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「お前、今さらなに言ってんだ」
「え?」
「今に始まったことじゃねぇだろ。チビ博士の噂、思い出せ。あいつは最初から“恐れられている”存在だ。詳細な理由も分からず、恐怖され、嫌われる。だから、誰もあいつに近づきたがらなかったんだろうが」
「まあ、確かに……?」
「あれが気狂いの科学者だってのは有名な話だったろ。ちっとばかし予想以上だっただけの話だ」

 己の中に白の核を宿して治験を行うことが「ちっとばかし」に含まれるかはさておき、ソウヤの言うことももっともなのでスズヤは苦笑するしかできなかった。
 頭のよすぎる連中の考えることは理解ができない。そう呟くと、ソウヤも「俺もだ」と応えた。彼は淡々とパネルを操作し、感染者収容施設のロックを順々に解除していく。
 研究室側へ繋がる扉以外はロックし、自分達のいる場所へ感染者が入り込まないように注意しなければならない。ここで感染者と対峙して、無駄な時間と労力を割くわけにはいかなかった。
 あと一つボタンを押せば、感染者のいる部屋のロックがすべて解錠される。傍から見ていたスズヤにもそれは分かったが、ほんの数秒、ソウヤの手が止まった。「ソウヤ一尉?」どうしたことかと覗き見れば、彼の青い瞳が静かに室内で暴れる感染者を見据えている。またあの目だ。どこか遠くを見るような目。

「どうしたんですか、ソウヤ一尉?」
「ああ、いや。なんでもねぇよ。──さて、これが終わったら次はあっちか」
「なんだかんだで働かされますよね、おれ達」
「今のうちだ、働け働け」
「今のうちってそんな、縁起でもないこと言わないでくださいよー」

 テールベルトに戻れば、自分達はただでは済まない。それくらい、誰に言われずとも理解している。
 縁起でもないどころか、目に見えて分かる事実だった。ほんの僅か、ぼやけた苦みが口の中を満たす。スズヤ達ヒュウガ隊の処罰はもちろんだが、ソウヤの未来に期待はない。王族が絡んでいる分なにかしらの恩赦は与えられる可能性もあるが、それを差し引いたところで彼はテールベルト空軍史上最大の軍紀違反を犯したと言っても過言ではないのだ。
 地上ですら翼を生やして飛んでいるような鮮やかな動きを思い出す。──ならば空は? 空に上がった彼はまた格別だった。テールベルト空軍のエースパイロットはカガ隊のハルナだと言われているが、彼がそう呼ばれる以前、その称号をほしいままにしていたのはこのソウヤなのだ。空戦競技会で文句の付けどころがない飛行技術を見せた眼前の男は、映し出されたモニターの向こうで子どものように笑っていたではないか。
 ほんの数瞬とはいえ、ぼんやりとしてしまっていたのだろう。スズヤの目の前でソウヤが焦れたように指を鳴らし、漂っていた意識を引き戻す。

「なあ、スズヤ。あの博士がどういうつもりでこいつら逃がせって言ったか、分かるか」
「へ? そりゃ、向こうに流して混乱させるためですよね? ドルニエ博士を呼び出すためでしょ?」
「その先だ」
「先? 爆弾解除って意味ですか?」
「いや、」

 そう静かに零し、ソウヤは最後のボタンを押した。ビィー、ビィー、とひび割れたような警報が鳴り響き、各部屋の扉が開く。
 解放を知ったのか、あるいは単に音に釣られたのか。どちらかは分からないが、感染者達が次々に廊下へ歩み始めた。ある者はがむしゃらに駆け、ある者は生まれたばかりの子鹿のような足取りで。それは異様な光景だった。目の前の廊下を、白に侵された「ヒトだった者達」が通り過ぎていく。薬銃を構える必要はなく、たとえ彼らが逃げ遅れた人々を襲ったとしても、自分達に手出しすることは許されていない。
 青い瞳がその歪んだ流れを見つめ、薄く笑った。

「その先だ、スズヤ。あいつは全部終わらせる気でいる。映画みてぇに、あっさり爆弾解除してみせるだろうよ。自分にはそれができると信じてる。……俺も、それに異論はない」

 目玉をギョロギョロと動かす男が、スズヤと彼らを隔てる強化ガラスに張りつき、拳を打ちつけてきた。ガチガチと鳴らされる歯は、粘ついた唾液の糸に飾られている。歯茎からは小さな白い芽が発芽しており、高レベル感染である様子が伺えた。こうなればもう、助ける手段はない。
 ──気持ち悪い。それがスズヤの感想だった。自然と嫌悪に顔が歪む。

「混乱させて、爆弾解除して、その先? テールベルトに帰ったらの話ですか?」
「その前に片付けることあんだろ。お前も案外見えてねぇのな」

 先だの前だの、ピンとこない。頭の作りは悪くないと思っていた分、これには少しカチンときた。
 威嚇をしてくる感染者に、八つ当たり気味に手で作った銃口を向けるそぶりをし、──そこで気づく。

「こいつらの処理ですか」

 ソウヤはスズヤを見ないまま喉の奥で笑い、「ああ」と頷いた。
 当たり前のことをすっかり失念していた。解き放った感染者は駆除しなければならない。そこまで考えて、スズヤは当然のように駆除や処理という言葉を選んでいたことに気がついた。
 軽度感染者であれば治療可能だ。駆除という言葉を使えば、たちまち世間に叩かれる。言葉一つになんの意味があるのかと言いたくなるが、そこは重要らしい。だが、ここにいる感染者を見れば、誰も治療などという言葉は浮かんでこないだろう。どう見ても治療不可能な重度感染者ばかりだ。

「仮に、軽度感染者が混ざってても……」
「これだけ重度感染者に揉みくちゃにされてりゃ、あっという間にレベルは跳ね上がるだろうな。そうなりゃ、こいつら全員殺処分対象だ。つか、選り分けてる暇もねぇだろうしなぁ。最初から全員殺す気だったんだろうよ」

 解き放った感染者の駆除は自分達の仕事だと認識していた。だからこそ、面倒なことを頼まれたと思ったのだ。
 違和感などなく、それが当然であるかのように。それが、スズヤ達の仕事だからだ。
 けれどそれを見越した上で動いたのは、上官でもなければ軍人でもない。いつも震えて怯えてばかりの、お勉強が大好きな科学者だ。
 そら見ろ、と内なる自分が嘲笑する。結局自分は、指揮官には向いていない。こうしてなにも考えず、ただひたすらに与えられた命令に従う方が楽なのだ。ぞっとする。染みついた習性が、どろりとした粘度の高い悪夢に変わるようだった。

「あいつにとって、感染者は人じゃない。ここで実験してた連中と一緒で、もう道具としか見てねぇんだろうな。……ま、分かってて協力した俺達に言う資格はねぇのかもしんねぇが、それでもこれだけは言えんだろ」

 そこでようやく、ソウヤがこちらに目を向けた。

「あいつは間違いなく、テールベルトの鬼門だ」



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