東京の空は青い。

保須の事件から一夜明け――
色々なヒーローにお世話になり、
色々な人に心配をかけて、
強くなろうと級友と誓った朝。

「…………やることがない…………」
仰向けになって天井を眺めつつ、ハンドグリップで両手の握力トレーニングは欠かせない。

今頃みんなは職場体験四日目。
僕らは今日明日と病院で安静に過ごさなければならない。
課題も道筋も、明確に見えてきた頃なのに。
あの路地裏へ走った選択を決して後悔はしていないけれど。思うように身動きが取れないっていうのも、息苦しいものだということを知る。入院なんて生まれて初めてだ。物心つく前にはあったかもしれないけれど覚えていないし、記憶の中の僕は無個性であることを除けばいたって健常で健康な身体をしていた。よく転んだりかっちゃんにやられたりと、何だかんだ生傷は絶えなかったように思うけれど。
「早く僕も歩けるようにならないかな……」
自身の脚に視線を移す。左足は膝から下に包帯が巻かれ、松葉杖での移動を余儀なくされた。ついでに腕にもヒビが入っている。これは自分のせいだけれど。
同時に入院することとなった飯田くんと轟くんは、それぞれ腕の負傷により安静を言い渡されているものの、普通に歩くことが出来るので散歩に出かけている。身体の機能を鈍らせないためにだ。
……ヒーロー殺しとの戦闘。
グラントリノとの訓練で、個性の制御、大分出来るようになってきたと思ってたけど。ヒーロー殺しとのほんの一閃の攻防で動きを封じられてしまった。あの後すぐに轟くんが来てくれなければ。二対一でも足を斬られて再び動けなくなった。飯田くんが立ち上がらなければ。三対一でもギリギリだった。それも、僕と轟くんに対しては手を抜かれていた。
あの最後を思い出すと、今も少し震える。
「入試や体育祭の時のような参事にはならなかったものの……あれは焦りや力みのせいで個性をコントロール出来なかった完全なミスだ。粉砕骨折しなかったところは幸いだけれど、せっかく5%で動けるようになったんだから早急にこれを戦闘中持続出来るようにならなければ今後演習や試験もあるだろうし職場体験を終えた皆にこれ以上差をつけられちゃいけないんだ。あと二日でどこまで回復するかわからないけど登校初日から演習もあることだし参加できるように体力も戻さなきゃ。やっぱり僕も筋トレぐらいはしておこうかな……」
「今日も絶好調だねぇ緑谷くん」
「ヒュ」
変な声出た!
耳元に突如降りてきた華やかな声。
振り返ると、見覚えのある顔が近くある。
「と、轟さん……!」
「やあ」
「どうしてここに!?」
「お見舞いさ!」
くるんとカールしているまつ毛が赤い。
群青色の瞳がキラキラと輝いていた。
今日も今日とて笑みを携えた赤髪の女の子。
轟燐子さんだ。
「どうしてここに……。職場体験中じゃあ」
「体験中だよ〜。体験してるところだよ〜。でも上司が様子見て来いって言うからねぇ」
「上司って」
確か轟さんの職場体験先は……。
「ザワちん先生は人遣いが荒い。緑谷くんのノートにも、ぜひ加えておいた方がいい情報だよ。あ、ペン持てないかんじ?右腕!わたし書こっか?」
「あ、大丈夫!ありがとう……書いておくよ」
ほら、と顔の近くに掲げたのは果物の詰まった大きなカゴ。
「経費ってやつだよ。デパ地下で買ったお高いヤツだよ!」剥いてあげようか、と言いながら脇に畳んである椅子を引き寄せて座る轟さん。
「何がいい?オススメはね、バナナ!すぐ剥けるの!」
「え、あ、じゃあそれで……お願いします」
「オッケー!」
また笑う。笑顔のまぶしい人だ。直視できずに、僕はいつもあらぬ方向を向いてしまう。
半分近く剥いてくれたバナナを皮ごと受け取って一口食べる。
おいしい。
おいしいけど、バナナだったら自分で剥けたなと気付く。
「お昼ごはん食べた?病院食ってやっぱりおいしくないの?」
「あ、うん食べたよ。薄味だけど、おいしかったよ」
「わたしはまだなんだよ〜。リンゴ食べようっと」おもむろに自分で持ってきた見舞いの品からリンゴを取り出す轟さん。経費で買ったのでは……。確かに、お高い店で買っただけあって、赤くてツヤツヤしている。
「共同のね。洗い場あったから洗ってきたんだよね」取り出したナイフでシュルシュルと皮むきを始めた。くるくるとリンゴを回しながら刃を滑らせることで器用に皮をつなげている。
「すごい。うまいね」
「ね。初めてにしては〜」
「そうなの?すごいね!かっちゃんみたいだ」
「バクゴーくん?皮むけるの?」
「かっちゃんは、なんでもできるよ」
「へぇ〜。今度勝負挑もっかな。リンゴの皮むき対決」
「うーん……。腕ずもう対決とかなら、やってくれると思うけど……」ニコニコと手元を全く見ずに話が続くので心配したけど、問題なさそうだ。本当に手馴れているように見えるけれど。轟さんってこういうところあるよなぁ。あっという間に剥き終えて、どこから出したのか紙皿の上に切ったリンゴを乗せていき、すぐにお母さんが出してくれるカットされたリンゴになって出てきた。
「はいどうぞ〜。つまようじ、あるよ」
バナナを食べ終えたあと、お言葉に甘えてつまようじを刺す。
轟さんも一切れ齧った。
「大変な職場体験だったねぇ」
「うん……すごい経験だった」
「お疲れさまだねぇ」
「うん……」
「委員長も焦凍も入院してるんでしょ?」
「うんーーあ!轟くんは今、散歩中だよ」
「ふぅん。散歩っておじいちゃんみたい」
「体力落ちちゃうからね……。轟さんは、職場体験どんな感じなの?」
「わたし?」
「うん。雄英で職場体験って、聞いたことないから」
しかも、あのイレイザーヘッドからの指名。
色々な意味で気になってしまう。
「うーん。だいたいはデスクワークかな。あ、みんなの成績は見たりしてないから大丈夫!他は仕事で前倒しできた分だけ手合わせしてるよ。先生と。あとは、先生の使いっ走り」
「イレイザーヘッドと組手なんてすごいや!」
「スパルタだったよ〜休憩!って言ってもチェンジ!って言っても、本当にヤバめじゃないと止めてくれないの。鬼だよ!これも、ノートに書いておいた方がいいよ!」
「手が治ったら、書くね」
「あと、固形物全然食べないんだよ。だからリハビリの進捗が遅いんだよ」
「それは、確かに体力付かなさそうだよね」
「だからね。最近は固形物を突っ込むようにしてる」
「突っ込む?」
「こんな風にね!」とリンゴを口に押し付けられる。
反射的に口を開いてしまったけど。
こ、これ…………。
これって…………、
ーーというかこれを相澤先生に!?
リンゴ咀嚼機と化した僕の脳内を、そんな疑問が駆け巡る。
「轟さんって……すごいね……」
「うん?すごいのは緑谷くんじゃん?」
「いや、僕はそんな」
「その腕、折れてるの?」と吊っている右腕を指さす。
「え?いや、ヒビ入っただけ」
「やっぱりすごい。どんどん強くなってるね」
「…………」
「あれ?緑谷くん、泣いてる?」
「な、いてないよ!」
「そうなの?」と微笑む轟さん。
すごくきれいに笑う人だと思う。同級生なのに、時々なんとなく大人っぽく感じることがある。纏う空気が少し違うような。
「リンゴまだあるよ?」
「いただきます……」
「入院っていつまで?すぐ帰れるの?」
「あ、最終日に退院できるよ。あと二日はいるかな」
「うわぁヒマだぁ。マンガでも持ってくればよかった?」
「ううん。一人じゃないから大丈夫。ありがとう」
「委員長と同じ部屋とか。就寝ちょう早そう」
「消灯時間と同時だよ」
「ウケる!」


お皿のリンゴがすっかりなくなった頃。
「おや!?」と聞き慣れた声。
入口のところに飯田くんと、その後ろには轟くんが立っている。散歩から帰って来たようだ。「飯田おじいちゃんに焦凍おじいちゃん」と轟さん。首を傾げる二人に僕が慌ててしまう。
「轟くん……何故ここに!?サボりか!?!」
「うーん。リンゴを食べに?」
「ここは直売所ではないが!?」
「まぁお座んなさいよ」
なぜか轟さんが促して、飯田くん達は病室へ入ってきた。飯田が斜め向かいで、轟くんが僕の隣のベッドへ腰を下ろす。轟くんは、轟さんを見て変な表情をしている。
「じゃあわたしは帰ろっかな」と轟さん。
え……。
か、帰る!?
「一応お三方の様子も見れたし。これでも勤務中に来てるんだよわたしは」
えっ、それはそうだろうけれども!
腰を上げ、女の子らしいワンピースの裾を直す轟さんに、思わず隣を見てしまう。眉を寄せる轟くんの目は口ほどに物語っている。
もう一度轟さんを見た。
あっ……これ僕、轟兄妹に挟まれてる!?
「気を遣わせてしまってすまないな。忙しい中ありがとう!」と飯田くん。
「いえいえお大事にね。果物食べてね」
「ああ、ありがたくいただこう!」
「じゃあね〜」
さっきまで、あんなにも話に夢中だったのに。
あっさりと去ってしまった……。
途端に、どこか味気なくなる普段通りの病室だった。
「…………」
轟さんが出て行った扉の方を見ている轟くん。
「一人ですごく賑やかだったな彼女は」飯田くんが呟いた。
飯田くんは毎朝登校すると轟さんが先に来ているとかで話をするらしいけれど。
そして彼女は誰とでも仲良さそうに会話するし、なんならかっちゃんにも平気で話を振ったりするけれど。
でも、轟くんと話す姿はほとんど見たことがない。

体育祭。
本戦トーナメント前に聞いた、轟くんの話が蘇る。
父親と母親と、轟くん自身の話。
個性婚とエンデヴァーの野望。
犠牲になったお母さん。
憎しみを抱く轟くんの物語。
そこに轟さんはいなかった。
「……なんなんだよ、アイツは……」
真っ赤な髪が炎のように揺れる。
轟さんは、いなかった。

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