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* * *



「ほのちゃん、大丈夫?」

 飛行機の座席に張り付くように座っていた穂香を、隣の郁(いく)が気遣わしげに覗き込んできた。

「うん、大丈夫、少しびっくりしただけ」

 そう答える声に生気も説得力もないことくらい自分でも分かったが、それでも平気だと言ううちに、郁も渋々納得したらしい。穂香よりも深めに倒した座席にもたれ、心配の色は残したまま横目で「気分悪かったらいつでも言ってな」と言って、外していたイヤホンを耳に戻した。
 郁のこういうところが付き合いやすい。ほっと息をついて、穂香はじわじわと胃を揺さぶる振動に耐え続けた。
 正直に言えばもう少しで夕食のラーメンが顔を出しそうだったのだが、もうすでに関西上空を飛んでいるこの状況で北海道ラーメンの思い出に浸るのはごめんだった。なにがなんでも耐えなければと固く心に誓い、細く息を吐いて肺を空にする。
 ガタガタと機体が激しく揺れるのは、乱気流のせいだろうか。
 気を紛らわせるために、穂香は必死になって北海道ののどかな牧場を思い出した。



 仲良くさせてもらっている友人達に旅行に誘われたときは、正直どうしようかと迷った。いや、確かに迷うそぶりはしたが、断るつもりでいた。だが「なあ、ほのちゃん、うちら最後やで! 女子高生の間に、なんか思い出つくろうや」と一番付き合いの長い郁に押し切られる形で頷き、二泊三日の旅行に参加することになったのだ。
 確かに、卒業後の進路は全員がバラバラだった。穂香は四年制の大学を志望しているが、就職や専門学校を目指す友人もいる。
 穂香を入れて四人の女子高生の旅は、なかなかにかしましく、楽しかった。不満などあるはずもなく、旅行そのものにはとても満足はしている。けれど同時に、罪悪感も穂香の中をずっとくすぶっていた。

 受験生なのに遊んでしまったこと。
 両親に旅行代金を支払ってもらったこと。
 乗り物に弱いせいで、いらぬ気を遣わせてしまったこと。
 他にも、たくさん。

 お金は自分で払うと言ったのに、財布にねじ込まれるようにして福沢諭吉が何人もやってきてしまったことは悔やんでも悔やみきれない。懸命に返そうとしたのだが、穂香が必死になればなるほど悲しげに眉を下げた両親の顔を見ると、それもできなかった。
 一緒に旅行した夏美は笑う。「いいやん、もらっとき。羨ましいわぁ。うちの親は頼んでもくれんかったよ」他のみんなも同じことを言った。
 だが、そうは言われても、価値観は簡単に変わるものでもない。
 指先が白くなるまで肘掛けを握り締め、喉元にせり上がってくるラーメンの存在を意識しないようにとしていた穂香の努力は、「まもなく着陸いたします」という機内放送によって、ラストスパートに入った。




「うわ、大阪の空気や……」
「正確には大阪ちゃうけどねー。まあしゃーないやん、現実に帰ってきてんから」
「しーっ! 言わんとって! 明日からまた勉強とか考えたくないわ……」

 キャリーバッグを引きずる音に負けないくらいの声に、同じ飛行機に乗っていたのだろう人々がちらちらと視線を投げている。視線を感じているのは穂香だけなのか、一人居心地悪く首を竦めて空港出口を目指していた。
 「そういえば、」と郁が会話の輪を抜けて、後ろを歩いていた穂香に歩調を合わせてきた。

「ほのちゃん、気分大丈夫? さっき酔ってたやんね?」
「え、ああ、うん。もう平気。……ごめんね、なんか心配かけて。それに、あんまり喋れなかったし……」

 他の二人は前の座席で、楽しそうにおしゃべりをしていた。時折盛り上がりすぎてうるさくなり、周りの搭乗客から冷たい視線を浴びることもしばしばだったが、旅行帰りの女子高生はどこもこんなものなのだろう。誰もがすぐに興味をなくしたように、その視線を外していく。
 郁もおしゃべりは好きな方だ。きっと話したかったに違いない。そうしょぼくれる穂香に、郁は一瞬足を止め、呆れたように笑った。「ないわー」ひやりとした穂香がなにか聞き返す間も与えず、郁は続ける。

「謝る必要ないやん。酔って気分悪なってる友達にムカつくとか、そんなんあるわけないやろ? 行きと違って揺れも多かったし、しゃーないやん。やし、ほのちゃんが気ぃ遣う必要ないの」
「……そう?」
「そーう! たっく、いつになったらその辺のこと分かってくれるん? ほのちゃんって、頭いいのにそーゆートコ残念よなぁ」

 わざと馬鹿にするような言い方が優しい。
 「うん」と、赤みの戻った唇に微笑を乗せて、穂香は頷いた。心の奥で、何度も謝罪を繰り返していることに、郁はきっと気が付いていないだろう。しゃんと伸びた背筋が羨ましい。彼女は穂香にとって、とても眩しい存在だった。――まるで姉のようだとも思う。
 その背を追いかけていた穂香の耳に、ただならぬ喧騒が突き刺さった。一瞬で身体が竦むほどの怒声だ。その大声に誰もが足を止め、発信源はどこかと視線を彷徨わせている。先ほど抜けてきたばかりのゲート近くで、中年男性が大声を出して暴れているのが見えた。なにかトラブルでもあったのだろうか。



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