『明日はお迎えいらんからな』
『なんで』
『言うたやん?仕事の打ち合わせと下見、大阪であるって』
『朝だけやろ。昼頃迎えに行く』
『いや、そのままエリリンとランチに行く』
『エリリン……?』
『私の友達。心の師や。今グランフロントで働いとるんやて。午後休とってくれるっていうから、そのまま遊んでくる』
『…………晩めしは?』
『そのまま飲み突入するかも』
『………………』
『その圧しまってくれん……』


「――やっぱり……昨日もしとくんやったな」
「ブフッ」
そしたら今ごろは、まだまだ足腰のよう立たんかのじょを、それはもうやさしくいたわりながら、晩酌をしていただろうに。しみじみと湧き出た感情のままそのように呟けば、目の前の友人は勢いよくビールを噴き出した。なにしてんねん。「拭きや」と台ふきを渡してやれば、もの言いたげな顔でこちらをうかがいながらそれを受け取る、尾白アランは「誰のせいや誰の……」ボソボソッと呟いて、飛び散った円卓を力任せに拭う。口も拭けとティッシュの箱を寄せてやった。濡れた口元も拭いつつ、枝豆をポイと放り込んでいくつか食したのち「ちゅーか」と声を出す。
「お前ら、その……、やっぱり、そういうコトも、しとるんやな……」
「うん?せやな。いい年した大人やからな」
「ウン……ハイ……ソウデスネ…………」
「まあ、ほとんど俺が我慢できんようになって、しなだれ込んだんやけどな」ことのなれそめを一部始終思い返しながら煽る酒のまあうまいこと。ひとつだけ残念なんは、ゆうべかのじょをかりそめのねじろへ送り届けて以降顔を合わせておらず、結局ランチのあと買い物やなんやと遊んだのちに晩めしも酒も外で済ませてくるのだという連絡だけが空しく入ったことだった。迎えもいらんと言われてしまった。こんなんあんまりや。ただまあ、学生時代からなんやかんやとともに過ごす時間の長かった、気のおけない友人が、こうして来てくれるというのもありがたいものであるのは事実だった。プロのバレー選手がこんなタイミングでたまたまオフとか、あるもんやねんな。
「まあその後も良好そうでよかったわ」
「良好」農協の方からいただいた地酒を舐めつつ、その言葉を繰り返す。
「うまいこといってるんかはわからんけどな」
「エッ!?なんや、今日みょうじおらんのって、そういうアレなん!?」
「いや、普通に友達と会うから言うてやけどな」
「へえ、友達。友達な。んー、あの子ちゃう?エリリンちゃん。仲良かったやん」
「……なんやそんな名前やったな」相槌を打ちつつ、一発で当てよったなコイツ、と相変わらずの仲のよさに少しもやついた。
「前にツタヤで会うてん。向こうデート中で気まずかったわあ」そん時のことを思い出しているんやろう、顔をしかめたアラン。みょうじの友達に遭遇して、なんで気まずなるんやろうか。
「お互い『あっ』て言うてもうてな。俺らは仲エエわけでもなかったし、みょうじ帰国する前やったから、お互いぎこちなくてな……」
あー失敗した、と頭を抱えてしまう。
「アレ彼氏変な誤解してへんやろか。悪いことしたなあ」
「誤解なら大丈夫やろ。ちゃんと話せば」
「お前、みょうじが見知らぬ男相手におんなじことになったら、話聞いて『誤解やったなスマンスマン〜』で終われるん?」
「………………」
そう言われると、自信ないな。
「あとでみょうじに言うて謝ってもろとこ〜」
呑気にビールをゴクゴクと飲み下していく男を内心恨む。そんな質問、せんでほしい。聞かれたら考えてしまう。考えたら、思い出してまうやろ。かつてひとりで、何度も、途方もないくらいに考えたことのある想像を。確かに、せやな。誤解はとけても、かのじょに多少の、いじわるは、してしまうかもしれんな。多少な。プハー、と景気のよい飲みっぷりとで空になったグラスへ瓶の残りを注いでやる。
