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 暗い部屋でモニターを長時間眺めていたせいか、ずきずきと目の奥が痛む。眼鏡を外して目頭を揉み解しながら、ミーティアは背もたれに体重を預けてぐったりと天井を見上げた。無機質な天上に浮かんで見えたのは、あのくしゃくしゃの金髪だ。十歳前後にしか見えない小さな子どものような、テールベルトの“鬼門”。ハインケルはテールベルトにとって武器であり、弱点だ。
 それこそ小さな子どものように怯え、目を泳がせ、震えるだけだった博士を思い出す。――理解できない。
 なぜだ。なぜ、あれだけの頭脳を持ってして自信が持てない。あれだけの知識があるなら、なぜレベルS五体ごときで怯える。外で遭遇したなら話は別だ。だが、ここは最新鋭のヴァル・シュラクト艦と同等の造りがなされた研究施設艦だ。その安全性がなぜ分からない。
 ――なぜ、怯える暇があったら頭を使わない。
 何度考えても、実力があるのに自信が持てないとのたまう人間の思考が理解できない。自己嫌悪などという感情は、ミーティアの辞書には存在しないも同然だ。おどおどびくびく、自分が悪くもないのに謝って、自分が悪いんだと落ち込む人間は同じ種族だとは思えないほどだった。
 その理解できない基準にすべて当てはまる人間の補佐に就いたのは、人間観察としていい機会を得たと考えるべきか否か。意味もなくキャスターつきの椅子でくるくると回転していると、扉が三回叩かれた。ノックは三回。これが常識だ。

「――ジャベリンです」
「どうぞ」

 一礼してやってきたジャベリンは、背が低いのが難点だが顔は悪くない。頭も切れる。妻子持ちだというのが最大の問題だった。

「今回の寄生体について、ハインケル博士がなにか掴んだ模様です」
「……あら」
「すでに空尉らが連れ帰ってしまい、詳細は伺えませんでしたが『違和感がある』と仰っていました」
「――でしょうね」

 アタシだって見つけたもの。
 ハインケルの“違和感”は違和感程度ではない。彼はおそらく、もうその原因に気がついている。ただ確証が持てないだけだ。「自信がない」というくだらない理由で、重大な発見を先送りにする。まったくもって腹立たしい。
 ふと顔を上げると、ミーティアは見慣れた部下の姿に違和を覚えた。違和感。便利な言葉だと小さく笑う。原因はなんだろうか。少し考えると、それはすぐに見つかった。ジャベリンは研究者らしく、伸びっぱなしの赤茶けた髪を後ろで一つにくくっていたはずだ。それが今では、小ざっぱりとした短髪になっている。以前、三歳になった娘に「あたま、ぼさぼさー」と指摘されたと言っていたから、それで切ったのだろう。
 くすりと笑んだミーティアを不思議に思ったのか、彼は遠慮がちに首を傾げた。 

「ああ、ごめんなさい。似合うわね、髪。それ、いいと思うわ」
「……ありがとうございます。娘も褒めてくれました」
「できればシャツも毎日変えなさい。そうしたらもっと清潔なパパになるのではなくて?」

 くだらない会話は息抜きにちょうどいい。ジャベリンから必要な情報を貰うと、ミーティアはベッドに脱ぎ捨ててあった白衣を掴んで肩に羽織った。彼はなにも言わずに自動扉を開けて廊下で待機する。さすがは優秀な部下だ。
 夜も更けたが、構ってなどいられなかった。考え詰めれば、違和感の正体に分からないはずがない。だが、生憎と時間がないのだ。情報が欲しい。一分一秒が惜しく感じる。

「いつまでも仲良しこよしなんてやってられないのよ」
「ご機嫌斜めですね。小皺が増えますよ」

 独り言のつもりだった分、いきなりかけられた声に心臓が飛び上がった。足元がふらつく。すかさずジャベリンが支えようと腕を伸ばしたが、それよりも早くミーティアの身体は別の腕に支えられていた。
 目の前に、異様な色が揺れている。咄嗟に零れた舌打ちを拾い上げ、無駄に甘い声を持つ男がくつりと笑う。

「小規模とはいえ、集団感染もどきの対応お疲れ様でした。大騒ぎでしたねぇ」
「――モスキート中佐。アナタ、まだいらしたの?」
「おやおや、迎えの空渡艦が来ていないのにどうやって帰れと言うんですか? 耄碌するにはすこーし早いですよ、ミーティアさん」
「相変わらずの減らず口ですこと!」

 吸血鬼にしか見えない男を突き飛ばすようにして距離を取り、ミーティアは乱れた白衣の襟を整えた。波打つミルキーパープルの奇抜な髪が忌々しい。
 ビリジアン空軍士官学校で教鞭を振るう男が、どうしてここにいる。そんなことを一言でも漏らそうものなら、モスキートは極上の笑みを浮かべて理由を語りだすに違いなかった。「ミーティアさん、貴方のせいですよ」と厭味ったらしく微笑む様が容易に浮かび、ミーティアは苦虫を奥歯で噛み潰す。

「結局、どういう理由でこちらに来られたのかしら。まだ聞かせてもらっていないのだけれど」
「おや……。聞いてくださるんですか? それならそうと早く言ってくださいよ。貴方ときたら、顔を合わせるなり顰め面をして早く帰れの一点張りなんですから……」
「それはアナタが余計なことばかり言うからでしょう!」

 歩きながらぴしゃりと言い放てば、二人を見守っていたジャベリンが小声でそっと「お時間が……」と耳打ちしてきた。
 いつもこうだ。モスキートに関わるとろくなことにならない。今回の空渡直前に研究室を訪れた彼は、用があると言いつつ、結局なんの用か言いもしないでだらだらと世間話だけをしてこの研究施設艦に居座った。


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