ」などと、人によっては大層腹立たしいことを言っていた。まあ主に侑のほうやけども。一年生の中から数人の選ばれた部員だけが同乗する遠征バスは幹線道路をスイスイ進む。何しゃべってるんやろ、と近寄ろうとする侑のジャージを掴んで阻止して座席へ座らせる。好奇心強すぎや。勘弁してくれ。
「何するん」
「そっとしといたり」
「やっておもろすぎるやろ。なまえちゃんやで。あの北さんやで」
「……お前、あんだけ北からパンチ食らっとって、よおそんなデバガメする気になれるな……」
「そ、それとこれとは、話が別や!」
何が別や。ついさっき、双子そろってさっさと席決めて座れって言われたばっかりやろがい。動揺しつつも尚ああだこうだと言うて立ち上がろうとしたところで、視線の先の北が進行方向からグリンと首を回してこっちを見たもんやから「ギャア!?」俺と侑は仰天した。
「そろそろ高速道路へ入るから、シートベルトしいや」
「オ、オウ……」
「スンマセンッ」
端的に一言、そう告げたかと思うと元の進行方向へ直る。周囲から一斉にカチャカチャと音が立ち始め、俺と侑も慌ててそれにならった。「北おるとめっちゃ楽できるわ〜」とは部長の声。そして賛同するような監督とコーチの笑い声。もはや後頭部すら座席の背もたれに隠れてしまったみょうじなんかはまた惚れ惚れとしとるんやろうか。しとるんやろうな。
北のどこが好きかって?
――そんなん俺が知るわけない。
なんでみょうじがあんなに、思えば最初っから北を意識していた理由なんて、そんなもん本人に聞いたところで、はっきりした答えが返ってくるかどうかも怪しい。
腰回りのやや窮屈な状態で、後ろを振り返った。最後尾の真ん中に堂々と座る、実力も胆もすわった一年生らへ声を掛ける。
「……あれでも練習中はしゃきっとしとるんやから、他では大目に見たってくれ」
……なんやかんやと言いつつも付き合ってやるのは、あん時みたいな泣きざまを、もう二度と見たくないと思うからであって。まあ、自分がこの部へ引き込んだっていう義理もないではない。あいつ自身の性格もああやし、放っておかれへんこの性分も厄介や。色んな理由が絡み合って、尾白ぉ、と頼ってくる友人を追い払うことができず、こうして今日も彼女のえらい遅れて花開いた初恋模様に付き合わされる。
「あっ海見えた、海!海や!」
「みょうじ、席の上で跳ねたらあかん」
「北!海、海!」
「見えとるよ」
ついついうっかり、この目は二人を追っかけて。
「みなさ〜ん!右方向、海です〜!」
「大阪湾や」
「大阪湾ではしゃぎやろ。俺ら兵庫県民やぞ」
「大雑把なバスガイドやなあ」
「バスガイドにはちょっと足りん」
「もっと知的な美人がエエ」
「ポッキーをくれ」
「じゃがりこはないん?」
「好き勝手言い過ぎちゃう!?」

「おじろぉ!」
元気な声の主をチラと見た北が、ほんならな、と言って少し先を歩く大耳のところへ駆ける。入れ違いに追いついたみょうじが前を見て、こちらを向いた時には眉を下げている。「北行っちゃった……」と残念そうな声を出すので、用事があるわけでもなく、単に場へ加わろうとしただけだったようだ。
「俺を呼ぶからや」今回の敗因を伝えてみる。
「あんな大声で北なんか呼ばれへん……」照れられた。照れとる場合か。
「大声で呼ぶ必要あるか?」
「気合いが入る」
「気合いて」
相変わらずこいつはもう。
羨ましそうに、いや恨めしそうに、北の隣にいる大耳の背中を見ながら、歩幅を合わせてみょうじとともに進む。睨みなや、頭を軽くはたいて腕にひっかけているカゴを奪う。ありがとう、と言いながら、彼女ははあっと息をひとつ吐いた。
「なんやなんや、テンション低いな」
「たまにはアンニュイな日もあるんや……」
「アンニュイってなんやっけ」
「うそやん」
「いやホンマ……おいなんやその目は」
「アンニュイな目や」
「ちゃう、それは絶対ちゃうやつや」
「ちゃわへんもん。私は今日アンニュイ路線で行くんやもん」
