散水栓につないでいたホースを外し、滴った水滴を切ってまとめて片付けたあと、目的のバケツを水道の下へ置いて蛇口をひねると、勢いよく水が出てくるのを屈んで眺める。半分ほど水のたまったところで止めて、それを片手に戻って来ると、ちょうどみょうじが庭へ出てくる。その手に持っているのは、着火ライター。
「みょうじ」
「あっ北。チャッカマン持ってきたで!」
「俺が出すのに」
危ないからそこへ置き、と言うと「大丈夫やって」と笑う。長年家で使ってきたそれの、使い方は熟知しているし安全性は理解しているものの、火種なんか持たれると気が気やない。ええから早く置いてほしい。バケツを地面に置いてかのじょへ近づいてそれを取り上げる。
「もう」
「膨れんといてや」
「やって北が取るやん。水も私が汲もうと思とってんで?」
「こんな重たいもん持たんでええ」
「ほらあ!」ますます頬を膨らます、かのじょは不満げな声を出した。ううん、わからんやろうか。
「せっかく綺麗な格好しとるんやから、ゆっくり涼んどいてほしいねん」
「……き、きた……」
にわかに頬をかっかさせたかのじょの後ろから、ばあちゃんがのんびりとやって来た。
「ふたりとも、仲ようしいや?」
「しとる。なあなまえちゃん?」
「うっうん……うん……」
ほんのささいな褒めことばにいちいち照れる姿がかわいらしくて、この浴衣姿を何度褒めそやしたことだろう。何回言うても恥ずかしそうに、でもとてもうれしそうに笑うかのじょが心を揺らす。ばあちゃんはふふっと笑って、麦茶の乗ったお盆を床板に置いてサンダルに足を通し、同じように庭へ降りる。そしてすでに置かれていたそれ――コンビニエンスストアで購入した花火セットを手に取り、かのじょへと笑いかけた。
「ほらなまえちゃん。準備もできたし、そろそろしようか」
「わあい!」
なまえちゃんは諸手を上げ、子どものようにパチパチと手を叩いて大きくよろこんだ。それを見ると、俺もばあちゃんも、つられてよろこばしい気分になるのだった。
ふんふんふんと、鼻歌をうたいながら渡された花火セットの封を開け、中身を取り出すかのじょはまるで小学生のような喜びようだ。セットはいくつか種類があって、ロケット花火や回転花火、小規模な打ち上げ花火のようなにぎやかしい内容のものもあったが、かのじょが売り場で手に取ったのはいくつかの手持ち花火や線香花火など、比較的ささやかな種類のもので、袋も小ぶりだった。うちの庭の広さなら、もうちょっと派手なものもできそうやけど。みょうじはざっと見るとすぐにこれがええと手に取った。そんならオトンとオカンもおるときにもう一回くらいしようかともう一袋を追加している。
「なまえちゃん楽しそうやねえ」
「花火なんて、小学校んとき以来やもん」
「そうなん?」
「うん。それに北とできるなんて思てへんかった」
へへっとはにかむかのじょの姿を、もっと近くでみたくなってそばへ寄る。肩の触れ合うほどの距離で隣へ腰を下ろすと、ぎゃあっと悲鳴を上げる。悲鳴はないんやないか?
虫の声の独壇場であった、夏の夜の庭先で、かのじょの鼻歌がちいさく響く。すでにとてつもなく楽しそうに、取り出した花火を眺める、その表情を見ているだけで楽しくなる。
「それはどこのお歌なん?」
「これは日本のやで。日本の夏のお歌や」
「へえ、そうなん」
「うん」ひっついとった花火の先っぽをほどきながらかのじょがうなずいた。
「あんな、好き合った二人が離れ離れになる夏の……」
「別の歌にせえ」
「えっ!?」大げさに声を上げておどろくかのじょ。
驚きたいんはこっちやわ。
なんでそんな歌をそない楽しそうに歌えんねん。
「いや、やって夏の定番の……」
「ぞっとする」
「そこまで!?」
縁起の悪いことこの上ない。
「十年後の八月にまた出会えると信じてるで!?」
「あかん」
首を振って「絶対会える保証がないなら、別の歌にしてくれ」と言うと、目を見開いてこちらを凝視し一度口を開いたかのじょは、一回閉じてから「ええと、じゃあ……」と考えるように視線を宙へさまよわせる。
「ビチュロッケロッケッチュウェイ!」
「なんの歌や」
わけの分からなさすぎる出だしに、思わずワンフレーズで待ったをかけてしまった。
「これは楽しい歌やで?真夏のビーチでビキニのお姉ちゃんにメロメロや!みたいな!」
「侑みたいな歌やな……」
「エッチなパリピのらんちき騒ぎや!」
「教育に悪いな……」
「教育て」される側の人間、ここにおりませんけど……?そうは言いつつ、うーんとまたもや数秒考える。
「YO!SAY夏が胸を刺激する、ナマ足みわくのマアメイド!」
「ん……?」
「出すとこ出してたわわになあったら、ホンモノの恋はやれそうかーいっ」
「変わらんやろ」
「ええ、これもあかん?」
「そういう歌は、あとで歌って」
「あとで…………???」
「部屋で」
「部屋で!?!?」
「全年齢向けの歌にしいや」と言えば、なんや注文が多いな……?とぼやき出す。
「離れ離れにならん、教育に悪くない、健全で楽しそうな夏の……」
……ちょっと注文をつけすぎたやろうか?なんか言うたら出てくる代わりの歌に少し面白くなってきたのは事実だ。
「ぼくらがひとつひとーつのー、夢を守り、ぬけーるならー……」
続けてうたわれるのは、大人と子ども、約束と決意。
夏らしい爽やかなメロディでそれをうたうかのじょのきれいな横顔を、ばあちゃんと二人、眺めてしばらく聞き入った。
なまえちゃんほんまお歌上手やねえ。
ぱちぱちとちいさな手のひらを打って拍手を送るばあちゃんと俺に、照れたように頭をかいて笑う。
「へへ……それほどでも……」
「ほんま、色んな歌知っとるねんな」
「二〇一三年で止まっとるけどな」
なんとなしに呟いたであろうことばが少し痛む。
「北はカラオケとか行かんもんな」
「ほとんどないな」
「歌うの嫌い?」
「嫌いやないよ」
「……ほんなら、今度一緒に行かへん?」
「カラオケに?」
「うん……私五年は行ってへんし」
それに……、と続いたことばの先はこの距離でも聞こえず。こちらが聞き返す前に「あかん?」と見上げねだってくる、こんひとの賢しさよ。
ええよと返すや否や、ぱあっと明るくなる表情。
ほんまに芙蓉の花開いたような、うつくしいかんばせ。そんなひとが、「ほんなら約束」と小指を立てて差し出してくる。
夜の闇にぼんやりと浮かぶ、かのじょの白い肌へ引き寄せられたそれを、ぐっと絡めて、今度は夏の歌ではなく、ささいな約束のためのみじかい歌を、大口を開けてうたう幼いかのじょ。
頬がゆるむ。
自然と口が開く。
「うそついたら……ふふっ」
重なった歌の途中でかのじょが笑う。
「はりせんぼんのーます」
「ゆびきった!」
ちいさいけれど、大事な約束を。
子どものたわむれのように交わして。
満足な顔をするふたりの大人を見ていたばあちゃんが、麦茶を飲んで一言、仲ええなあと呟いた。



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