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「伯父様達は、この頃頻繁にお出かけしているわね。お兄様のお名前も耳にするわ。……ハマカゼ、なにか聞いている?」
「申し訳ございませんが、なにも」
「お前はいつもそればかりね。いいわ、もう下がりなさい」
物心ついた頃より傍にいる護衛を下がらせ、シナノは滅多に会えぬ兄を思った。数年前、飛行樹の空中火災事故を起こして瀕死の重傷を負ったと聞いたとき、シナノの小さな心臓は凍りついた。
テールベルトという国の舵を取る上で、空軍を押さえておく必要性は知っているつもりだ。父や伯父、他の親戚達を見ていればそれくらい理解できた。だが兄が、どうしてよりにもよって実戦部隊に配属されていたのかが理解できない。
懐に潜り込み、内側から掌握していく――そこまでは分かる。けれど、その道を選ぶのならば緑地防衛大学校に進学し、最初から幹部として潜り込めばよかったはずだ。
「……なぜですか、お兄様」
兄が選んだ道は、空軍学校だった。
あの人が望んだ空を見上げ、シナノは首を傾ぐ。なぜあの人は、目の前に敷かれたレールを無視したのだろう。なぜ、空を選んだのだろう。
この家において、兄の評価は高いとは言えない。一族の恥さらしと吐き捨てられているところも、幾度となく目撃した。愛しい兄が蔑まれているところは見るに堪えず、シナノはいつも逃げ出すようにして部屋に籠もったものだ。
しかし、シナノはもう幼子ではない。
「なにが起きているのですか……?」
厳重に守られた囲いの中からでは、世界は見えない。
* * *
二人の戦闘員が艦を飛び出したあと、研究所内は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。ここにいるのは、分厚いガラスと防護服に護られた状態でしか感染者と遭遇したことのない者がほとんどだ。ミーティアとて、生身で感染者と対峙することは滅多にない。
一人や二人の感染者でも嫌悪される存在だ。なまじ知識があるだけに、過剰に恐れてしまう部分があるのも否めない。それが徒党を組んでの襲来となれば、パニックになるなという方が無理だった。
そうはいっても、我先にと流れ込んでくる白衣の男達を見ているとどうにも苛立ちが募ってくる。部屋の隅で鳩を抱いて震える子どものような男も例に漏れない。
「外から戻った者はさっさと洗浄なさい! 心配なら薬を飲めばいいでしょう! ちょっと、うちの防衛員はどうなっているの!?」
怒鳴りつけても、返ってくるのはあやふやな返答ばかりだ。
――どいつもこいつも使えない。
「いい加減になさい! テールベルトの軍人がたった二人で外に出たのよ! ビリジアンの人間が日和ってどうするの!」
外の様子はモニターを通して既に確認している。高レベル感染者が五名も発生し、そのうち三名が確実にレベルS感染者だ。残る二名にすぐに伝染することが容易に想像できる。
――つまりは、殺すしかない。
ヴァル・シュラクト艦は頑丈だ。あれしきの感染者の攻撃で壊れるものではない。しかし、彼らを野放しにすれば、確実にこのエリアの生物に被害が及ぶ。植物、動物、そして人間。大規模な集団感染を引き起こされでもすれば、それは自分達の責任問題にもなりかねない。
どうしてそこまで頭が回らない。苛立ちに任せて椅子を蹴り飛ばしてやりたくなった。壁にかかった短機関銃を引っ掴んで走り出るような男は、どうやら乗り合わせていなかったらしい。呆れと嘲笑の混じった溜息を吐いたそのとき、通信士の一人が震える声で叫んだ。
「き、寄生体駆逐完了、計五体! 生存感染者二名! 回収を、とのことです!」
「彼らは?」
たった二人で片付けたにしては、随分と早い。モニターに目をやるが、カメラに血液や体液が付着してよく見えなくなっていた。
「両名とも軽傷、それも掠り傷程度だと……。今から洗浄に入る、と……」
「そう。なら洗浄は彼ら優先になさい。念のため検査もちゃんとして。それから、ホーネットとシミター、ジャベリンは防護服に着替えてアタシと来なさい。回収するわよ」
優秀な三人の部下はすぐさま踵を返し、防護服に着替えに走った。他の研究員達は、彼らを気の毒そうに見送っている。通常、回収作業は研究員の仕事ではないからだ。直接感染者と接触すれば、それだけ感染リスクは増加する。
ミーティアは眼鏡を押し上げ、涼やかな顔に冷たい微笑を張りつけた。部屋の隅で小さくなっていたハインケルが、ひっと息を飲む。
「――お話にならないわ」
ただの肉塊となり果てたそれを淡々と回収し、ミーティアは洗浄もすべて済ませて一人自室に籠っていた。回収した寄生体はしっかりと核も破壊されており、これ以上の被害を拡大させる恐れはなかった。ナガトとアカギ両名も、検査の結果感染の疑いはない。今はハインケルと共にあちらの艦に戻っている。
データと何度も睨み合いながら、キーを叩き続ける。出てきた数値にどうも納得がいかない。一見すればなんの変哲もないレベルS感染者の数値と変わらないが、どこか引っかかる。
それは勘にも等しい感覚だった。だが、今までこの勘が外れたことはない。なにかあるに違いない。今までの知識と経験から基づいた結果、そういった考えが導き出された。
自分が完璧だと思ったことはない。完璧などあるはずもない。だが、大半のことが人並み以上にできるのも事実だった。
「まったく……。理解できないわね」