なんだってこんなときに、とは思う。

 昨日一昨日から兆候のあった顎ニキビはやっぱり、痛々しく芽を出してきた。だから暫くはリキッドファンデは無理だと思ってパウダータイプを取り出そうとするも「あっ」手元から滑り落ちたそれを恐る恐る開くと…やっぱり、粉々だ。
「やだもう」
 ひとりの部屋にその嘆きはぽつりとこぼれて、つけっぱなしのテレビの音に掻き消される。「過ごしやすい気温とあたたかな陽射しでおでかけ日和でしょう」お天気お姉さんが笑顔で締めくくった番組をぼうっと見て救われた気がした。
 そうだ、こんなに陽気で素敵な陽だもの。憂さ晴らしにショッピングを楽しもうじゃないか。ほら、新しい化粧品のCM。これは買えって天命なんだわ。
 さっきまで沈んでいた気持ちが嘘のように、軽やかにソファを立って着替えを始めた。「痛っ」服がニキビをかすめてちりっと刺激が走る。気をつけないと。また沈みかける気持ちをお気に入りの服と靴で浮上させて、家を出る。最後に見た鏡に映る自分は結局薄化粧であんまり可愛くなくてまた沈んだけれど、一歩外に出ると朗らかな陽気に包まれていい気分だ。
 今日はいい日、素敵な日。そう信じて疑わなかった。

 のに、なんでかなやっぱり、こんなときに。


「ヨォ、お前も飯食いに来たんか」

「……トレイン=ハートネット、」


 賑わう大通りに停まった小型の古びたオープンカー。幾度となく見かけたそいつに嫌な予感がして、私はあくまでも静かに遠ざかるつもりだった。それなのに、からりと明るいハートネットの声に捕まってしまった。
 掃除屋の仲間がみえないあたり、幸いだと思う。彼の口振りからしておそらく、このあたりのレストランにあたりをつけているのだろう。
「………」
「ちょ、オイオイ! 無言でどっか行くこたーねぇだろ」
 自分に賭けられた懸賞金を思い出して取った行動にケチを付けられた。
「コンニチハ、サヨウナラ」
「なめてんのかてめぇ」
 ならばと取った行動にもいちゃもんを付けられた。

 どうしろと。

「今日こそ捕まえてもいいんだぜ」

「……」

 そう、この黒い掃除屋は、私を捕まえない。
 過不足なく表すならば、捕まえられるのにそうしない、といったところか。

 挑発的に向けられた黄金色の瞳を見返して、私はようやく男と向かい合った。
 口許に笑みすら浮かべる余裕さでいるハートネットに、理由もなくお腹のあたりがむずむずした。私はこの笑みが嫌いだ。
 だから口がまわるのをいいことに日頃の鬱憤を晴らしてやる。

「なめてんのはそっちでしょ。一体何なの、捕まえもせず追い掛け回すだけ追ってさ、この間なんか半日命懸けの追いかけっこ、その前は泊まってた宿にまで押しかけてきたっていうのにいつも中途半端に追い詰めては急にいなくなってまた今日みたいに現れて、しかもなんか狙ったみたいに私のコンディションが悪い日ばっか…」
 言えば言うほど、腹が立って、語尾はキツく、熱くなる。コントロールなんてしない、できない。
「こっちはアンタと出会ってから仕事はやりづらくなるし調子狂うしもううんざりなの!
 どーせ今日もからかうだけからかっていなくなるんでしょう私の気も知らず、に、」

 と、そこまで言って、一気に自身の血の気が引くのがわかった。私の気も知らずに、なんて、これじゃあまるで、


「私の気も知らずに、ねぇ」


「っ、」

 意地悪く細められた瞳に射抜かれて一瞬、息が止まってしまう。彼特有の猫目は獲物を前にした百獣の王さながら、私の身体を縛り付けて離さない。勢いに任せて私はなんて馬鹿なことを口走ったのだろう。くそ、巻き戻せるなら朝部屋を出るところまで戻りたい。

「お前の気は知らねぇが、そろそろ俺の気も汲んでくれていい頃じゃねぇ?」

 現実逃避した思考をハートネットの声に引き戻されて、いつの間にか近づいた距離に防衛本能が遅ればせながら働いた。一歩後ずさった私の身体を逃すまいと身軽なステップでハートネットは更に距離を縮め、私の顎を右手で捉える。痛い。膿んだニキビに指先が当たって思わず眉をしかめる。
 けれど構わず掛けられたハートネットの声音はいつもより少し甘い気がして、


「なぁ、捕まえても、いいか」


 ぞくりと背中を駆けたしびれを、私は知らない。高鳴った胸の鼓動なんて聞こえない。

 黄金色に映る自分はニキビを隠す申し訳程度の薄化粧にしかめっ面で、やっぱり可愛くなくて。なんでこんなときに会ってしまうんだろう、いつも。いつも。

「――っいいわけ、ないでしょ!」

「あ、おい待てコラ!」

 ハートネットの腕を無理矢理払い除けて私は脱兎のごとく走り出す。行き先なんてわからない、とりあえず奴のいる場所から1ミリでも遠くに。

「ったく、ちゃんとスキンケアして早く寝ろよー」
「うるっさいわね余計なお世話よバカ猫!!」

 背中にかかる呑気な掛け声に思わず振り返って返事をしてしまった。その時の奴といったら私を捉えていた右手を悠長に振っていて。あぁやっぱり、あの腕にはそんなに力入ってなかったものね。

 勝敗の見えた追いかけっこは、どうやら続投らしいです。




想われニキビと腐れ縁


 お、スヴェン帰ったか。なぁなぁ、想い想われ雨あられ? あ、振り振られか。じゃなくて場所だよ顎が想われ? あ、いや何でもねぇ、合ってんならいんだけどよ。
 それよか飯!飯!(アイツのあれは多分、俺なんだろうな、いつもある、想われニキビ)






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弱虫」さん第二幕「逃亡」へ提出。
初のトレイン、ノー資料でしたのであとで修正あるかも。
主催のぺクさん、素敵な企画をありがとうございます。
150130


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