10 [ 67/225 ]

* * *



 辺りに緑が溢れている。
 穂香がアカギに半ば無理矢理連れてこられた場所は、家から遠くの方に見えていた山の麓だった。人目につかないような道を選んでバイクを走らせ、途中からはアカギに抱えられて飛行樹で山を登った。ハンググライダー型のそれは、風もないのに急にふわりと浮き上がって穂香達を運んだ。いくらアカギの腕が逞しいとはいえ、あまりの不安定さに身が竦み、必死にしがみついていても恐怖は消えなかった。
 空を飛ぶということは、もっと気持ちがいいと思っていたのに。小さい頃は、背中に翼が生えて大空を飛びまわる想像をして遊んでいた。今でもたまに夢に見る。それはとても心地の良い時間だったけれど、実際は恐怖しかない。飛行機だってそうだ。離陸時のあのふわりとした感覚がどうにも苦手で、自分には地に足をつけた生活が合っているのだと知る。
 いつの間にか、恋焦がれていた地面の感覚が足裏にあった。「ついたぞ」とどこか鬱陶しげに言ったアカギから恐る恐る離れ、辺りを見回す。鬱蒼と木々の生い茂る中に突如姿を現した小振りな潜水艦のようなもの――それはあの日、庭に現れた空渡艦だ。それがひっそりと山の中に佇んでいる。
 先を促され、穂香は上部のハッチから怖々と梯子を降りて中に入った。

「あっ、ほの!」
「おねえちゃん……」

 空渡艦の中は、外見の大きさに比べて手狭に感じた。あちこちにパイプが通り、百を超えるだろうボタンが並んだパネルが各所に見られる。正面には巨大なモニターもあった。
 きょろきょろとしている穂香に気づき、奥から顔を覗かせたのは姉の奏だった。ほっとするも、二人が同時にこの場所へ集められたということに不安を覚える。どうしていつものように、穂香達の家ではなかったのか。
 ――ここでなければならない理由は、なんなのか。
 中途半端に立ち止まっていた穂香の背をあとからやってきたアカギが押し、四人はそう広くはない談話室に腰を据えることになった。



 興味深そうにせわしなく視線を動かす奏に質問責めにされていたナガトは、保父のような笑顔でそれに答えていた。コーヒーを淹れてくれたのはアカギだ。シンプルな紙コップから湯気が立っている。穂香の前には、ミルクと砂糖が二つずつ用意されていた。正直に言えば、コーヒーはあまり好きではない。体質に合わないのか、いくらミルクや砂糖を入れても胃がもたれるからだ。
 隣を見れば、奏の側にはミルクと砂糖は一つずつだ。どうやらアカギは穂香の方が甘党だろうと気を遣ってくれたらしい。それを嬉しいと思うよりも、申し訳なさが先に立った。ここまでしてくれたのなら、口をつけないわけにはいかない。
 奏がコーヒーを飲むために黙ったのをきっかけに、ナガトが口火を切った。

「今日二人に来てもらったのは、大事な話があったからなんだ。もうそろそろだと思うんだけど……」

 ナガトが手元の時計を確認したそのとき、ズドンと下から突き上げるような振動が穂香達の身体を襲った。姉妹の口から悲鳴が漏れたが、男達はけろりとしている。どうやら危ないものではないらしい。二人は平然としているが、穂香の心臓は今にも破裂しそうなほど鼓動を速めている。
 機器をいじって通信していたアカギが戻ってくると、ナガトは奏の頭をくしゃくしゃと撫でて笑った。

「ごめんごめん、驚いた? 向こうも到着したみたいだし、ちょっと移動するよ。来てもらったばっかりなのにごめんね」

 ナガトが穂香の前を横切ったそのとき、つんとした消毒液のにおいが鼻についた。学校のプールのにおいによく似ている。そういえばアカギもそんなにおいがしていたなと思いながら、促されるままに外に出る。
 奏は飲み残していたコーヒーをぐいっと一気に煽り、艦の中を名残惜しげに見ながらついてきた。相変わらず、彼女は好奇心の塊だ。幼稚園児のように目を輝かせている姉の姿は、どこか羨ましくもあり、同時に少し恨めしくもある。
 ――どうしてこうも違うのだろう。穂香の頭は、考えても仕方のない疑問ばかりを生んでいく。同じ人間ではないのだから当然だが、少しくらい、彼女に似ていればよかったのにと思うこともしばしばだ。
 移動した先は、ミーティア達の研究所だった。艦を出た瞬間、目の前に建っていた立派な施設に、穂香はくらりと目眩がした。ついさっきまで気が生い茂っていたはずの場所に、大きな建物が建っている。こんなことはありえない。ありえるはずがない。それなのに、ナガトもアカギも、さも当たり前のような顔をしてそこへと案内した。
 施設の中は見た目よりも遥かに広い。どこかで空間が捻じ曲げられたに違いないと思うほど外見からは考えられない広さで、あちこちで白衣を着た者達がせわしなく行き交っている。
 一人の職員に案内されて辿り着いた会議室のような部屋に、ミーティアとハインケルが待っていた。


 それは、これから否応なくなにかが始まるのだと、悟らずにはいられない光景だった。


【9話*end】
【2015.03.07.加筆修正】

[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -