「はぁぁああ……」
ドアを開けて早々、肺から搾り出た息が滑り出た。
重たい足を引きずって、自分のロッカーまでたどり着く。施錠を解除して、扉を開き、畳んだ制服を持ってすぐ前のベンチまで手を伸ばした。勢いでそのまま寝転がる。
「つっかれたァ…………」
重力から解放されて、足を伸ばせる状態になると一気に楽な体勢になる。「コラ切奈。全員座れないだろ」と、続いて入った一佳が覗き込んできた。
「だって〜〜〜〜」
「だってじゃない。せめて座るぐらいにしときな」
「クッション代わりにマッシュルームちゃん生やすノコ?」
「あぁそれイイ……」
「良くない!」と巨大化した掌に肩を掴まれてそっと起こされる。試験終わりで疲れているだろうに、タフな委員長だ。試験中も、ほぼずっとその個性を使い通しだったと聞く。身体能力ありきの個性だからか、さすが全身鍛え上げているだけのことはある。ゴメンゴメン、と言いながら上体を起こされたまま、やっとシャツのボタンを外し始めた。すぐにレイ子が隣に掛けた。
「オツカレ」
「そっちもねー。飛ばせるモンないフィールドだったって聞いた」
「時間ギリギリだった」
「私も一瞬無理ゲーに思えたよ。っと」マスクを脱ぐと、顔面の圧迫感がなくなってちょっと涼しくなる。ああ気持ちいい。バッグを引き寄せてタオルを取り出す。今日この試験だけで何回再生したっけ。パーツの断面がジクジクと痛む。ボディスーツを脱いだ部分から冷却スプレーを振りまいた。
「まァともあれ。みんなそれぞれ大変だっただろうけどさ。試験は無事クリアできたようで良かったよ」
「ん。結果明日だけどね」
「イッツオーライ。大丈ブね、皆サンなら!」
「ソレ言うなら『私達』でしょー」
「ノコノコ。合宿も全員参加でベニテングダケね」
「幸運のキノコだっけ?」
「ああ……あとは審判を待つのみ……」
茨は今日も絶好調だな。
切れても焼かれてもすぐに復元できる髪の毛の持続力は大したもので、実際戦闘に使用するのは主に髪。茨本人が動くことが少ないため今回はそこを先生に突かれたらしいから、相当量消耗してるはずなんだけどな。コスチュームこそボロボロだけど目立ったケガもない。ただ白くて綺麗な肌は砂埃にまみれているのでシャワーでも浴びたいところだろう。汗拭きシートを使う茨はなんだか世俗っぽい。
「茨ソレ冬寒くないの?」
「ツルで覆いますので」
「わたしもフユヤマタケちゃんで全身覆うかも!」
「アイドルなら止めといたほうがいいかな」
「ん」
緊張と、激闘から解放された時間。
身体は重いし眠いし正直めちゃくちゃしんどいけど。達成感あるし心は軽いし、無事に迎えられそうな夏のイベントに、胸が弾んでいた。

一夜明け。
「まさか物間が赤点とは……」
「言ってやるなよ回原」
「B組屈指の実力者が」
「いや、B組屈指の問題児だろ」
「ちょっとソコ聞こえてるよ……」休み時間になった途端、一人だけ机に突っ伏して影を背負っている物間の周りに、わらわらとクラスメイトが集まってくる。HRのとき、震えてたもんな。大口開いて笑顔のまんま固まってたし。それでもブラド先生が教室を出て行くまではしゃっきりしていたんだから、やっぱりメンタル鋼なんだよね。と斜め後ろの席から眺めている。泡瀬の言葉にも一応反応してるしな。
「まァさ。一人寂しく学校残るなんてことになんなくて良かったじゃん」
「柔軟過ぎるぜ柔造……」
「柔軟過ぎて、切り替えられないのでは……?」
「物間サン!ダイジョーぶデス!合宿デ私タチ以上のシゴキ、受けられマース!」
「待ってポニー。その激励刺さってる」誰だポニーにシゴキなんて言葉教えたのは。またアニメだろうか。
「講評そんな悪かったんかね?」
「目標達成できるか否か、というよりは、連携しつつそれぞれの課題をクリアできるかに主眼を置いているようでしたな」
