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「……ほ、ほんとうに、守って、くれる……?」

 震えた声を情けないと叱責する者も、ゴミを見るような目で蔑んでくる者も、いないのなら。
 どこにいようと研究は続けられる。できるだけ人とかかわらず、安全な部屋の中でデータと向き合うことを許してくれるのなら、ハインケルにとって場所はどこであろうと構わない。安全が約束されるのなら、それだけで十分だ。
 ミーティアは、気の強そうな目を優しく細めた。ぽってりとした唇が柔らかく孤を描く。彼女は慈愛に満ちた聖母のような微笑みで、ハインケルの手をそっと握った。
 優しい手だ。頬を撫でられ、柔らかな唇が瞼に落とされる。

「ええ。お約束いたします。必ず、お守りいたしますわ」


* * *



「いつから年下趣味に宗旨替えしたんですか?」
「……盗み見とは感心しないわ。まだいらしたの?」

 部屋を出ると同時に声をかけられ、ミーティアは飛び出しそうになった舌打ちを呑み込むことに全神経を使わなければならなかった。少しでも感情の揺らぎを表に出せば、この吸血鬼のような身なりの男は鬼の首を取ったように嬉しがって追撃してくる。
 昔からそうだった。この男――モスキートと関わるとろくなことがない。分かりきっているのに邪険にできないのは、彼がなにかを胸の内に隠しているような気がして他ならないからだ。

「嫌ですねぇ、ミーティアさん。扉がね、開いていたんですよ。少しだけ。ほんのちょっと」
「“開けていた”の間違いではなくて?」
「さあ、それはどうでしょう」

 当たり前のようにミーティアの私室にまでついてきたモスキートが、我が物顔でベッドに腰掛けているのが不愉快で堪らない。帰れと言ったところで大人しく従うはずもなく、それを理解しているのなら言うだけ時間の無駄だ。
 なにを聞きたいのか、なにを話すのか。裏に隠された意図を探ろうと目を凝らしたところで、飄々と笑うモスキートからはなにも読み取れない。

「貴女の趣味がどうであれ、ハインケル博士とお近づきになっておいた方がいいと思いますよ。いいじゃないですか、ああいう子も。お似合いです」
「くだらない。話はそれだけ?」
「まさか。貴女ともあろう方が、そんな浅はかな考えでおられるんですか? 笑えますね」
「言いたいことがあるのなら早く仰い! アタシも暇ではないのよ!」

 声を荒げるなり、モスキートはミーティアの腕を掴んで引き寄せた。外見からは想像できない逞しい胸板にぶつかり、ミーティアの眼鏡が嫌な音を立てる。同時に走った痛みに呻くと、彼はより一層楽しげに喉を震わせた。
 ベッドの上で細い腰をしっかりと抱いて、耳元に唇を寄せる。シチュエーションはひどく官能的だが、その実態はただただ苦い。

「アレはテールベルトが持つ諸刃の剣です。せいぜいたらし込んで懐に入れてしまいなさい。テールベルトに置いておくと、ろくなことになりませんよ」
「……アナタと交換できたら嬉しいのだけれど」
「おや、私を手放すと仰る? 寂しいことを」
「馬鹿を言っていないで離しなさい!」

 突き飛ばすように跳ね退いて、ミーティアは痛む鼻のあたりを指で揉みほぐした。本当なら頭も抱えてやりたいが、この男を前にしてそうするのはプライドが許さない。
 モスキートは相変わらず、抽象的な物言いをする男だった。頭を働かせるのは得意分野だが、この男の言葉を理解するのは毎度時間がかかる。そんなミーティアを陰で笑うのが彼の趣味ではないのかと疑うほどだ。
 ハインケルのことは言われるまでもない。あの優秀な頭脳をテールベルトで腐らせるのはもったいない。どんな軍事機密を抱えているのか知らないが、彼の対応はあまりにも過保護すぎる。
 あれだけの功労者にもかかわらず、籠の鳥状態とはどういうことだ。さらに実績を積み上げ、経験を増やし、そして世に貢献すべきだ。
 ふんと鼻を鳴らしたミーティアに、モスキートが笑顔で言った。

「そんなに難しい顔をしていると、皺が増えますよ」




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