言葉の意味はまだ思い出せそうにないが、路線とか今日はこれで行くとかそーいうモンではなかったはずや、たぶん……。記憶力に自信がないので、堂々とツッコむことができず、もやもやとしたまま自称アンニュイな彼女と歩いていれば、さらに後ろっから「ケンカや!」と後輩の慌てた声に振り向かされて。息を切らした銀島が俺の顔を見るなり「尾白さん!」と全力疾走でやって来る。
「なんや、ま〜た双子か」
「スミマセン、そうです」
「今回は、なんなん?」
「治の食うとった差し入れを侑が獲って食いました!」
「なんて『らしい』理由なんや……」何年似たような理由でケンカすれば気が済むんやあいつらは……、と息を吐く。マネージャーの方は「双子ケンカ多いな〜」なんてのんびり構えとるので小さな頭を軽く小突いた。
「イタッ」
「のんびりしとる場合やないやろ。行くで」
「私も?」
「マネージャーやろ、お前も管理するんや」
「アンニュイな私も?」
「アンニュイなマネージャーもや」
アンニュイなマネージャーもかあ、と言いながら、揃って踵を返す。
そして部室へ戻ろうとしたところで、
「みょうじ」
と静かに声のかかる。
「はい!」アンニュイも吹き飛ぶような見事な返事と勢いで振り返ったみょうじ。
こちらへ近づいてきたそいつに目を丸くして、目玉に熱を灯す。
「マネージャーが遅れると困るやろ。俺が行く」
「えっ」と声を上げる間に、俺の手からカゴを奪って。大耳、と呼んでそれを手渡すと再びこちらへ戻ってきては「行くで」と俺を見る。あっという間のできごとに、ぽかんとしつつも「ありがとう……」と言っては北の背中を見つめ、苦笑した大耳に促されて名残惜しそうに進行方向を元に戻す、みょうじは体育館へ向かって進み出した。こちらは「はよ」と北の声に戻されて、そのまま部室へと足を動かした。
「すまんな北」
「尾白が謝ることとちゃうやろ」
「せやねんけどな……」
せかせかと急ぎ部室へ戻ってみれば、言い争う双子の声。
「何やってんねんお前らはもぉ……」
「あっ!アランくん!助けてや!」頬の腫れている侑が怒気混じりに助けを求める。胸倉を掴まれ拳を向けられつつも、足で治の図体を全力で阻んで肉体的には均衡状態といったところだ。いや侑は既にボコボコやけども。対する治は怒り心頭といった形相で今にも侑へ殴り掛からんとしている。これ以上殴る気か。怒気がやばいわ。ちゅうかなんで菓子の取り合いでこうなるんや。今日び小学生でもここまでせえへんぞ、と呆れて、ひとまずは治の方を先に落ち着かせるかと息を吸う。
「お前ら」
呼吸にかぶさった、底冷えするような声。
ブルッと身体が震えた。
目下の双子も震え上がった。
背後から北が、温度のない視線を向けていた。
思わず脇へと退けば、そこを一歩、前へ出る。
「その喧嘩は、今ここで練習時間を圧してまでせなあかんことか?」
つ、冷たぁ…………。
「治」
「ハイ!」上ずっとる。
「退いて、立ち」
「ハイ!!」拳を下ろし、胸ぐらから手を離して光速で立ち上がった治。開放された侑は微動だにせず。ふたりは揃って冷や汗を浮かべた。
そうすると、冷ややかな目玉が侑を見下ろして。
「侑、いつまで寝てんねん」
「ハイスンマセンッ!」
超速でこちらも立ち上がる。
そして、秒で俺の背後へ回り込む。
「おいサムジャマや」
「お前が出ろや、ショアクのコンゲンがなに隠れようとしとんねん」
「なんやと!?そもそもお前が――」
今度はひとの背中で揉めだすやっかいな双子に、慌てて二人を止めようと介入するも、両側から腕を掴まれて罵り合いを聞かされる。もお嫌や、なんでコイツらこんなに仲悪いん……。なんて、双子もやけど俺も目先の喧騒に気を取られてしまったからやろうか。

「なあ」

ヒッ……!
自分の喉から、情けない音が漏れた。
「俺はいつまで待ってればええんや?」
「き、北……!」
瞳孔開いとる……!
ご開眼や!
コワッ!
「忘れとった……」アホ。
「言うなアホ」お前も一言多いわ。
「部活は集団行動で、お前らは部員や。お前らの兄弟喧嘩で、二人の人間がいま余計な時間をくっとる。そのことに対してなんとも思わへんから、次から次へと同じようなことで言い争えるんか?」
「い、いや……」
「そんな、ことは……、決して……」
「銀島が尾白を呼びに来たんや。自分らでおさめられへん喧嘩は、周りの迷惑やで」
起伏の少ない声で淡々と吐き出されるごもっともな言葉の数々に青くなり、縮こまっていく二匹の野狐。多少あわれにも思えるそのざまを数秒静かに見下ろして、北は息をひとつこぼした。
「ここにはもう誰もおらんし、練習はもう始まっとる。俺らは今から体育館へ行くけど、お前らはどうするん。このまま喧嘩しとくか?」
「た、体育館へ行きます!」
「練習します!」
「ほんなら、はよ準備せえ」
途端、バタバタと音を立てて自分らのロッカーへ向かう二人。ジャージへ着替えきる前にことが起こったらしく、治は制服だったし侑は下が履けんとパンツ姿で、皺くちゃになったシャツや菓子の包装紙とみられるゴミが床に落ちている中、双子は超特急で着替えを済ませ、北監修の元床の掃除と取っ組み合いで乱したベンチを元の状態に戻してから部室を後にする。ちょうど外へ出たところで、なぜかみょうじがしっぽを揺らして走ってきた。
「おじろ〜!」
「みょうじ?どうしたん」
「いやっ……、けんか、気になって……、だいじょうぶ、かなって……」弾む呼吸を整えるみょうじ。それを見て北が双子へ「三人目や」と言うと、震えた双子が口を開く。
「すんません!」「すんません!」
「わっ。どうしたん双子」
がばっと頭を下げた二人にぎょっとするみょうじ。
やっぱり練習は先に始まっていて、彼女は準備を終えてから用事を見つけて外に出て先に立ち寄ったのだとか。事態が収拾しておりすっかり安心した様子で「そんじゃー行くな!」と別方向へ走って行ってしまった。忙しい奴である。
「なまえちゃんっていっつも走っとるな」
揺れるポニーテールを見送って、何の気なしに呟いた侑の一言に、俺はなにを悪びれもせんとと思ったが、直後。
「いっつも走っとるんは、いっつも忙しいからや」
凛としたその声色が、わずかに。
ほんの少し、やわらいで。
「ほんまなら俺らが一緒にやるような作業も、みんなが少しでもちゃんと練習できるように言うてやってくれとる。そのために毎日毎日、あっちこっち走ってんねん。うちのチームが性に合っとるんやろうな。試合の時、ほんまに楽しそうな顔して見てるんやで」
「…………」
北がみょうじを褒めとる……。
驚きに……これは、感動か。
不思議な気分になりながらまじまじと見てしまう。
そうや、こういうところ。北はほんまによう見とるんや。
「そんなひとの時間を、喧嘩で奪うんは良くない」
「ハッ、ハイッ……!」
言いたいことは言い終えたとばかりに潔く前を向き、歩き出す北の足取りに慌ててついていく。後ろで治がアホ、と小さく片割れへ吐いたのが耳に入る。そのことに対する悪態は聞こえてこなかった。
冷たいかと思えば親切で、厳しいかと思えば優しくて、それで、追い払うようなことを言うのにこうやって思いやったりする。
こいつは、北は、みょうじの気持ちを思ってひとを叱ることができるんか。
そう思えば胸が熱くなった。
彼女の未熟で不器用な気持ちが引き起こす行動の数々を近くで見て来たせいか。悲しいことにそれらがあまりいい結果へ繋がっていないみょうじなまえが持つ、マネージャーとして真摯な部分はちゃんと北に伝わっていた。
聞かせてやりたかったなと思った。
さぞかし喜んだやろうな。
卒倒するかもしれん。
それはマズいか。
なんやかんやと考えながらもさかさかと足を進めれば、ほどなくして目的地へたどり着いて。飛び込むように元気に入っていった双子に苦笑して今度はその背を追う。北はやっぱりニコリともせんと続く。ボールの弾む音、声出し、ホイッスル。一度足を踏み入れれば、熱気がにわかに身体へぶつかってきて、皮膚からじわっと汗の滲む感覚がする。床から伝わる振動に、音に、肌をさすその空気。
飛び込んでくるボールを掌手のひらで叩き落としては、自然と弾む心に導かれるように中心へ向かって駆け出していく。
きょうも、これから、バレーの時間や。

春に現れた双子の野狐は、この稲荷崎でも難なく実力を披露しては早々にベンチ入りを果たした。前々から監督に目をつけられていたという理由もあるが、なんやろう。この二人は常に二人で争っていて、互いが互いの勝負相手みたいに見とるからやろうか。高校という新しい環境下においても緊張やら妙な力みやらで本領を発揮できないということはなく、むしろ自由に好き放題行動するので、たびたび起こる想定外の行動に俺ら上級生の方が慌てることが多い。中学の頃は二人の間でまちまちだったポジションは、侑が上げて治が打つという形が主流になっていた。それも試合本番では瞬間的にひっくり返ることもあり、相手チームはおろか味方の俺らまで目を剥いたりする。愛知からわざわざうちへやって来たという気だるげな後輩は、優秀なブロッカーな上に力では勝るが決定率の高さが注目されるスパイカーでもある。まさに次世代の主力達と呼ぶにふさわしい顔ぶれが既にハッキリしていて、一学年上の俺らはひたすらに身を引き締める思いで毎日練習に打ち込んでいた。去年の部長からバトンを託された今年の主将の、背後にはもう来年の正セッター候補が並んでいる。
去年確かに抱いていた『やってやる』という強い意気込みが、今年は『やらなければ』という使命感や焦りへと変わっていた。
より強く。
より高く。
より速く。
他の誰でもない、俺を選ばせるために。
みんなそういう気持ちを持っていると思う。
身体をいじめては癒し、痛めつけては休ませるを繰り返して培ってきた筋肉は決して無駄にはならん。そうと信じては毎日毎日、自分で自分をしごいて。ひたすらに跳び続ける毎日を送るなか、頭に響く笑い声に軽口、悪態、言い争い。身体のつくりはおんなじはずやのに、声はそっくりとまではいかないふたつの声が、突拍子もないことを急に始めるその挙動が、夏の到来が近づくにつれて徐々に奇妙な熱となって身体に残る。その奇妙なくすぶりを、うまく逃がしてやれるほど大人ではない俺たちは、それを相手にぶつけてしまうような子どもでもないのだ。
高校生とは、そういう難解な年頃なのであって。
「きょうはなまえちゃんがおごってあげよう」
間の抜けた、空気にそぐわへん、能天気な声でそんなことを言いながら、笑って手渡してきたのはコンビニのクレープだった。なんでクレープ?と思ったので言葉にすると「疲れた時には糖分やん」当然のように返ってくる。袋を裂いて中の折りたたまれてコロッとしたそれを半分ほど飛び出させて一口かじる。冷えた粉もん特有のもっちりした生地に包まれた生クリームと濃厚なチョコレートの甘みが口いっぱいに広がるのを感じた。パッケージをよく見てへんかったけど、これアレや。生チョコの、ちょっとお高いやつや。顎を動かしてもちもちとコンビニスイーツを噛み締める。その傍らで彼女も同じように封を開けて。
「おいしいやろ?」
「ン。まあな」
「たまにはこういう、ちょっとええやつも食べたほうがいいねんで。自分へのご褒美や」
「ご褒美なあ」
「みんないっつも自分で自分しごいてるやろ?すると脳がこう、狭窄するから」
「キョウサクってなんや」
「これ人数分、部費で買うたら怒られるかな〜」
「なあキョウサクってなに?」
のどかな春の夜道。
いやもうじきに夏か。
青々と茂った街路樹の緑は、ところどころに据えられた街灯の光の届くところだけきれいに照らされている。この間までは白い花びらをそれはそれは幻想的に照らしてくれとったのに、いつの間にこんな季節になったんやろう。そう思いながら、またひとつ大口を開けた。ぷにぷにした皮と、ふわふわのクリーム。こってりした濃厚なチョコレートのペーストの香りが鼻に抜けて、滅多と味わうことのないエエモンの甘みが脳へ回る。舌で脳で感じる心地よさは、確かに疲労しきった身体には効いていく気がした。
「それでも……」
「ン?」あとひと口分しかないなあ。とくしゃくしゃに小さく握り込んだ袋を思わず眺めて寂しくなっていたところで声がかかる。
「それでも尾白がスッキリせえへんなら、北のパンチ食らってみるんもええかもよ?」
不意に登場した名前に一瞬面食らう。
「パンチて。あいつが人を殴るかいな」
「クロカンが言うててんで。正論パンチて」
「正論パンチ!」思わず吹き出してしまった。
なんてピッタリすぎる言葉やろうか!
「監督そんなこと言うとったん……ブフッ」
「な〜!うけるやろぉ」
「あかんあかん、色々思い出してきた」
「なんていうか北は、感情の迷子とは無縁そうや」
「ああ……それはそうやな」常にピンと伸ばされた背中を思い浮かべて頷いた。
「できること、できんこと、やらなアカンこと……、そのために今やるべきことを、全部理解してるんやと思う」
それで、その通りに行動していく。
まだまだウチのチームが求めるレベルに到達しているとは言んやろうが、それでも一歩一歩階段を上るように着実に上達していく。それが北や。
一気に駆け上がりたくなってやきもきしたり、上を見上げては途方にくれたり、振り返って見下ろしては足を止めてしまう、なんてことは絶対せんのやろうな。
「なんで北は、焦らんでいられるんやろうな……」
なんも思わんのやろうか。
あの高揚も、あのもどかしさも、焦りも、しんどさも、そして寂しさも。
感じんのやろうか。
疲れることは、ないんやろうか。
そうやとしたら――
それは、すごく――
「尾白が北になったら、私いややで」
のんびりした声が、思考にぴったりとかぶさってきて隣を見下ろす。みょうじはまっすぐにこちらを見上げていた。
「……なにを言うんや、いきなり」
「尾白は尾白やからええんやんか。北も北しかおらんから、ええんやろ。北ばっかりのチームになったら、こわいし、多分私もおもろくない」
「お前がソレ言うん……」
「やってそうやもん。私は北を好きやけど、北旋風を巻き起こしたいわけやないのよ。北の努力が報われたらええな、とは思うけどな」
えらいまあはっきりと言うようになって……。
「こわいわ、いやや」と身震いまでするのを見て、また笑う。
「明日北に言うといたるわ」
「や〜!やめて〜」
けらけらと笑い合いながら、いつもよりちょっとだけ特別な甘いかたまりにかぶりついて。
そうやって肺に溜まったものを吐き出していけば、なんとなくすっきりした気にもなってきて。
高校生ちゅうんは、難儀なもんでありながら、驚くほど単純なもんや。
なんて息をこぼしては上がる口角。
「まあ……せやなあ」
「ん?」
「パンチ、食らってみるんもエエな」
「一緒に食らってあげようか?」
「お前、北に構われたいだけやろ」
「ふふ!」
「ふふて」
「なあ尾白」
「おん?」
「スタメン入り、おめでとお」
屈託ない笑顔に。祝福の言葉。
それが今日、はじめてまっすぐ、ちゃんと胸に据わったような感覚がして笑う。上も下も見んと、それは難しいかもしれんけど、ひとまず今だけは、ただ純粋にこれまでの努力をほめてやろうと思った。
「…………ありがとお」
素直な一言。
それがいやに気恥ずかしくて、聞こえてなければええと思った。それやのに彼女は満面の笑みを浮かべるから、最後の一口を慌てて放り込んでむちゃむちゃと顔の筋肉を必死に動かすことでごまかした。
「すごいなあ。ご家族めっちゃ喜ぶんとちゃう?」
「せやろな。応援してくれとるから」
「ええな〜私も誰かにほめてほしいな〜」
「ン〜、すごいな〜みょうじ〜」
「適当か!もっと具体的にほめてやぁ」
「ええ、めんどくさ。……そういえば、前に北がほめとったな」
「えっ!?ほんま!?な、なんて!?」
「なんやったっけ?アー、……忘れた」
「しっかりしてや、尾白の海馬ぁ……。え〜なに〜……、私のおるところでほめてくれたらええのに〜……」
「さすがにそれはやらんやろ」
「なんで〜??え〜もぉ……、なに〜……、そんなんも〜結婚するしかないやん〜……」
「まず告白からやろ」
「オッケーもらえると思う?」
「…………」
「あわれみの目!!!」


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