「お前が知っとるいうことは、その子も稲荷崎やったん?」
「せやで。一年の時おんなじクラスでな、稲荷崎マネちゃんズチームの子や」
「なんやそれ」
「え、北知らん?」
「知らん」
「マネやっとる子らが集う会なんやって」
「へえ」
「みょうじはそん子らに色々聞いとったらしいで。効率のええ動き方とか、気ぃ付けることとか、買い出しん店とかスーパーの安売り情報とか、マネージャー業務んこと色々」
「知らんかった」
「エリリンちゃんは確か男バスのマネやっとったはず」そんなことまでよう覚えとるなと感心する。そんなチームが存在したことも、みょうじがそれに関わっていたことも知らんかった。けれども過去のかのじょの働きぶりを思い返せば、そういうことやったんかと納得できる部分もある。その情報どっから仕入れてくるん、と思ったことがあったなそういえば。監督のチャリ借りてよう安売りしとる店で備品買うとった。なるほどな。せやから心の師か。頷いているとアランが笑い出した。基本的にこいつは、笑い上戸で、泣き上戸や。普段とそんな変わらんともいう。
「あと恋愛相談とかな!」
「恋愛相談」
「コレもう聞いとるかな?聞いとるな?みょうじあいつ北が初恋や言うて」
初恋。
「恋愛初心者が恋愛にまったく興味なさそうな無頼漢振り向かそう言うんやから、誰か知恵つけたらなアカンやろ?みんなこぞって世話焼いたってなあ。あれはあいつの人柄やろなあ〜」
「はつこい」
「まあ、お前みんなの知恵と作戦、ことごとく踏みにじって行きよったけどな!」
「…………」
「みょうじあいつ、それはもういちいち落ち込んだり悔しがったり怒り狂ったりしとったな、もう北んこと好きなんやめる!言うて泣いて、全然止められへんねん、何べんも何べんも、折られた心水のりペタペタでひっつけてなあ、ホンマしぶとかったなあ!ワハハハッ!」
クスリともできんのやけど。
それどころか肝冷えんねんけど。豪快に笑うアランをよそに、思ってもみんかった言葉に可能性にぞわぞわと悪寒が這い上がってきて、グラスから手を離す。北んこと好きなんやめる。なんて。もしそんなことを言われてしまったら。と想像しかけてゾッとする。一瞬で冷えた指先を温めるために首筋へあてがう自分の体温でじわじわと温もっていく感覚に息を吐く。
「しまいには外国行ってまうし。これでホンマに北んこと忘れてしもたら、もう目も当てられんところやったなあ」
「恐ろしい想像すんなや」懇願するも、酔っぱらいには聞こえとらんのか。
「みょうじ行ってしもてから、北泣きよるし。どんだけすれ違うねん!?て思ってたからな??」
「……気付くん遅なったんは、俺が鈍すぎたんやろうなあ」
「せやなあ。せめて、あの岡山事件の時に気付けてたらな〜」
「覚えとる?岡山事件」尋ねられて、首を振る。覚えとるよ。事件という名が仰々しいけど、みょうじが告白されたとかいうアレやろ。卒業式を控えた三年の冬やったな。それも結局、俺が知ったんは一週間も過ぎたあとやった。それも、アランから伝え聞くという形で。今でもよう覚えとる。
「まあ、それであいつが進路変えるとは思えんけど。ただ、この五年の心持ち、ずいぶん違ってたんとちゃう?もうちょっとはよ帰って来てたかも知らんし」
「やろうな」
当初の予定は三年程度やったとか言うてたし。
「北お前、それでずいぶん苦しんだやろ」
「…………」
「岡山事件の頃はなあ……みょうじももう進路決めて、お前のことを――ほとんどもう、諦めとって。ゆっくり、静かに、離れる準備をしてたからなあ」
俺らの代、最後の春高が終わって。
東京から兵庫へ帰って来て。部活を引退して。それぞれが進路に向けて慌ただしく舵を切ることとなった。その喧騒の中でも、バレー部のつながりはそれとなく維持されてきたが、その中でひとり、ひっそりと部活の輪から離れていったのがみょうじだった。今までならアランにひっついて来ていたであろう場に来んようになって、学校すら来ん日も多くて、来ても休み時間までなにやら勉強しとるし、たまにぼうっと佇んでいるのを見かけた。女子に囲まれてワイワイやっとる姿もあったな。選手とマネージャー。男子と女子。俺らとかのじょは部活仲間でも明確な違いがあって、そらそうかと納得する頭とは別のところで、なんだか割り切れないような、モヤモヤと、違和感を持たずにはいられなかった。それでも、そんなものを持っていても仕方のないことやと思っとった。成績もそこそこに良い方のかのじょが、あんなにも勉強をしているのだから、かのじょの進むところは、ずいぶんと偏差値の高い大学なのだなあと思い、練にそうこぼしたこともあった。せやなあ、と練は頷いて、肯いて、眉下げて笑っとったな。あの時にはもう、練も知っていたんやと今ではわかる。練も路成も、のみならず、侑に治に角名に銀まで、当然、今目の前におるアランも。ああそうか――お前らは、知っとったんやな。卒業式の日、涙を流す彼らをぼんやり見つめながら、そのことに気づいた。
「……進路を、俺が聞かされてなかったんも、諦めとったから?」
「……みょうじに頼まれとってん。『北に直接聞かれたら、ちゃんと言うから』って」
「それもう、言うなって言っとるんと同じやん、て思ったわ」自分のそれより大分大きくてごつい手のひらが小さな栓抜きを使って新しい瓶を空ける。視線こそこちらへ向けることはなかったが、その言葉は的確に胸を抉った。
「北は私に興味ないもん」
「…………」
「て、よく言うとったよ」
膝を隠すプリーツスカート。
風で髪の毛が遊ぶみたいになびいて。
幼い笑顔が目の奥で鮮やかによみがえる。
「俺なんも言えんでなあ。三年になって、あいつも進む道決めて……、いつか全部、笑い話にでもできればそれでええわとか言い出して。……せやのに、今度はお前があんな風になってしまうやろ?」
「……俺が泣いた話はもうええよ」
「いやよくない!よくないわ!俺が何年、お前らに悩まされてきたと思とんねん!」
「今日はとことん付き合うてもらうからな!!」豪快に酒を呷る呷る……、そない勢いで飲んで大丈夫か。と思いながらこちらもグラスの中身を一口含む。昔っから、相変わらずこいつは、ガーッとしとる奴やな。みょうじともこう、波長が合うんやろうな。一年の頃、おんなじクラスになって、そっからの付き合いやと言うて、他にあんだけ部員のおる中でも、アランとみょうじは一番仲が良かった。かのじょと話す時は、大体アランもおった。はじめの頃なんか、ようこのでかい身体に隠れとったもんな。てっきり人見知りなんやと思って、けどどうやら違うらしいということが分かって、もしかすると怖がられてるか嫌われてるかしとるんちゃうかと思って、それも違うんやと知って、そっからようやくまともに関りだしたような認識がある。ただそっからも基本的にはアランがかのじょの周辺におって、せやから俺は、ああそうや。
「みょうじ、お前と付き合うてると思とった」
「…………言うとったな。一年の、冬ごろやっけ?北も冗談言うんかって驚いたわ」
「二人して否定しとったな」
「そりゃあ、根も葉もないしな……」
「それでも、お前かみょうじ、少なくともどっちかは、好きなんやと思とった」
「え」
「そんで俺は、そのことに気付いた自分を鋭いとか思とったわ」
「……俺らは、北は鈍すぎるいう話題で三年間盛り上がっとった」
「ハハ。とんだ思い違いやな」
「……もしかして、北それ、ずーっと思とったん?」
みょうじ帰って来るまで、ずっと?
アランの言葉に、返すこともできず笑う。
ほんまにほんまに、とんだ思い違いやった。

『……農家の男をどう思いますか』

ずるいやり方をした。
探るような言葉。
自分の気持ちを伝えるより先に、かのじょのことを知ろうとした。音にして気付いて、恥じ入った。顔が熱かった。目の奥が滲んだ。とてもやないけど、顔なんて見れんかった。
ひとつずつ、確かめるように告げて。
少しずつかのじょに触れた。
そしてそのまま、自分の思いどおりにことを動かそうとした。そんで気付かれて、指摘されて、ようやく口にできた、ドロドロに煮詰まった思いのほんのひとすくい。それを、かのじょが受け取ってくれたから、今こうして笑っていられる。
「…………あいつがここに、来た時」
「うん?」
「逃がさんとこ、て思ってん」
たまたま帰国する気になって、たまたま兵庫まで戻って来たかのじょが、うちの米をたまたま目に止めて、たまたま俺を思い出してくれて、たまたま思い立ってここまで来てくれなければ、再び会えるはずもなかった。いるわけもない地元の美術展へ足を運ぼうが、載っているかもわからない美術誌を買おうが、それは変わらない。俺のあずかり知らないところでたまたまが重なったおかげで、つかまえる機会が降ってわいて、冷静になれるはずもなかった。
「ずるいな、俺は」
あん時はまだ、元から……好いてくれとるとは、思てへんかった。せやのに、せやのにと、自分のしてきたことを思い返して、今さら自分を咎める。そんなことに、なんの意味もないのに。
「相変わらず」と声がして顔を上げる。
苦いもん食うた時みたいな顔をして、アランがこっちを見ていた。
「お前は細かいこと考えよる……」
「細かいことかな」
「細かいことやわ。ええか北。タイミングやねん。タイミングが大事やねん。ええか?セッターががいくらキレイなオープン上げて、俺が最高のジャンプかまして力いっぱい振りぬいたところで、タイミングがズレとったらへなちょこスパイクやし、トスもスパイクも全然アカンてことや。あの双子思い出してみい、どんぴしゃハマる時は最高にハマるけど、合わん時まったく合わへんかったやん」
「せやったな」
「恋愛もそうや。タイミングや。俺は、ここまでお前ら見とって、ようよう実感したわ。いくら好きでも好き合うとっても、タイミングが悪かったらなんもかんもうまいこといかんねん。年齢も、時期も、気持ちも全部、昔はズレとったんや。みょうじも北もな。けど今はピッタリ合うとる。ハマっとんねん。今や思た時がチャンスや。チャンスものにすんのにずるいもクソもないねん」
「………………」
「ええか北。こないだはあいつらおる手前、そこまで言わんかったけどな……、みょうじが北につられてフラフラ飛び込んで来よった今が勝負や。ガッ!とつかまえて、離しなや」
「飛んで火に入る夏の虫、みたいな言い方しなや……」
「飛んで北に入る夏のみょうじ。そのまんまやん。自分から飛び込んで来よったんやから、自己責任や。みょうじもアホちゃうんやから、……いや結構アホやな……、いやアホやけど馬鹿やないんやから、それなりに頭は回るし、感情がくだす決定権もの凄いから、ほんまに嫌やったら逃げよるよ」
親友を四回もアホと称す中で、ころころと表情の変わるようすを眺めながら、その言葉を反芻する。虫呼ばわりとは女性としてあんまりやけど、想像して、思わず笑ってまう。羽根のついたみょうじが怒ってこのあたりをピュンピュンと飛び回る。なんやそれ、えらいたのしいなあ。アランも想像してしもたんか、ブハッと噴き出して笑顔のままビールを流し込む。
「あいつがここに居るんは、あいつの意思や。あいつの気持ちと、北の気持ちが合うてるからや」
「うん」
「あんなアホ、閉じ込めきれんわ」
「……せやな」
「閉じ込めきれんけど、離したりなや。あいつはあいつで色々足らんし、あちこち勝手に動くんやから、北かて北の思うとおりにしたらええよ。それで衝突してもうたら、今度は話し合えるやろ?」
「話し合うて、解決できるんやろか」いずれ出てくるであろういくつかの衝突については、すでに検討がついている。
「話もせんとどっか行かれる間柄やなくなっとる分、ましやろ」
「それは、そうか……」
「まあ大丈夫やろ」
片手の指では数えきれない年数、親しくしてきた友人が、やけに堂々と言い放つ。
「お前らどっちも、我ァ強いけど、……優しいからなあ」
なんや照れるわ。
けど。長いこと、俺もみょうじもよう見てきてくれた奴がそう言うんや。これほど誉れ高いことはないわな。

「お前ら肴にして飲むと、ウマい酒もしみったれた酒も、よう進むわ」
風鈴と虫の声、それと男二人の話し声。
共通の後輩の昔話から学生時代の話、卒業後の話も今現在の互いの話も、酒精の絡むままに入り乱れて進んでいく。笑い声が重なる。酒もうまいし、つまみもうまい。なんの憂いもない。楽しい。それぞれ生活圏の違ういま、頻繁に気安く集まれるわけでもないから、こういう機会は素直に嬉しい。
それに、前は顔を見ると思い出してしまうひとも、それなのに会うことの叶わなかったひとも、近くにおるから、明日また会えるから、なんとしあわせなことやろうか。
所属チームの関東出身メンバーの多さからテンションの差に思い悩むアランの話に頷いていると、車のエンジン音が近づいて、少し遠くで止まって、また離れていった。隣かな、お客さんかなと薄ら思いながら、空になったグラスへビールを注いでやる。そのうち、廊下の向こう、玄関の方で、なにやらガチャガチャと音のする。あれ?オカンたち、今日えらい早いな。そう思いながら、ついに頭まで抱えだしたアランに一言おいてから席を立って居間をあとにする。廊下に出て一直線、玄関へ目を向けてすぐに「え?」声が出た。
「あれ?さんだる、ぬげへん……?」
足元に視線を落として首をかしげるつむじを見間違えることはないし、ふわふわと弾む危なっかしい声は聞き違いようがない。身をかがめてゴソゴソするその姿をみとめた瞬間、駆け出してしまう。酔っぱらいの足がたどり着く前に、何か所かストラップで固定されていたそれを、運よく外せたらしいかのじょが廊下へ上がってくる。
「きた!」
「みょうじ!」
こちらが止まる前に、両手をひろげて、飛び込んできたかのじょは、とっさに受け止めた腕の中でくふふっと笑う。ちいさな手でぎゅーっと抱き着いてきて、心をぎゅうっとつかまれる感じがした。ちいさな背中に腕を回す。ふわっと甘いにおいが香った。
「こんばんはあ」
大変のんきな声。
こちらも正しく酔っているので間違いない。
「……どうしたん?」
「ふふ。びっくりした?」
「うん。しとる」
「エリリンとはなししてな」
「うん」
「北んことな、いっぱいはなしてたらなあ」
「うん」
「なんや会いたなってなあ」
「うん?」
「きちゃってん」
顔を上げて笑う。
たのしそうに。うれしそうに。こどもみたいに。
「……そんで、会いに来てくれたん」
「うん!会いたかった!」
ぎゅうぎゅうと締めつけられる心臓の音はきっと伝わっている。かのじょからもドクドクと駆ける鼓動が伝わってきて、ますますはやる。
顔があつい。
むちゃくちゃにあつい。
こんなんもう、どうすればええん……。
「北ぁ〜?なにしてん……あ?みょうじや!」
「おじろやん!なに?なんでー!?」
「ちょーどよかった!お前、エリリンちゃんにゴメン言うとって!」
「はあ〜??」

「泊まってくよな」
「ん〜?かえるよ?」
「あかんに決まっとるやろ、こんな時間に」
「きまっとるの?」
「決まっとる」
「じゃあ、とまる」
酔うたらほんまに素直でええ子やなあ。まるい頭を撫でるとうれしそうにすり寄ってきた。かのじょがやって来たタイミングで、時計を見ると、九時をとうに過ぎていて、明日はオフではないらしいアランはちょうどよい頃合いかと帰り支度をはじめる。
「みょうじ何使うて来たん?」
「へいタクシー!」
「あー、乗って帰れば楽やったなあ」
「あ。まだそのへん、いると思うで?」
でんわする?と言いながら服のポケットから差し出したのは一枚の名刺だった。お盆に空いた酒瓶をまとめながら、膝の上でおとなしくしているかのじょを背後から覗き込む。タクシー会社のロゴや連絡先、それとかのじょをここまで乗せてきたらしい運転手の氏名と思われるものが印字されており、それから余白部分には手書きで電話番号が書かれている。これは、見るからに携帯の番号やな。
「みょうじこれどうしたん」
「なんかなあ、さっきの運転手のなあ、おにいちゃんが、くれてん。なんや、でんわくれたら、いつでも、どこでもつれてったるよ〜て、いうてなあ」
「…………」
「…………」
「おじろつかう?」
手を伸ばして取り上げる前に、大きな手のひらがサッとそれを抜き取った。
「……じゃあこれ、もろてくな?エエな?」
「うーん?ええよ〜」
「この番号は俺専用やから、覚えたらあかんで?」
「そうなん?」
「そうなん。せやから、使たらアカンで」
「そうなんかあ。じゃあやめとく〜」
にこにこするみょうじから名刺を奪ったアランがチラッとこっちを見て、親指を立てた。どういうサインかはよう分からへんけど、おそらく思うとることは大して変わらんやろうから、ひとまず頷いておくこととする。向こうで電話してくる、と縁側の方へ出て障子の向こうへ姿を消した。腕の中の生き物は上機嫌で鼻歌まで歌い出す。ちょっと腹に据えかねて、デコピンというものをしてやった。かのじょは子犬のように鳴いた。
「なにするん」
「デコピンやな」
「きたひどい」
「お前がひどい」
「うん?」
「あやまれ」
「ごめんなさい」
「うん」
「なあ北おこったん?」
「ちょっとだけな」
「わたしがひどいから?」
「お前がにぶいからやな」
「わたしにぶいん?」
「にぶいなあ」
「にぶいんは、北やろ?」
「俺がにぶけりゃ、お前もにぶいわ」
「おんなじなんか〜」
「せやなあ。おんなじやな」
「ふふ。それは、なんか、うれしいなあ」
「…………そうなん?」
「やっておそろいやん?」
「おそろいなあ」
「なんやおもろい」
「なにがおもろいん」
「やって北とわたし、ぜんぜんちがうのに、おそろいやん?ふふ。わろてまう〜」
「みょうじはすぐ笑うなあ」
「北もわろてるやん?」
「じゃあ、これもお揃いやな」
「うれしい〜」
「それもや」
「すき」
「…………」
「ちょお、入り辛いんですけど〜……」小さめの文句をこぼして入ってくるアランが俺を見て笑う。返事のないのを不思議に思ったかのじょもこちらを振り返って笑う。笑われてばっかりや。ひどい大人が二人もおる。それも酔っぱらい。笑てる上に、ひどいだけでなく、酔っぱらいときた。なんて奴らや。類は友を呼ぶとはよく言うたもんやな。
「なんですきにはおへんじくれへんの」
「…………」
「すきはおそろいやないんですかあ〜?」
「……お揃いです」
「ほんまに?」
「うん」
「北もすき?」
「うん」
「ちゃんというて」
「……好きです」
「……んふふ〜」
「フフ」
「なあ俺もう帰ってエエ?」


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