西陽が強くなりはじめた頃、クロコダイルはようやく1日を再開した。
青すぎる快晴に一度開いた目を閉じたのが数時間前のこと。浅い眠りから浮上した体をゆるりと起こした彼は、気だるい部屋の空気にふと嫌気がさして重たいコートを羽織った。


立ち寄った島の治安はあまりよくはなかったため、新世界へ乗り込んだ海賊たちがうようよとあたりをのさばり歩いていた。彼もそれに倣い、あるいは先陣を切って街の中心部を闊歩する。その威圧感足るや、ほかの海賊たちもそれに慣れているはずの島民も、怯えた顔をするだけだった。
クロコダイルも当たり前のようにその視線を受け、もはや慣れたものと取り出した葉巻に火を点したとき。

「あっ」

「!」

ばしゃり、と。
彼の足下が水に濡れた。
スラックスの裾が水分を含んで色濃く染まり、黒い革靴がてらてらと強く光沢を発した。
「あ、あの、えと、」
二の句が次げないでおろおろと足下をうろついているのは、白いエプロンを腰に巻いた女だった。その手には水の流れ出る細いホース、彼女の後ろを辿っていけぱ色とりどりの花が陳列していて、クロコダイルはようやく状況を理解する。

「おい、女」

発した声は思ったよりも低く出た。遠巻きに彼らを見ていた群衆がざわりとどよめく。冷や汗をたらしながら、戸惑いながら、あるいは我関せずとその場を去る者。
しかしそんな周囲に気付きもしない女は、クロコダイルの声にぐっと顔を上げ、腰に巻いたエプロンをしゅるりと解こうとする。「ごめんなさい今拭きますから!」と、ホース片手にそんなことをすれば当然、水がふらふらとあっちにいったりこっちにきたり。クロコダイルは先の二の舞にならぬよう、すこし距離をあけて女を見た。
「あ、あんまり遠くへ行かれると拭けない…」
「それより水を止めろ馬鹿者」
間の抜けたセリフだとクロコダイルは思った。けれど女はその言葉にようやく自分が握ったままだったホースを思い出したようで、ごめんなさいと謝ると蛇口をひねった。
「すみません、わたしちょっと抜けてて…」
「見りゃわかる。このおれに水ぶっかけようなんざ正気の沙汰じゃあねぇさ」
クロコダイルはひとつ舌打ちをする。女の肩がぴくりと反応して、おずおずといった風に小さな口を開いた。

「あの、すみません、もしかして高貴なお身分の方ですか?」

そして投げかけられた問いに、クロコダイルは今度こそ葉巻を取りこぼしそうになった。海賊の自分になにを言っているんだこの女は、と、それこそ正気か疑ったが、その違和感が解消されたのは女の目を見たときだった。

「お前、見えねェのか」

開きかけた口を小さくすぼめて、少し弱いだけです、と縮こまった。
ちっ、とまた彼は舌を鳴らした。これではまるで、自分があまりにも非力な者をいたぶっているように思えて、クロコダイルは早々にその場を去ろうとした。

「あ、あの!」

「………」

しかし女がそれを呼び止めた。極端に色素の薄い瞳をしばたかせる女は、行儀よく並んだ花のなかに入っていって、そこから1輪、白い花を選びクロコダイルへ差し出した。

「…何のつもりだ」

女の意図が読めず、彼は困惑を押し殺してたずねる。

「あ、っと、お詫び、 とそれから、お咎めなしとされる広いお心に、感謝を込めて」

貰ってやってください、と紡ぎ出した唇はゆるやかな三日月の形をしていて、クロコダイルは呆気にとられた。しかしどうして、苛立ちや不快な気分はなく、それどころか無意識のうちに彼は右手を差し出していた。
何やってんだと心の中で毒気づき、ぽろりと口をついて出た皮肉。

「花なんざ、枯らしちまう」

「そんなものです。そんなものですけど、咲いているうちは、生きているうちは目一杯に自分の美しさを誇らしげにいるから、わたしは好きです」

クロコダイルの、小さなつぶやきにすら毅然と返した弱視の女はそうやって、笑顔の花を目一杯に咲かせるものだから。

だから。

クロコダイルの伸ばした右手が花に、花を持つ女の手に触れたとき、何とも言えぬ熱情のうねりを己のなかに感じ、クロコダイルはやはり行儀よく並び自分たちを静観していた花の列からただその一輪を引き抜いた。




孔雀草のかどわかし






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Happy Birthday dear Sir Crocodile.
150927


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