「はぁ…」
「どーしたよマルコ、そんなジジくさいため息なんかついて」
「ジジくさいは余計だろい」

 深いため息を吐くマルコに、からりとした声で訊ねたのはエースだった。はは、と笑って彼は、マルコの隣の椅子に深く腰掛ける。

「そこ、サッチの席」
「外回りでいねーから大丈夫だって」
「時間、まだ仕事中だろい」
「おれはもう上がりだ。どっかの誰かさんと違って真面目なんでねー」
「………」

 じろりと、マルコの三白眼がエースを睨む。おーこわい。言いながら両手で顔を覆うエースのそれはまるで怖がってなどいなかった。

「はぁ…」
「まーたため息かよ。今日一日そうじゃねェか、何があったんだ?」

 エースの直球な問にマルコは喉を詰まらせた。本当にコイツは怖いもの知らずというか、何事にも体当たりでぶつかってくる。そんなことを思いながらも、素直に自分を心配してくれる可愛い後輩に少し甘えてみようかと、マルコは重い口を開いた。

「なァ、エース」
「おう」

「………お前くらいの女って、何考えてんだ…?」

 ぽかんと、呆けるエースの顔と、至極真面目なマルコの瞳。
 夕暮れに染まるオフィスビルで、社内に響くデスクワークの音色の中で、そこだけが一瞬、取り残されたような空間になる。

「あ、なに、もしかしてなまえさんのことか…?」
「………そうだよい」

 かーっ、と、エースががっくしと項垂れた。マルコはわけがわからず首をかしげる。

「どうした」
「ん? あァ、いや…頭脳明晰、仕事もできて部下からの信頼も厚い容姿端麗(笑)なマルコ先輩が最近何に悩んでんのかと思えばまさか、女のことだったとは…」
「おいその(笑)ってなんだ馬鹿にしてんのかおい」
「いいや至って真面目」
「余計タチ悪ィわボケ」

 それで、とエースはサッチの机を漁りながらマルコに続きを促した。マルコはやや憮然とした面持ちでありながらも再び口を開く。

「まぁ…なんつーかあれだよい、」
「喧嘩?」
「聞けよ。……ほぼそうなんだけどな」
「そうなのかよ」

 マルコがまたひとつため息を吐いた。エースは「へぇ、マルコがなまえさんと喧嘩ねェ」と少し意外そうな顔をしている。その手は、サッチのデスク周りの引き出しという引き出しを開けて何かを探している様子だった。それを横目に見ながらマルコは、がに股に開いた脚に片肘をついてもう何度目かわからないため息を吐いた。

「あまり喧嘩とかしなさそうだけどな、イメージ」
「あァ…喧嘩まではいかねーんだが、なんか気まずくてよい…」
「ふぅん?」
「この間も久しぶりに会ったんだが全然話さず早くに帰っちまうし」
「うっわつらァ…」
「言うなよい…」

 今度はマルコががっくしと項垂れた。それも深く。対してエースは目当てのものを見つけたようで、「あったあった!」と大はしゃぎだ。

「なんだよい」
「え、お菓子」
「……怒られるぞ、机もこんなにぐちゃぐちゃにしやがって…」
「ししっ、だーいじょーぶだって」

 屈託なく笑うエースに釣られて、マルコの口角も少しだけ上がった。
 エースは見つけたマドレーヌの袋を破きながら、マルコも食う?とのんきに訊ねた。とてもじゃないが今はそんな甘いものを食べる気にもならず、マルコは首を左右に振って答えた。

「高そーな菓子…」

 いただきます、と一応の礼儀を持ってエースはマドレーヌを口にする。あーあ、ほんとに食っちまいやがったコイツ。それでもその満足そうに綻んだ顔を見てるとマルコは咎める気にもなれず、話を聞いてくれていることに胸中、そっと礼を言った。

「それで、考えられる要因は?」
「…特にねェ」
「ほんとかよ、理由もなく怒るようなヒトには見えないけどなァ」

 エースの言うとおりだった。
 エースとなまえとの面識はあまり多くはないものの、彼の家に遊びに来た際に一緒に食卓を囲んだり、テレビゲームをしたりして遊んだ仲だった。今まさに与り知らぬところで菓子を略奪されたサッチも、彼と同じようなことを言うだろうとマルコは思った。

「だから悩んでんじゃねェかよい…」

 マルコは頭を抱える。エースがマドレーヌを食べながらそれを見ている。
 オフィス内の蛍光灯が一度二度、点滅して、ブォーン…と小さな機械音を立てて点った。

「連絡してみたらいいんじゃね」

 不意にかかった声にマルコが顔を上げた。

「お前、必要な時くらいしか連絡しねェタチだろ」
「あ、あァ…それが何だってんだよい」

 にやりと、エースが不敵な笑みを浮かべた。マルコの目が、それにぴくりと反応する。
 ビリっと、ふたつめのマドレーヌの袋が開封された。

「おれも学生のときよくあったけどさ、女の子って何でもないようなことばっか連絡寄越してくるコとかいるんだよな。今日友達とショッピングーとか、爪塗ったんだけどどうーとか。
 全然なんでもない奴から送られても正直アレだけどさ、好きな奴からだとなんでも嬉しいもんじゃねェか? そういうのって」

 いまいちピンと来てないような表情をマルコは浮かべた。エースはもう一息とばかりに語りかける。

「んーなら、…愛してる、の一言くらい入れてやれよ
 喜ばねェ彼女さんなんかいねーだろ」

 僅かに、目を見開いたマルコにエースはからからと笑った。マルコはバツが悪そうにそっぽを向く。しかし向いたら向いたで、もう室内を映し出す鏡となった窓に反射した自分と目が合ってしまった。彼は居心地が悪そうに咳払いをした。

「ほんと、そういうとこ鈍いよな」
「鈍いんじゃねェよい苦手なんだ」
「一緒だろ」

 笑いながらエースが、ふたつめのそれを漸く口に入れた。口内に広がる上品な甘味に、彼は満足気だった。
 マルコはまた、ため息を吐いた。

「なんだよーエース様の助言をないがしろにすんのかよー」
「はいはいアリガトウゴザイマス」
「うっわひっでー面」
「うっせーよい」

 悪態をつくマルコは徐に、ポケットから携帯電話を取り出すと片方の眉をやや吊り上げてにらめっこを始めた。
 エースは内心、したり顔だ。



 やがて文章を打ち終えたらしいマルコが息を吐いて、何かを言わんと口を開いた。

「言葉に…」
「ん?」

「言葉にしなくても、伝わってると思ってたんだけどなァ」

 おれもアイツも。

 そう、ほんの少し自嘲気味な声でマルコが言った。その顔には、普段あまり見ない落ち込んだ色が見えて、エースは困ったように眉尻を下げた。

「まァ、あれだ…さみしかったんじゃねーの、おたがい」

 食べ終わったマドレーヌの袋を握りつぶして言ったエースの言葉に、マルコが目を瞬かせる。ぽつりと呟かれたそれが、自分でも気が付かなかった確信をついているような気がして、マルコはエースをじっと見た。

「ったぁー!」

 癪だ。そう思ったマルコがエースの頭を叩いたのと、デスクの上に置いたそれが震えたのは同じくして。
 隣でわめきたてるエースも、速度を変えた心臓の鼓動も無視してマルコはそれを開いた。


「……………」


 画面を見るなりマルコが固まる。講義しようと顔を上げたエースもそれを見てぎょっと動きを止めた。

「マ、マルコ……?」


 ガタッ!

 と一転、勢いよくマルコが立ち上がった。

「っおい、何なんだよ!」「帰る」「ハァ?」

 一分一秒も惜しい。そういった風にただただ帰り支度を進めるマルコは、エースも仕事も何もかも無視だ。

「オヤジィ!悪ィが今日は上がるぜ!」

 よく通る声で彼は、部屋の奥にどんとデスクを構えた上司に帰る旨を叫んだ。オヤジ、と呼ばれたその人物はまるですべてを見透かしたような顔をして、特有の笑い声を響かせた。

「グララララ…何なら明日も休みでいいぞ」
「ほんとかよ!今度必ず埋め合わせするよい!」
「おいマルコっおれにはなんも無しかよ!!」

 いざ行かんとスーツを羽織ったマルコにかかる拗ねたような声。マルコはハッとして振り向きエースを見ると、

「サンキュー」

 そう言って、くしゃりとその頭を撫ぜた。途端、あどけなさの残る笑みを嬉しそうに見せたエースは、「おうっ」と応えて。

「じゃあな」

 片手を上げて別れを告げると、マルコはくるりと踵を返した。逸る想いのまま足早にオフィスを後にする。エレベーターを待っている時間さえもどかしくて、彼はもう一度、彼女からのメールを小さな画面に映し出した。







ありがとう、でもごめんなさい
あなたに会いたいなんて、わがまま思っちゃいました


っ〜ああくそ!どうにかなっちまいそうだよい!







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 おまけ↓

「お、マルコ!どうしたそんな慌てて」
「お疲れ様だよいサッチ、先上がるぜ」
「なんかいいことでもあったか、嬉しそうだ」
「まーな、エースによろしく」
「ん、あァ…? またな!」
「おう(無事でいろよエース)」

 141202


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