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「だってスツーカ、あそこは狭いじゃないか。それに息が詰まる。ろくな設備もないんだよ。ぼくは人間なのに、物みたいにぎゅうぎゅう詰め込まれてさ。二段ベッドでもきついところに、なにを思ったのか三段ベッドが設置されているんだよ? スツーカ、そんなところで眠れると思うかい?」

 硬いベッドでは休んだ気がしないし、起き上がろうとするたびに頭をぶつけてしまう。わざわざ自分から環境の悪い方へ移動する必要性がこれっぽっちも見いだせない。とはいえ、この艦も環境がいいとは言えないが。
 心配そうに鳴くスツーカを置いて、部屋に取り付けられた小さなシャワールームで汗を流し、ハインケルはサンプルを装置にかけた。まずは顕微鏡で観察し、それから遺伝子解析を行うのが常道だ。
 覗き込んだ先に広がる葉緑体の美しさに、思わず感嘆の息が漏れた。あのおぞましい白の植物には絶対に見られない、神秘の色素体がそこにある。

「知ってるかい、スツーカ。これは細胞の中に潜んでいて、多量のクロロフィルと少量のカロチノイドを含んでいる。グラナとストロマから成っていることが一般的で、光合成を行うのが前者、二酸化炭素固定を主として行うのが後者だ。グラナは白の植物にもあるから分かるよね。でも葉緑体となると……ねえ、スツーカ、聞いてる?」

 専門用語の羅列に、スツーカは分からないとでも言いたげに小さく鳴いた。

「うわぁ……、見なよスツーカ。クロロプラスト……、向こうで見たどれよりも鮮やかだ!」

 それぞれが固有のDNAを持っており、細胞質遺伝することは今までの研究ですでに明らかになっている。白の植物は葉緑体を欠いた代わりに、より多くの栄養源の摂取方法を身につけた。葉緑体を用いない光合成は言うまでもなく、他の生物からの養分の摂取能力も特化している。

「食虫植物をいくつか取り寄せてみる必要がありそうだね。ラフレシアだっけ。あれがすごく気になるんだ。手に入ればいいんだけど……どうかなあ」
「おやおや、それは一体どういうお花なんです?」

 突如として降ってきた声に、ハインケルは表現し難い悲鳴を上げた。耳元に触れたのは、吐息混じりの甘く低い男の声だ。そんな趣味など一切ないハインケルですら、ぞくりとしたものを感じて首の後ろが粟立った。
 凶悪なまでの色気を秘めた声に、弾かれるようにして振り向く。確かに鍵をかけたはずの部屋に、奇妙としか言いようのない男がいて凍りついた。言葉を失うとは、こういうときに使う言い回しなのだと実感する。

「あ、あの……?」
「ああ、失礼。噂のハインケル博士に一目会いたかったんですが、なかなか機会に恵まれませんでねぇ。外からお声かけはしたんですが、気づいておられないようでしたのでコレで」

 そう言って男がひらひらと振って見せたカードは、おそらくマスターキーだった。
 勝手に入ってこられたことよりも、男の風貌が気になって頭が働かない。
 なんなんだ、この奇抜な格好は。服装こそまともなビリジアン空軍の制服だが、その背に垂らされた髪の色があまりにあまりだった。ゆるく波打つ髪はミルキーパープルとしか評しようがなく、たれ目がちな細い瞳は綺麗な群青色だが、その下に浮いた隈が酷い。蒼白い顔立ちもあいまって、見た目はまるで吸血鬼だ。
 顔色の悪い人間ならば研究者によくいるが、ここまで“ぶっ飛んだ”人間はそうそういない。くたくたの白衣の胸にスツーカを抱き締め、怯えながら吸血鬼のような男を見上げる。彼はふっと息を吐いて笑うと、零れた髪を掻き上げて笑顔のまま首を傾げた。

「あ、あの、あなた、誰ですか……?」
「ビリジアン空軍士官学校戦術指導教官のモスキート中佐です。お見知りおきを、ハインケル博士」
「戦術、教官?」

 そんな人間がどうしてここにいる。
 正直すぎるほど顔に感情が乗っていたのか、モスキートはたまらずといった雰囲気で噴き出した。手近な椅子を引き寄せて座るというそれだけの仕草が優雅で、どこか貴族を連想させる。
 ここはミーティアの研究施設艦だ。ビリジアンの人間がいたところでなんらおかしくはないが、艦を動かす特殊飛行を専門とする軍人ならばともかく、空軍士官学校の教官が乗り込んでいるのは不思議だった。

「たまたまミーティアさんに用事があったので乗り合わせていたんですが、どうにも急ぎの用だったらしく、私までついでに空渡させられてしまったんですよ。本当に強引な人ですよねぇ、あの人」
「たまたま……」
「そう、たまたま。私も仕事がありますから、もう迎えは要請しているんですけれどね。それまでは自由に遊ぼうかと」
「そうですか……」

 他になにを言えばいいか分からず、ハインケルは曖昧に頷いた。「ところで、」とモスキートが唇で弧を描いて甘く囁くように言う。

「ラフレシアって、どんなお花なんでしょうね?」
「あ、えと、……このプレートにおいて、花が世界最大ということで知られている植物、です」

 どうしてそんなことも知らないのかと思ったが、彼は研究者ではないのだからそれも仕方のない話だろう。滑るように唇が動く。どんな花か語って聞かせるハインケルに、モスキートは穏やかな表情で「うんうん」と頷いていた。
 ラフレシアは寄生植物らしく、寄生根で養分を吸収する。そしてなにより、ラフレシアは葉緑体を持たない。


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