「北くん!」
「どうしたん、みょうじさん」
「あの。北くんのこと、北って、呼んでもええ?」
「うん、ええよ」
なんやアレ、と赤木が呟く。
玉のように浮かぶ顔面の汗をタオルでぐいと拭いながら、赤木の視線の先をたどると、少し離れたところに北とみょうじがおった。俺らと同様、体育館の床に座り込んで、休憩をとる北のそばでみょうじが屈んで話している。内容はなんてことない、ただのジャンフロ談義のようだ。サーブカットやら打つ位置取りやらをいつも通り丁寧に話す北にうんうんと頷いている。ルールから質問しまくっとった入部したてん頃と比べたら、みょうじも成長しとるんやなあ。なんて思っとったら、脈絡もなくそんなやりとりに差し替わって、なんやアレ、と赤木とおんなじことを思った。
「ほ、ほんま?ええの?」
「ええよ。みんなそうやって呼んどるしな」
「じゃあ、あの……き、北」
「うん」
「…………」
おーおー汗だくやん。
ほんまになんやねんアレ。
「あいつ北んことくん付けしとったっけ?」と首を傾げる赤木。記憶にないんは、みょうじが普段あんまり北に近づかへんからやろうな。用事があれば特に避けることもないけど、それ以外に二人でなんか話しよる場面なんて、ほとんど見かけへん。練習中以外で北に用事あるときは、大体俺も駆り出されるしな。
「ああ……北がさん付けしとるからなぁ」
「つられとるんか。アホやな〜」
まあ、アホはアホよな。そう返しながらも、内心穏やかではない。話題を変えようと、昨日食うたリッツの話をしてみたけど、努力の甲斐もなく。せめて後からぞろぞろとドリンクを抱えてやって来てはバタバタと床へ倒れ込む同級生らにまで興味を持たれんように、おもんない風を装うんで精一杯や。
「ちゅーか呼び捨ての許可もらうとか何?俺んとき、初対面から直やったけど」
「それはみんな一緒やろ」
「じゃーアレなんやねん」
「えぇ……?知らんわ」なんともない、気にしたこともないですよっという具合を醸しつつ、しつっこいな赤木と息を吐く。ええ、ええそんなん。なんもない、なんもないて。気にせんでええから、放っといてやってくれと思う。というか俺は放っときたい。口の中いっぱいにドリンクを頬張ることで、納涼と水分補給と、閉口することの理由付けとを同時に行うという、できる男っぷりを発揮したところで、気づいてくれる奴なんか誰もおらんけど。眉をひそめる赤木に、ええからお前は汗ふけや、と近くにあったタオルを投げてやる。あっそれ俺のやん、とどっかから声が上がった。そうなんスマンスマン。返すわ、このイケメンの汗付きやけどな。いらんわお前のよこせ。いらんってなんやねん!小気味のええテンポでつながっていく新たな会話に乗じて、ゴロンゴロンと思い思いに転がりながら呼吸を整えていく。
「なあアラン」
「ん〜?」
「お前なんも聞いてへんの?」
「ん〜んんん?」
「いや早よ飲み込めや!」
「ぬるいと不味ならんか?」
「あーわかる。口ん中甘なるよな〜」
「歯ぁカピカピなるで」
「あれって虫歯なるんやっけ?」
「えっ知らん。甘いしなるんちゃう?」
「大耳知っとる?」
唐突に話を振られた大耳が細い目をわずかに開く。なにか別のこと考えとったんかもしれへん。そらそうや、こんなくだらん話に耳を傾ける価値なんてあらへん。それでも律儀な大耳は、チームメイトの繰り返した疑問に対して、ああ……なんやっけ、と少し考えるそぶりをしてから、聞いた話やねんけどなと前置いてから話し出す。あぐらをかいた自分よりでかい身体の脇に立ててあるボトルに目をやった。
「こん中に入っとるイオンがあかんねんて。歯のエナメル質溶かす言うてな」
「ングッ!?」思いのほかぶっそうな回答に、思わず口の中のもんを一気に喉へ流した。
「アカン!」
「はよ飲みこめアラン!」
「尾白が歯抜けになってまう〜!!」
「ゲホッゴホ」クソ、喉に引っかかりよった……!咳き込む俺の周りにわらわらと集まり出す同級生がいっそう騒ぎ立てる。
「器官までダメージ食ろとるぞ!」
「水、みょうじ水!」オイオイ呼ぶな呼ぶな、こんな茶番に今呼んだんなや、という声も、喉に残る違和感のせいで音にならない。なおも咳を繰り返し、それを消そうと試みる。そんなことをしていると、「え、なに?なんした???」と戸惑う声が悪ノリの過ぎる男どもの声の隙間から聞こえる。
「誰か水をッ、水をアランに〜……!!!」
「えっ尾白?えっちょっと――!?」
ドッタンバッタン。
ドタドタ。
ごつん。
沈黙。
「部活の休憩時間は休憩をするための時間や。遊ぶためとちゃう」
堂々と腕を組んで俺らを見下ろす北。向かい合って正座する俺たち数名の頭のてっぺんには揃いのたんこぶが見事に膨らんでいた。声のでかい一年生のちょっとした悪ノリは傍から見れば結構な騒ぎやったらしく、二三年生に様子をうかがわれ、主将に叱られたと思たら、しまいには監督が出てきてゲンコツを食らうにまで発展してしまった。なんで俺まで。俺騒いでへんやろ。ちょこっとむせてしもただけで……。そういう、憮然とした顔を見たのだろう。北がまっすぐな目でこちらを見やる。無意識に背筋が伸びた。
「飲みもんで遊ぶな」
「あかんで尾白。みんな心配するやろ」
北の隣で、眉を下げたみょうじがやわらかく諫めた。お前……北とおったから、今回はたまたま難をのがれただけやというのに、なにをそんなマネージャーみたいな顔して、常識人みたいなコメントしとんねん?お前はいっつもこっち側やろが??仲のええはずの友人の、まさかの裏切りにわななく俺の隣で「腹立つわ〜」と赤木が呟いた。今度こそ俺は、力強く同意したのやった。
「アラン」
「ん?」
「溶かす言うても、まあphの問題やから。俺らが飲んでるドリンクはそもそも大分薄まってるし、運動もこんだけしとるんやから、あんま気にせんでエエと思うで」
「それもうちょい早よ言えんかったん??」
ゲンコツ免れたヤツここにもおったわ。

「あ。なに食べてるんそれ!」
「ん?コロッケパン」
街路樹のイチョウで黄色く色づいた道路を歩く。部活後、帰宅するまでのわずかな時間も、空腹に耐えきれないと主張する胃袋のために、購買で買っておいたパンを頬張ると、それまで監督に今日はどんだけ叱られたとか、チーム戦見て出てきた質問とか、昨日貸してやったDVDについての感想とかをしゃべっとった隣の口から指摘が入る。目線を下へやると、食い意地の張っとるちいこいマネージャーがひとのものを羨んでいた。
「ええなあそれ!一口ちょうだい〜」
「アカン!これは俺の大事な食料や」
「なんでやあ、四限目の前に、私のとっときのチョコ食べたやんかあ〜!」
「グッ……!そ、それはやな……!」
「ひとくち!ひとくちだけや尾白!」
「せ、せやけど……!」
「バス停つくまで、このまんま、ずーっとさわぎたてても、ええんか!」
「スーパーでお菓子買ってもらいたい子どもか」
まるで幼稚園児みたいな脅し文句やな、と思いながらも、ほんまにこの調子で騒ぎ立てられても困るので、ひとつため息を吐いてから、袋から一度パンを取り出して端っこを、まあコロッケも多少入る程度に割ってやる。わーい!と十六歳児とは思えん声を上げてそれを受け取ったみょうじは、女子にあるまじきでっかい口を開けてぽいっと放り込む。お前もうちょい躊躇せえや。
「うま〜」
「よかったな。俺の食料はちょっと減ったけどな」
「過去ばっかり振り返ってもあかんで尾白」
「お前にとって一秒前は過去か……?」
