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「うん。怖いよ、行きたくない。……なんで私が、って、今でも思ってる。やだよ、今すぐ逃げたいもの」
「だったら!」
「大好きな人が目の前でいなくなるのはもう嫌なの!」

 今でも覚えている。
 凄まじい衝突の衝撃と音。一瞬にして掻き消えた光。
 気がついたとき、大好きな両親はもういなかった。

「ほの……」
「なんで私が、私達が、こんな目に遭わなきゃいけないの? どうして他の人じゃないの? 怖いよ。逃げられるなら、逃げたい。関わりたくないよ……。でも、でもね、あんなにもアカギさん達が頑張ってるのに、見てるだけなんて、もう無理だよ……!」

 恐怖を誤魔化すように吐き出して、嗚咽を堪えようともせずに奏にしがみついた。ぐずぐずと鼻を啜れば、抱き締めてくれる腕に力が籠もる。
 この世界のためだとか、国のためだとか、そんなことはどうでもいい。そんな規模の大きな話は理解できない。すぐそこに見える、アカギやナガトが苦しんでいることが嫌だ。身を挺して穂香を守ってくれたあの人達が、あんな恐ろしい化け物に喰われていなくなってしまうのが嫌だ。
 大好きな姉がいなくなってしまうのが嫌だ。

「……えと、あの。話は纏まった? それじゃあ、さっそく薬を用意してくるね」
「待って、あたしの分も! あたしもほのと一緒に行く!」
「それは駄目だよ。精度を高めるためには、穂香一人じゃないと」
「可哀想だけれど、ハインケル博士の仰る通りよ。逆に考えなさい、奏。そうすることで、対象を一気に引きずり出せるの。余計な危険にさらさなくて済むのよ」

 淡々と説明するハインケルをフォローするようにミーティアが説明し、両艦長へ目配せした。穂香からすれば父親ほどの年齢の彼らは、一度沈痛な面持ちで目を伏せ、かすかに頷いた。
 ハインケルが注射器を片手に戻ってくる。その白衣のポケットの中に詰め込まれたスツーカが、小さく鳴いて己の存在を主張した。
 本音を言えば、逃げたくてたまらない。このまま安全なここに留まり、すべてが終わるのを見届けたい。
 それでももう、この無謀なジェットコースターに乗り込んでしまったのだ。

「いいかい、件の核は一度寄生させる必要があるんだ。だから、」
「はあ!? ほのに死ねって言ってんの!?」
「奏、落ち着きなさい。そうではないの。──親の持つ核は、寄生した方が格段に破壊しやすいのよ。特に人体寄生の場合は、“寄生個所が決まっている”から」

 ミーティアの視線が穂香の胸へと移動する。
 ──ああ、そういうことか。
 がちがちと歯の根が鳴り、恐怖に涙が零れた。

「大丈夫、発症を遅らせる薬をあげる。無認可だけど効果は保証する。これさえあれば、寄生されても一時間以内に核を破壊すれば問題ない」
「一時間って、そんなん短すぎるやろ!」

 「え、でも」と困った様子のハインケルの背後から、落ち着いた声が投げられた。ヒュウガだ。厳しいけれどどこか優しい双眸が、奏ではなく穂香を見つめる。

「割り込んで悪いがちっと黙っててくれるか、博士。あー……、赤坂穂香さんっつったか? さっきも言ったが、あんたが無理する必要はねぇし、こちらとしても民間人を囮にするような真似はできん。気持ちだけで十分だ。外の状況は俺達がなんとかする。だからあんたはここでじっとしてろ。それを気に病む必要は微塵もない」
「でも……」
「アカギもナガトも、あれでいて立派な軍人だ。クソガキが言ってたろ。あいつらは、守るべきもんがあるといつも以上に頑張るだろうよ。ここであんたを出しちまったら、俺は部下共になんて説明すりゃあいい?」

 異なるプレートの、それも未成年者を囮に使ったと知れたら、彼らはきっと世間から弾劾されるだろう。それは日本の組織に置き換えても一緒だ。
 無茶を言っているのはハインケルの方だ。ここで穂香が動く必要などなく、自分達は守られてしかるべき存在なのだろう。

「……ごめんなさい」
「いんや、謝る必要はねぇよ。言ったろ、あんたは気に病む必要ねぇって……」

 ヒュウガの言葉は、尻すぼみになって消えていった。
 穂香が、袖を捲った腕をハインケルに向かって突き出したからだ。
 震える腕を抑え込もうと、穂香は必死に右手で左腕を押さえた。しかしそれでも震えは止まらない。拳を強く握れば血管が浮かぶ。スポーツとは縁がない生白い腕と穂香を交互に見て、ハインケルは手元の注射器に薬液を満たした。

「おいっ!」

 ヒュウガが止めるのも聞かず、消毒液を含ませた脱脂綿が肌の上を滑る。きっとすぐ傍らでは、奏が悲痛な目を向けているのだろう。さすがにその目を見てしまえば決心が揺らぎそうで、顔を上げることはできなかった。
 針先が沈む。ちくりとした痛みに顔を逸らしたその先で、カガの笑声が転がった。

「あ、あー……、お前ら、聞こえてっかー?」
「おい、カガ! なにやって、」
「騒ぐな騒ぐな。──おお、わり。全体無線だ、ちゃーんと聞けよー。特にナガトとアカギ、お前らは耳の穴かっぽじってよーく聞けー」

 薬液が血管に侵入する。独特の痛みと感覚に、食いしばった歯の向こうから呻きが漏れた。
 針が抜ける。予防注射と一緒だ。針痕に脱脂綿を押しつけられ、しばらく押さえているように言われた。じんと痺れたような感覚がして、左腕に力が入らない。
 大丈夫、きっと問題ない。大丈夫。きっと。大丈夫。自分に言い聞かせるように繰り返し、呼吸が浅くならないように意識しながら深く息を吸う。
 近くの無線機を手に、カガが笑った。

「いいかー、今から本物の“ヒーロー”が外に出る。生かすも殺すもお前ら次第だ。テールベルト空軍の誇りにかけて、ゼッテェ守り抜け! ──ほれ、嬢ちゃん」
「え?」
「アカギに気合い入れてやれ」

 無骨な無線機を穂香に差し出し、カガな内緒話でもするように小声で言って、にんまりと唇を吊り上げた。「ほれ」と突き出され、震える手で受け取ったそれは思ったよりも重たい。
 どうしよう。なにを喋ればいいかさっぱり分からない。なのにカガは「早く」と急かしてきて、穂香は困惑のままひっくと喉を鳴らした。こういうアドリブやスピーチは大の苦手とするものだ。

「あ、あの、アカギ、さん、わ、私が、囮になります。だから、──きゃっ」
「──やから絶対、なにがあっても守り抜け! ええかっ、約束破ったら許さへんからな、ナガト!!」

 穂香から無理やり無線機を毟り取った奏が、鼓膜を震わせるほどの声量で怒鳴りつけた。そのまま憮然とした態度で無線機をカガに突き返した奏が、顎に梅干を作ったままどっかりと腰を据える。
 こんな風に拗ねているところを、初めて見た。先ほどまでの全身から火炎を噴き出さんばかりの勢いは、今やどこにも見えない。なにもない机の上を一点集中で睨みつけていて、──それが泣かないためだと気づいてしまったから、穂香はまたじわりと涙腺を緩ませた。

「……だいじょうぶだよね、きっと」
「そんなん当たり前やろ、アホ!」

 震えた怒鳴り声に、思わず笑みが零れた。




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