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「よかったね、奏」
ふんわりと肩を抱いてきたナガトに、奏が頷く。
「うん、ほんまによかった。……アカギ、ありがとう」
「別に。当然のことをしただけだ」
「うっわ、かっこつけちゃってやだねー。ほのちゃん、こんな奴と二人っきりで、なにか変なことされなかった?」
「ァア!? ンだとナガト!!」
いつもの調子で牙を剥き合う二人に、こんなときだというのに呆れて笑いそうになった。こうしていると、まるで犬と猫のケンカのようだ。大型犬とふわふわの猫。そんなイメージをこっそりと楽しんでいると、穂香がほんのりと顔を赤らめて視線を泳がせていた。
──まさか。弾かれるようにアカギを睨みつけると、彼は奏の怒気を察したらしく慌てて首を振った。
「いや、なんもしてねェよ! 誤解だ誤解!」
「ほんまに!? どさくさに紛れて変なことしたんちゃうやろな!?」
「変なコトってなんだよ!? なんもしてねェって!」
焦り具合がやけに怪しい。なにもないなら、なぜうっと呻いて目を逸らす必要があるのだろう。しかもその目元が若干赤らんでいる点も非常に気に障る。これは自白したも同然ではないか。
穂香を背に庇うようにしてアカギに詰め寄ったところ、ぐっと袖を引かれてつんのめった。振り向くと、顔を真っ赤に染め上げた穂香が必死に奏を止めている。その眼差しの熱さに、「おっ、」と思った。
穂香の濡れた瞳を見るのはそう珍しいことではない。不安だったり、緊張していたり、恐怖していたりと原因は様々だが、そうしたときにはいつだってうさぎのように目を赤くさせ、頼りなく視線を泳がせては涙の膜を張るのが常だ。けれど今回は違った。しっかりと奏を見上げてくる瞳は、今までとは異なる熱を宿している。
奏がついぞ見たことのない、芯のある眼差しだった。
「違うの。アカギさんは、私のこと、すごく……すっごく、守ってくれたの。だから、……違うの」
「ほの……」
この短い時間の間に、彼女になにがあったのかは分からない。奏が命懸けの経験をしたのと同じように、穂香も己の命を懸けたのだろう。次の瞬間には死んでしまうかもしれないという恐怖の中、彼女はなにを思ったのだろうか。
そのとき傍で守ってくれたのが、アカギだったのだ。奏にナガトがいたのと、同じように。
確かな変化を感じ取り、わしゃわしゃと穂香の髪を掻き回して奏は満たされた気持ちで妹を見た。訳が分からないという風に見上げてくる穂香を前に、ナガトも楽しそうに笑う。
彼は随分と偉そうに振る舞っているけれど、格好をつけているのはどっちだと言ってやりたい。アカギの無事を知らされ、こちらの艦で合流できると知ったときのナガトの顔といったら、それはもう見ものだった。今だって、その目には安堵の色が覗いて見える。
「ま、お前も無事でよかったよ」
「るっせェ。勝手しでかしたテメェに言われたくねェよ」
「お前もそう変わんないだろ!?」
「俺はあんな状態で無理やり外出ねェっつの、バカが!!」
「はぁあああ!?」
懲りない様子でぎゃんぎゃんと騒ぐ二人に、艦内の他の隊員達が呆れ眼を向けている。奏もその中の一人だったが、脇を抜けた人影に「あ、」と声が漏れた。
そして、予想した展開は、すぐさま目の前で再生された。
「お前らどっちもどっちだこのクソガキ共がぁっ!」
両の拳が鈍い音を立ててナガトとアカギの頭に振り下ろされ、痛烈な打撃を与えたのが分かった。なにしろ見ているだけでこちらまで頭を押さえたくなるほどの衝撃だ、相当痛いだろうことが伺える。隣で小さく息を呑んだ穂香の腕をさすり、大丈夫だという意味を込めて頷いた。
奏の予想通りならば、これだけでは終わらないだろう。ヒュウガの手が、背中を丸めて呻くアカギに伸びる。奏の父よりずっと逞しいその腕が、勢いよくアカギを捉えた。
「えっ、ちょ、艦長!?」
「うるせぇ、黙れクソガキ」
にやにやとしたナガトが慌てるアカギをからかうように見ているが、彼だって同じようにヒュウガに抱き締められて固まっていた。あとでそう言ってやれば、彼らはどんな反応をするだろうか。絶対に教えてやろう、と奏は強く決意する。彼らの子どもみたいなやりとりを見るのは嫌いではない。
今のアカギもあのときのナガトと同じように、困惑と気恥ずかしさを隠しきれない様子でうろたえている。その動揺具合はナガトより分かりやすく、見ていてとても面白かった。唖然としていた穂香も、すぐに表情を綻ばせて緊張を解いている。
どれだけ彼らが大事に思われているか、その様子を見ていれば語られずとも伝わってきた。どれほどおぞましい計画の一部として利用されようとも、彼らには仲間がいるのだ。ならきっと、大丈夫。こんな状況でもそう思えたからこそ、心から穏やかな笑みを浮かべることができた。
「よし。お前らが無事でなによりだ。じゃねぇと全力で殴れねぇからな」
「無事っちゃ無事ですけど、でも俺、二発目ですよ!?」
「なんだナガト、文句あんならもう一発いくか?」
「文句ないです!」
ヒュウガがアカギを解放してやっと落ち着いて話ができると思っていたのに、軽口を叩きながらも、彼らは居住まいを正して装備を確認し始めた。当たり前のような顔をしてそんなことをし始めるから、奏も穂香も訳が分からずに一瞬固まるはめになる。
タブレット型の端末を操作していた大柄な男性──カガというらしい──が、なにやら暗号のようなものを読み上げる。どうやらそれは目標地点らしく、二人は平然と返事をして装備を整えていった。
装備を整える? 一体なんのために。