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「なにあれ、クレーマー?」
「うるっさいなぁ。おんなじ飛行機やったんかな?」
「巻き込まれんうちにはよ帰ろ。最近ほんま変な人多いよなぁ」

 郁達が顔を見合わせ、歩調を速める。その間にも怒声はどんどんと大きくなり、穂香達の脇を警備員が何人か駆けていくほどの騒ぎにまでなっていた。どうやらあの中年男性が暴れ出したらしい。
 そんなトラブルに巻き込まれたとなれば、心配性の両親がどう思うか分からない。言葉にしようのない不安と恐怖に苛まれながら、穂香は必死に郁の背中を追った。こうして誰かの後ろについていく限りは大丈夫だ。自分は一人ではないのだから、きっとなんとかなる。きっと誰かがなんとかしてくれるのだから。
 空港の外は日が落ちて星空が広がっていたが、北海道とは違って重たい夏の熱気が全身に纏わりついてくる。
 部屋に残してきた観葉植物は大丈夫だろうか。姉のことは信頼しているが、彼女はあまり植物を育てることには向いていないことは事実だった。それでもきっと、立派に世話をしていてくれたに違いない。
 出発前、すでに実をつけかけていたホワイトストロベリーのことが気になった。新しい品種の珍しい苗で、少し高かったけれど奮発して通販で買ったのだ。世話が難しく、ネットで見る限り一般家庭で育てるのには適さないとの評価が下されていた。
 緑の中にころんとした愛らしい実をつける白イチゴ。
 立派に生っていたら、まずは一番に姉に食べてもらおう。その次に両親だ。
 まだ見ぬ希望の欠片に思いを馳せ、穂香はあるべき日常へと一歩踏み出した。


* * *



 湿った土の匂いに、鼻先をくすぐる「緑」の匂い。
 ぐるりと辺りを見回して、一つ溜息が零れた。

「こりゃあ……、驚いた」
「これで温暖化だとか砂漠化だとか騒いでんだから、驚きだよね。ここまで生い茂ってんのにさ。その上で無駄な森林伐採だの焼畑だのしてるんだって? バッカじゃないの――って、これはただのヤキモチかな?」

 呼び出した資料を電子端末で確認しながら、同僚が肩を竦めた。軽く微笑むだけで女がきゃあきゃあと黄色い歓声を上げる顔が、今は意地悪く歪んでいる。彼のことを「上等な毛並みの猫」だと誰かが言っていたが、あれは一体誰だったろうか。上官か、それとも彼がちょっかいを出してきた女の一人だったか。
 だが、そんなことは今はどうでもいい。

「まあ、そんな風に騒いでられんのも今のうちだろ。そのうち血眼になって緑を探すようになるぞ」
「――うちみたいに?」

 艦(かん)にもたれてより一層意地悪く笑う男に黙って拳を振り上げたが、重い一撃はなんなく受け流された。
 路肩に根を下ろす雑草が、男の視線に耐えかねたように揺れる。こんな雑草ですら、ここでは立派な緑だ。

「ま、そうなっても知ったこっちゃないけど、一応仕事はしないとね」

 忌憚ない物言いは今に始まったことではないが、声の堅さは彼にしては珍しいものだった。夜空を見上げる瞳は、自分と比べると幾分か大きい。「なに?」小首を傾げる角度すら計算され尽くされたもののように見えて腹立たしい。そう文句を言ったところで、彼は「そうだよ」と笑うのだろう。
 緑に吸い寄せられるように虫が飛んでいた。メッセージを受信した電子端末の明かりに誘われて、何匹もの羽虫が近寄ってくる。

「はい、座標ロック完了。場所的にはこっからそう離れてないけど、やっぱ艦で乗り込む方が確実だよね?」
「当たり前だろ。空間圧縮かけんぞ」
「シュラーフ波の数値どれくらいにする? 計算よろしくー」
「おっまえな!!」

 怒声と同時に繰り出した蹴りをひらりと躱して艦の中に滑り込んだ同僚に、男は大きく肩を下げた。無造作に頭を掻き回す以外にストレスの捌け口がない。耳元で羽音を響かせる小さな虫が煩わしい。その羽根をもいでしまえたら、少しは気が晴れるだろうか。
 細かな計算は嫌いではないが、押しつけられたと思うと素直に取り組む気が起こらない。そんなことをぼやけば、確実に上官に蹴り上げられるだろう。
 重い身体を引きずって艦に戻る間、男は街灯のきらめくその世界を静かに眺めた。

 緑に溢れたこの世界は、きっとなにも知らない。知るはずがない。
 白に蹂躙される恐怖を。白に奪われる恐怖を。
 誰もが眠りにつき始める夜が当たり前のように訪れたその日、白き欠片は目を覚ます。


* * *



 ホワイトストロベリーは、順調に実をつけていった。
 旅行から帰ってくるなり奏が嬉しそうに見せてきたピンクの鉢には、いくつか大ぶりの白い実がなっていた。四つも年の離れた姉だが、無邪気で子どもっぽいところはいくつになっても変わらない。
 「三日間お世話できなくてごめんね」と語りかけながらも、穂香はあまりにも白すぎるそれに違和感を拭えなくなっていた。
 ――こんなにも白いものだっけ?
 実はともかく、葉っぱまで白くなるなんて聞いたことがない。実が増えるたびに、白く変色する葉が増えていく。次第に葉だけではなく、茎まで白く変わっていった。
 なにかの病気かと思いパソコンで調べてみたが、ヒットしたのは到底関係なさそうな病気だった。しかし、比較的最近の個人ブログに、穂香のホワイトストロベリーと似たような状況が起きたと書いてある記事がいくつかあった。


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