『 「過保護」 』
<兄嫌悪設定の二人ですが、全く本編とは関係ありません。>
「それでさぁ、そいつが親に会えとか言ってきてさあ」
「えー重いわー」
同僚と呼べそうな人たちといまいち会話が合わない。
そんなこと今更始まったわけではない。
テーブルに鎮座している唐揚げをじっと見た。あの唐揚げが食べたい。そう思ってそろそろ10分が立つ。
酔った同僚の彼女の愚痴を聞きながら、「へー」と言う。
意味のなさない時間がさらさらとこぼれ落ちていくのを耐えるのみ。
「コヤシはそういうのねぇのかよ?」
「そうそう。幼なじみの二人は上京したんだろ?良い人紹介してもらえねーの?」
レッカとクサノは大学生になった。それぞれやりたいことがあるらしく、毎日忙しそうにしている。
なんだかんだでレッカは真面目だし、クサノは言わずもがなだった。
休日に二人でデートしてきました、みたいな幼なじみのツイートを見てハートを送ってる俺に、一体なにを期待してるんだろうか。
「んー…ねーな。」
最近覚えた歌が頭の中でぐるぐる回り始めた。そうだ、帰ったら台所掃除しなきゃ。
「いやいや、お前。コヤシにそういう話聞くなら、お兄さんに期待したほうがよくね?」
「あ!知ってる。伝説の色男!」
酒が回りすぎなんじゃないだろうか。なんだよ、伝説の色男って…。
突然兄貴の話題に変わった。俺が嫌そうな顔をするのがそんなに楽しいんだろうか。ニヤニヤと酒のテンションで聞かれる。
「あー…うん。」
「なんだよ、あーうんって。なあ、お兄さんに良い人紹介してくださいって頼んでみてよ」
「無理無理。目の前にこれ以上ないイケメンがいるのにわざわざお前に紹介される女がどこにいるんだよ」
口下手なことを知っている周りが勝手に話を進めていく。やめとけ!だれかの一言で、場がどっと湧いた。
確かにそうだ。兄貴は確かにイケメンだ。常にマスクをしているのに「怪しい」ではなく「ミステリアスで色っぽい」と称されるくらいには奴からは何か出ているんだろう。
弟からみても、兄貴はモテる。実際兄貴目当てに付け込まれることが多々あるんだから。おかげでこっちはいい迷惑だ。
「えー!私コヤシさんのお兄さんみたことないなあ!」
ああ、女子の一声が…。しかもちょっと可愛いなと思って見ていた子だ。
この後の流れを思うと、俺はため息を堪えるのに必死だった。
「コヤシ見せてやれよ!スマホに写真はいってるだろ?」
ああ、兄貴が勝手に送ってきた自撮り(やれ何処何処に行ってきたよ、これ美味しいよ写真)ならラインに大量に残っているとは思う。それを見せるか。今日の仕事中もなんかライン入っていたし、どうせ写真だろう。ちらりとみて、変な画像でないことを確認してから、女の子に渡した。
「えーと、こんなので分かる?」
今日のお昼は後輩と蕎麦でした。というどうでもいいメッセージと共に兄貴と後輩であるヤマトさんが写っている写真を見せた。ヤマトさんが不機嫌なあたり、どうせまた口車に乗せられて奢らせられたんだろう。
「えっ…」
女の子が止まった。たっぷり10秒は考えて、「茶髪の人?」という答えが返ってきた。
いつもつるんでいる同僚が笑い出す。
「やっぱりそう思うよな!」
「髪の色にてても疑うよな!」
「「あははははは!」」
酒も入っているから一際でかい笑い声が響いた。店内のテンション高めの音楽がかき消される。
「え、じゃあこっちのマスクの人?」
分かる。目元から出てるんだろ?イケメンオーラが。
そのセリフを何度聞いたかわからないからな。さすがに覚えた。
「うん、一応…」
「えー!マスクしてても分かるんだけど!!絶対イケメンじゃん!ねえねえ、マスクない画像ないの!?」
女の子が完全に兄貴を優先し始めた。ラインのトークを勝手に遡って、「えー絶対イケメン!絶対だよー!」と言いながら周りの女の子と盛り上がり始めた。
男子共は違う話で盛り上がり始めた。やめろ、早く女子たちを止めろ。お前あの子のこと好きだったんじゃないのかよ、おい。
やばいこと書いてなかっただろうか…。不安で恐る恐る手を伸ばし始めた瞬間、女の子たちが「きゃー!」と盛り上がった。
あれ、もしかして素顔あった?ラインには載せてないかもしれないけど、写真フォルダ見られたら確実に終わる。素顔はもちろんだけど、兄貴の凝り固まったイケメン像が雪崩化する写真が多々ある。あれを見られたとバレたら俺も兄貴がこんな馬鹿なんだって知られてなんとなく嫌だし、兄貴は絶対に怒る。
