目の前に赤髪が揺れる。
さらさらと音がしそうなそれをひと房つまんで感触を楽しんだ。
照明の光に透かすと鈍く光って、本当に燃えているようにも見える。
「なぁにジローちゃん」
「綺麗だな、と思って」
「なぁにそれ、口説いてんの?」形のいい唇が弧を描く。
そんな簡単な笑顔でも、女子をもドキッとさせる程に可愛いのだから人間って不平等だ。
昼休み。
ランチラッシュのメシ処にて。
「いやぁ。それにしても一週間ぶりの授業ともなると新鮮だねぇ」
「アンタずっと学校いたでしょ」
「それはそうだけどさぁ。みんないないじゃん?淋しかったよわたしは!右を見ても左を見ても相澤先生が常に視界に入る一週間、唯一の癒しはミッドナイトの色気だよ」
「えっキモ…………」
「ガチのトーン傷付く!!」
「ちょっと、近づかないでくれない?」
「泣いていい?」
久しぶりに来た食堂は相変わらず激混みだけど、食事が美味しくて学生にやさしいお値段なのでやっぱり昼食はここまで来てしまう。午後からは演習が入っているのであまり満腹にもしない方がいいと思って自分は炒飯を。燐子が運んできたのは何とお子様ランチセットだった。小さめのオムライスとスパゲッティ、ポテトとスープ。ピラフの山に旗が刺さっているアレ。泣いていい?と言いつつもケロッとした顔でうまうまと頬張っている。
「まぁ後半は学外の活動もあったんだけどさ」
「何やったの?」
「イレイザーヘッドって個人目掛けて来る依頼が結構あるらしくてさ。ネットワーク通じて来た要請に応じて活動するの。教職の合間縫って」
「へぇ……。まあ凄い個性だもんね」
「うん。学校の活動の方はさ、ほら、一応個人情報とか色々アレだから簡単な内容しか触らせてもらえなかったんだけど、学外の方は連れてってもらえた」
「良かったじゃん。有意義だったってカオしてる」
「え」
こちらの反応が意外だったのか、自分の頬をムニムニと触りながら変な声を上げる燐子。
「有意義?有意義かぁ。有意義ねぇ」
「ていうか。ウチ的には指名あっただけ良いなって感じだけど」
「うーん。でもわたしは、別に活躍して指名されたわけじゃないからなぁ」
「ヤオモモも似たようなこと言ってたなソレ」
「ヤオモモちゃん?」
「体育祭のこと、まだ落ち込んでんのかなって思って」
「ティーンエイジャーの悩みって尽きないよねぇ」
「一番悩みなんかなさそうなアンタが言う?」
「えぇぇ〜?あるよー悩み。あるある!」
「何かあるの?」
「うん。メガネがさ、欲しいんだけど」
「メガネ?」視力は良い方なはずだ。
「度が入ってないけど、顔見えづらくするみたいなのが欲しい」
「意味わかんないけど、ダテメガネってこと?サングラス?」
「みたいな。あんまり目立ちたくないからさ」
「あぁ……アンタ目立つもんね。すっごい」
「イレイザーについてって行動してた時にさ、街中歩いたんだけど。すっごい嫌そうな顔されてさぁ」
合理性を好むあの担任にとって、燐子は確かに非合理の極みだろうし、活動内容からしてアンダーグラウンドな社会で水面下に動くことをメインにしているらしい(緑谷談)あの人からすると、無駄に人目を集めるこの容姿はマイナスでしかないのかもしれない。
…………同じ女から言わせてもらうと、非常に贅沢な話なのだけれど。
燃える赤色の髪に。
深く澄んだ青色の瞳は兄と違って色濃く、
人では潜れない程の深い深い海底の色に似ている。
そんな綺麗な色彩が、とんでもなく可愛く構成された顔面に乗っているのだ。
やっぱり人間って不公平。
ーーなどと考えてしまうような子なのだ。