「うーん。反省会でもやる?一斉スタートだから、チームによっては見れない対戦あったし」一佳の提案に、それはいいかもと周りが沸いた。それいい!放課後残ろうか。できれば映像を見ながら行いたい。許可とれるかな?ブラド先生アツいから頼み込めばイケるだろ!徐々に盛り上がっていく空気の中、少し気分も回復したのか物間が「放課後じゃ一日で終わらないでしょ」とため息を吐きながら立ち上がる。
「全チーム分観るだけで最高五時間かかるんだから」
「じゃー明日だ!休みじゃん」
「待って合宿の準備ある」
「荷物そんなあるか?」
「一週間の受難ですもの」
「受難……!」
「ソワつくポイント違くね?」
「着替えだけでも結構大荷物になると思うぞ」
「大自然での生活になりますからな」
「みんなで行くか?せっかくだし」
「私はおうちの近くで買いたいなァ。重くなりそうだもん」
「ん」
「唯は個性使えたら楽なのにね」
「じゃその辺は個人に任せるってことで」
「今日の放課後でやれるだけやって、残りは明日の……そうだな、三時スタートでどう?部活やら何やらで学校自体は空いてるだろうし、まあ許可もとれるだろう」
「よっし!じゃあ行け物間!許可取ってこい!」
「僕が?そういうのは拳藤の仕事だろう。発案者だしね」
「今に関しては、お前が言うのが一番効くだろ」
「おいバカ鉄哲」
「…………」
「よろしく!!」
悪気のまったくないナチュラルな笑顔でさらっと傷をえぐった鉄哲の一言で、話は閉じた。

昼休み。
昼食も終えて、なんとなく教室でだべっていた時のことだった。
「グッモーニンB組の諸君〜」
ひょこ、と扉から出て来たのは見慣れた顔。
燃え上がるような色の髪。
海の色の瞳。
一つの身体に正反対の色彩をもつ女の子。
「轟じゃん」
「ヤッホー」へらりと笑う。相変わらず力の抜ける笑顔だ。
「もう昼だよ」
「何だい諸君て」
次から次へとツッコミが入る中、壁際の自分の席で庄田と喋っていたはずの物間がグリンと勢いよく首を回した。骨よく折れないな。「おやおやおやぁ!?」爛々としている。ギュンと一瞬で距離を詰めて来た。そのスピード、演習で発揮しなよと思う。
「誰かと思えばA組屈指の怠け者、轟燐子じゃないか。また来たの?ひょっとして暇なのかい?あれれ?おかしいなぁ?期末試験を乗り切った人ならば今ごろ合宿の準備で隣のクラスに遊びに来る暇なんてない筈なのになぁぁああ!?」
「物間……お前それ言ってて悲しくなんねーか?」
「水を得た魚」
「昼休みに準備も何もないですぞ」
「紅蓮の華……」
「黒色くんは今日も真っ黒でカッコいいね〜」
数々のツッコミも物間の聞いてるコッチが空しくなるような煽りもひらっと躱して黒色に微笑みかける燐子。いっそ清々しいほどの綺麗なスルーだ。
「…………!」
明らかにソワつき出した黒色をクスクスと眺める燐子の肩を叩く。
「どしたのトカゲちゃん」
「ちょっと」
耳を貸せ、というジェスチャーには素直に従う。
「なんのナイショ話かな?」
「黒色にああいう絡み方止めなよ」
「うん?」
「純粋なんだからアレで」
追い打ちを掛けるように、希乃子にまでツンツンされ出しちゃってる様子を目で指した。希乃子はアレ特に気にも留めてないんだろうけど、こいつはわかっててやってそうだから、ちょっと注意しておかないと。
「ふふ。見てて楽しいよね……」
「あんまりちょっかいかけると出禁にするかんね」
「出禁て」

「え?物間くんダメだったの?」
机に広げられたお菓子。
昼ごはんのあとでもデザートは別腹というのは、食べ盛りのこの年頃では男子も女子もない。差し入れだと称して持ち込まれたお菓子に「これはワイロだ!受け取るな皆!」と喚く物間の声は総スルーされ、椅子まで与えられ歓迎ムードになった教室では、やっぱり最もホットな話題が持ち上がった。自分で持ってきたクッキーを一口、パクつきながら、燐子は目を丸くして、吐血する物間を物珍しそうに眺めている。
「珍しいこともあるんだねぇ」
「高みから物を言うんじゃないよ……」
「まあでも合宿行けてよかったよね〜」
「グググググ…………」
歯ぎしりが……。
やっぱA組は鬼門なんだな……。
「物間……それアカン顔のヤツ……」
「イケメンが台無しだな」
「既に色々と台無しなってんだろ」
「泡瀬ちょっとお前ね」
「でもそっか補習一人かぁ。優秀だねぇB組は」
「え?そっちは?」
「うーん。結果で言うと、五人補習地獄」
「五人!」驚く顔の多い中、明らかに嬉しそうな声が一人。
「五人だって!?B組より優秀なハズのA組が五人!そりゃあいいね!傑作だよ!!」
「いや物間お前……」
「鉄哲くんより硬い超合金メンタル〜」
「多分、ワライタケでも食べてるノコ」
「ああ、フレンチってキノコよく使うもんね」狂気の笑い声を背景に会話が進む。
「地獄のほとんどが完封負けだよね。えげつないよね教師陣〜」確かに戦ってみたらエグい個性のヒーローばかりだった、雄英教師陣。自分の試験内容を思い返してもちょっとゾッとする。というのも私だけじゃないようで、一瞬静まり返った場の中に物間の異様な笑い声だけが響いた。
「轟サンは、クリアできたのデスカ?」
「なんとかね〜」
「そういやA組は一人多いよな」
「誰と当たったんだ?」
「エクトプラズム先生だよ〜。超分身してやばかった」
「アレしんどいよな……」
「吹出くんはマイク先生と当たってそう」
「正解!ということはA組も……」
「うん。ジローちゃんと口田くんが組んでやってたよ〜」
「じゃあセメントス氏とは……」宍田がわずかに身を乗り出す。
「砂藤くんと切島くんだねぇ」
「傾向と試練は似通っているのですね……」
「コレ反省会でも参考になるな」
「反省会?」
「放課後と明日、午後から集まってブイ見るんだよ」
「へえー。仲よいねぇ」
「試験見れなかったヤツ多いからね」
「確かに客観視した意見大事だよね〜」
「次の試験対策にもなるだろうからね」
「なんならわたし明日も学校いるんだけどさ」
「なんで学校いんの?」
「お仕事〜」
「ホラ轟はイレイザーヘッドの」
「わたしもその時間混ざりたいなぁ。来ていい?」
「何言ってるの?なぜ僕らが憎きA組を入れてやらなきゃいけ」
「うんいいよ。おいで」
「拳藤――!?」
「いや、別に締め出す理由ないから……」
「理由ならあるよ、ウチの情報が抜かれるという理由がね!」
「発想がもうね」
「ん」
「抜かれるほどのモンもねェだろ。お互い」
「わかんないかなァ泡瀬。反省会で得た情報を、何かよからぬことに利用する気なんだよ。例えばいずれやってくるであろうA組とB組の対抗戦の時とかにねぇええ!?」
「よくもまぁ次から次へと……」
「轟どうする、そろそろ手刀いっとくか?」
「いやぁいいよ。昼休みだし〜」
「謀はなりません……厳正な裁きを与えねば」
「ホラァ塩崎信じちゃってる!」
「んー、まーさすがにそれはないとは言えないか。合同演習」
「それよりも目下は合宿だと思うノコ」
「えー……?なら別に、わたしのブイを手土産にしてもいいよ?」ザワ先に言えば自分の分くらい借りられるし、と燐子。
「わたしのヤツなら、別に観る許可いらないし〜」
「オヤ?轟サンは、誰とペアだったのデスか?」
「わたしペアいなかったんだよね。奇数だからあぶれちゃってさァ」
「Oh!」
「ゲ」
「うわぁ」
「エグッッ」
「…………」
「……お疲れさん」静かに肩を叩く。
エクトプラズムと当たったって言ってたっけか。
数の暴力を体現したような人だ。
あの人とタイマンて。軽く想像しただけで、口元がひきつる。
制限時間がある中でそれはヤバいな。
顔コワいし。
「ふふ。しっかりプルスウルトラさせられたよね〜」言うことが軽いんだよなコイツはいつも。と思いつつお菓子の山に手を伸ばす。もう既に三つは食べている。次はどれにしよっかな。あ、エッグチョコあるじゃん。
「超可愛いキノコちゃんの言葉を借りるなら、目下のイベントといえば合宿だけどさ。結構えげつない内容になりそうだから、物間くん以外は胃薬持って行った方がいいかもね。場合によっては、吐くかも」
「うわぁダイレクトな情報源!」
「フロム職員室!」
「物間サン以外とは?What do you mean?」
「超合金メンタルには必要ないってことだよ角取」
「こんなに繊細な男はそういないと思うけどね!?」
「お。もうそろそろ予鈴鳴るよね。じゃあ続きはまた明日〜」唐突に話を切り、結局最初から最後まで華麗なスルーアクションで乗り切った燐子はにこやかに競歩で去って行った。「お菓子はみなさんでどうぞ〜」時計を見ると予鈴五分前を指していた。もうそんな時間か、と立ち上がる。イレイザーは時間に厳しいらしいというのは耳にしたことがあるけど、あのゴーイング・マイペースな燐子もどうやら担任は怖いらしい。もちろん、ウチの担任だって怒ると怖いので、みんなもそろそろと自分の席に戻り出す。
「唯〜。何か空いてる袋ない?」教科書準備する前に、残ったお菓子まとめかなきゃな。
「ん……あった」
「サンキュー」
「お菓子イッパイ嬉しーネ!」
「ああ……暴食の邪教徒達がこんなに」
「邪教徒て」
パパッとお菓子を袋にまとめて、机の横に引っ掛けておく。これで放課後の反省会でも空腹の心配はなさそうだ。結構な量ある。コレ燐子、今日今の時間のために持って来たのかな。ご苦労なことだ、と思いながら机の中から目当ての教科書とノートを引っ張り出した。
「もらってばっかも何かアレだからさ。飲み物くらいは明日渡せたらいいな」
「さすが委員長。しっかりしてる」
「エノキタケちゃんあげよっか?」
「ソレ喜ぶの主婦じゃない?」
「確かにあの子一人暮らしだけどさ……」
ていうか希乃子のは時間経ったら消えるでしょ。
「でも他のクラスと絡む機会ってまだあんまないから、来てくれるのは嬉しいよ。轟面白いしね」
「ん」
「ああうん、そーだね」
大体週に二三回くらいだろうか。
ああやって急に現れて、身のあるようなないような、ないようである話もして去って行く。なかなかの頻度で差し入れをくれる。日頃職員室に出入りしている身分ならではの情報もくれる。もちろん、話してもいい範囲でだろうけど。
とにかくコッチとしてはいいことも多いし、本人もフレンドリーで嫌な感じはしないし、物間みたく突っかかる気は全然ないんだけど――
「切奈さんは元々知己なのでしたっけ」
「友達の友達がアイツの友達で、その縁ね」
「ノコ……意外に遠い」
「てゆーかどうやって知り合うのソレ?」
「紹介の紹介の紹介の紹介かな」
「高級料亭かな?」
「で、何回か遊んだって感じ」
「入学してすぐ、生き別れの親友みたいな体で乗り込んでこなかったっけ?」
レイ子と一佳に向かって「そういう奴なの」と肩をすくめた。
艶のある鮮やかな赤髪。
サファイアのような瞳。
肌や爪、仕草や言動すべて、
頭からつま先まで、手入れの行き届いたあの感じ。
センスがとかおしゃれがどうとか、そういうのじゃなくて――
人の視界に自分が今どう映ってるか把握しているみたいな、そんな感じ。
自分の魅力――強みを掌握してる。
自分の魅せ方については、誰よりも自覚的。
轟燐子はそういう奴だと思ってる。

だからあんなに綺麗に笑える。

「アイツは中々いい性格してると思うよ」
「いや、あんたも大概だと思うよ」


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