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結局話は、「猫かなにかが屋根か塀から落ちたのを、過剰に反応してしまったんだろう」という辺りで落ち着いた。落ち着かざるを得なかったとも言える。
奏と母の言い争いは脱線に脱線を重ねて熾烈な争いを極め、収拾がつかなくなってき始めたところで、父がそんな妥協案を出したのだ。「相当すごい揺れやったんやろけど、俺らはテレビに夢中で気づかんかったんやろ」宥めすかされて、二人は渋々口論をやめたのだった。
とはいえ不満には違いないのか、部屋に戻った奏はまだ不服そうに唇を尖らせている。
「ぜぇったい地震やと思ってんけどなぁ」
気象庁のホームページにも、地震の速報は書いていなかった。
「やっぱり勘違いだったのかな……」
「あれが? だとしたら、どんだけおっきいデブ猫やねんって感じやな」
くつくつ笑う奏の目は真剣そのものだ。勘違いなどではないと確信している目だった。
「黙っていれば美人の部類に入るのになぁ」と親戚一同に口を揃えられる奏は、なにかに熱中するとぞっとするほど迫力を増す。綺麗や美しいというよりもむしろ、周囲を圧倒させるだけのなにかがある。
暗めの茶髪は流行のボブだ。長かった髪をばっさりと切ってきたときには驚いたが、今の長さも十二分に似合っている。こんな風に綺麗な姉が穂香の自慢でもあり、少々息苦しさを感じる要因の一つでもあった。そして、息苦しさを感じてしまう自分が嫌になる。
「なあ、ほの。さっきの、ほんまに猫かなんかやと思う?」
パソコンに目を向けたまま、奏は問いかけてくる。ちょこんとお行儀よく奏のベッドに座っていた穂香は、思わず言葉を詰まらせた。
正直なところ、動物の仕業だとは到底思えない。仮にそうだすると、あの内臓さえ揺さぶるような衝撃が説明できない。和太鼓の演奏を間近で聴いたとき、腹の底まで振動が響いてくる。あれにも似た感覚が、たかだか猫の落下で生まれるはずがない。
そうは言っても、世間が地震を否定する。同じ家にいた両親も、他のどんな機関も。
だったら間違っているのは、自分達の方ではないだろうか。
やっぱりあれは気のせいだったのではないか。
答えあぐねて黙っていた穂香を、やっと奏が見た。びくり。訳もなく跳ねた身体を諫めることもなく、奏はよしよしと穂香の頭を撫でて隣に座った。
「やっぱ勘違いやったんかなあ」そう呟く声は、否定の色を含んでいる。
――勘違いじゃないよ。あれ、絶対に地震だよ。
そう言えたら、きっと姉は喜んだのに。世界でたった二人しか経験していなくとも、それでも彼女は満足したはずだ。だのに唇は渇き、舌はぴたりと口の中に貼りついて動かない。
なにも言えないでいる穂香を、奏は決して責めない。
「ほの、そろそろ戻ってもええよ。勉強したいんちゃう?」
そんな気にはなれなかったが、このままここにいてもなにも言えないだけだ。穂香はありがたくその申し出に乗ることにした。
「なんかあったら――や、なくても来たいと思ったら来ぃや。夜中でもいいから」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして。あ、寂しくなってあたしから行くかも。そんときはよろしくな?」
わざとおどけたように言う奏に小さく頭を下げて、穂香は隣の自室に移った。
棚に並べた観葉植物達が、窓から入ってくる風に煽られてひらひら揺れている。もうすぐ夏も終わりだ。夜の風が、ほんの少しだけ冷たくなってきている。
蒸し暑いのも寒すぎるのも苦手だが、夏の終わりに吹く夜風は好きだ。「もうすぐ秋ですよ」と風や匂いがそう告げてくれるような気がして、どこか嬉しくなる。もうすぐ大学生になるのにこんなメルヘンなことを考えていると知られたら、笑われてしまうだろうか。
過ごしやすくなってきた頃合いだとはいえ、このご時世に窓を開けっ放しで寝ていてはなにがあるか分からない。物騒な事件が最近多発していることから、戸締まりには十分気をつけるようにと両親から釘を差されたところだ。
廊下の小窓もきっちり施錠されていることを確認して、穂香はベッド横の窓を閉めるべくカーテンを開けた。
「――ひっ!」
――広いとは言えない庭に、なにかがいた。
【1話*end】
【2014.1012.加筆修正】