とても今しがた四限目の前の休憩時間の話を持ち出してきた人間の言うこととは思えへん。まあたしかに、とっときのチョコ、それも最後の一個を食うたんは悪かったけども。いつものチロルとはちゃう、ちょっとお高めの濃厚なチョコレートの舌で溶けた感覚を思い出し、唾液がじわっと出てきたのを、コンビニのコロッケパンを詰め込むことで鎮める。味は全然ちゃうけども胃袋まで来てしもうたら大体一緒や。一気にご機嫌になってうまそうにもぐもぐと頬を動かす友人を隣に置いて、最速よりもだいぶん抑えたペースで歩んでいく。
「尾白身長は伸びてへんよな?」
「前の測定から三か月経ってへんやん。そんなすぐ伸びんわ」
「ええ。でもなんか、夏より高くない?スパイク打つとき」
「そう見えるか?」
「見える。今野さんがこう、ブロックする、手ェの上から打っとったやん」
あんひと今百八十三あるんやろ、と続く。両腕を上げてブロックのまねごとをするみょうじを横目で見ながら、こいつ素人のくせに存外目ェええよなというのはたまに思う。
「身長と最高到達点はちゃうからな。打つときの体勢とか助走とかトスの位置速度、マッチアップとかによっても変わるしな」
「うん」
「けどスパイカーはより高く飛んで、より強く打つ。何よりもソレ特化の生きモンやからな。どこのチームもブロッカーは高いヤツ集める。 そいつらに対抗する武器持っとかんと、一個上の舞台では戦えへんやろ」
「……そうやと思う」
「茶谷さんに頼んでな、俺へのトス、意識的に高くしてもらってんねん。ちょっとでも上で合わせられるように」
「そうなん?それで、ジャンプ高くなるん?」
「なんもせえへんよりはな」
「ほう」
「まあ身長はほしいけどな。神サマ今すぐ俺に十センチくれ!て思うし」
「尾白もそんなこと思うん」
「思うよ。インハイも、その予選も見てきたやろ。みーんな高かったやろ」
「うん…………」
「……うちの部、今はスパイカー飽和状態やからな。レギュラー争いに必死やみんな」
「…………」
珍しくも黙ってしまった。つむじしか見えんようになった隣を気にしながら、さくさくとイチョウを踏みしめる。
「みょうじ」
「…………ん?」
俺は、頭ん中で言葉を考えて、何回か考え直して、それでも変わらんかった言葉を口にする。興味と警戒と、ほんの少しのためらいを覚えながら。
「お前いま、誰んこと考えとる?」

『北くんは……んー、フィヨルドって感じやわ』
しぱしぱと瞬きをして、思ってもみない回答をした前の席のみょうじを見上げた。
ほら尾白、手ぇ止めたらあかんて。と促され、ハッとして再度、彼女から借りたノートを見ながら、一文字ずつ自分のそれに書き写すという作業を再開するが。聞き慣れない単語はしっかりと脳みそのど真ん中を陣取ってしまったようで。『ふぃ……ハァ?なんやて??』と聞き返すと、フィヨルド、というワケのわからない単語が再び返ってきた。
『そういう場所があんねん。簡単に言うと、氷河でできた谷のことやな』
『氷河て』
なんちゅうものの喩えをするんやこの女。
ひとんこと、氷河て言いよったぞ。
『それどこにあるん?』
『イメージしてるんはグリーンランドの方やけど……けどノルウェーの方もカッコええよな。あそこは氷河とかやないけどな、また違った――特にリーセフィヨルドはな……プレーケストーレン……ふふ。まあ北の方やな』
『急に笑い出すなや、おそろし。北の方やから北とか。なにウマいこと言うとんねん』
『そんなつもりとちゃうわ。ひとが常に笑いをとること考えて生きてると思ったら大間違いやで。尾白みたいにな』
『俺やって常に笑いとること考えとらんわ!』
『せやな。いま尾白が考えなあかんのは、あと五分でそのページの訳書き写すん間に合わせることやわ』