この子がミッドナイト系の活動し始めたらヤバいことになりそう。ノリが良くて、頭が軽い節があるので一応注意しておかなければ。峰田や上鳴の悪ふざけにもちょくちょく引っ掛かりそうになるし。純真無垢。と言うほど良いものでもないと思うし、天真爛漫。ともどこか違うような。明るくて素直で、幼児のような無邪気な性格。コミュニケーションが難しいタイプのクラスメイトにも積極的に絡みにいくスタイルはいい意味で無神経さがある。でも気付けば賑やかな中心からちょっと離れたところでのんびり空を眺めている。とにかく焦点の定まらない奴だった。毎日のように顔を合わせていながらも、どういう奴なのかいまいちよくわからない不思議ちゃん。
「発目ちゃんに造ってもらおっかなぁ」とフォークで小さな国旗をつつく。行儀が悪い。
「発目……さんって、サポート科だっけ。本戦残ってた……知り合い?」
「体育祭でね」
「コミュ力の鬼」
「ふっふっふ。人脈は力なりだよ!」
「一理あるけどさぁ」
「サポート科って今、体育祭の経験をもとにプレゼン大会控えてるらしいね」
「えっ何それ」
「ほら全国中継されたじゃん?誰かメインのヒーロー科生徒を決めて、サポートアイテムの構想練って企画書作るんだってさ」
「それウチらも見たいよね」
「ね。経営科も売り出し方のコンペやるらしいし」
「へぇー……職場体験もあったし、レベル凄そう」
そう返しつつ、他のクラスのことを把握している燐子を凄いなと思う。
つい最近までは、ヒーロー科……もっと言えば自分のクラスの中のことだけしか全然頭になかった。日々執り行われるハイレベルな座学や演習についていくのに精一杯。でもあの体育祭を経て、B組だけじゃなくて他科のことも色々見ていきたいと感じていた。普通科の心操はヒーロー志望らしかったけど、サポート科の子も一人、自分がたどり着けなかった本戦トーナメントへ出場していたことが理由としては大きい。
ヒーロー科だけじゃない。
みんな、本気で学びに来てる。
小さい頃から個性を特訓して磨きをかけてきたつもりだ。大好きな音楽に関する個性がうれしかったから。ヒーローへの憧れもあった。
でも、自分にはまだまだ足りないものがある。
入試実技。
USJの襲撃事件。
体育祭。
そして職場体験。
あっという間に時間が過ぎていく。
きっと三年間なんて光の速さだ。
「ウチも……負けてらんないな」
「ん?そだねぇ」
「特に、アンタに」
「えぇえっ?」
「さっ。ジャンジャン行こ!!」
運動場γ。
なんとオールマイトを助ける救助訓練レースだ。
五人四組一組ずつ行うレースは、三組目を迎える。
「ふっふっふ。昨日の友は今日の敵……」
「それ逆でしょうが」まるで敵みたいな格言を呟く燐子を小突く。
三組目。出番が回ってきた。
同じ組に入ったのは常闇、切島、爆豪、青山と燐子だ。
「負けねーぞ、爆豪!」
「叩き潰してやるわ、クソ髪!」
「これレースだから交戦しないんだよね〜」
「うるっせェクソ女!!レースだろうが何だろうが俺が全部一位獲って終いだ!!」
「ステージ工業地帯だから、連鎖爆発に気を付けてね〜。爆散したらおばあちゃんでも治癒ムリだぁ」
「しねーわ!!!ナメてンのかクソが!!!!!」
「ちょ、何刺激してんのバカ!」
「見た目とは裏腹なノン淑女☆」
「騒々しい……」
カオスだ。
いかんせん爆豪だ。
収集がつかず、結局オールマイトの制止によって鎮静し、全員がそれぞれのスタート地点へ向かう。フィールドは複雑に入り組んだ工業地帯。通路も迷路みたいに存在するけれど幅が狭く、屋外ではあるものの歩いていても薄暗い。上空をパイプだのダクトだのが行き交っているからだ。こういった場所では戦闘になると索敵で役に立てることも多いと思うけど、早さを競うレース形式では後れを取ってしまうだろう。せめて救難信号をこっそり出してくれたら、目標地点を特定できるのはウチが一番早いだろうに。メンバーもメンバーだ。
スタート位置へ着く。
さほど間を置かず、救難信号が上がった。
やっぱり、フィールドの真ん中あたりか。
ーーーーと。
爆音が連続して上がる。
「やっぱ爆豪有利だな!」
止まっていられない。
走り出す。
距離は大分遠いから、恐らくウチとは反対側からスタートしているのだろう。
