「あいしてる、あいしてる、あいし、て…る……」
「…おい、」
「なぁに?」
バルコニーにいるなまえにかかった低い声は、いささかの苛立ちを含んでいた。
振り向きざまに大きく白い息を吐き出して、なまえは部屋の奥に座るクロコダイルを見た。
「窓」
「閉めろって?」
「あァ」
「ヤダ」
短くトントンと交わされた言葉はそこで了い。募る苛立ちを隠そうともしない男の気配を感じながら、彼女は再び手すりに手を置いた。皮膚を伝って石造りのそれの温度が浸透する。室内用のスリッパ越しにも、薄い部屋着の布越しにも。
少しばかし感覚の鈍くなった唇でまた、彼女は小さくうたいだした。
「…うざってェな、」
先程よりきつい調子で、クロコダイルが声をあげた。なまえは振り向かない。
「何なんだ、さっきからその歌」
ボッ、と鮮やかに色を灯したマッチに新しい葉巻の先を近づける。ひとつ深く肺まで吸った煙を吐き出して、クロコダイルは彼女に訊ねた。
「いい曲でしょ
この間行ったバーで歌ってたの。ロビンと行ったんだよ」
うらやましい?と無邪気に質問を返すなまえを、クロコダイルは一言「どうでもいい」と切り捨てた。くしゃりと、彼女は眉をハの字にさせる。
「愛してる愛してるうるせェ曲だ」
「えーいいじゃない!可愛いと思うなあ、こんなに素直に想いを告げられるコって」
口許に手をあててコロコロと笑うなまえは、再び外へ、空へ視線を投げた。雲ひとつない、月灯りもない夜空。静寂と澄んだ空気が体内に取り込まれていく。風と、夜と、一体となるような、そんな感覚。
「…誰かさんは素直じゃねェみたいな物言いだなァ」
手元の書類を見ながら、何とはないようにクロコダイルが吐き出した。葉巻の煙が書類に吹きかかり、パラパラと微かな音をなまえの耳に届かせる。
「素直になれないコの方が多いんじゃないかな…、クロコダイルはどう思う?」
「何がだ」
「素直なコと、そうでないコ」
背中越しに彼女が訊いた。彼は独特の笑い声をあげて応えた。
「愚問だな」
瞬間、ふわりとなまえの足元を、腰を、肩を、サラサラと何かが掠めた。
――砂、だ。
気づいたときにはもう、なまえはクロコダイルの膝の上に乗せられて、彼と向かい合っている体勢だった。
「どっちでも振り向かせてやるよ、お前ならな」
射抜くように獰猛な、熱い眼差しとともに告げられた、その答え。
突然のことで呆気にとられたなまえは徐々に平静を取り戻し、だんだんとその言葉の意味を理解していく。
「クロコダイルそれ…、あたしが貴方のこと、好き…じゃ、なかったら、どうしてたの」
彼と目を合わせぬまま、なまえは問うた。小さな、うたっていたときのような声で。
「違うはずがねェ。――そうだろ?」
クロコダイルがなまえの顎を掴んで己と向き合わせる。なまえは確信に満ちたその瞳を見て、まだ揺れ動く自身の心を見透かされていたことを知った。
「お前はいつもまどろっこしいんだよ」
呆れたような、或いはすべてを包み込むような、ほとんど初めて見るだろう彼の微笑に、なまえはいたたまれなくなってその手に触れた。
「ハッ…こんなに冷えるまで出てやがって…」
「だって、…ねぇ?」
「ねぇ? じゃねェよ阿呆」
触れて、両の手で包んで、自らの頬を撫ぜらせる。こんなにも彼に触れていられる、その事実が、彼女の枷を外させて。
「クロコダイル」
「なんだ」
「…愛して、います」
あぁやっと、
捕まえた
だれかの歌じゃなくお前の言葉でもっとその愛を-------
突発的社長。
呼び名とか部屋の構造とかなんかいろいろ見逃してください。
【愛してる/中島美嘉】
141120
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