『あークッソ!』声を荒げたところで仕方ないんは承知の上。前回の授業の最後、次当てられると言われたことをすっかり忘れてゆうべもたっぷりと睡眠をとってきた自分が悪いんやけれども。英語は割と得意科目らしい、えらい得意げに『貸したろか?購買のプリンと引き換えになぁ〜』とノートを差し出してきた性悪の手を取ったんはまぎれもなく俺なのだった。自分にさえ判読できればええだけの適当な最速の字を書くためにひたすら手を動かす、俺にはかまわず『ええよな〜あの辺りは』などと声を弾ませる。
『あの辺りって?』
『北の辺りや』
『北の方やなくてか』
『今私が言うとる北の方の北は、北くんやなくて、北の辺りの北の方やからな』
『なんやねん北北北北て。ややこしすぎるわ』
『はじめに北くんのことどう思うんって、聞いてきたん尾白やんか』
『…………』
『ハハハ。尾白そこ漢字間違えとる〜』
『エエねん!読めれば!コレでエエねん!』
『こら波乱の期末試験になりそうやなあ』
『お前が成績ええとか未だに信じられんわ……』
『現在進行形でみょうじ様のお知恵借りといて、よくもまあやで』
『プリンを、おごります』
『わーい!』
『わーいとか素で言う女子に俺は負けるんか……、アホでもわかるシリーズをまだ熟読しとるようなアホに……』
『まあ五教科はなあ。一年でつまずくわけにはいかんやろ。私はセンター受けるやろうしなあ』
『センターて?』
『センター試験』
『うっそやろ!?三年も先の話、今しとんか!?』
『三年間なんて、すぐやで尾白』
『嫌や……聞きたない……』
『三分間なんて、すぐやで尾白』
『嫌や!!!聞きたない!!!!』
『ほらもっとスピード上げんかい〜』楽しそうな声で人を煽る。これがマネージャーの所業か。二年後、いや来年のエース(願望)に向かって、こんなことしてええと思てんのか。などと言うてみたところで、時間は進むし、宿題は終わらんしで、書き進めていくしかない。それにしてもどんだけ長いんや。なんこれ。結局これ、なんの話なん?日本語をノートに書き写すだけでは内容が頭に入ってくるわけではなく。海面上昇とか温暖化とかガラパゴス諸島とか、繰り返し書いている単語から察するに、地球温暖化の話か、レベルのことしかわからへん。シャーペンを握る手が、他人にはほとんど読んでもらえへんやろう筆致で、氷山の一角、と記したところで、その言葉はなぜか頭ん中にすんなり入った。
『そんで』
『うん?』
『北の辺りの方の北は、なにがええん』
『呼び分けできてるか怪しいな』
『できとるわ。で?ソレのなにがええんや』
『わからん?』
『お前の言うことは、基本わからん』
『ええ。わからんかなあ、この魅力』
『魅力て』
『北くんよく空気凍らせるしな』
『まあ。体育館が極寒の地と化すよな』
『しずかで、厳しくて、さびしくて――きれいや』
『…………』ゆっくりと、丁寧に並べられた言葉を頭ん中で復唱する。あまり、聞いたことのない声色やな、と思いながら、どんな顔をして言うてるのか少し気になったが、顔は上げずにノートにかじりつく。あともうちょい、もうちょっとでこの苦行が終わるんや……。
『尾白はそうやな、モニュメントバレー……』
『お。バレー?』
『いや、やっぱナマクワランドやな』
『急にワケわからんもんになった!』
『お花畑やで』
『お花畑!俺がか!』
『うん。似合う似合う』
『えっそう……?ホンマに??いや〜なんや照れるなあ、ウフフ……綺麗やなあお花畑――って誰が脳内お花畑やねん!!!!!』
『ノリツッコミに人生かけとる、みたいな勢い出すやん……言うとらへんし……あと百八十のガチムキ男子がウフフはないわあ』
『ガチトーンやめへん?????』
