C'mon fuck all!Let's get ON!


 城外の者達は我々を影だという。
『いくらその身で日向を歩こうが、足跡すら残らない。生も死も黒く模られた影法師。』

 それは強ち間違いではなく、むしろ旨いこと例えたものだと思う。それは自らを闇へと覆う以前には自身もそう指していたな、とそんなつまらない記憶を手繰り寄せた。

 城内の者達は我々を狗だという。
『血肉の色と硝煙を嗅ぎ分けるには天下一品の鼻を持ち、主人が令つならば毒の溶けた水と知りながら桶を舌根で啜る飼い犬。』

 勿論、それも正解だ。なにせ御膳立てられた死の為に、たったそれだけの脇役が為にこさえ命なんてこの数年で幾度と見てきた。そして彼らが晴舞台と何のてらいもなく全うして行く様など、やはり今更の日常ではある。
 しかし今だかつて自身の身にその役が宛てられない所を見ると、それを幸運と思うべきか、それともそれだけの技量がないと見られているのか…いやはや、そんな事を思いつく限り自身もやはり立派な狗なのだろう。ああ愚考である。それこそ愚かな物思いではないか。…そこで自分は、少なくとも自身は今は亡き狗達よりかは長生き出来ているのだと、そう納得する事にした。

 だとすれば、だ。城内外の者達の見解を纏めると、だ。
 我々は"影の狗"ということになるのだろう。それはもはや人を指す名詞などには所詮懸け離れ、立派に自身もそれの一員だというのに哀れなものだと溜め息が喉頭をせり上がる。即ち、我々は化け物だ。
 でも、まあ…それは当然の事なのかも知れない。なにせその百余の化け物共を統括する頭は、城内外問わずに"鬼"と呼ばれるような男なのだから。その鬼とは男本人の全身爛れた形相から来ているものなのか、それとも戦場でおいての男の容赦のない気性から来ているものなのか…それはどれとも言い切れないが、我々の頂点に座する方はどうやら鬼らしい。

『怖や怖や、鬼が率いる狗どもぞ』

 思えばそんな嘲り文句を幾度となく耳にしてきたような気がする。

 では、ん…おや?よもや自身を含んだ百余の忍達は狗であるのは間違いないとして、そういえばたった一人、狗ではない者が組に居た事をふと思い出し、私は自らの首を傾げた。むしろその者は確かに忍びであるのかも怪しいものだと、いつかの先輩方がぼやいていた情景が脳裏を過った。なにしろその者は我々と違って狗ではなく、皆揃って"蛇"と…そう呼んでいた。
 蛇、それは紛れもない、この城に集う百余の忍の中で唯一の…たった一人の女の事である。

 我が忍び組にくノ一は居ない。ああ、勿論戦時に要される御陣女郎などと言う者共は毎々に囲いはするのだが、連中は揃いも揃って我々をまるで虫けらでも見るように毛嫌いしている為に、あちらはあちら、こちらはこちら、とそれはもうくっきりはっきり区別され、戦中でもない限り接点すらないのである。故に、我が忍び組にくノ一はない。
 それは忍び組に関して一切の管理と運営、統括を組頭に丸投げした殿の方針なのか、はたまた組頭の意向によるものなのかは知らない。それを、何故、と問うた自分にはっきりと小頭も組頭も口を揃え、要らぬから、と決まって返していた。そして続け様に、あれは碌な事をせん、とも。そう返すところをみると二人揃ってくノ一に何らかの遺恨があるのだろうと察し、私は即座に口を閉ざしたものだがら、ただ自身には"居ない"という事実だけしか所持してない。
 ああ、そう言えば、殿や組頭達は1度として彼女を"くノ一"として要したことがなかった事を思い出す。では彼女は忍者であるか、と問われれば私は即座に否と答えるだろう。それは恐らく組頭達や、在ろう者か殿ですら即答する姿が容易く想像できる程だ。いや、想像に容易いというより…むしろ過去に事実として公言されていたようにすら思う。うん。間違いない、言っていた。みんな真顔で是と頷いていたし、何より自身の記憶にある彼女の言動や立ち振る舞いは到底忍者らしかぬものばかりである。
 何よりその証拠に、彼女に割り当てられる仕事と言えば潜入・調査・撹拌…そんなセオリー通りの暗躍は1割も含まれていなかった筈である。それに彼女の気性は、『戦うのは最後の手段』という忍道を学ぶに当たって"いろは"の時点での了解を何より無視した、言ってしまうのであれば、売られた喧嘩や抗争は差し押さえしてでも買い取るような有様なのである。ようは、そんな根本的な部分から彼女は忍者から逸脱している、というのが話の落ちだ。これでは暗躍は勤まらない。それに女自身も自らのその実にめの荒い好戦的な性分を理解しているらしく、日常見られる私との口喧嘩も大抵はそれに関するものであった筈だ。
 では何をしているのか…その上、座して行う仕事などむしろ彼女の苦手分野に上げられる程なのだから、考えられるものは限られてくる。ああ無論、たった今彼女はくノ一ではないと断言したくらいなのだから、床上での所謂色専門というわけでもない。…まずそんな仕事しろ、なんて小頭が言う筈もない。何より組頭が許さない上に、殿なんてきっとそんな事を彼女に命ずる気なんて沸きもしないだろう。だからまずそれは完璧に専門外だ。
 では、なにか。端的に言ってしまえば、彼女は恐ろしく強かった。忍具などの名前はいくら説明しても覚えようともしないし、兵法に然り、忍術の教授は興味ないと言わんばかりに耳は勿論、視線すら貸さないけれど、天性の感というべきか…それとも野生の鼻が利くとでもいうのだろうか、彼女は根っからの狩人であったのだ。
 見るのも殊更触るのなんて初めてだろう忍具を容易く扱って見せたり(しかし、それもまだるっこいと使用している所を私はあまり見た事がない)、自然と発生する雑務や庶務、事務仕事の際に見られる頭の弱さなどまるで他人事のように戦場では素晴らしい利巧さを発揮したり(しかしそれも賢いというよりは強いて言うなれば狡賢いに等しいと私は思っているのだが)。
 そう、もっぱら彼女に与えられる忍務と言えば、敵地を制圧・殲滅・一掃…まったくもって忍ぶ事を知らない言わば"ゴリ押し"である。そんな荒事を得意とする者が忍びであるはずもなく、差し詰め彼女の事は武者ならぬ猛者、あるいはいっそのこと事実上の一番槍と…これだけで述べれば彼女の気質を十分理解するに足るだろうか。
 それじゃあ、何故、彼女は忍び組一派として数えられるのか。その由縁は実に単純明快、明瞭たる理由がある。

『この子新入社員。仲良くしてね』

 そう、そうだった。説明らしい説明などすっかり面倒がって省かれた紹介で、彼女は組頭と共にやってきた。
 いや、その時の彼女の格好といえば背に回した両手首を上帯で一纏めにされていた上に、脚はといえば長座した形のまま足首と膝それぞれで一寸も開かぬように縛り上げられていたのだ。それにあろうことか、声にならぬ抗議に激しく唸り続ける彼女は寝巻き姿で、それは一目でああ誘拐拉致といった真実がありありと理解できてしまうような代物。事実、終始浮かれた様子の組頭を血相を変えて問いただした小頭によると、気に入ったから連れて来た、そんな単純な願望による一方的な採用だったというのだから、彼女が心底気の毒だと思ったのを今でも覚えている。
 大方寝込みを襲ったのか大人気ない…今より幾分若かった筈の小頭は既に哀愁漂う苦笑に頬を痙攣させていた。しかも道中相当騒がれたのだろうか…ご丁寧に猿轡まで噛まされていたのだから、思わず私も同様の痙攣を自身の頬に感じてしまったほどだった。
 そして身動きの取れない彼女をひょい、と肩に担ぎ上げている組頭を見た私の率直な感想といえば、これが上司でなければ引き摺り後磔獄門が妥当と姿勢よく挙手をして意見していた事だろう。部下の息子という認識で僅かながらにしか接点のなかった頃であったというのに、幼子にそこまで思わせるとは…さすがというべきであろうか。…うん、きっと違う。
 今にも鼻歌でも始めそうな程上機嫌だった組頭は、その肩越しに真っ赤な恐ろしい形相で睨み上げられた私の身震いをきっと知らない。


『あの顔はなんだ、ああ醜い醜い』

『まるで蛇のようじゃ、恐ろしや悍しや』

『あれは蛇の物の怪に相違ない』

『空恐ろしい恐ろしや、殿は蛇まで飼い始められた』

『止さんか、あの蛇は鬼の御手付きじゃぞ』


 今から何年前の事だろうか、蛇が鬼に攫われて来たのは。それは自身が元服を迎えるより以前の事なのだから、それはもう昔の話だ。確か父上が床に伏せ始めた頃の話で、おそらく七年前の出来事であると思う。しかし改めて数字にしてみると、案外それは長い付き合いだとは言い切れないような年数であるように思えた。それでも自身の齢から差し引けば、十分に大きいものなのだろう。
 思えば私が初陣を果たす前より、しいて言うなれば元服以前から、彼女は戦忍として硝煙と返り血をその身で引き摺っていた。それで私と同い年だと言うのだから、その驚きは今でも記憶に色濃く残っている。では、彼女の初陣は…12の頃となるのか。そんな幼子にましてやおなごだ、うちの組頭は昔から色んな意味で無茶苦茶な方だったということか。いや、彼女もそれに負けて劣らぬ第一印象ではあったけれど…ではそんな彼女と当の組頭の馴れ初めはといえば碌に聞かされていないに等しく、ましてや私と彼女の始めての会話も語るに及ばない。ただ言える事は、両方共に"碌なもんじゃない"とだけは断言できると書き置こうと思う。

 あ、あれ…おや?随分と話がずれちゃいないか?当初は我が忍び組における紅一点が何故、自他共から"蛇"と称されるかについて語っていたはずだったのに。いや、それも違う気がするが、まあ気にするのは止そう。ああ、そうだった。では改めて何故彼女が"蛇"と呼ばれているのか、だが…
 停滞していた自己の思考がようやく前進し始めたというのに、突如して側頭部に感じた激痛によってそれは霧散する。それは誰によるものかなんて容易く理解できたものだから、俺はその患部を摩りながら犯人の名前を荒々しくがなった。
 しかし悲しいかな、それも間髪入れずに口内へと突っ込まれた鞘尻によって声にもならず、私は低い呻き声を漏らしただけだった。

「うるさい。がなるな。呆けるな。時と場合を弁えろ」
 声の主は自身よりも二、三寸長身の女。

 木の幹に腰掛けた自身の隣に仁王立ちする女を視野に入れるには、俺はますます見上げなければならなかった。首が痛い。って、おいおいそれ以上突っ込むな。吐くぞ。

「行楽にでも来たつもりか、阿呆」
 嫌な笑みを貼り付けた女は、人様の口内に突っ込んだままの刀の鞘を掴んだ手首で緩く揺らすものだから、されている側としては抗議どころか嘔吐きを堪えるのに手一杯である。

 そしてこちらが嘔吐き苦しむ様にくつくつと楽しげに目尻を歪め、答えられるはずないと知りながら、え、どうなんだ、と返答を催促し始めた女の顔は、ああ本当にいい顔で、加虐趣味という単語が自重もせずに俺の脳裏を闊歩する。常日頃から、"蛇"という女のあだ名に対して不快感を抱えていたが、この時ばかりはその二つ名へ激しく肯定にかぶりを振り乱したい思いであった。
 なにしろ今現在さらされている俺の醜態といえば、まるで悪鬼の如き笑みを携えた女に見惚れていた…わけではなく、むしろそれを通り越した怖気に背筋をぶるりと震えさせていたのだから、我ながらお笑いであると言われずとも認知出来ている。同時に、眼前のこの女が"蛇"と謂わしめられる箇所…いや患部と言うべきか、それから目が離せなくなっていたのだ。

「…諸泉?」
 逸らされる事のない視線を怪訝がるように、女の柳眉はハの字を描く。

 白花色の装束に身を包んだ、女。女の忍び装束は最早忍ぶことを考慮せず、むしろ昼夜を問わず目立ち人目を引く為だけに、女の為だけに拵えられたものだ。そして擦り切れ変色し始めたその麻布に覆われた肌には、年頃の娘のものとは到底思えない程の量の傷跡が染み込んでいることを、俺は知っていた。その中でも一等酷いものは、まるで刀の試し切りに用いる藁束の代わりをその身で要したかのような、大きな大きな袈裟傷が残る背中。その背の主は、なまえという。俺の知る限り、この世で一等おっかない女の名である。
 ちなみに幾度も毎度と満身創痍で帰還する女の治療をするのは、直ちに命に関わるものでない限りそれは自身の役目で、それの始まりを思い出すのすら億劫になる程以前からの話である。俺は年々傷の数と積を増していく一方の女の体を、自身達の成長と共に見てきた。その点では、忍び組の誰よりも女の近くにいる人物なのであろう。だからこそ分かる。女が蛇の化物と恐れられる謂れを。

 生まれは簡単な理由だった。彼女が蛇と呼ばれるようになったのは、本当に簡単な理由。組頭に担ぎ上げられ不本意ながらも我が城に召上げられることになった女を遠巻きに眺めていた、嘲りや嫌悪感を堪えようともしなかった城内の女中や干城共が、女の顔にある大きな傷を侮蔑を含ませた嘲笑でそう例えたのだ。女の右目にある、眉の下から頬骨にかけて刻まれた細い傷跡を、まるで醜い蛇が瞼を這っているようだと。また、女の参入を快く思っていない組内の連中は、その右目の傷はまるで獲物を見定めた蛇が瞳孔を絞めた時のようだと、そうケラケラと指差して哂っていた。
 だが、もしそれだけなら、当時から女を猫可愛がりしていた組頭の耳に入った時点でそんな陰口に等しいあだ名は、組外ではどうかまで分からないが数年後の現在まで残ってはいなかっただろう。それほどまでに組頭は女を気に入っていたし、当の女も当時居た組の者達の誰よりも腕が立った。そんな妬み嫉みが拍車を掛け嘲た身体的特徴を延々と引き摺るほど、何処で体得したかまでは知らないが女は弱くも愚鈍でもなかったのだから、ついには数十里離れた他の城にまで『タソガレドキには蛇が居る』とまで謂われる程、高々陰口に根が付くはずがない。

 では、何故か。その答えも至極単純だ。女自身が気に入った、という話である。
 なんて単純で、間の抜けた話であろうか。己を嘲り蔑むだけに生まれた陰口を、あろうことか女は気に入ったのだ。この傷を蛇とは…いやはや巧いこと言ったもんだ、と女が手を叩いてケラケラと笑っていたのは確かに自身の脳の深奥に蓄積された史実である。

 ああ、思えばあの頃から、一般では少女と呼ばれる筈の年の頃から…女はこの笑い方を知っていた。
 汚泥が溜まった底無し沼から首だけを晒して、自らを冷笑する輩へ渾身一杯の呪を籠め高らかに口角を持ち上げながら蛇の目を歪める。ああ、まさに、ああ正に蛇のような哂い方だ。嫌だ、哂うな。哂うな。そんな顔で笑うな。どいつもこいつも、そんな彼女を哂うな。何も知らないくせに、彼女の何をも知ろうとしないくせに、哂うな。蛇肌のような色をした忍び装束の下に隠れた、隠させられた、年相応の微笑を刹那だってお目に掛かった事などないくせに、お前らに彼女を愚弄する権利などありはしない。哂うな。俺はお前のそんな笑った顔は好きじゃないんだ。だから、笑うな。
 なにより、"蛇"と聞いてまず彼女を彷彿する自分に堪えようのない、ドロドロとした張り裂けそうな噎せ返るような焼き付くような息の絞まる…殺意が沸き起こる。

ああ、もう、だから…俺はお前が嫌いだ。

 女の顔は思案するように俺を捉えたまま、忍ぶには到底相応しくない煌々とした月明かりが女の黒い眼に尻餅つく俺を鮮やかに写して、女をこの闇夜の帳に縫い付けたかのように輝かせている。
 ああ、俺は今、蛇に捉われている。蛇が、俺を見つめている。背筋を駆ける寒気にも似た昂りに、思わず俺は青息を吐いた。

 奥歯がカチカチと鳴る音が、手にしていた鞘から伝ったのか女はこちらが怯えていると知り、小胆者が、と忌々しそうに舌打ちを洩らした。ずるりと口内から刀がようやく引き抜かれる。

「お前の臆病はいくつになっても治らんね」
 ふ、と女が俺から視線を外した事により、今の今まで見えていた蛇の目が隠れ、ようやく息が出来るような心地になる。

 それが再び自身を捉えたときには、女の目はもう蛇というよりも、むしろ悪女といったありふれた形容詞が相応しいいけ好かないものであった。勿論それは女が仏頂面と般若面以外に唯一所持した表情である為、俺の背筋が怖気に震えることはなく、この口はただ常の様に憎まれ口を吐き返すだけである。当然、女はそれに「餓鬼め」と常套句をせせら笑いと共に闇夜に洩らしただけだった。確実に自身と同い年である筈の女のすげない態度に、かぁっと頭にくるのは毎々女と上司達に指摘され続けている青臭さ故か、そんなことは十分に理解できているが、決して理解と納得は同一線上にあるものではない。
 そんなこちらのむしゃくしゃは当然了得済みであると言わんばかりに女は、癇癪起こした子供を宥めるように俺の頭に掌を乗せ、あろうことかあまりお目に掛かることのない微笑で振り返るのだ。そうなってしまえば、俺には今の今までこの喉の口まで込み上げてきていた文句を全てひっくるめて嚥下するしかない。だが、同時にせっかく飲み込んだ感情に酷似した衝動が気道の底から勢いよく這い上がってくる感覚に、俺の肺は一瞬にしてこんがらがってしまい、簡単に出口を見失う。
 それによって女はこちらの膨れ上がった頬袋から心境を知ったか、今度は悪女と少女の間でさ迷う…まるで柳下の幽霊のような不明瞭な微笑みを浮かべるのだった。それを目にした後にこの肺の内でますます膨れ上がる名づけようのない情動は、見慣れないものを続けて見たことによる気味悪さに違いないと、そう自身の中で片を付ける。でなければ寒気だとか、悪寒だとかいった類いである筈だ。そうでなくては可笑しいのだ。ああ全く、お前、何故今日はそんなによく笑う。お前の穏やかな笑みなど、一年で数度お目見えになれば良いほうで、なんだお前、今日はどうした。


「しかしまあ、あっちのこっちでそっちも小火騒ぎ…面倒ったらないね。よくも連中は飽きないもんだ」
 あたしゃとっくに厭いちまったよう、なんて首を鳴らす女の視線は俺から反られてしまった。

 つられるように自らの顔を蛇の目が睨む先へと向ける。すると、突如として悪女へと面を剥いだ女の視線の先には、眼下に伸びる深緑の群の先で二つ、三つ、鈍い色をした煙がぷすぷすと伸びていた。
 その光景を目にし、ようやく自身らが何故こんな木の陰に忍んでいるのかを思い出した。これでは行楽気分と言われても否定なんて出来やしない。
 しかし、おや…何故火が起きている。一揆を目論む惣が密偵によって知らされ、それを挫く為に派遣された者は我々二人だけの筈だ。その他には偵察に向かった者は居るが、それが指示がないままに動く筈はない。では今、件の集落では何が起こっているというのだろう。

「あたしらが仕置きに向く前に、どうやら鼠共は野良犬に食まれちまってるようだねえ」
 こちらの思案が伝わったか、女は含んだ物言いで笑いを洩らした。

「襲われてんだよ」
「何に?」
「さあ、山賊盗賊匪賊…その類いじゃないかい」
「へえ、よく分かるなお前」
「ああ。鼠共は内緒話するには少々声がでか過ぎた。暴動を起こす前に出し渋った米に貯めた打ち物…野良犬が欲しがるものはたんとあるんだもの」
「ほう、だから襲われて…え?って今連中は襲われているのか!」
「阿呆、忍者がひしるな」
「お、お前にだけは忍者云々言われたくない!」
「…言ったそばから、怒車の術って知ってるかい先生」
「うるさいっ、お前に忍術を教えたのは誰だと思ってんだ!」
「少なくとも…あんたじゃないことは確かだねえ」
「いや、いやいやそんな事より何暢気に他人事してんだお前!」
「そりゃ他所事だもの」
 まるで言っている意味が分からない、と言わんばかりに女は仏頂面を傾げてみせる。それに堪らず溜息が込み上げた。

 ああ、うっかりしていた。この女はこういう奴だった。まさか、仕事が減ったなんて考えているのではないだろうか。ああ恐らく、そのまさかだ。こいつはそういう女だ。この七年間で嫌と言うほど思い知ったのだから、それは確かだ。ずぼらで無精者の甲斐性無し、これを"蛇の化身"と恐れる連中の気が知れない。きっと普段の体たらくをその目にした群衆は、驚きと拍子抜けに着物の肩がずれ落ちる事だろう。ああ、なんて女だ!噂に尾ヒレがついたどころか、あろうことか胸ビレや水掻きまで拵えられた有様だ!
 自身の眉間が堪えようのない怒声にぴくりと震え上がる。

「阿呆、冗談に決まっているわ」
 いや、お前や組頭が言うと冗談に聞こえぬわ。

 そう溜め息を吐き出す俺に向かって、女はくつくつと小さな笑い声を緩やかな弧を描く口角から洩らしていた。やはり見慣れぬその姿に、俺はと言えば先程まで肺で膨れ上がっていた蟠りが再びくすぶり始めたような気がして、堪らずもう一度溜め息を吐く事でそれらを誤魔化した。

「なまえ。お前の生き方ってさあ、如何なものだと…」
 心底呆れ返った風にそう呟くが、項垂れる頭を抱えた様では所詮負け惜しみに過ぎぬ。

 いや、いやはや、性格所か心得た人のからかい方まで似ているとは、ふと思い出した包帯だらけの上司の背姿に、勘弁してくれと俺の眉尻は下降していく一方である。同時に、高々武装した農民相手の仕事に、何故こんな乱戦向きの猪女をわざわざ出向かしたのか、直々に名指しで女を選出した殿の意向に心底疑問を訴えかけたい思いであった。まあ、あの方も短気な気性であるから、恐らく徹底的に躾けて来いとの事なのだろうが…だからといってそれの同伴に俺を指名した小頭に、思わず不平を洩らしたい心地である。手に余る。手に余るのだこの女は。もう勘弁してくれ。
 おや…元来この女の仕事は単独物が主要であった気がするのだが、そう言えば、この女と仕事上で組むなど出入りが破茶滅茶になる戦中でない限りそうあることではなく、今回のこれは随分と久しぶりな取り合わせではないだろうか。いや、間違いない。久しぶりである。俺の記憶が正しいのであれば前回のこれは…半年程前になる筈だ。うん、でも矢張り、勘弁してくれまいか。斬られた撃たれた折れた構わず、戦線に放たれたなら自らが飽くまで、もしくは抗する者が全て地に伏せつくすまで刀の柄を離さぬような猪女と組むなんて、心臓がいくつあっても足りゃあしない。ああ全く、堪ったものじゃあないのだ。

「まあ、小火の野次馬に紛れて火事場泥棒の方がよっぽど阿呆さ…毎々かり出されるこっちの身にもなって欲しいもんだ」
 ああ全くあの狐爺は人使いが荒い、なんて飄々と愚痴る女の肝っ玉は、恐らく俺が今後一生掛けても得られぬほどの巨大さに違いない。

 そう言えば組頭に始まって殿ですらこの性格破綻女には極甘で、俺が思うに、この女の壊滅的に最悪な気質は間違いなくその御二方によって助長されていると思うのだ。勘弁してくれ、そう慢性胃痛に腹を抱える小頭の隣で、同様の台詞に頭を抱え始める自身の姿は既に互いの目蓋の裏に色濃く染み付いている。
 しかし、文句や愚痴を我慢する事を知らない女は在ろう事か本人らの前でつらつらと巻き舌で吐き出すが、それでも一度令たれた仕事を拒否した事も、あるいは失敗したと言って逃げ帰って来た事もない。その点でのみ、この女は実に従順であると言えるのかもしれない。が、腰にぶら提げた自慢の大太刀と鎧通しの鞘をカチカチと擦り鳴らす女の表情を見る限り、自身の脳内で確立された『この世で一番おっかない女』一位の座は、当分変動なさそうである。


 その時だ。俺達が腰掛ける幹の下を、鬱蒼と生い茂る緑の床を赤墨の風が一つ、駆け抜けた。その風が口ずさんだ高い声。我々の矢羽音だ。出撃の合図だ。我々が戦地に降り立つ時が来た。

「おや、やっとこかい。焦らすのだけは随分と御上手に出来る」
 女が洩らした小言に、風が答える事はなかった。

 ただ遠くの茂みでびくり、と背筋を震わせ怯える気配が一つ、きっと彼は我々が城へ帰還する際に土下座で迎えをするに違いない。一介の下忍如きの小言に怯える理由は簡単に想像がつき、俺は何とも言えない思いに溜め息を吐き出した。


「いざ参ろうか、尊奈門…阿呆供に踏んではなりんせん尾がある事を、骨の髄までじっくりと教え込んでやろうよ」
 よっこいしょういち、なんて声を出さずに立ち上がったなら、その横顔は最高にあくどく頼りになる自信に満ち満ちているというのに。

「なまえ、あまりはしゃぐなよ。此度の先導は俺なんだからな…分かっているのか」
 毎度俺を無視して事を進めるお前の小言を小頭から言われるのだというのに、この女ときたら、ははっと緩く笑った後にこう言ってのけた。

「無理を言うなよ、それにあたしのケツ拭いはあんただけの特権なのにさ」
 おい、冗談じゃない。勘弁してくれよ。誰が好き好んで血塗れの女の世話をせにゃならぬのだ。心臓がいくつあってもたりゃあしない!



 こちらの不平不満など何処吹く風で、ついに白花色の蛇が降り立った。

「おい、なまえ待て!人の話を聞けというのだこの馬鹿女!」





(さあさ糞野郎共、かかってこいよ!)
Continued.

メインの粉もんさんがまさかの回想のみ…反省!⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ドテッ



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