「わたしは最早悲しくなってきましたよ」
「ここから五分少々で到着する」
「先生。可愛い教え子が悲しんでますよ〜」
「試験場の入口で、エクトプラズムが待ってる」
「先生の!一番弟子が!悲しんでるんです!」
「早よ行け」
放り込まれてきた女の子を一瞥し、静かな声で「出して下さい」と発するイレイザー・ヘッド。その表情には一片の隙もない。女の子はイレイザーに軽々抱えられ、ぽいっと投げ入れられたことに一瞬驚いたように目を丸くしたが、ややあってから、ぽつりと一言呟いた。
「教育委員会に訴えてやる」
別の意味で恐ろしい発言に対してイレイザーは口角を上げた。
「やれるモンならやってみろ」
「あー!それヒーローがしちゃいけない顔のヤツーー!!」サイドブレーキを解除して、ドライブモードにしたバスは、ブレーキから足を離すとゆっくりと動き出す。エンジン音と振動に負けないよく透る声に不満の音を乗せて、徐々に小さくなっていくイレイザーを追いかけるように後ろの座席の方へ走っていくお嬢ちゃん。コラ危ないよ。ルームミラーでチラッと見たところ、特に転ぶこともなく最後尾まで行けたようで(そりゃそうかこの子はヒーロー科だ)、座席に膝を立ててこちらに背を向ける形で窓から顔を出している。オニー!と外に流れ出る声を拾う。二十秒もそうしていると、さすがに見えなくなった頃だろう。徐行して始めのカーブに差し掛かった時。
「お騒がせしましたぁ……」
今度はえらくションボリして戻って来た。
何ともまあ。
元気な子が乗ってきたね。
「そうかい、そうかい。これからエクトプラズムと」
「しかも一人ですよ。ぼっちですよ」
「そりゃ淋しいねぇ」
「そうなんです。孤独なんです。あっでもこれはわたしに友達がいないからじゃないですよ?全てはあの相澤イズ鬼先生の仕業なのです」
「そんなにイレイザーは厳しいのかい?」
「先生は鬼畜ですよ。こんなに可憐な少女を、よってたかって凹殴りにしようだなんて。まさしく鬼の所業です」
「ハハッ!なるほど確かにねぇ」
「しかもその姿を衆人に晒されるわけですよ。ドエスにも程があるでしょうよ」
「まあマゾには見えないが……」
雄英高校は、世間から一定の注目を集めているという。実際、教師でも生徒でもない立場から雄英に携わっている、所謂ただの『バスの運転手さん』からするとそんな実感もさほどなく、このバスを利用する生徒達はたいてい子供らしく元気な子が多い。クラス丸ごとの移動が多いからどうしても賑やかになるのかもしれないが、しかしこの子もまた一人で随分と賑やかだ。わずかな移動時間も言葉通り孤独なのか、ただの運転手である私にまで気さくに話しかけてきたのは驚いた。
「まあ諦めな、お嬢ちゃん。イレイザーは昔からああだよ」
「おや。おじさまは長くここにいらっしゃる?」
「今年で勤続二十五年さ」
「なんと!お見それしました!」
「ハハ。何だいそりゃ」
「ではここで先生の過去を紐解いてみたり」
「もう三分もかからずに着いちまうよ」
「そうだったー!くそー!先生めー!」
結局どうやってもそこに行き着いてしまうらしく、またもや頬を膨らませてしまう燐子ちゃんだった。まあ期末試験演習が間もなく始まるというのだから無理もないような気もするが、試験管のエクトプラズムの存在そっちのけでずっとイレイザーのことばかり話している彼女が少し心配になってしまう。エクトプラズム。よりによって一人で受ける制限時間有りの試験で、彼と戦闘をするというのも中々アレだと思うんだけどねぇ。
「カメラがもう無理です。生理的に受け付けません。しかもアレですよ、観られてるんですよ皆さま方に。マイクラスメイト達に。何よりそれがもう無理です。せめて一戦目の試験の中に混ぜ込んでもらえたなら、もうちょっとやりようはあるのに……」
しまいにはもうおじさんにはちょっと意味がわからないことまで言い出した。運転中だから、わざわざ横を向くことはしないがきっと拗ねたような表情をしているんだろう。ほんの数分話しただけの中でも、感情豊かな子だということはわかる。
「見せしめにしようだなんていやらしい。次会った時はいやらし澤先生と呼ぼう」
「それは止めてあげてくんねぇかな」
「だってひどい話じゃないですか。年頃な女の子の秘密を、赤裸々に暴こうだなんて」
「おや。何か秘密があるのかい?」
「そりゃあありますよ。年頃の女の子ですもの。ましてやそれを衆目の目に晒そうだなんて」
「そうかい……年頃の女の子は、皆そうなのかい……」
「おや?おじさま……もしや娘さんがいらっしゃる?」
「ああ。……最近は目も合しちゃくれねぇよ……」
「それは一大事ですね。よかったら、お話聞きますよ?」
結局、娘の話で移動時間終わっちまったけど良かったのかな。
年頃の近い女の子から色々とアドバイスをもらったおかげで、私は非常に助かったが。
無事に安全運転で到着した指定の演習場。駐車措置をとり、ドアを開けるとすぐに軽やかな足取りで飛び降りて、お世話になりましたとお辞儀をしてきたので反射的にこちらも頭を下げた。
「お話しできて光栄でした!」
「いやいや。私も楽しかったよ」
「帰りもおじさまが送ってくれるんですか?」
「そうだよ。ここで待ってるからね」
「十分でクリアしたら、ご褒美に先生の昔話をひとつ、聞きたいのですが!」
「私の持ってる話なんて、ほとんどないよ」
「そうおっしゃらずに。ヒーロー同士じゃない方の見解もなかなか参考になるのですよ」
「うーん、そうだね……。じゃあ一つ、用意しておくよ」
「やった!がんばります!」
花が咲くような笑顔だった。
ピッと中々様になっている敬礼をした彼女に手を振って見送る。その正面には一本の道。両側を林で覆われたそこをまっすぐ進むとじきにたどり着くだろう。まもなく行われる、彼女の試験会場に。ここから試験の様子を知ることはできないが、きっとイレイザーはリカバリーガールのところででも様子を観察しているのだろう。気になるに違いない。何せ初めてできた彼の秘蔵っ子だ。不思議な少女だった。聞いていたとおりの子だった。なぜか気になる、心に残る存在の女の子。あのエンデヴァーの娘だという。似ても似つかない。とも思えない。だが全然違う。とも感じさせる。
「いってらっしゃい」と呟いた。
そして願う。
怪我なく無事に試験を終えられますようにと。
小さく幼いヒーローの第一歩、その成功を祈るよ。
「おじざま……」
「うわっ!?燐子ちゃん!?」
十五分少々経って、開けっ放しのドアからのっそりと姿を現したのは、先ほど見送った少女だった。綺麗に結わえていた髪の毛がくしゃっと乱れていて、真っ白なワンピースは袖口が大きく焼け切れていて、そして透明感のある肌からはプスプスという擬音が聞こえてくるほど、焦げて、何故か全身から風呂上りのような湯気が出ていた。
「だ、大丈夫かい?」
「み……水を……」
「み、水!水をどうしたらいい!?」
「ぶっかけてくだざい……」
「よし来た!」
バス停の近くに備え付けてある立水栓のところまで駆け出す。一体何がどうなってこんなことになっているのか。考える間もなく、とにかく蛇口を回しまくった。フラフラと追いかけて来た燐子ちゃんに届くよう勢いをつけるために指で噴き出し口を絞り、飛距離をつけ届くようにする。鋭い直線軌道になった水が真正面から身体で受け止めた彼女はそのまま歩いてくるので、徐々に勢いを弱めていく。すっかり追いついた彼女に水道を明け渡すと、彼女はそのまま頭ごと水の流れに突っ込んだ。
「大丈夫……?」
「少々乾涸ビテイルダケダ」
返事をしたのは彼女ではなく、いつの間にか背後に立っていたエクトプラズムだった。
彼の方は、コスチュームやマスクでまったくと言っていいほど露出がない出で立ちが常だが、顔から下(つまり全身)を覆っていた長いコートがほぼ燃え尽きており、義足が綺麗に見えるようになっていた。そして義足があるから自分で歩ける筈だが、何故か左右の脇に松葉杖を抱え、両脚を浮かせている。
「ひ、干からび……!?」
「歩ケテイルシ、アアヤッテ水分補給ト粗熱ヲ取レバ、大シタ問題ハアルマイ」
粗熱って。
お菓子作りじゃないんだから……。
家にいるだろう妻の姿が過った。
「エクトプラズムさん、あなたも大丈夫ですか……?」
「想定ヨリモ炎熱ノ純度ガ高クテネ。日頃ノ小手先戦法ハ、イザトイウ時ノ大規模攻撃ヲ視野ニ入レサセナイ為……、マア、イレイザーノ目論見ハイクツカ達成デキタノダカラ、良シトシヨウ」
あ、相変わらず顔怖ぇ……。
そして今この時も無言で水を浴び続けている燐子ちゃんの状態はいかばかりか。少ししてようやく手で水をすくい飲み始めたところだ。ちょっとはマシになったのか。どういう経緯でこうなってるのかは分からないが、とりあえず今すぐリカバリーガールのところへ搬送するような事態ではなさそうではあるらしいので、脱力する。何なら、歩けず杖を使っているエクトプラズムの方が重傷なのかもしれない。
「あの、バスまで背負いましょうか?」
「気持チダケデ結構ダ。我ノ義足ニ熱ガ籠ッタダケノコト。耐熱性能ニハ優レテイル筈ナノダガナ……」
「耐熱性と熱伝導は別のお話ですよ……」ほんのニ十分程前に聞いた、鈴の鳴るような声とは大違いだ。疲労で重たくなった少女の声が、しかしいつもと変わらないような言葉を吐き出すように発した。「大丈夫?」決して大丈夫ではないだろうに、そんな言葉を掛けることしか出来ない。
「戻りましょうバスに……」
「あ、ああ……。おぶろうか?」
「お気遣いなさらぬよう……。大丈夫です、このくらい……、ヒーロー科ですもの……、ふふ。こんなこともあろうかと、乙女のバッグにはミネラルウォーターと化粧水をたっぷり備えているのですよ……」
「それよりおじさま、ご褒美の件をお忘れなきよう……」いくらか調子が戻っているらしく、ふふふと微笑みながら重たそうに立ち上がり、ふうっと息を吐くと、またフラフラと歩き始めた。エクトプラズムもまた、杖を両脚代わりに器用に使って追いかけ始める。そんな様子を何秒か呆然と眺めしまったが、私も急ぎ、二人の後を追った。
「っは――――!生き返る――!!あっお二方、決してこちらを向かぬようお願いしますね!」
「私は運転中だからね!見えないよ!!」
「イクラ乾燥シテイルトハッテモ、バスノ中デ塗布スル事ハ無イダロウ……」
「いえいえ、乙女のお肌を侮ってはいけません。特にわたしの個性は潤いが不足しやすいのです!故に!大技を使った後の!全身保湿は怠れません!」
「乙女ト言ウノナラ、男ガ二人モ同席シテイル密室デ肌ヲ晒ソウトシナイデクレ」
「ひんやり〜。ああ気持ちが良〜」
「…………」
「…………」
娘と同じ年の少女にどうこう感じるつもりは断じて無いものの。
色々と大丈夫かこの子。と思わずにはいられない。
エンデヴァーは一体、どんな教育をしているんだ……?
再びバスターミナルへ戻る帰路の中、フラフラと最後尾の端っこへ座るや否や、我々にこちらを見ないように声を掛けるとおもむろにコスチューム達をポイッと真ん中の座席へ放り投げ始めた。つまり、脱。
「うーん。グレープフルーツのいい香り〜」
ルームミラーには映らないところで諸々済ませてくれていることがせめてもの救いだ。まあそこのところは考えているのだろうが、それを考える位なら、リカバリーガールの元へ着くまではせめて耐えて欲しかった。お蔭で此方は何もやましいことはしていないし考えてもいないというのに、先程から冷や汗が止まらない。表情は相変わらず見えないが、そこはエクトプラズムも似たような心境だろう。生まれて初めて彼と心が通じ合ったような気さえする。
「やっぱり大技なんて使うもんじゃないですよね〜」
「……其レヲ使ウト、イツモソウナルノカ?」
「ああ乾燥?そうですねぇ、今日はフィールド全域に行き渡らせたので、いつもよりは酷めですよ。わたしは基本的にパパ遺伝子が強めなのですが、肌は似ませんでね。あからさまに火傷なんかしないよう、慎重に個性の実験をしてきましたが、やっぱり放出するような大技を使うとお肌がパリパリになっちゃいますね〜」
あの強面ヒーローエンデヴァーを、パパとは。
さすが親子だ……。
「しかも今回はエクトプラズム先生が三十三人もいましたし〜」
「君ガ来ルマデノワズカナ間、動画サイトデモチベーションアップヲ図ッテイタノダ」
「どうりでノリノリで敵やってたワケだぁ」
「ノリノリだったんですか?」
「ですですよ。あのね、直前にパワロダ先生が大穴空けまくってて、足場ほとんどなかったんだよ!それでエクト先生が分身しまくるじゃん?地下にもたくさんいて!逃げられそうになくって超困った〜」
「それは凄いね……」
「地下ヲ炎ノ海ニシテオイテ、ヨク言ウ」
「ねぇねぇ。おじさま見えた?燐子ちゃんの『ほのおのうず』!」
「ああ……なんか一瞬、炎の柱みたいなのが何本も……。そういえばあの時はやけに暑かったな……」
「ふふ。地下のモグラと地上のネズミ、瞬殺炙り焼き作戦〜」
「地下ヲ勢イヨク走ル炎ガ地下通路ヲ埋メ、穴カラ噴出シタ炎ノ柱ガ地下ニ潜ム分身モ地上ノ分身モ焼キ尽クシタノダ」
「え。燐子ちゃん怖……」
「個性出し切れ!と言わんばかりのマッチングだったので〜。穴だらけの開けた地形と、分身の個性をもつ敵一人。どっちか片方違ってたら、いつもの感じでいけたんだけどな〜」
「ソレデハ試験ノ意味ガ無イ」
「ぶぅ」
「……奴ハキット弁明ナドシナイダロウカラ、我ガ伝エテオクガ……今回ノ試験ノイクツカノ狙イハ、アクマデ君ヲ伸バソウトシタ為ダトイウ事ヲ留メテオイテ欲シイ」
「伸ばす……」
「今マデノ授業ヤ訓練デハ、格闘ヤ武具ノ為ノ補助的ナ役割デシカ個性ヲ見セテ来ナカッタ。ソレ自体ガ君ノ思惑……予防線デアッタノダカラ此方ノ読ミ負ケデハアルガ、我々ハ君ノ課題トシテ設定シタモノガアッタ。ソシテ其処ヲ突ク課題ヲ出シ、君ハソレヲ乗リ越エタ。試験ハ合格ダ。完膚ナキマデニナ」
「……ここで感想戦やる感じですかぁ?」
「イヤ、蛙吹ト常闇ヲ交エテ行ウ」
「ヤ〜。ヤだなーもう。恥ずかしい〜」
「肝心ナ部分デ地下ヘ隠レテオイテ……」
「だって一部始終見られちゃうなんてムリ!恥ずかしいじゃないですかぁ」
やっぱり凄いなヒーロー科は……。
色んな意味で。
発着点のターミナルへ到着する。
前の扉を開けたところに、ちょうどイレイザー・ヘッドが立っていた。
髪型とマフラーのように首周りをぐるぐるに巻き付けている長布のせいで相変わらず表情が掴みにくい出で立ちだなぁと思いながら会釈をする。すると向こうも軽く頭を下げて「お疲れ様です」というものだから、これで中々礼儀正しい人だ。
「道中さぞかし五月蠅かったでしょう」
「いやいや、賑やかで楽しかったですよ」
諸事情により前の方に座っていたエクトプラズムがバスを降りる。
「エクトプラズムも。ありがとうございました」
「イレイザーガ手ヲ焼ク気持チガヨク分カッタ」
「アレにも伝わると良いんですがね」
「伝ワッテイルサ。伝ワッテイルカラコソノ、アレダロウ」
会話の内容にはもう苦笑するしかない。
「あ。先生たちがわたしの悪口を言い合ってる〜」間もなく彼女もやって来た。
「燐子ちゃん。もう大丈夫なのかい?」
「すっかりです。もう回復を通り越してパワーアップする勢いですよ」
「それは何より」
「お世話になりましたぁ」
「こちらこそ。早速少しずつ試してみるよ」
「何で仲良くなってんだ……」と呆れたような呟きが聞こえてきたが、きっと気のせいだろう。A組最後の乗客がピョコンと降り立って、これでこの時間は終了だ。私も彼女も、そして先生方も、一学期のイベントを無事に乗り切ったことになる。あとはフィードバックして、林間合宿で鍛える。一夏が見えたね。イレイザーも一段落して一息吐きたい頃だろう。そんな中、燐子ちゃんはイレイザーを見上げてニッコリ笑った。
「ただいま!いやらし澤せんせ痛!」
あーあ…………。