ガッツリ空中を移動できる爆豪が圧倒的に有利だろうけど、スタート前にわざわざ被害最小限にと釘を刺されていたから、フルスピードではないのかもしれない……にしては音が大きいが。
足場伝いに跳べるような身軽さも腕力も脚力もウチにはない。
地面をひたすらに走る。
走る。
走る。
走る。
走る。
走る。
走る。
息も絶え絶えにようやくゴール付近まで近づく頃には、爆破音はすっかり聞こえなくなっていた。遠くから青山がレーザー噴射で細かくスピードを上げる様子が目に入る。常闇がもう頂上間近だ。切島が今にもよじ登ろうとしている。
ああやっぱり。
全力疾走でスタートからゴールまで駆け続けて、喉がゼイゼイと鳴りながらもなんとか四位で辿り着いた途端に倒れ込んでしまう。
「だいじょうぶ?」
肩を掴み、支えてくれたそいつの視界で赤色が揺れる。
ゆっくりと息を整えていられるほど早くゴールできたのか。
それとも、最初から息ひとつ乱してなどいないのか。
聴力に特化した個性が、彼女のニュートラルな心音を聴き取ってしまう。
ああ。
「爆豪、やっぱ早ェな……ッ!」
「当然だわ!クソが!」
「もはやクソが語尾になりすぎてて笑う〜」
「んだとゴラァ!!!」
「わー!爆豪!止めろって!轟も!」
「ごめんごめん。バクゴーくんが面白すぎて。つい」
「ぁあ!?」
「人種が。人生で初めて見かけた感じだから」
「とーどーろーきー!!ストップー!!!」
「……あの。ウチ抱えたまま、騒がないでくんない……」
全身ヘトヘトになりながらも更衣室まで戻ってこれた。
最後の組ではなかったので、少しは回復できたのが救いだ。
徐々に夏へ近づいていると思わせる気候で、汗だくになったコスチュームを脱ぐ。
「梅雨ちゃん早かったねぇ」
「ケロ。有利な地形だったおかげよ」
「麗日自分浮かせられるようになったら、一番じゃない!?」
「浮いた後の進行方向の操作が鍵だと思いますわ」
「エヘヘ……酔いツボで大分軽減されてるんだけどねぇ」
「燐子ちゃんもイイセンいってたよね?」
「えぇえ?」と、スカートのホックを留めつつ素っ頓狂な声を上げる。
燐子のコスチュームは、ヒーローコスチュームとしては地味な感じというか、何というか見た目は完全に私服なのでウチと同様着脱は楽な方だ。動き辛そうに裾がヒラヒラと揺れる、真っ白ですぐ汚れそうなワンピースに、上からベストを着ている。意外と豪快に蹴り技を繰り出す健脚は足の甲まで覆うトレンカで隠す。極めつけは、ヒールのパンプスだ。デートにはピッタリの女の子らしい恰好(ただし自分では着ることのない趣味)かもしれないが、コスチュームとしては、初めて見たとき、大丈夫か、それ?と思わざるを得なかった。まあ動けているようだし大丈夫なのだろうけど。ウチより早かったし。
「そうそう!個性も使ってないのに、二位だよ二位!」
「スゴいよね、運動神経!?」
「運動神経と言って良いのか……」
「どんなトレーニングをしているのか、とても気になるわ」
「んん〜?使ったよ個性〜」
トレンカを脱いで脚が露になる。
コスチュームの上からだと分かりづらいが、かなり締まっている。
「えぇえ?どんな?」
「炎……ですよね?一体どこで?どうやって?」
「えっとー、それはね」そこまで言いかけたところで、不意に耳に入って来た音に思わず制止を挟む。隣の……男子更衣室が何やら騒がしい。
イヤホンジャックを伸ばさずとも聞き取れるようになっていく声が無言の女子更衣室に響き渡る。「グレープジュースだねぇ」と呑気な声はシャツのボタンに手を掛けたところだった。耳に届く会話と、視界に入る面々の衣服から除く肌を受け止め、壁に空く小さな穴へ向き直る。つんざくような絶叫が響く。
「ありがと、響香ちゃん」
「何て卑劣……!!すぐにふさいでしまいましょう!!」
「不意打ち最強選手権だね〜」
「…………」
「あれ?」
ウチだけ何も言われてなかったな。