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「ハジめまシテ、ホノカ。I'm Meteor.よろシクね」
「あ……、えと、み? めー? てぃ、あー、さん……?」
「Non,Meteor.ミ、ティ、ア」
「みてぃあー? ミィ、えと、ミーティア、さん……?」
「Yes! So good! イイコね、ホノカ」
「ほらやっぱり初対面やん」と、郁がどこかずれたことを言う。
迫力美人に抱き締められ、それまでの感覚など一気に塗り変えられた穂香の中には、困惑しか残らなかった。彼女からは香水の香りではなく、どこか消毒液に似た匂いが染みついていた。まるで医者の近くにでもいるようだ。
――誰。そんな自問に、おずおずと自答する。
拙い日本語。突然やってきた外国人。“あのとき”とよく似ている。
「アナタのおうち、連れていく、Okay? 白の、プラントのハナシ、あリマス」
「白のプラント? なにそれ」
ぞっとした。肉を破る勢いで心臓が跳ねる。
――白の植物。
やはり、この人は“あのとき”の仲間に違いない。
なにも考えられなかった。どうしたらいいのか、どうするべきなのかがさっぱり分からない。混乱したまま硬直していると、ミーティアが優しく穂香の手を握ってきた。
それを合図に、はっとする。
このままここにいてはいけない。だってここにいたら、日常が壊れる。奪われる。一欠片も残さないくらい、粉々に砕かれてしまう。
「赤坂さん? どうしたの? この人、やっぱり知らない人?」
「……か、家族が、知ってる人、かもしれない、です……」
知らない人だ。今まで一度も会ったことなどなければ、名前を聞いたこともない。きっと“あんなこと”さえなければ、この先一生知り合うことなどなかっただろうはずの人だ。
血で染めたように赤い唇がにんまりと弧を描く。
「The time has come.」
――時は来た。
それは一体どういう意味なのだろう。
ミーティアがそっと穂香の手を引く。家に連れて行けということなのだろうが、竦んだ足は一歩を踏み出すことを躊躇った。この一歩が日常を崩すという予感があった。
不安に滲んだ瞳を見て、郁が心配そうな顔をしている。ごめん、ごめんね、郁ちゃん。助けて。そう言葉にするだけの勇気もなく、軽く手を引かれた瞬間、よろめいた身体がたたらを踏んだ。
――ああ、“一歩”が、始まった。
「えっ、ほのちゃん!?」
「赤坂さんっ!!」
「ごめんなさい、帰ります……!」
制止も視線も、気にしている余裕なんてなかった。
頭はとうにショートしている。これ以上あそこにいたくなかった。これ以上、普通ではないと思われるのは嫌だった。
どんなに逃げ出したくても、立ち止まる手を引かれては止まれない。たった一人で立ち尽くすよりも、誰かに手を引かれて走る方がずっと楽だった。穂香の手を握るミーティアが、ヒールで地面を打ち鳴らしながら英語でなにかを呟いた。
「可哀想なお嬢ちゃん」
そんな風に聞こえたのは、きっと被害妄想だ。
* * *
――それは、あまりにも美しかった。
空を仰ぐと、純白の雲が浮かんだ青空があった。白なのに、美しい。純粋にそう思えた。空には首が痛くなるほど高層の建物が何本も突き刺さっていて、空気は少しだけ淀んでいる。あちこちを走る車は、嫌な臭いと煙を吐いている。
だが、それでも美しかった。
青い空に溶け込むことはない、色鮮やかな緑があった。赤い花が色づき、足元では黄色い花が揺れ、水を与えられた草木がつやつやと緑の光を反射させている。あまりにも美しい光景に、足が竦んだ。ああ、そうか、これが植物か。座り込んでしまった雑踏の中、人々から視線を浴びながらそんなことを思った。
この世界は、まだ侵されていない。過ちに呑まれてはいない。――この世界を、穢してはいけない。
この世界の住人は、純白の穢れを知らない。
「はは、あははははっ! 見なよスツーカ、緑だ!」
風に揺れる緑の葉。
香ってくるのは煙の嫌な臭いと、僅かに漂う花の香りだ。
人々の視線が突き刺さる。ひそひそとざわめくそれらの声は、まったく耳に入ってこなかった。肩に乗った鳩がくるぅ、と、鳴いて緑に歓喜している。
――ああ、そうとも。
「これでこそ、世界だ」
揺れる緑。
それは、欠片の声となる。
【4話*end】
【2014.1026.加筆修正】