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「てことはハインケル博士って、今何歳なんですか?」
「二十二歳、だったと思う、……ます」
「うっそ、アカギの一個下? うーわー……」

 今までは十歳前後の風貌だったのだから、驚かれるのも無理はない。口元を引き攣らせるスズヤとは裏腹に、ミーティアとソウヤは納得したと言わんばかりに頷いていた。
 ──二つ目、クリア。

「でも、この子のおかげで助かりましたわ。もちろん、アナタ方にも感謝しないといけないけれど」
「礼なら結果で払ってくれりゃあいい。俺達はお前に、ハインケル博士から言われたことを伝えただけだ」

 ミーティアに会ったなら、スツーカが放つ微弱電波を解析するように頼んでほしいと告げていた。そうすれば、ハインケルがスツーカに託したすべてが明らかになるからだ。彼女ほどの実力者であれば、気づいてくれるだろうことは予想できていた。
 ──三つ目、クリア。
 続けて四つ目のステップもクリアする。まだタイマーは止まらない。刻まれていく残り時間に、まだ余裕があるというのにその場の空気が僅かにひりつく。

「ミーティアさんは、これが終わったらどうするの?」
「難しい質問ですこと。……とりあえずは、違う研究所に移ろうかしら。ビリジアンにはどうやら嫌われてしまったみたいですし。テールベルトに移住してもいいかもしれませんわね。ハインケル博士はどうなさるおつもりで?」
「僕は……、テールベルトに任せる。まだムサシ司令の様子も見たいから、できる限り離れたくはないけれど……」

 ムサシはとても興味深い存在だ。彼を手放すのは惜しい。
 ピアノでも演奏するような流れる動作でキーボードを叩いていたハインケルの手が、静かにエンターキーを押し込んで止まった。同時に、モニターの端に表示されていたタイマーがぴたりと静止する。

「──終わった」
「はっ? もう!? 嘘でしょ、ほんとに!?」
「ドルニエが仕掛けたものを、僕が解除できないはずがない、……んです」
「……さすが、ハインケル博士ですこと」
「つーことは、また俺達の出番だな。行くぞ、スズヤ。大元叩きにな」

 端末を操作してヒュウガ隊に連絡を取ったのだろうソウヤが、薬銃の調子を確かめつつ立ち上がった。スズヤもそれに倣う。まだ本調子ではないハインケルは、スズヤに背負われて研究所内を脱出することになった。
 廊下にうろつく感染者は、ソウヤが的確に処理していく。揺れる背からその手並みを眺めながら、美しいとハインケルは思った。
 そうしてヒュウガ隊の乗ってきた王族専用艦の一室に通され、再び艦外に去っていく二人の軍人を見送ったのち、ハインケルはそのまま力なく机に突っ伏した。
 どっと疲労感が身体にのしかかってくる。今になって、ドルニエと対峙していた恐怖が全身を駆け抜けてきた。ぞわりと毛穴の開く感覚に身震いする。

「大丈夫ですか?」
「……ねえ、ミーティアさん。ミーティアさんは、僕が欲しい?」

 俯いたまま問うた。
 ビリジアンにハインケルをと望んだ彼女は、今はなにを思うのだろう。

「ええ、とても」

 潔い即答だった。迷いなど微塵もない声に、思わず噴き出してしまったほどだ。
 湿った髪を、ミーティアの華奢な指が掻き分ける。頭皮を柔く引っ掻く感触が気持ちよくて、そのまま眠ってしまいたくなった。ほんのりと香る薬品の匂いが高まった神経を落ち着ける。
 血と、煙と、薬のにおいがする。それらは死と隣り合わせのにおいだった。

「ありがとう。でも、駄目だよ。あげられない」
「それは残念ですわ。ハインケル博士がおられれば、怖いものなんてありませんのに」
「うん。僕も、ミーティアさんと一緒なら、そうかなって思う、……ます」

 未だに丁寧な言葉は慣れない。「無理しなくて結構ですよ」優しく笑うその声に甘えて、ハインケルは子どものように頷いた。

「あの国に──テールベルトにとって、“ハインケル”は絶対であるべきだ。だから、僕はまだ、誰のものにもなれない」

 死ぬのは怖い。殺されることはもっと怖い。
 不要だと捨てられることも、どうして自分がその評価を受けるのか知ることも、怖い。
 だから、安全が確保できるように動くのだ。
 ミーティアの手が僅かに止まり、何事もなかったかのように髪を梳いていく。シャワーを浴びて煤やら埃やらを落としたいが、まだ当分そんな時間は与えられないだろう。
 彼女も今後、ビリジアンでは相当苦労することだろう。切り捨てるつもりの彼女が戻ってきた場合、あの国は──いや、軍だけの話だろうか。そこまではまだ分からないが──どう対処するのだろう。テールベルト空軍に証言者が多数いる以上、そう簡単に消されることもないだろうが、下手をすれば命の危険すら伴う話だ。テールベルトに移ると言っていたのも、あながち冗談ではないのかもしれない。
 そういえば、ミーティアの研究所で会ったあの男──モスキートと名乗っていた彼は、今回の件についてなにか知っていたに違いない。でなければ帰国のタイミングができすぎている。
 このプレートでやるべきことはいくつも残っているのだ、他国のことを考えている場合ではない。「ハインケル博士、」呼びかけられて視線を投げれば、苦笑が降ってきた。どこか含みを持たせた笑みは、心を不安にさせる。
 持ち上げた頬を、指先でそっとくすぐられた。誘うような手つきに、腹の奥からぞわぞわとしたものが湧き上がる。

「アタシ個人として、心底アナタが欲しくなってきましたわ。どうしましょう?」
「…………ど、どきどきするから、やめて、ください」

 じんわりと熱を持つ頬を隠すように、ハインケルはスツーカに顔を埋めた。


【22話*end】
【2019.1102.加筆修正】



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