「もしもしー!コヤシくんのお兄さんですかー!?きゃーっ!」
え。
「えっ!」
もしかして、いやもしかしなくても、電話だ…。
「はい〜、コヤシくんと一緒の会社で働いてます、ミミっていいまーす」
なんかアイドルみたいな自己紹介を聞き流しながら俺は思わず立ち上がった。
「はーいコヤシくんに変わりますねえ。コヤシくーん!」
「あ、ありがとう…」
いやありがとうじゃねーよ俺!もっとちゃんとこういうことはやめてって言わないと!でもやっぱり女の子って思うと…ほらなんかキラキラしてて可愛いし…。
「コヤシ?」
耳元で聞こえた声にのどの奥がヒクリと震えた。なんだか怒ってる感じがする。
女の子たちの「ねえ、声すっごい色っぽかったー!」「やばいー!!」から始まった盛り上がり方が尋常じゃない。その場からそっと抜け出した。個室から出て、廊下に出るといくらか音が小さくなる。
「聞いてるの?」
「聞いてるよ、なんだよ!」
「なんだよじゃないでしょ。俺今日そっち帰るからねって送ったでしょ。」
「はあ?いつだよ」
まずい、全く身に覚えがない。見た覚えも返事をした覚えもない。
てことは何か、今こいつ地元にいるってこと?やばい、面倒臭くなるぞ、これ。
「今日のお昼にラインしたでしょうが」
「え」
見てなかった。…いや正確には見たんだけどいつものやつだと思って適当に読んでたっていうか…。いやていうか、もっと早めに言えよ。
「またいつもの通り既読ついてたから」
既読無視しないでと泣きつかれるなまた。面倒臭いんだよ。彼女みたいにいちいち報告してきやがって。
「あーじゃあ今からここ抜けるって。」
「今どこにいるの?」
げ、来る気だ。ごまかさなきゃ。
「どこだっていいだろ…。家に先に入ってていいから。」
「コヤシ…」
次の言葉が来る前に通話を切った。こんなところで小言食らって、異常な過保護ごころからくる変な執着心で場所を特定されたらそれこそ事だ。奴はやる。
すっと自分の席に戻りながら、タイミングを見計らって「お先にしつれいします」挨拶を済ます。
電車に乗って家を目指す。兄貴からラインが来ないのが逆に恐ろしかった。
*
「おかえり。」
部屋着に着替えた兄貴がビール片手に頭にタオルを乗せていた。もう風呂も入ってビールも飲んでるくらい遅かったぞお前っていうアピールにしか見えない。素っ気なく言われたおかえりに適当に返事をした。
なんだよ、兄貴優先して飲み会抜けてきたんだからいいだろ、別に。
電車に乗りながらふと思ったのだ。なぜ兄貴のために飲み会を抜けなくてはならなかったのだろうか?と。たしかに早く時間よ過ぎろとは思ったけど、はた目から見て兄貴が帰ってくるという理由だけで抜け出す男ってどうなんだろうか。ブラコンにしか見えない。…いや、どうせいてもいなくても一緒なんだろうけど、俺なんて。
「それで?楽しかったの?合コン。」
「は?」
心の中で、もう一度。は?
合コン?何を勘違いしてんだこいつ。
「ミミちゃんだっけ。携帯なんて触らせちゃって。ガード緩すぎるんじゃない?」
「…それは、兄貴の顔見てみたいっていうから、写真見せてただけ。」
兄貴の薄い唇がとんがっている。可愛くない。
口元のホクロがやけに色っぽいのがまたムカつく。
「えー俺の顔そんなに簡単に人に見せちゃうの?」
「何、隠してたいわけ」
「そういうわけじゃないんだけどー」
なんだこの面倒臭い生き物。
ただでさえさっきまで気を使って過ごしててこっちは疲れてるっていうのに。このペースでずっと話すつもりじゃないだろうな。一体なんなんだよ。
「ふーん、合コン行くんだー。コヤシも合コンなんてするんだー。」
「あーするする。はいはい。別にいいだろ。」
合コンじゃなくてただの飲み会…とかいっても女子がいるから合コンですーとか言いそう。放っておくに限るな。
俺の言葉でまたショックを受けたらしい兄貴はガクリとうなだれた。
携帯を充電器にさしてベッドに寝転ぼうと思った矢先に兄貴がはっとした顔でこちらを見た。
「コヤシお風呂入ってきて」
「なんで」
「なんか色んな匂い染み付いてる」
「?…タバコ?」
「香水も」
「ふーん」
変に匂いに敏感だよなあと思いながら風呂場に行く。服を脱ぎながら、ああ、女子の間でまた俺はイケメンの弟っていう立ち位置にしかなれなかったなあと思う。
兄貴が「俺と同じシャンプー買ってきたからね!」とご機嫌に設置したシャンプーとコンディショナーをつけて、これまた「俺と同じボディーソープだからね!」と置いていったそれを使う。
風呂から上がって頭と体を適当にふいて、部屋着を着て居間にいった。
強めに効いたクーラーが気持ちいい。
「コヤシ、…」
「んだよ」
呼んだ本人である兄貴を見ると、何故か赤い顔をして俯いた。
いつも風呂上りの俺を見ると兄貴は赤い顔をして目をそらす。
久々に会う度にこうだ。なんだよ、と首を傾げると、兄貴は耳を真っ赤にしながら「きゃーコヤシくんなんかえっちー。」とふざけた声を上げた。
それをシカトして冷蔵庫に向かった。兄貴が咳払いをしたが、気づかないふりをした。
「ねえ…今日の女の子可愛かったの?」
机に自分の分のビールを置きながら、テレビのチャンネルを回す。お笑いやってないかな。
しばらくして問われた、何故か緊張気味の兄貴の馬鹿げた質問に生返事を返しながら、番組表を見て操作すると、すぐにテレビから漫才が流れ出した。
「あはは」
思わず笑ってから、随分静かになった兄貴を見た。また唇とんがらせてる。可愛くねっての。
「ねえ、今度からさ。彼女いるって言って断ってよ」
「はぁ?そういうのじゃねえし無理。」
「じゃあただの飲み会だったってこと?なおさらなんで携帯見せるの?」
「さっき説明しただろ。」
また面倒臭い。何をそんなに怒ってるんだ。
俺も何歳になったと思ってるんだ。いい加減その拗らせた過保護、なんとかしろ。
ここまで面倒見てくれたのは、本当に感謝してる。だけど、お前も弟離れをしろ。
「ね、お願い。」
背もたれにしているベッドに座る兄貴が近づいてきた。俺の濡れた髪をかきあげて、頬にすりよってくる。
でかい男がすり寄ってくるっていう、この図を客観的に見てしまうとやっぱりため息が出る。
「無理。付き合いも仕事。兄貴もそうだろ」
「それはそれ、これはこれ」
「は?なに駄々こねてんだよ…」
「…」
兄貴は暗い顔をして俯いたかと思うと、離れていった。
それを訝しげに眺めながらも、すぐに俺の視線はテレビに戻った。せっかくいいところだったのに。なんなんだ。
「コヤシ、仕事やめる?」
「あぁ゛!?」
その問いかけに、ビックリしてベッドに座る兄を振り返った。高いところにある顔を見ると、首が痛かった。
兄貴は冗談を言ってるような表情ではなかった。じっと真剣に見つめられて、整った顔特有の恐ろしさを感じる。
「あのさ…兄貴…俺、もうハタチなんだからさ…いい加減、弟離れしろよ。な…?」
ちょっと引き気味なのを隠せずにそう言うと、兄貴は唇を噛んだ。何がそんなに気に入らないのかわからない。
「なんで…?」
「なんでって…もうさ、…そういうの面倒くさいってーーーーー…」
その瞬間、固いフローリングに背中がぶつかったのがわかった。しかし、痛いという言葉が出ることはなかった。
ただただ、目の前の光景に目を見張った。
兄貴の整った眉が酷く歪んでいるのがわかった。なんだか泣いているようにも見える情けない顔で、兄貴は床に押し付けている俺の手首をぎゅうっと握った。
今にも泣きそうで吃驚する。
「兄貴…?ど、したんだよ」
「あ…お、れ…コヤシ…」
そういう兄貴は、本人ですら、自分の行動に吃驚したように俺を見つめた。しかし、兄貴はゆっくりと、固まったままの俺の顔に近づいてきた。それを俺は、本能的に思わず避けた。
悲しそうな顔をされたと思った瞬間、無理やり兄貴は俺の唇を捉えた。
女の子の唇より薄い唇が自分の下唇を食んでいる。
かと思えば、すぐに口内に長い舌が差し込まれて、舌が絡め取られた。
呆然としたのもそこまでで、俺は床に押さえつけられたままの腕を動かそうと必死になった。
あまりに必死に抵抗しすぎて、呼吸が浅くなって行く。兄貴がまぶたを開けた。
その奥にある突き刺すような瞳に、俺は震えた。
「ま、…兄…」
「ご、めん…」
兄貴は、一言そう言って、必死になって閉じた俺の唇をノックするように舐めた。
「んん゛」
「は、はぁ…おね、がい、コヤシ、ん…ん…」
お願いと、言われても…。
俺は乱れた呼吸で濡れた瞳のまま俺を見る男を、呆然と眺めているしかなかった。
腰に何度も擦り付けられる、男であればよく知っている感触の硬くなったそれを感じて、俺は混乱でチカチカする脳で、ようやく、この男の「過保護」の正体を理解した。