ピュアな心根がたいそう傷つけられたところで、最後の一文を書き終えた。勢いよくノートを閉じて机の上に倒れ込む。やっと手ェ解放された。腱鞘炎なる絶対、と呟けば『手首使いまくっとるスパイカーがこんなんでなるわけないやん』などと呆れられる。お前その常識人語り止めえ。と返してみょうじのノートを両手でうやうやしく持ち上げた。
『アリガトウゴザイマシタ』
『ドウイタシマシテ』
『コノ借リハ、必ズ』
『プリンデナ』
『ハイハイ。ほんでなんやっけその、なんとかランド?何県にあるん?』
『南アフリカ』
『南アフリカ!ディズニーランドとかピューロランドとかのノリとちゃうん』
『たぶん、飛行機と車使って片道三十時間ぐらい』
『俺ムリ花に三十時間とか』
『普段は砂漠やで』
『なんやそれ。ワケわからんとこやな』
『私はいつか行ってみたいな〜外国。バオバブの木とかも気になるし』
『なんやその赤ちゃんみある木』
『そこは、この〜木なんの木♪て言うてほしかった』
『え。気になる木なん?』
『ちゃうけど』
『なんやねん!』
『なあほら見てコレ写真。バオバブ』
『えっ、なんコレ、こわ』
『尾白は星の王子様派やねんなあ』
『えっなに王子?星?』
『王子これ見て。これやでお花畑』
『オレンジ』
『きれいやろ?』
『きれいやな……』
『王子心揺れとるやん』
『ええとこやな、そのナ……ナマケモノランド』
『ナマクワランドな』
『ホイホイ。そこん二人、綺麗にオチついたやろ、そろそろ授業始めんで〜』いつの間にか教壇に立っていた英語教師のスミちゃんが両手を打ち鳴らした。コントとちゃうんやけど。

「はいソコ退いて退いて〜」
キュ、と軽い音が床を鳴らす。
上背と筋肉で重い俺らとは違う、薄くて頼りない背中が、それでも見かけによらずそこそこの速度で遠ざかって、舞台下へたどり着くとくるっと振り向いて、再びこっちに走ってくる。それで壁までやって来ては、また身をひるがえす。その身体とほぼおんなじ大きさの、でっかいモップを胴の前で両手に握って、前へ押し出すように駆けていく。キュキュキュキュキューッ。バレーボールをしている訳ではないとはいえ、部活の間あっちこっち動き回って、そんでこん走りとはなかなかのもんよな。ネットを外し終えたポールを抱えて倉庫へ歩き出す背後で、元気やなあ、と誰かがこぼした。
「ボーッとしとる場合とちゃうで」
これまた背後から、凛とした声の挙がる。
思わず背中が伸びた。
「自主練まで付き合うてもらっとるのに、モップ掛けをマネージャー一人にさせるんは、違うやろ」
怖いし容赦なさすぎやろ。
そう思いつつ足を早める。一緒にポールを運ぶ大耳と、防護材を抱えて道のりを同じくする赤木と三人で顔を見合わせ、練習後の片付け、練習ですでに体力を使い果たし、負担の少ない作業を優先的に奪い合っていた部員は少々気の毒やとは思うけども、まあ北の言うことは正しい。
「正しいからこそ心にクるよな〜」
「せやなあ」
「俺一瞬ビクついてまうもん」
「尾白も結構突かれること多いもんな」
「うっさいわ」
定位置にそれぞれ用具を戻して、まだボールは集めてる最中やから扉は開けたまんまにして、倉庫から出ると、壁に立て掛けたまんま何本も余っていたモップがなくなって、それを持った同級生らが、タカタカと走っていく姿が見えた。
「そこ退けそこ退けみょうじが通る〜っと」
「すまんみょうじ!」
「スマーン!」
「はい〜?なにが???」
当の本人が話の流れをこれっぽっちも把握してへんところがまたもう。
第一学年度最後の大舞台を目指して、そう日を置かずに予選トーナメントが始まる。どことなく漂う上級生の緊張感。レギュラー陣の気合い。上がる練習密度。中学の頃よりも重たい、その空気を肌で感じ取れてしまう。おのずと一年の自主練習も増えて、居残る頻度も高くなる。近くに転がっているボールを拾い上げると、「尾白これも〜」と動線上にあったらしいボールをコツンと蹴られて、数回バウンドしてきたそれも掴まえた。
「ではな!」
「そんな走って、コケなや!」
「承知〜」にひ、と謎の笑顔を作って、また背を向け走っていくみょうじ。なんやあの顔。相変わらず、気ィ抜ける奴やなあ。……ああ、せやから最近、特に先輩らに絡まれとるんか。肩の力抜けるもんな。なんて、たったか走るみょうじから視線を外してカゴへ入れようと身体の向きを変える、変えると、ちょうど畳んだベンチをしまおうとこちらへ向かう北とバッチリ目が合った。
「…………」そしてなんでかじっと見つめられる。
「…………き、北?」
「…………」
なんや。俺またなんかしたか。
冷や汗がダラダラと流れる。
視線の重圧に耐えきれず、キョロキョロと身の回りを確認しだす俺を数秒間たっぷりと凝視したあと、やがて北は「うん」とひとつ頷いた。
「ど、どないした?」
「うん、……いや、なんでもない」
「は???」
「なんもないわ。スマン、邪魔したな」
「え、あ、オウ…………?」
「うん」
また頷いて、北はそのまま横切って倉庫へ入る。なんやったんやろうと、ボールを片しながら考える。なんかあったらハッキリと言う奴や。そんで意味のないことはせえへん。はずやけども。
「ハズやけども…………??」
「尾白、突っ立って何しとるん」
「頭抱えとる」
「みょうじー、尾白の様子がおかしいで〜」
「え〜???拾い食いとかしたんちゃう???」
「お前は俺をなんやと思てんねん」

「ええなあ大耳んとこは」
うちのクラスも食べもんにしたかった〜!一年二組のクラスへ入ろうとして、聞きなじんだ声がしたので思わず赤木と顔を見合わせる。開けっぱなしの入口から顔を出すと、扉から一番近い席にみょうじが座っていて、空のお盆を手にしゃんと立つ大耳をひっくり返りそうなくらいにのけぞって見上げている。今にも首を痛めそうやなと思っていれば気づいた大耳が少し屈んだ。紳士やな。
「みょうじらんとこ、なんやっけ」
「ん〜。クイズ大会」
「おもろそうやん。俺後で行こうかな」
「大耳行ったら、景品ぜんぶなくなるんちゃう」
「なに、大耳くんやっけ。そんなに頭ええん?」
「ええで〜ミサミサ、大耳は。成績もええしな。めっちゃ色んなこと知ってる。雑学王に今すぐなれる」
「えっすご〜」
「なれんわ。適当言いすぎやで」
「大耳くん運動神経もええんやろ?すごいわ〜。背ぇむっちゃ高いしなぁ。何センチあるん?」
「百八十五センチ」
「なんでお前が答えんねん」
「え〜すご〜!カッコええ〜!」
「え、や…………」
「今度練習観に行こうかなぁ〜」
「…………なんやアレ」奇遇やな、俺もおんなじ感想やわ。みょうじの連れらしい女子は、おんなじクラスの熊谷さんや。向かいの席でパウンドケーキを食べながら、大耳に興味ありげに話しかけている。照れとるなアレは。女子にたじろぐ大耳は贅沢にもちょっと困ったような顔をして、キョロキョロと視線を、あ、目ェ合った。
「尾白、赤木。来とったんか。入りぃや」
「イヤイヤ」
「お邪魔かと思てなぁ」
「いやいやいや」
「尾白やん、赤木も」
「よう。ここで会うとはなあ」
「なあ」
隣の席が空いていて、大耳がどうぞと促してくれたからそこに落ち着く。向かい合わせにくっつけた机にテーブルクロスが掛けられた簡易な卓の上には手書きのメニューが置いてあって、食いもんはさすがに少ないものの、飲み物は結構充実しているようだ。隣のテーブル見てたらうまそうやったので、俺らもパウンドケーキとそれぞれ飲み物を頼んだ。注文を受けた大耳がそそくさと引っ込んだので熊谷さんは残念そうな顔をしたのをみょうじがにやにやしながら見つめている。え、なんやなんや、そういうことなん?どういうこと??
「赤木のクラスは何やってるんやっけ?」
「うちは撮影スポットの提供やな。色んな枠作って、あちこちに置いてる。写真撮る係もおんで」
「へ〜楽しそう」
「うちらもあとで行ってみよっか」
「そうしよ」
「あ、テカチュウのん俺作ったやつやから!」
「お!ええなええな〜」
「ていうか隣やから次やん?二人も一緒に行かへん?」
「尾白と一緒に写真撮りたいねん〜」と言い出すみょうじに気まぐれなやつやなあホンマにと息を吐く。「ああ、ええなあ」なんて赤木も乗り気やったので、俺は少し間を空けて隣に座る熊谷さんの方へ向いた。
「熊谷さんはそれでええん?」
「ん〜別にええよ、写真くらい。隣やしな」
「ありがとうミサミサ〜、大好き!」
「はいはい」なんや慣れてそうな反応やな。
「じゃあ次まで一緒に行こか」
「やった〜!」
ほんまに嬉しそうに笑うので、こっちもまあ悪い気はせえへん。なんやかんや、クラスで一番ようさんしゃべってるんは、このみょうじやし、女子でくくるなら今までで一番仲のええ奴やと言い切れる。写真なんか改めて撮るんはちょっと気恥ずかしいけども。まあイベントやし。文化祭やし。
お待たせしました、とウェイターさながら颯爽と歩いてくる大耳の姿を赤木は激写して叱られつつ、俺はまだたこ焼きしか入ってない胃袋にパウンドケーキをおさめるべく、フォークを突き立てた。
……ウン。
オカンが作ったんよかウマいわ。
「尾白くん」
うん?と隣を見ると熊谷さんが耳を貸せのポーズをするのでそのとおりにする。ちょっと離れた場所では赤木とみょうじがノリノリのポーズでテカチュウのフレームに入っている。身体もやや隣に傾けると、シャッター音や人の声の中でも聞き取りやすくなった。せやな。これが普通の女子の声量やんな。
「どうしたん?――あいつらええ加減長いな。呼び戻すか?」
「んーん。ええよ、楽しそうやし」
あの気分屋に付き合えるんはええ子よなあとこういう時に思う。もちろん、俺も含めての話や。みょうじお前はもっと感謝せえよと思う。
「尾白くんて、なまえといっちゃん仲ええ男子やんな?」
「うん?あーまあ、そうやと思うけど」
「やんな?あんな、ほんまはな、なまえな」
「うん」
「一緒に回りたいひと、おってんて」
ひとつ、まばたきをする間に。
「誘えんかったって、言うとったよ」
思い浮かんだんは。
「…………なんでやろな」
「え?」
「俺らには、あんなに気安く出来んのに。あかんねん。そいつの前でだけは、うまいこと出来へんみたいやねん」
ハイ次ボール持ってレシーブのポーズな!なんて明るい声がよく通る。なんやねん。あんな笑とるくせに。そんなことになっとったんか。まあそうか。未だに、ひとりで、隣のクラスにだけは入られへん奴やもんなあ。そいつを呼ぶとき、いっつも深呼吸しとる。人のようけおるとこでも、そいつだけはすぐに見つける。氷点下の空気の中でひとり口元をほころばせる。話しかけられたら、肩を震わせる。なにかを手伝ってもらったあとの、あの顔。ゆっくりと丁寧に言葉を乗せる。呼び方ひとつであんなにも時間のかかる。
『しずかで、厳しくて、さびしくて――きれいや』
おんなじひとりの人間を見ているのに、感じとるもんがあんなに違う。ひとを王子と言うくせに、氷河なんてもんに喩えるくせに、なんでや。なんでそんなに、しずかな声を出す。さびしそうなんはお前や。「それは」と声のかかる。くるんとしたまつ毛の下の瞳が、しっかりとあいつの方へ向いていた。
「それは尾白くんも、恋したらわかるんとちゃう」


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -