10 [ 225/225 ]

『あ、あの、アカギ、さん、わ、私が、囮になります。だから、──きゃっ』
『──やから絶対、なにがあっても守り抜け! ええかっ、約束破ったら許さへんからな、ナガト!!』

 今度こそ、完全に動きが止まった。
 アカギも一緒だ。
 敵を目前にしてぴたりと動かなくなってしまった二人に、怒声と共に別隊員のフォローが入る。「ぼさっとするな!」と叱りつけてきたのはヒュウガ隊の先輩でもあるサカワだ。

「あははっ! ご指名だよ、王子様方!」
「なんだ、あの姉ちゃんの方じゃなかったか」

 スズヤがけらけらと笑う。ソウヤは己の読みが外れ、少し悔しそうに眉を寄せている。
 そんな余裕をかましていられるのはこの二人だけだ。他の隊員は皆、見知らぬ民間人の存在と「囮」という言葉に戸惑っている。中でも、ナガトとアカギの困惑は他の隊員の比ではなかった。
 ──さすがに予想外すぎる。
 ちらりと覗き見れば、アカギの表情が見たことがないほど強張っていた。わなわなと震えた薄い唇は、誰に聞かせるでもない呟きを風に乗せた。

「出るって……、囮って、なに考えてんだあのバカ!」

 数秒前のナガトと同じことを吐き捨てて、アカギはすぐさま無線をカガに繋いだ。けれど応答したのは別の通信兵で、カガは応答する気配がない。当本人達も同様だ。
 汚い暴言を列挙し、アカギは無線を叩き切った。八つ当たりされた通信兵を哀れに思う。そんな余裕が生まれたのは“あの子”じゃなかったからか、それとも、もうすっかりこのペースに慣らされているのか。前者だったらごめんねと胸中でひっそりアカギに謝罪し、ナガトは痛む頭を抱えながら銃を構えた。
 冷えた風が頬を叩く。

「オイ! ハルナからコール! 研究所内感染者オールクリア、要救助者の隔離完了! じきに合流するとよ!」

 張り上げられたソウヤの声に、特にカガ隊の面々が大きな歓声を上げた。テールベルト空軍において、エースパイロットであるハルナの存在は大きい。彼がいるだけで士気が高まるのは、誰に聞いても否定しようのない事実だ。「あいっかわらず美味しいトコ持っていくよね〜、ハルちゃんは」そう嘯くスズヤの声も弾んでいる。
 ハルナとソウヤがいるのなら、これほど心強いことはない。通常であれば、素直に喜んだだろう。
 未だに暴言を吐き散らかすアカギにぴたりと背を合わせ、ナガトは目の前の敵に照準を合わせた。引き金を引いた反動で、合わせた背が軽く跳ねる。上がる体温で湿った空気を触れ合った背中で共有し、なんだかんだと言いつつこのポジションが落ち着く自分に嫌気が差した。
 荒い呼吸に混じって出てきたのは、この状況に似合わない笑声だ。 

「──俺の気持ち、少しは分かった?」
「ァア!?」

 狂犬かと聞きたくなる人相の悪さで吠え立てられ、噛まれてはたまらないとばかりに身を捩る。右から迫ってきた感染者の膝を撃ち抜き、倒れ込んできたところを蹴り飛ばす。
 アカギと立ち位置を入れ替え、さらにもう一発。今度は左から迫ってきた敵へ二発。
 断末魔が響く。血の雨が降る。腐臭が濃い。まるで地獄だ。この地獄に、あの気弱な少女が「囮」という大役で舞い降りるらしい。翼もないのに。獣より早く走れやしないのに。そんな馬鹿なことを言い出すのは、奏の方だとばかり思っていた。大元の核を呼び出すために、自分が行くと言い出すのでは──と、そんな風に危惧していた。
 けれど、蓋を開けてみれば穂香の方が出ると言う。少なくとも、ナガトの知る穂香ではとてもじゃないが務まらない。自分から言い出すようなタイプには見えないが、民間人相手にカガやヒュウガがそんな役割を押しつけたとは考えられない。彼女自ら名乗り出たのだろうか。
 経緯はどうでもよかった。あとでじっくり聞けばいい。

「止めても無駄だよ、アカギ」
「バカ言ってんじゃねェよ! あいつはただの小娘だぞ!?」
「ほんとにね。ただの女の子なのに、やってらんないよね。でも無駄だって。──だってほのちゃん、奏の妹だもん」

 ああ、だとか、クソ、だとか唸ったアカギが、振り向きざまにナガトを抱きすくめるようにして腕を伸ばしてきた。当然、抱擁などという血迷ったものではなく、飛んできた樹液を避けつつ相手を撃ち抜くための動きだ。腰を抱かれ仰け反らされたまま、ナガトも頭上から滑空してきた鳥を撃ち抜く。
 そのまま腕を擦り抜け、アカギの股下に滑り込んでくぐり抜けて、牙を剥いた感染者の腹に薬弾を叩き込んだ。
 いつまで経ってもきりがない。それを終わらせようとしてくれるのか。
 ──あの子達は。

「あのバカ姉妹が!」
「お前も少しは苦労しろよ! どうせあのバカ、ほのちゃんが出てくるならじっとしてるわけないんだから!」

 軽口を叩いて誤魔化さなければやってられない。
 大事な妹を危険に晒して、その上で自分は安全な場所にいるだなんて真似を、奏がするはずがない。途方もない無茶をしてのけるはずだ。
 必ず帰るって約束したのに。待っててって言ったのに。
 ──ああ、もう。
 心配で胸が潰れそうになるだなんて感情を、自分が味わう日が来るだなんて想像だにしていなかった。歪んだ唇を噛み締めた瞬間、どこか疲れたヒュウガの声が無線から流れてきた。

『全隊員に告ぐ。六十秒後、Gr-1eより、“希望の種”が出る。全面フォローだ、枯らすなよ!』

 要警護者、要救助者に対してつけられる名称を用いたその言葉に、背筋が伸びた。今までは対象を示す際になんの気なしに使っていた言葉が、今ではこうも重く感じる。まさに言葉通りだ。
 カガ隊の艦周囲をカバーすべく、多くの隊員がそちらに注意を向けた。ソウヤが風のように駆けていく。

「ナガト! アカギ! お前らはちゃんっと守り通せよ!」

 銃声に紛れて放たれた叱咤の声は、どこまでも力強い。ソウヤの声に励まされ、ナガトは未だに渋面を作っているアカギの肩を叩いて艦へと促した。
 あのときああしていれば、と、悔いたところでもう遅い。もう止まらないのだ。一度動き始めてしまったら、無理やりには止められない。ならばもう先に進むしかなかった。
 嘆いたところで意味がない。未来には必ず、なにか希望の欠片があるはずだ。そう思わなければ、こんな職業やってられない。
 ナガトはゴーグルの汚れを拭い、はっと短く息を吐いて地を蹴った。
 白を砕き、汚れた赤にまみれ、撃鉄を鳴らす。
 ──悔恨の先の欠片を掴めと、本能が叫んだ。


【end*23】
【2019.1110.加筆修正】



[*prev] [next#]
しおりを挟む

back
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -