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 青褪めた顔で俯く穂香の前に、小さな博士は慌ただしく資料を広げた。紙面に踊る文字は日本語でも英語でもないので、見せられてもさっぱり分からない。腰を浮かせて覗き込んでいた奏が「なんて書いてあんの?」と訊ねると、ハインケルは叱られた子どものように肩を竦め、いそいそと資料を手元に回収していった。
 鳥の巣頭の上に鳩を乗せた姿は、どこからどう見てもただの子どもだ。くたくただった白衣は綺麗に洗濯されているが、伸ばされっぱなしの前髪は相変わらずだった。その目は見えず、前髪の向こうに隠れてしまっている。
 俯きがちで自信のない喋り方。常におどおどとしていて周囲の目を気にする様子が、穂香には他人事とは思えない。彼はきっと、他人が恐ろしいのだろう。魅力のある、輝かしい相手が怖いのだろう。自分とは違い、優れた能力を持つ人間と顔を突き合わせることが不安なのだろう。もはやそれは彼に対する評論か、それとも自分の感情なのか、判別できない。
 指先をすっぽりと覆い隠す白衣の袖をぎゅっと握り締め、ハインケルは長い前髪の隙間からちらりと奏を伺った。そのまま視線が穂香にも滑ってくる。

「あくまでも、予測、だけど。きみたちは、核(コア)と同調している可能性が、とても高い」
「同調って?」

 奏の静かな問いにハインケルが息を呑み、後ろでナガトが身じろいだのが分かった。穂香達と同じく椅子を勧められた二人だったが、彼らはそれを断り、壁にもたれるようにして立ち続けている。
 同調とはなんだろう。核はとても恐ろしいものだと聞いている。それはつまり、とてつもなく恐ろしいことを意味しているのではないだろうか。
 膝の上に置いた手が震えている。隣の奏はこんなにも落ち着いているのに、どうして自分は弱いのだろう。縋るようにスカートを掴み、穂香は唇を噛んだ。

「同調っていうのは、白色化植物が持つコアと同様のケミを持ち、ヴィラーグ現象を引き起こすことによって生じるものだ。そこには白色化植物が持つメトラが関係していると考えられ――」
「ちょ、ちょお待って! それじゃ分からん! もっと簡単に説明して!」
「え……?」

 奏に遮られ、ハインケルは心底驚いた風に目を丸くさせていた。まるで、「これでも十分簡単なのに」とでも言いたげだ。
 人が変わったように語り始めたハインケルの姿に、穂香は沈む心を隠しきれなかった。俯きがちで自信のない様子は、先ほどの彼にはまったく見られなかった。己の持つ知識に絶対的な自信がなければ、ああも淀みなく語れまい。それだけのものが、彼にはあるのだ。
 ――羨ましい。心からそう思う。
 彼もまた、優れた能力を持つ人なのだ。博士と呼ばれるだけの人物なのだから、当然のことだ。どうしてそれを失念していたのだろう。軋む胸が悲鳴を上げている。ここにいるのは皆優れた人ばかりで、自分一人だけがなにもできない凡庸な人間だ。劣等感で溺れることができたなら、穂香はものの数分で溺死していたに違いない。
 簡単な説明を乞われて、困り果てたハインケルが助けを求めるようにミーティアを見上げた。それを受けて、黒髪の科学者が母のように慈愛に満ちた眼差しを彼に向ける。きつい顔立ちからは想像できないほどとあまりにも優しい春のような微笑みに、ハインケルが照れたように顔を俯かせた。


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